風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

映画「バルトの楽園(がくえん)」に見る会津武士道

2013-03-22 01:09:55 | 会津藩

                      

第一次世界大戦で、日本とドイツは敵同士でした。日本軍はドイツが租借する中国の青島(チンタオ)を攻略、約5千人のドイツ人俘虜を日本各地の俘虜収容所に送り込みました。
その内の約千人が、徳島県鳴門市の坂東俘虜収容所に送られました。
坂東俘虜収容所においては、他の収容所では考えられない、“自由”がありました。収容所の中にはサッカー場あり、ホッケー場あり、俘虜達手作りのヨットを浮かべる池もあり、時には外出して、監視付きではあれ海水浴も許されました。
俘虜達は劇団や楽団を作り、新聞の発行も許され、精肉店やパン屋を開き、町の人々がその店(収容所内)を訪れることによって交流が生まれ、俘虜達は町の人達にソーセージの作り方を、パンの作り方を伝授する。

戦争が終わり、彼らドイツ人達は国へ帰ります。彼らが残した言葉。
「世界のどこに、バンドーのような俘虜収容所があったか。世界のどこに、マツエ大佐のような収容所長がいたか」

所長の名前は松江豊寿、父親は会津若松市の警察官でした。

父・松江久平は、斗南帰りの元会津藩士、豊寿はその父の遺訓を受けて育ちました。

映画の中で描かれていた斗南の状況は、正直?なところもあり(笑)会津の悲劇をいささか扇情的に描き過ぎです。まるで斗南が“強制収容所”ででもあったかのような描き方で、ある種の対比として描いたのかもしれませんが、明らかに史実と異なる描写があるのはいただけない。

それはともかく、豊寿の俘虜に対する人道的配慮は、陸軍内部の不興を買い、豊寿はしばしば陸軍省に呼び出されます。その度、豊寿は言いました。
「彼らは犯罪者ではない。国のために戦った愛国者である。英雄にはそれ相応に接しなければならない」

陸軍省は坂東俘虜収容所の予算削減を決定、豊寿はそれに対抗するかのように、収容所近くの山を買い、俘虜達に木を伐らせてそれを売り、収容所予算の穴埋めに回します。なぜそこまでして、俘虜達の自由を守ろうとしたのか。

戊辰の戦に敗れ、敗者の憂き目を見た会津。会津人に対する“差別”的扱いは至る所でみられたようです。
それでも、会津武士達は誇りを失うことはなかった。恥じ入ることはなにもないのだから。

「卑怯なまねをしてはなりませぬ」「弱いものをいじめてはなりませぬ」

それは一言で言えば、それが【会津武士道】だから。

戦の勝敗は時の運。互いに誇りを持って、名誉を賭けて、国のために戦った。その武人同士なればこそ、相手の誇りを、名誉を重んじ、傷つけぬよう配慮しなければならぬ。
それが「武士の情け」というもの。

西郷隆盛は戊辰戦争に敗れた庄内藩に対し、その降伏調印式の際、庄内藩士達に帯刀を許し、逆に新政府軍の兵には一切の武器をもたせずに、警備にあたらせました。これは庄内藩を信頼しているというメッセージであり、庄内武士を虜囚ではなく、あくまで武士として扱ったということ。庄内藩士達はこれに甚く感激し、たちまち西郷の信奉者になったとか。

残念ながら会津藩士には、そのような丁重な扱いはありませんでした。

人は信頼されれば、それに応えようとするもの。武士道というのは、戦っているときもそうですが、寧ろ戦いが終わった後にこそ、その本領を発揮するものなのかも知れない。

信頼するためには、憎しみがあってはいけない。

しかし、憎しみを持たずに戦うのは、難しい。

それ故の

会津の悲劇…。




父より聞かされたであろう、会津の悲劇。その父より叩きこまれたであろう会津武士道。
豊寿はその武士道を貫いた。

会津武士道を貫いたのです。




ドイツ人俘虜により結成された楽団が、豊寿への、町の人々への感謝を込めて演奏したのが、ベートーヴェンの“第九”です。日本で“第九”が初めて演奏されたのがこの収容所だそうです。
以来、日本人にとって第九は、もっとも親しみあるクラシック曲となりました。

映画の中で演奏された第九ですが、素人の兵隊さん達の演奏にしては上手すぎる(笑)。ヘタでも感動は得られるのにね。「スィング・ガールズ」観てないのかよ(笑)



参考文献
『会津武士道』
中村彰彦著
PHP文庫

『会津のこころ』
中村彰彦著
PHP文庫

映画「バルトの楽園(がくえん)」
監督・出目昌伸
脚本・古田求
出演・松平健
   阿部寛
   高島礼子
   大後寿々花

   ブルーノ・ガンツ
東映株式会社
   

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8 コメント

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Unknown (美樹枝)
2013-03-23 07:14:55
だから楽園(らくえん)ではなく楽園(がくえん)と読むのですね! 少し前の時代の日本人は、なんと潔く爽やかで好奇心に溢れ(ソ-セ-ジから第九まで!)勉強好きという…ただホリョの方々に尊厳と自由を!という意味のみならず、その異国文化の良きところまで見習っちゃう!というか…柔軟で素敵だったのだなァ~     歴史を知る事は、先祖への感謝心も尊敬も自ずと深くなるのですね。本物の武士道とは、こういうものなのですね~。 平成の今も武士道教育し直して欲しい… 自分にもぢゃ!σ(^◇^;)   いつも思うのですが薫風亭にいさんの(つい、にいさんと呼んでしまってすみません)映画や音楽、歴史、ひもとかれる解説?には、 御自身の思いを込めて冷静かつ事実を臨場感たっぷりに、心寄せて表現して下さいます。 まるで過去に生きた方々が側で息づいておられるかのようです。  それは薫風亭にいさんの筆力のみならず、その場その時代の生きる人々に向ける愛情あればこそ…記せる文章だと思っています。   (本当の)過去や(作り出した)映像の中の人々にまで、にいさんの愛情は配られるのだから、さぞや現実世界での薫風亭にいさんは愛溢れる方に違いない。 …と、またまた薫風亭にいさん讃歌に成ってしまうわたくし。 沢山、多方面3Dのような文章(それだけではチト勿体ないけれど)楽しみにしています。 それでは皆様サヨナラサヨナラサヨナラ…
Unknown (薫風亭)
2013-03-23 21:41:00
美樹枝さん、いえいえ、私が優しいのではなく、そういう風に見て下さる、美樹枝さんが優しいのです。
愛溢れる人間かあ、なりたいですねえ。
Unknown (koz)
2013-03-23 22:19:04
“彼らは犯罪者ではない、国のために戦った愛国者である…。"のところに感動しました。
心温まる話をありがとうございました。
バルトの楽園、是非見てみたいです。
Unknown (薫風亭)
2013-03-25 04:38:36
kozさん、はい、私もこのセリフが大好きです。この映画をもっとも象徴するセリフだと思います。
戦った相手の尊厳を認める。武士道のもっとも美しい部分だと思いますが、なかなか出来ないんですよね。戦争は殺し合いですから、やはり相手を憎んでしまう。そして戦いが終わった後も憎しみは続く。悲しいですね。
いや~いいお話しだな~! (よしの@)
2013-03-25 08:46:52
大工。私も大工さんの、鼻歌に安心したのを思い出しました。職人も呼び捨てやさん、さま、いろんな、呼びながありました。上司の話しだと、仕事とお金の関係だそうです。
きっと、感じているのですね。びっくり(@@)の人がで、お陰様で続いてるのですね。
お疲れ様です。ありがとう御座います。
Unknown (薫風亭)
2013-03-25 17:10:18
よしの@さん、そうそう大工。カーペンターズ。♪エブリ、シャラララ~、エヴリウォウウォウ~♪…ってそっちのだいくじゃないわい!(笑)
Unknown (和産)
2013-03-26 08:52:03
会津も、鏡かなー?ドイツもこいつも、素敵ですね!あっカンペータ!?油断してると、透けちゃいますね。
臭かった剣スイングするばかりじゃ、迷惑になっちゃうから気をつけます!。朝から失礼しました(^_^)☆
Unknown (薫風亭)
2013-03-26 22:04:56
和産さん、あっカンぺータ!ダースペータ!武市半ペータ!
ドイツもこいつもどうにもブルドッグ、ワオ♪

…わけわかんねー(笑)

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