パンダ イン・マイ・ライフ

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音楽と本、そしてちょっとグルメなナチュラルエッセイ

よもだ俳人子規の艶

2024-02-11 | book
テレビ番組の「プレバト」でお馴染みの俳人夏井いつきさん1957生まれ66歳と、映画監督で俳優の奥田瑛二さん1950生まれ73歳の対談を中心にした共著「よもだ俳人子規の艶(つや)」を読んだ。2023年9月1刷。新聞俳句欄で紹介されていた。
著書名から、正岡子規をめぐる話だというのはわかる。ことの発端は、子規の句を読んで推し10句(うち3句は遊里に関するもの)を選んでくるものだったという。巻末の両氏の推し10句の下にページ数があり、2人の解説箇所がわかる。

そこから子規の句に遊里に関するものが多いということになり、映画監督らしい、句と映像の奥田ワールドが展開する。正岡子規は明治元年の前年生まれなので、亡くなった明治35年が35歳ということになる。巻末の艶(つや)俳句一覧には、明治22年から明治35年までの360句が掲載されている。

奥田
人と句を読むのが苦手。句会とも縁遠く、1人で淡々と、「独りぼっちの俳句」
俳句は教養を磨くためのものではなく、心を鍛えて抜く覚悟がないと続けていけない。
俳人にとっては自分が老いていくことは、主観的には嫌なことだけど、客観的には興味の対象となる。
俳句はわずか17音でありながら最も長なる文学。想念の世界は無限大。作り手はわずか数語のヒントしかくれない。受け手はどこまでも想像の羽根を伸ばせる。
書き続けることが子規の生きるエネルギー。子規俳句は彼がどう生きたかの証。
師匠もいなくて我流で30年続いている。うまく詠みたいとか、周りから評価されたいというのではなく、俳句という表現の中で、自分の感覚を外界とつなげられるのが快感なのだ。夏井「奥田にとって俳句とは季語と自分とが対話する17音の宇宙なのだ」
句を声に出して、耳で聞き、大学ノートに書くという。
松山の上人坂を歩いて伊月庵を訪れ、坂の上の宝厳寺の山門で道後の風にも吹かれた。

夏井
自分が作った句がなかなか評価されないからやめようという人が大勢いる。俳句は傑作を求めるものではない。たまたま見事な句ができても呼吸がきれいにいきまったぐらいなものだ。
制約がある中で自分になにができるか。それをとことん楽しめ。大切なのは自分が楽しむことがなによりも先頭にあること。他人が評価してくれないなんて、あんたなんのために俳句やってんの。
子規の淡々とした描写に魅力を感じる。奥田監督は情感までも詠み込んだ句がいいという。
同じ風景を眺めて、同じ季語を使っても生まれてくる句は個性を反映する。作り手ばかりでなく、読み手の心も反映してくる。奥田「流れ移ろう心を切りとって17音にのせる、魂の写生なのかも」

子規俳句の解説だけでなく、両氏の俳句に対する姿勢が垣間見れて楽しいひとときだった。
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