クリスマスツリー

2014-12-24 00:00:50 | 市民A
クリスマスツリーほどいかがわしいものはないわけで、北欧のような寒帯に生息する針葉樹をばさばさと切り倒して、そのまま1ヶ月もすればゴミになる。そのゴミは、いずれにしても二酸化炭素となるわけだ。

キリストが生まれたのは、ようするにラクダがいるような暑い地域なのだから、むしろヤシの木の方がいいはずだ。しかし、ヤシでは、オーナメントを付けるわけにもいかず、月や星をぶら下げると、イスラム教の国旗のようになってしまう。イスラム教とは違う、ということを強調するために樅の木になったのだろうか。

日本では、ほとんど生の樅の木を使わないのだが、その代わりに門松やしめ縄はナマモノであるのだが、後始末も含めてかなり二酸化炭素の排出量は少ないだろうか。

xmas


しかも、最近のツリーは、単に三角錘型というだけで、ツリーとは言えないようなものもある。東京フォーラムのツリーは、羊が飾られている。クリスマスも正月も一緒だ。

ところで、世界には「キリストの父親は誰だ?」という、解明してはならない謎がある。

宗教的には、キリストは神の子であるということになっていて、「ゼウス」のような神がマリアに代理出産を依頼したことになっている。(ギリシア神ゼウス本人は絶倫の神で、よく地上に降りてきて遊んでいたようなので、代理出産などを頼むわけはないが)。

ただし医学的には、諸説あって、ローマ兵とか援助交際の結果なので父親不詳とか、ささやかれてきたようだ。

実は、幼稚園のクリスマス会の演劇で、「ヨハン」役をやったことがあった。馬小屋でのマリアの出産シーンで、うまれてきたのは赤ちゃんではなく人形なのだが、ずっと長い間、生物学的父親だと思っていたのだが、単なる養父に過ぎないということを知って、ガッカリしたことがある。

ところが、最近、父親問題に新たな展開があるようで、「実の父親はヨハンであるが、結婚前に関係して産まれたため、キリスト教の教義というか教育的観点でヨハンの子と認められなかった」という説が現れたようだ。どうも、現代的に解釈すれば、前でも後でも大差ないという常識の変化に迎合したものかもしれないが、あらゆる説の中で、もっとも合理的で無難なのだろう。

ヨハン役としては、ずいぶんと身分が改善したような気がする。