パンダ イン・マイ・ライフ

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プラモの世界(11)徳川家康

2019-11-04 | life
童友社のプラモ。「徳川家康の兜・鎧・大袖付」だ。「南蛮鉢歯朶(シダ)の鎧」とある。


確かに、現在久能山東照宮に納められている甲冑が、重要文化財「伊予札黒糸威胴丸具足(歯朶具足)」といわれるものがある。兜の前に立てる前立(まえたて)が植物のシダの葉の形であることから「歯朶具足」とも呼ばれている。家康が天下分け目の決戦、関ヶ原の戦いと豊臣家を滅ぼした大坂の陣に携行し、見事勝利を収めたことから徳川家"吉祥の具足"として、大切にされてきた特別なものだといわれている。しかし、童友社のプラモはこれと異なる。義家、義経と同様の金型で兜、袖や胴、モモを覆う草摺とし、兜の前立てを歯朶の葉の形にしたものだ。


南北朝から室町期は、山城が多く築かれ、局地戦や城攻めが主となる。馬上での動きとは異なり、足の動きが自由で軽便な胴丸が採用される。そして、戦国時代になると、個人戦から集団戦へと移り、武器も特に槍が主要となり、さらに鉄砲の出番となる。小型化といった実用性重視の流れだ。


さらに江戸初期には鉄砲の進化により、鉄の地を厚くする改良が加えられる。江戸中期には、美術工芸品といった趣も出てくる。

童友社の甲冑シリーズで、織田信長や徳川家康、伊達正宗、直江兼続といったモデルは、兜は往時のものだが、胴や袖、モモを覆う草摺は平安鎌倉期の八幡太郎義家、義経などの型を使っているので、童友社ファンには不評だ。


その点、南北朝室町時代の春日大社所蔵国宝の「赤絲威竹に雀虎金物鎧」、そして兜の立物はいかがと思うが、安土桃山時代の東京国立博物館所蔵の「金小札色々威片肌脱二枚胴具足(伝加藤清正)」は、それなりに忠実に伝えており、さすが下町の技術の高さと言えよう。

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