MOON PRIDE
ももクロの新曲「MOON PRIDE」を聴いたときに感じたのは、様式美ハード・ロックをベースにしながら、ポップなセンスを巧みに盛り込み、そこへももクロの持つ「突貫性」を見事に融合させた超名曲!というものでした。
こうして書いてみるとエラく理屈っぽいですが、実際こんな風に最初から分析していたわけはなく、パッと聴いて「名曲だ!」と感じたイメージを、あえて言葉で表すとこんな堅苦しい感じになってしまう。
本当は、「良い!!!!!」だけでいいのでしょうけどね。それではあまり愛想がないので(笑)こんなことを書いて見ました。
ついでに、ももクロの持つ「ロック性」というものを、考えてみようかなと。
2012年11月に発表された曲「サラバ、愛しき悲しみたちよ」。
かの布袋寅泰氏が提供した楽曲ということで、話題になりました。
曲のオファーがあったとき、布袋氏サイドは本人の耳に入れる前に、マネージャーの段階で断りの返事を返したそうです。布袋氏自身も、ももクロのことはよく知らず、さして気にも留めていませんでした。
しかし、この話を聞いた布袋氏の友人で、DJのクリス・ペプラー氏が「是非にもやるべき!」と強く助言をしたそうです。
ぺぷらー氏はももクロのことを、「ただのアイドルじゃなくて凄くロック!」だと言ったとか。布袋氏自身も「一緒にやってみてわかった」とのこと。
アイドルなんか…という偏見を見事に打ち破り、覆した、ももクロの持つ「ロック性」とは、
いったい、なんなのでしょうか。
サラバ、愛しき悲しみたちよ
ロックといえば、不良性だとか、反社会性なんてのが頭に浮かびますね。
ではももクロは不良なのか、反社会的かといったら、それは違いますよね。
ももクロのメンバーは個性的ではあるけれど、基本真面目で健康的な女の子達です。
ももクロにはなんというか、アスリート的な魂というのを感じます。
目標を掲げて、そこえ向かって日々努力を積み重ねて行く。そこにあるのはアスリート的感性だと思う。
目標、例えばそれは紅白歌合戦であり、国立競技場であり、そうした目標へ向かって、全身全霊を込めたパフォーマンスで遮二無二突き進んで行く。
そう、ももクロの特徴を表すのにもっともふさわしい、「突進」「突撃」「突貫」。
ももクロはこの「突」の部分が“突”出しているんです。
これは他のアイドルさんたちには、逆立ちしたって出せるものではない。
いかに、♪前しか向かねえ~♪とか歌ったところで、ももクロを越えることなど、ぜえっっっっったいにできないのです。
この突撃力、突貫力は「破壊力」を伴いますから、人によっては不快感を感じる方もおられるでしょう。
それが、「アンチももクロ」というかたちとなって現れているのかもしれません。
自分達が思うところのアイドルとはあまりに違い、異なるジャンルとの交流が多すぎる。そんなところが生意気だ、腹立たしい。
自分の世界観を壊されたくない方々は、そう思うのかも知れませんね。
しかしそれこそが、ももクロの持つ突出性なのです。
これがももクロのももクロたる所以ですから、どうにもこうにも、
致し方ござんせん。
とにもかくにもこの破壊力。そこには従来のロックのような不良性もなければ、反社会的なエッセンスも皆無です。
そこにあるのはアスリート的な、健康的な突貫性を持つ破壊力。
これこそが、ももクロ流の「ロック」なのではないでしょうか。
ももクロには、アイドルにありがちな、若者の恋愛を歌った曲が非常に少ない。
ももクロが主に歌うのは、もっと普遍的な「愛」であり、「勇気」であり「絆」であり、そして「未来への希望」です。
その普遍的テーマを、お得意の「突」と「破」をもって、人の心の中の障壁をすり抜け、人の心の奥にある、「天の岩戸」の前まで届けるのです。
しかし、「アメノウズメ」の役割はここまでです。
ここから先、天の岩戸をこじ開け、中に潜む「アマテラス」を引っ張り出すのは、あなた自身。
自分以外に、心の中の天の岩戸を開くことは出来ない。
そこまでももクロに頼ってはいけないのです。そのことを、
勘違いしてはいけません。
ももクロとロックは非常に相性が良い。しかしそれ故か、ももクロには、いわゆる「国民的アイドル」には成り切れていないところがあるように思えます。
そういう面では、やはりAKB48には勝てない。あのような、老若男女を問わずに受け入れられやすい庶民性は、ももクロには難しいと言えましょう。
しかしその特異性、マニアックさこそが、ももクロのももクロたる所以でもあるのでしょう。
その点こそがまさしく、ももクロ流「ロック」なのかもしれない。
でもそれが「ももクロ」なのです。だからこのままで良いのです。
その「突」と「破」で、そのまま突っ走れ!
猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」
これぞももクロ流シンフォニック・ロック!