防衛省のこと

2017-07-25 00:00:24 | 市民A
まず、防衛大臣が罷免にならないことについては、彼女の支持層というのは、安倍政権の核心的支持層であるということなのだろう。最も右側の人たちで、特定の雑誌やネット上で論客をつとめることが多い。たぶん有権者の10%程度が属する分類なのだろう。それらの人たちにとって最も首相になってほしいのは今の防衛大臣で次になってほしいのが今の総理大臣なのだろう。

だからそのグループに鉄槌を与えると、支持率がさらに10%下がってしまうのでそういう選択肢はないのだろう。思えば、終戦記念日に靖国神社に行かないように閣議で防衛相のジブチ行が突然決まったことへの内心の怒りを抑え、総理が真珠湾から帰ってくる日に靖国に行くという反撃を食わしたことからして、自分の方が正論を貫いていると思っているのに違いないだろう。


次に、省内会議の内容が外部に流れている件については陸自の反撃という説が強く流れている。この件は、そもそもの話から大きくずれてしまっていて、その「戦闘行為があったかなかったか」という点はメディアが追及すべき問題なのだが、この「軍人(制服組)」と「首相-防衛大臣-事務方(いわゆる背広組)」と「一般国民」の三者関係というのが重要なわけだ。第二次大戦の時も大問題だったのだが、その時は、「国民」のところが「天皇」だったわけだが。

現在の報道では、廃棄すべき書類が残っていたことと、それを公開したことに対して、ルール違反として陸自が責任を負わされそうになって、それに対する反発からリークがあり、制服組による背広組への抵抗というようになっている。おそらく国民の目から見ると、自衛官がかわいそうではないか、という方向に風が吹いているのではないだろうか。


戦前に、似たようなことが起きていた。昭和7年(1932年)に起きた五・一五事件。事件は海軍を中心とした若手将校による首相暗殺というテロであったのだが、同時期には政党による汚職が次々に明るみに出ていて、国民はテロ参加者に寛容な処分を求める声を上げたわけだ。

この事件が、日本が大正デモクラシーに決別し、軍国主義に向かっていったターニングポイントと指摘する研究者も多いようだ。

歴史はまったく同じようには繰り返さないのだが、思えば昭和7年の時には誰も想像していなかったような戦争が5年後に中国大陸で始まってしまったわけだ。それも局地的に始まった戦争が、二発の原爆と国富の壊滅という結末に至ったわけだ。


そして、首相のいう「自衛隊明記」を憲法に加えるというマイナーチェンジ論もいただけない。得るものはなく失うものが多いとしか思えない。いまさら自衛隊が不要という意見は国内にはほぼない(何人かはいるだろうが)。周辺国がさらに日本への防衛と称して軍備増強するだけだろう。

だいたい日本の憲法というのは、九条以外にも守られていないことが多い。公明党がいうような加憲という程度では済まないほど現実とは異なっている。重要なのは、「天皇制」の規定と「九条の拡大解釈である、自衛に徹する軍隊」「義務教育」ぐらいではないだろうか。

基本的人権についてはくどいほど子細に書かれている。守られているのだろうか。いまだに差別はあるような気がする。

また、職業選択の自由といいながら、実際には好きな会社に入社しようとしても面接やテストがあるし、政治家と歌舞伎界だけは世襲制が生きているとか。

全文を読んでも、日本が共産主義国家ではなく資本主義国家であることも判然としない(私有財産を持つ権利が与えられていることから資本主義国家であることが読み取れるということだそうだ)。

といって、全部書き直すとしたら、少なくとも現在の社会の追認的な条文ができるだけなのだろう。中学生の97%が高校に進学する時代に「高校を義務化(無償化)する」のではなく、幼稚園義務化の方が前進的なのだろうが、そんな声は聞こえてこない。

話を自衛隊に戻すが、ではどういう人物が防衛省のトップに座ればいいのかということは、実際よくわからない。日本が長い間、実戦を行っていないからで、上から下まで実戦経験ゼロのわけだ。もっとも強いか弱いかよくわからないというのも最大の防衛効果ともいえるわけだ。いずれにしても憲法に書かれていないからといって自衛隊は解散しましょうというようなことにはならないだろうし、もしそうなる場合は日本がどこかの国に戦争で負けて、占領される時なのだろうと思うわけだ。