時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

医療の「頭脳流出」は防げるか

2005年08月15日 | 移民政策を追って
シンガポール・ラッフルズ病院

人材流出の悲惨
  アフリカや東欧諸国、フィリピンなど開発途上国の一部では、医師、看護師、技術者など高い熟練・専門性を持った人材の海外流出が深刻な問題となっている。個人や国家が高額な教育投資をし、時間をかけて育成した人材が、報酬や労働条件が良い先進国へ逃げてしまうのだ。本来ならば、母国の発展のために最も貢献してほしい人材から海外へ流出してしまう。そして一度流出すると帰国しない人が多い。高い報酬が得られるところを目指し、できるかぎりそこに留まろうとするのは、個人の行動としては当然ともいえる。
  他方、受け入れる先進国側は、自国で教育に時間とコストをかけないで、良質の人材を得てしまう。これでは先進国・開発途上国間の格差は拡大するばかりである。この「頭脳流出」brain drain と呼ばれる現象については、短期的には有効な解決策がない。移民が母国に貢献してくれるまでになるには、時間やさまざまな環境が整備されねばならない。多くの場合、この間に人材流出は非可逆的に進行し、母国の医療・看護などの水準はむしろ劣化してしまい、対応はますます困難になる。

  アフリカの実態からいくつかの例を見てみよう。いま始まったことではないが、南アフリカ共和国(人口約4500万人)からの人材流出は、1994年に同国が民主制へ移行し、国際的孤立から解放された後、加速度的に増加した。89-92年の間に7万人の南アフリカ人が国を離れたと推測される。98-2001年には、この数は166千人に増加したとみられる。公式統計では、94-01年の間に16千人以上の高度な熟練・技能を持った人材が海外流出したことになっているが、実際にはこの3-4倍と推定されている。

海外へ「押し出される」人材
  問題は南アフリカ共和国にとどまらない。ジュネーブの国際移住機構IOM(International Organization for Migration)の推計では、世界の移民数は2000年に1億75百万人に達した。この数以上に、その背後に起きている実態に注目したい。アフリカ大陸は、世界で最も国境を越える移動者が多い。その多くは、国内の紛争や貧困によって国境の外へ「押し出された」人たちだ。
  南アフリカ共和国では医師、看護師の流出がすさまじい。British Medical Journalは毎年23千人が海外へ流出していると報じている。IOMによると、シカゴにいるエチオピア人医師は、本国の医師の数より多いという。アフリカ諸国の国立病院や診療所ではスタッフ不足が悪化の度を加えている。大都市でも医療スタッフの3分の2くらいが空席のままというのは珍しくない。
  国際性のある熟練を持っている者は賃金の高い、キャリアの見通しのよい、労働条件、ライフスタイルが好ましいと思う国へ移動してしまうのだ。

外国にいても援助はできるが
  もちろん、外国に居住していても、自国の支援ができないわけではない。外国に住むアフリカ出身のプロフェッショナルなどが母国の家族へ送金している。その額は公式には2002年で40億ドルだが、実際は一時帰国の際に自分で持ち込んだり、インフォーマルな経路で家族へ渡されているので、この額をかなり上回る。
  レソトのような小国では、海外からの送金はGDPの26%にも達している。しかし、その使途が個人の消費などに限られ、生産的な目的に使われないので、なかなか経済発展に結びつかない。南アフリカ共和国のように、周辺アフリカ諸国から大学生などの人材をある程度期待できる国はまだ良い。多くのアフリカ諸国は流出した、優れた人材が帰国してくるほどの魅力を持っていない。移民に支えられ、経済的自立を図る道はきわめて厳しい。

アジアと日本
  アフリカと比較すると、アジア諸国は自立的発展の基盤を維持している国が多いので救いがある。しかし、問題は日本のような国である。人口が急減する日本は、高度な能力を持った人材を計画的かつ積極的に受け入れないと、国の活力や民度も顕著に低下する恐れがある。日本の医療スタッフの不足は、今後一段と厳しくなろう。すでに、関東北部の諸県のように、医療スタッフの確保ができない病院が続出し、深刻な状況が生まれている。

  日本とフィリピンのFTA交渉では、フィリピン側から看護師の受け入れ要求が出された。日本政府は渋々受け入れたが、伝えられるところでは、年間100人くらいという度量のなさである。 日本が受け入れ数を制限する理由は、フィリピンの医師・看護師が海外へ流出している事態を憂慮してのことではない。まったくの偏狭な理由から受け入れを制限しているにすぎない。そこには、国際的視点が決定的に欠如している。政府の入管政策や日本経団連などの提案でも、「国際化」という表現は使われてはいるが、言葉の上だけであり、真の国際化の理解に達していない。

真の国際協力の方向は
  もし、開発途上国と先進国との間で、真に国際的観点から望ましい人材活用を図るのであれば、最終的には一定期間の後に海外出稼ぎが自然に休止し、母国のために貢献しうるような仕組みが構想、設定されねばならない。本来、自国の発展に資するべき人材から流出してしまうという事態は抑止されねばならない。医療・介護分野についてみれば、日本は一定数の看護師受け入れを続ける一方で、別の観点からより積極的な対応をする必要がある。   

  ひとつの案として、日本とフィリピンが協力して、フィリピン国内に「国際医療協力センター」(仮称)を設置し、日本から医療スタッフ、医療設備などを供与するプランなどが考えられる。そして、現地の人材養成を図りつつ、医療の水準向上に協力することである。医療サービスの内容に加えて、スタッフの労働条件など待遇面も高い水準を維持すれば、高度な人材を誘引し、海外流出を抑止できるばかりでなく、自国の医療水準の劣化を防ぐことができる。

  少し長期の視点でみれば、日本からこうした施設へ診療を受けに行く可能性も生まれる。現に、ある会議に参加したことがきっかけだが、最近タイやシンガポールの病院から、「国際水準の最新診断・治療設備とサービス」を提供できますという手紙が舞い込むようになった。これらの病院はCTスキャナー、MRI、ガンマーナイフなど最新設備を誇るだけではない。その医療水準の高さ、看護サービスの充実度で勝負しようとしているようだ。8月12日に「ITと医療」について書いたが、医療のグローバル化が急速に進展していることを感じさせる。「国際化」の意味を再考すべき時が来ている。



Reference
African migration: Home, sweet home – for some, The Economist August 13th 2005
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 祖国を奪われた人々 | トップ | 「ハードワーク」の世界を体... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

移民政策を追って」カテゴリの最新記事