時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ガザに盲(めし)いて:ひとつの回顧

2012年11月23日 | 書棚の片隅から

 



 11月21日午後9時、イスラエルとイスラム組織ハマスの停戦が成立した。それまでインターネットの進歩で、リアルタイムで空爆の様子などが伝えられていた。イスラエル、ハマスの双方に責任があるとはいえ、一般市民が無残に犠牲になる残酷な光景は見るにたえない。とりわけ、イスラエル軍の爆撃はすさまじいの一語に尽きる。イスラエルは標的をハマスに設定しているといっているが、かなり無差別に近い。イスラエルとハマスは長年にわたり、市民を巻き込む憎悪と殺戮という「悪魔の罠」から抜け出られない。

ひとまず戦火が途絶えたようでほっとした思いだ。しかし、一触即発状態の緊迫は続いている。すでに24日にはイスラエル兵の発砲でパレスチナ人が死亡したと報じられた。さらに、事態は仲介に当たったエジプトのムルシ大統領の専権への反対という形で他地域へ拡大し、燃え上がっている。人間はなぜこのように残酷に争うのか。この地域の紛争は日本人には最も理解が難しい。おざなりの歴史教育ではとてもわからない。

 戦火の舞台となったのは、パレスティナのガザ。ガザと聞くと、すぐに思い出すのがイギリスの小説家オルダス・ハクスリーAldous Leonard Huxley の『ガザ゛に盲いて』 Eyeless in Gaza(1936) と題する作品だ。若い頃に手にしたが、理解力が不足していた。大変読みにくい妙な小説だという印象しか残らなかった。その後、イギリスに在外研究者として滞在した折に、もう一度読み返した。年の功か、さまざまな蓄積に助けられ、今度はかなり深く読み込めた。

 10数人(20代から60代)からなるあるサークルで、このたびの戦争の話が出てきたので、ふと、この本を知っているかと聞いてみたが、誰も知らなかった。落胆したが気を取り直して(笑)、知っていることを少し話す。帰宅して、翻訳があるかを調べるために、ワープロ上で「めしいて」の部分を表現しようとしたが、そのままでは変換できなかった。『広辞苑』(第6版)には、「めしい」の項目に、(「目癈(めしい)の意)視力を失っていること。また、その人。(倭名類聚鈔 (3))とある。

 このたびの停戦とこの小説の間に、直接的関係はまったくない。題名はジョン・ミルトンが、旧約聖書に基づき、サムソンが、ガザでペリシテ人に目を焼かれて視力を失い、ガザに連れられ、奴隷と共に石臼で穀物を挽く仕事をさせられたという記述に基づいている。実はハクスレーは角膜の炎症で視力が弱く、その治療もあってアメリカ、カリフォルニアに移住している。(実は一時期、管理人も視力に不安を感じて、ハクスレーの『視力改善の技法』The Art of Seeing (1942)という本を手にしたが、あまり効果はなかった。後に理論的にかなり物議をかもした本であることを知った。)


`Eyless in Gaza at the
     Mill with slaves`
                     MILTON

 小説は主人公アンソニー・ビーヴィスとその友人・知人のとの子供から中年までの関係・事件を、時系列的に連続ではなく、時代を行き来しながら、描いた小説である。ビーヴィスは生来の道徳的な臆病さから普通の世の中から距離を置いている。そしてなんとか新しい生き方を探し求めている。いくつかの出来事、特に友人ブライアンが主人公との恋のさや当てで自殺した事件が、ひとつの試金石となっている。さらに主人公が交際していた麻薬中毒などの問題を抱えたシニカルな女性、学校時代から付き合っていたマークという”ごろつき”との関わり合い、などの出来事がフラッシュバックで織り込まれる。1章ずつ丁寧に読まないと理解が難しいが、各章は見事に描かれている。ビーヴィスは自分を平和主義者と思っているが、知的にも洗練されているわけでもなく、徹底していない人物と描かれている。時代は20世紀初め、1910-20年代である。小説はハクスリー自らの生き方と、重なるような部分も見せている。

 作家は神秘主義に深く入り込み、新たな精神世界の探索を求めて、精神科医のハンフリー・オズモンドに自ら幻覚剤の実験対象となることを希望し、メスカリンを服用したりしている。かなりメランコリックな状態にあることも分かる。また、死に望んでは、LSDの投与を妻に依頼していた。

 ハクスリーは小説、エッセイ、詩、旅行記、児童向け読み物など広範な文筆活動を展開した。『すばらしい新世界』Brave New World (1932)などは、ジョージ・オーウエルを思い起こさせる。そして、このブログでも触れたことのある魔女裁判の白眉『ルーダンの悪魔』 The Devils of Loudun(1952)などには、ハクスリーの神秘主義者としての関心がうかがわれる。さらに、ハクスリーはジョルジュ・ド・ラ・トゥールについても記している(The Doors of Perception and Heaven and Hell, 1954)。彼がどこでこの画家の作品を見たかはわからない。ラ・トゥールについて知っている、あるいは書き記している英国人は、わずかな数の美術史家、収集家を除くと、きわめて少ないからだ。しかも、画家の存在もあまり知られていない時代である。ここにもこの時代の底流に繊細に反応していた偉大な作家の視野の広さと鋭敏な感覚を感じる。

 オルダス・ハクスレーは、晩年アメリカにわたり、ハリウッドに住んだ。そこではあのクリストファー・イシャウッド、バートランド・ラッセル、クリス・ウッド、クリシュナムルティなどの神秘主義者のサークルとの交友もあった。この時代が持つ独特な不安、陰鬱な空気を感じる。ハクスレーは、1963年11月22日、ハリウッドの自宅で死去した。ジョン・F・ケネディがダラスで暗殺された日であった。

 

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