パンダ イン・マイ・ライフ

ようこそ panda in my lifeの部屋へ。
音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

漱石 5 草枕

2022-03-27 | book
知人の高浜虚子の俳誌「ホトトギス」に明治38年1905年1月号から翌年8号まで10回にわたり掲載された漱石38歳の処女作長編「吾輩は猫である」。同じく「ホトトギス」に翌明治39年1906年4月に一挙掲載された「坊っちゃん」。そして、夏目漱石が明治39年、39歳の9月に文芸誌に掲載され、数日で売り切れとなった「草枕」を読んだ。岩波文庫1929年昭和4年7月第1刷。2021年平成29年9月第116刷だ。

草枕とは旅でのわびしい宿をいう。13の章からなる。
30代の主人公は画工(えかき、がこう)として、東京を離れ、鄙びた温泉地に逗留する。
苦しんだり、怒ったり、騒いだり、泣いたりは人の世のつきもの。そのような人の世の人情とは別の非人情の世を漢詩の世界を目指し、人の世の非人情が続かぬことをわかりながら暮らす芸術家である。

巻末の注の多さ。中国の漢詩、西欧の詩人や作家、熟語解説、俳句や短歌、ミレーの「オフェリアの面影」など、その博識が随意にちりばめられている。

茶屋のおばあさん、お寺の住職、旅館の那美さんなど、人とのかかわりの中で生きるしかない芸術家の数日。最後には日露戦争出兵の見送りで終わる。


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漱石 4 坊っちゃん

2022-03-20 | book
「坊っちゃん」は、当時、知人の高浜虚子の俳誌「ホトトギス」に明治38年1905年1月号から翌年8号まで10回にわたり掲載された漱石38歳の処女作長編「吾輩は猫である」に続き、同じく「ホトトギス」に翌明治39年1907年4月に一挙掲載された。夏目漱石が明治39年、39歳の時だ。岩波文庫1929年昭和4年7月第1刷。2017年平成29年3月第118刷だ。

11の章からなる。第1章で、江戸っ子の坊っちゃんのおいたちが語られる。父母が亡くなり、家長の兄は家の全財産を売り払い九州へ。一人残され、財産の分け前で大学を卒業した23歳の坊っちゃんは、四国の中学教師の口があり、女中の清と別れ、東京を離れることを決意する。
2章からは四国での生活が描かれる。学校でのあいさつ。教頭は赤シャツ、英語教師の古賀はうらなり、数学教師の堀田は山嵐。3章は授業、天婦羅・遊郭団子・温泉赤手ぬぐい。4章 寄宿舎の宿直でのバッタ、天井の寄宿生床板踏み5章は、赤シャツと画学の江戸っ子、吉川野だいことの釣り、6章 山嵐への不信、寄宿生への処分職員会議、7章 下宿屋を変わる、停車場でのマドンナとの出会い。8章 古賀のマドンナとの婚約破棄と九州への転任、9章 山嵐との和解と古賀の送別会。10章 日露戦争祝勝会での師範と中学との喧嘩。仲裁に入る山嵐と坊っちゃん。11章 事件が新聞掲載に。山嵐の辞表提出。山嵐と坊っちゃんの赤シャツ、野だいこ襲撃。東京へ向かう2人。大団円。

これだけの題材が、きっぷのよい文章で次々に繰り出される。江戸っ子の坊ちゃんと会津出身の山嵐。まさに明治維新直後の世相の中で負け組という2人。理屈と打算の新体制への反発も根底にある。清との交流は、第1章から大団円までちりばめられ、孤独で短気な坊っちゃんの心のよりどころとして貫かれている。
解説の平岡敏夫は、「坊っちゃん」はおもしろくて、かなしいという。

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長田 弘 詩ふたつ

2022-03-13 | book
詩人 長田弘 詩ふたつ

作曲家の池辺晋一郎(1943年昭和18年生まれ)が新聞の文化欄で紹介されていた。その中で、詩人の長田弘(おさだひろし)の言葉に感銘を受けたと言っていた。

長田弘は、昭和14年(1939年)生まれで、平成27年( 2015年)に亡くなっている。池辺より4つ年上である。

紹介された言葉は二つ。「死者の生きられなかった時間を、ここに在る自分がこうしていまいきているのだ」と詩の一節「幸福はなんだと思うか?」だ。

前者を調べてみると、詩集「詩ふたつ」のあとがきだ。図書館で借りると平成22年(2010年)初版で、見開きの方ページに詩、方ページにクリムトの、樹々と花々の風景画がある本だった。

「詩ふたつ」は、タイトルの通り二つの詩からなり。「花を持って、会いにゆく」と「人生は森のなかの一日」だ。詩なので、文字の頁は、空白が多い。

「詩ふたつ」は2015年刊行の「長田弘全詩集」にもある。2つの詩とも3行ずつ一行開けて掲載されている。

絵で採用されているグスタフ・クリムト(1862年-1918年)は、帝政オーストラリア時代の画家で、金箔を用いた人物画で有名だ。

あとがきに、長田が「できれば、ゆっくりと声にだして読んでください」としている。

クリムトの風景画と空白の多い文字の頁。その空間に思考が交差する時間が心地よい。
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究極の俳句

2022-03-06 | book
俳人で芭蕉研究家の高柳克弘の「究極の俳句」を読んだ。昭和55年1980年生まれの高柳が、俳句の本質を若いうちに書いておけと先輩にいわれたと「あとがき」にある。2021年刊行。数々の名句の鑑賞とともに、今の俳句の置かれている現状を明らかにした俳句論。

17音で世界を構築する俳句。序章では、俳人は言葉を信じないという。虚子の「白牡丹」、芭蕉の「蛙」、子規の「柿」。短歌から派生した俳句は、それまでの概念にとらわれていた。

第1章 季語を疑う
芭蕉は、貴族の短歌から、庶民の俳句になったとき、季語を疑った。「桜」、「ホトトギス」、「花の春」。芭蕉は、作り手が季語に異質な言葉をぶつけ、読み手に化学反応を起こさせ、季語に新たな側面を見出させた。それが「取り合わせ」という手法だ。しかし、読み手にはストレスがかかる。そこで近代、虚子は季語そのものを詠む「一物仕立て」の手法を広める。
しかし、高柳は、この「一物仕立て」も「取り合わせ」だという。俳句は、物と物ではなく。言葉と言葉の取り合わせだと。高柳は「季語」を殺すのは、季語を伝統にして、侵すべからざるものにして扱う意思だと言い切る。

第2章 常識を疑う
俳句の俳は、自分ではない別の人を演じるという事だと高柳は言う。そこで、性別、年齢、身分、貧富という人をより分ける常識というラベルは俳句の前では意味をなさないと。
作り手は時に宇宙や地球や動物や植物になる。埃や死までも。それが俳句の読み手のよろこびだとも。俳句は17音しかない短詩だ。つまり、作り手の意思が読み手にダイレクトに伝わることがない。そういう意味で、作り手は常に読み手を意識せざるを得ない。作品は作者だけのものではない。

第3章 俳句は重い文芸である
俳句は季語の他に主題がある。季語と主題の一致する「ホトトギス」は傍流だと。芭蕉の提唱した「軽み」について、表現の重みを避けることと、主題を「重く」ることは別だと。
その主題も「季語」」「風物」「人生」「社会」と変遷してきた。キャッチフレーズや標語の概念も取り込んでよいと。

第4章 重みのある俳句とは その題材
これまで「郷里」も主題だった。現代では「べた」として忌避されそうな四苦八苦や喜び美しさを目出ることを今こそ握り直せ。最近の俳画や写俳、紀行文や小説とのコラボの現状を伝える。

第5章 重荷のある俳句とは その文体
短歌では口語が主流になったが、俳句ではなぜならなかったか。現代では文語は生活から遠い。しかし、今の俳壇では意識的に口語体で書く作者は圧倒的に少ないと。や・かな・けりの切れ字や文語文体の季語との相性の悪さ。そして、17音の短詩において、あっという間に読み終えてしまう危うさを高柳は指摘する。俳句の作品価値は、いかに読者の中に残り続けるかだと。

終章 俳句は時代を超えられるだろうか
芭蕉の頃の俳句と現代の俳句は別物だといわれるかもしれない。しかし、作り手は人間である。時代や環境の変化、作り手の考え方によって俳句は姿を変えることを積極的に評価したいと。俳句の新しさは限界かもしれないが、読むべき主題は限りがない。高柳は主題の新しさの道を二つ提案する。新しい主題を見つけることと、古い主題をもう一度握り直すことだという。
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