風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

MOON PRIDE ~ももクロとロック~

2014-08-29 17:45:23 | ももクロ
 


                    
                    MOON PRIDE

ももクロの新曲「MOON PRIDE」を聴いたときに感じたのは、様式美ハード・ロックをベースにしながら、ポップなセンスを巧みに盛り込み、そこへももクロの持つ「突貫性」を見事に融合させた超名曲!というものでした。

こうして書いてみるとエラく理屈っぽいですが、実際こんな風に最初から分析していたわけはなく、パッと聴いて「名曲だ!」と感じたイメージを、あえて言葉で表すとこんな堅苦しい感じになってしまう。

本当は、「良い!!!!!」だけでいいのでしょうけどね。それではあまり愛想がないので(笑)こんなことを書いて見ました。

ついでに、ももクロの持つ「ロック性」というものを、考えてみようかなと。




                       



2012年11月に発表された曲「サラバ、愛しき悲しみたちよ」。

かの布袋寅泰氏が提供した楽曲ということで、話題になりました。

曲のオファーがあったとき、布袋氏サイドは本人の耳に入れる前に、マネージャーの段階で断りの返事を返したそうです。布袋氏自身も、ももクロのことはよく知らず、さして気にも留めていませんでした。

しかし、この話を聞いた布袋氏の友人で、DJのクリス・ペプラー氏が「是非にもやるべき!」と強く助言をしたそうです。

ぺぷらー氏はももクロのことを、「ただのアイドルじゃなくて凄くロック!」だと言ったとか。布袋氏自身も「一緒にやってみてわかった」とのこと。

アイドルなんか…という偏見を見事に打ち破り、覆した、ももクロの持つ「ロック性」とは、

いったい、なんなのでしょうか。



                     
                     サラバ、愛しき悲しみたちよ



ロックといえば、不良性だとか、反社会性なんてのが頭に浮かびますね。

ではももクロは不良なのか、反社会的かといったら、それは違いますよね。

ももクロのメンバーは個性的ではあるけれど、基本真面目で健康的な女の子達です。



ももクロにはなんというか、アスリート的な魂というのを感じます。

目標を掲げて、そこえ向かって日々努力を積み重ねて行く。そこにあるのはアスリート的感性だと思う。

目標、例えばそれは紅白歌合戦であり、国立競技場であり、そうした目標へ向かって、全身全霊を込めたパフォーマンスで遮二無二突き進んで行く。

そう、ももクロの特徴を表すのにもっともふさわしい、「突進」「突撃」「突貫」。

ももクロはこの「突」の部分が“突”出しているんです。

これは他のアイドルさんたちには、逆立ちしたって出せるものではない。

いかに、♪前しか向かねえ~♪とか歌ったところで、ももクロを越えることなど、ぜえっっっっったいにできないのです。




この突撃力、突貫力は「破壊力」を伴いますから、人によっては不快感を感じる方もおられるでしょう。

それが、「アンチももクロ」というかたちとなって現れているのかもしれません。

自分達が思うところのアイドルとはあまりに違い、異なるジャンルとの交流が多すぎる。そんなところが生意気だ、腹立たしい。

自分の世界観を壊されたくない方々は、そう思うのかも知れませんね。

しかしそれこそが、ももクロの持つ突出性なのです。

これがももクロのももクロたる所以ですから、どうにもこうにも、

致し方ござんせん。



とにもかくにもこの破壊力。そこには従来のロックのような不良性もなければ、反社会的なエッセンスも皆無です。

そこにあるのはアスリート的な、健康的な突貫性を持つ破壊力。

これこそが、ももクロ流の「ロック」なのではないでしょうか。




ももクロには、アイドルにありがちな、若者の恋愛を歌った曲が非常に少ない。

ももクロが主に歌うのは、もっと普遍的な「愛」であり、「勇気」であり「絆」であり、そして「未来への希望」です。

その普遍的テーマを、お得意の「突」と「破」をもって、人の心の中の障壁をすり抜け、人の心の奥にある、「天の岩戸」の前まで届けるのです。

しかし、「アメノウズメ」の役割はここまでです。

ここから先、天の岩戸をこじ開け、中に潜む「アマテラス」を引っ張り出すのは、あなた自身。

自分以外に、心の中の天の岩戸を開くことは出来ない。

そこまでももクロに頼ってはいけないのです。そのことを、

勘違いしてはいけません。




ももクロとロックは非常に相性が良い。しかしそれ故か、ももクロには、いわゆる「国民的アイドル」には成り切れていないところがあるように思えます。

そういう面では、やはりAKB48には勝てない。あのような、老若男女を問わずに受け入れられやすい庶民性は、ももクロには難しいと言えましょう。

しかしその特異性、マニアックさこそが、ももクロのももクロたる所以でもあるのでしょう。

その点こそがまさしく、ももクロ流「ロック」なのかもしれない。

でもそれが「ももクロ」なのです。だからこのままで良いのです。

その「突」と「破」で、そのまま突っ走れ!



                        
                         猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」
                         これぞももクロ流シンフォニック・ロック!   

月とオオカミたち

2014-08-26 18:52:00 | 雑論



                     

                     



古来より日本においては、オオカミは神として畏れられ、信仰の対象でした。

オオカミは農作物の害獣である猪や鹿などを捕食することから、農作物を守る神であり、そこから転じて災難除け、盗難除けの神として信仰され、また大和武尊を山火事から救ったという伝説から、火除けの神としても信仰されました。





いにしえ、明日香の地にあった老狼は多くの人を喰い霊力を得、土地の人から畏れられた。老狼は真神(まかみ)と呼ばれ、善人を助け、悪人を喰らったとか。

この真神に、オオカミを表す「大口」を付けて「大口真神」とし、三峰神社などでは眷属神として祀られています。



ところで、この「大口」ですが、アイヌの人々はオオカミを「大きな口を持つ神」=ホロクウカムイと呼んで崇めていたそうです。アイヌの信仰が遥か縄文時代以来の信仰形態を受け継いでいるなら、この大口=オオカミ信仰は、かなり古い起源を持つということでしょう。




その大口真神を眷属として祀る三峰神社ですが、三峰神社の御祭神というのは、イザナギ、イザナミなんです。

いわゆる「白山神」ですね。

古代日本の中心的信仰であったとされる白山信仰。その白山の神を祀る神社の眷属神が、やはりその起源が非常に古いと思われること…。

面白いですねえ。

かつては日本にもオオカミは多数生息しておりました。白山をはじめとする多くの山々にオオカミは暮らしており、
人々はオオカミを山の神(白山神)の使いとして畏れた。

オオカミを真神と呼ぶのは、真の神である白山神の使いであったから、ではないでしょうか。



我が岩手県平泉町の世界遺産、中尊寺の真裏には、「月山」と呼ばれる小さな山があり、山頂には月山神社と、謎の神「アラハバキ神」を祀ると云われるワカエトノ神社が鎮座されています。

その月山の麓に、三峰神社が鎮座されているのです。

この三峰神社、かの有名な遠野物語にも登場するほど、その霊験はあらたかだったようで、かなりの信仰を集めていたようです。

この月山、古来よりの白山信仰と非常に関係の深い一つの聖地だったのではないかと、私は妄想しております。前九年合戦の激戦地、衣川の柵は、この月山の麓にあったと伝えられ、安倍一族が衣川を越えて死守しようとし、奥州藤原氏がこの地に中尊寺を建て奥州の都としたのも、この地、詳しく言えば旧磐井郡一帯が、蝦夷にとっては古来よりの重要な聖地であり、それは白山信仰と深く関わっていたからではないか、

なーんてことを、つらつら考えております。



                     

満月の夜に人間がオオカミに変身する、狼人間伝承ですが、この満月云々というのは、どうやら映画が発端のようです。

古来よりの狼人間伝承には、確かに月との関連を窺わせる伝承がないわけではない。しかし特に満月にこだわった伝承は見当たらないようで、やはり映画作家たちによる創作であると思われます。

おそらく、「満月の夜は犯罪が多発する」などという統計結果に触発されて、それと狼男を関連付けて物語を創作したのが始まりではないでしょうか。

例えば、吸血鬼がコウモリに変身できるなんて話は、イギリスの作家ブラム・ストーカーが自身の小説「吸血鬼ドラキュラ」で書いたのが初出であり、それ以前にそのような伝承は存在しなかった。丁度この小説を書き始めた頃に、南米で吸血コウモリが発見されたことをヒントにしたといわれています。

昔からの伝承だと思っていたら、実は映画や小説が発端だったというのは往々にしてあることです。ゾンビというのも、本来はハイチのブードゥー教の呪術(毒薬)によって人間の脳を麻痺させ、その人間をロボットのように操る、そのロボット化された人間を「ゾンビ」と言ったのですが、これが68年の映画「ナイト・オブ・ザ・リヴィング・デッド」に登場した人肉を喰らう生ける死者たちを、巷間ゾンビと呼ぶようになったことから、現在のような意味で使われるようになった経緯があります。



抑々、キリスト教以前の自然崇拝、精霊信仰のもとでは、オオカミを神や精霊として祀る風習は普遍的なものであったでしょう。古い土俗では、動物を模った面や、動物の毛皮を被ることによって、その動物の精霊を憑依させるといった宗教儀礼が広範囲で行われていたと思われ、これがキリスト教によって異端とされて、そのような妖怪、悪魔の手先のような位置づけにされたものと思われます。

西洋では、オオカミは家畜を襲う害獣として忌み嫌われた。しかしそれは、元々オオカミのテリトリーだった森に人間が進出し、木々を伐採し牧場を作り、オオカミたちの餌場を奪ってしまった。

そのため仕方なく、オオカミは人間の財産である家畜を襲わざるを得なかったわけで、どっちが悪いかといったら、人間の方が罪深い。しかしキリスト教では、人間はしぜんを支配することを神より許可されていますから、その人間の邪魔をする奴は、当然悪魔の化身とされてしまう。

かくして、かつて神であったあったオオカミは、妖怪の類へと転落してしてしまったのです。



                      


                      





月の満ち欠けと、生命の誕生との間に深い関係性があることは、巷間よく知られていますね。

オオウミガメでしたっけ?満月の夜に卵を産むのは。あれ?違ったかな?

ともかく満月の夜に卵を産む生物は多種あったように思います。人の誕生もまた、月の満ち欠けと深く関係しているようですね。

月には、命や生命力といったものを強く横溢させるパワーがあるのかも知れない。

それはプラスの面ばかりではなく、マイナスの面も地上に齎すようです。

「満月の夜は犯罪の発生率が大きい」という統計データなどは、その“マイナスの面”の典型でしょう。

生命力の横溢とともに、人の心の中にある獣性をも目覚めさせてしまう。

もちろんそれは、すべての人間に当てはまるわけではなく、元々獣性の強い人、あるいは獣に“憑りつかれている”人がそうなり易い、ということなのでしょうね。

そういう意味では、男はオオカミなのよ~♪と歌うのではなく、

男も女も獣になっちゃうかもよ~♪と歌うべきなのでしょうね。

ん?なんの話だ???


あなた、獣に憑りつかれてません?

気をつけましょう。








さて、日本で狼男といえば、SF作家・平井和正による小説「ウルフガイ・シリーズ」でしょう。私も中学、高校の頃は夢中になって読んだものです。

主人公・犬神明は妖怪ではなく、大自然の精霊として描かれており、人間に絶望しながらも、見捨てることが出来ずについ手を出してしまう、そんな情の深い存在です。

犬神明も満月の夜に狼男に変身するのですが、特に精神的に獣化するわけでもなく、単に生命力が強くなり、特殊能力を発揮しやすくなるんです。満月の夜は不死身で無敵のスーパーヒーローになるんです。

むやみに人を襲うことなどせず、むしろこの人(?)は、ホントは人間が好きなんじゃないかと思わせる、

そんな「精霊」。それが犬神明です。


近年ではやはり、「おおかみこどもの雨と雪」を外すわけにはいきませんね。

人の母性、大自然満ちる母性をおおらかに、そして力強く描いた大傑作です。



日本においてオオカミは、やはり妖怪、悪魔の類には成りきれないようです。

大自然の精霊。神の御使い。


それこそが真のオオカミ。

大神、「真神」の姿です。



                    



※狼の写真はすべてhttp://www.inspiration-gallery.net/2011/07/16/wolves-photo-75/より転載させていただきました。

映画『空の大怪獣ラドン』を堪能する

2014-08-25 22:06:39 | 特撮映画
 


                      



昭和31年制作、日本初のカラー特撮怪獣映画です。

もうねえ、大好きなんですよ、これ。怪獣映画の基本がすべてここに詰まってる。怪獣映画の教科書。堂々たる王道です。

制作費は当時の金額で2億円。現在の価値に換算するとどれくらいでしょう?20億?もっと?とにかく日本映画としては破格の製作費をかけており、それに見合うだけの素晴らしい映像、素晴らしい作品に仕上がってます。

初めて観たのは小学校一年生の時です。忘れもしません。土曜日でした。学校から帰ってきてテレビを点けると、ちょうどラドンが卵から孵るシーンをやっていて、もう画面に釘付けになりましたね。

それまで観ていたウルトラマンなどとは違う、奥行きの深さ、説得力。これが映画というものか!と子供心に驚嘆したものです。

ミニチュアだということはもちろんわかってるし、着ぐるみに人が入っていることは物心ついたころにはすでに知っていましたので、いまさらそんな程度の事で騙されるような子供じゃありません。

なんといいますか、ワンカットごとの映像が持つ迫力と言うか、やっぱり説得力でしょうね。それに惹きつけられてしまったのでしょう。

今観ても、その印象は変わりませんねえ。やはり惹き込まれてしまう。

いや、たまらんですわ(笑)



********************



阿蘇付近の炭鉱で謎の連続殺人事件が勃発。その犯人は古代の巨大ヤゴ、メガヌロンだった!

警察、自衛隊共同によるメガヌロン掃討作戦が行われる中、坑道内で落盤が起き、炭鉱技師の河村(佐原健二)が生き埋めになってしまう。

阿蘇山麓で大規模な地盤沈下が起こり、その穴から河村は救出されるが、河村は記憶喪失に陥っていた。

その頃、世界各国で謎の飛行物体の目撃が相次ぎ、自衛隊の戦闘機が、その物体のおこすソニック・ブーム(衝撃波)によって撃墜された。あらに阿蘇山頂にて、観光客の怪死事件が発生。現場に残された写真から、プテラノドンのような巨大生物の関与が推定される。

河村は卵から鳥の雛が孵るところを見て、自分が坑道の奥で目撃した光景を思い出す。それは巨大な卵より孵った巨大プテラノドン=〈ラドン〉が、メガヌロンを餌として捕食する光景だった。

ついにラドンが阿蘇山麓より飛びたち、福岡の街に甚大な被害を与える。古生物学者・柏木(平田昭彦)の進言により、ラドンは阿蘇山付近に潜んでいることが判明。ついに自衛隊による、一大掃討作戦が始まった……。



********************



最大の見せ場はなんといっても、福岡攻防戦でしょう。

自衛隊の戦闘機三機がラドンを追い、ミサイル発射!被弾したラドンはたまらず西海橋近くの海へ墜ちる。

喜ぶパイロット。しかしそれもつかの間、再び飛びたつラドンの衝撃波で、西海橋が折れ曲がる。

この辺の展開が、当時としては非常にスリリングでよく出来ています。自衛隊の戦闘機が、西海橋の“下”を潜り抜けるシーンなんか、当時としては衝撃的でしたでしょう。ピアノ線で釣っている以上、上に障害物がある場所は飛ばせないはずですからね。スタッフのアイデアの勝利です。




ついに福岡市内に降り立つラドン。ラドンの翼が巻き起こす大風により、あらゆるものが吹き飛ばされる。


この福岡の街のセットが半端なく凄い!ビルの窓にはカーテンが貼ってあるし、店舗の中の商品まで再現してあるんです。ラドンが降りた体育館がラドンの重さで潰れると、折れ曲がった鉄骨が飛び出してくる。実に細かい!

風圧で転がるトラック。このトラックは真鍮製の大きなミニチュアを、セットを斜めにして転がしているんです。いかにも重そうなトラックがゴッツンゴッツン転がってくるシーンはなかなか良いです。



福岡の街を破壊し尽くし、阿蘇山中の洞窟に潜むラドン。そこへ自衛隊が集中攻撃を仕掛けます。

ミサイルや砲弾が雨あられと降り注ぎ、ついに阿蘇山が誘爆。ラドンは阿蘇山の噴火の炎に焼かれ、絶命します。

この時ちょっとしたハプニングが起きます。ラドンの羽根をを吊っていたピアノ線の一本が、炎の熱で切れてしまったのです。

普通ならNGですが、円谷監督はそのまま撮影を続行させます。残った片方の羽根を吊るピアノ線だけで、一生懸命ラドンを操ります。

その動きはまるで、炎に焼かれながらも、動かせる片方の羽根を懸命に羽ばたかせて必死に生きようとしているかに見え、瞬時にそれを見極め撮影を続行させた円谷監督の凄さを感じさせます。

これぞ絶妙の特撮“演出”!巨大生物の断末魔を、情感をもって描いた秀逸のラストシーンです。






冒頭から謎また謎の展開で、その謎がやがて巨大生物一本へと集束していく。そこまではじっくりと描き、つにラドン登場となってからは、展開が一気に加速して行く。この辺りのメリハリも見事です。ラドン登場まで、謎の事件に右往左往する人間達のドラマを丁寧に描いて、決して薄い物語には仕上げていない。

怪獣というのは突然やってくる自然災害みたいなものです。災害に遭った時人はどのような行動をとるのか、そういうところがしっかりと描かれていないと、怪獣映画のリアリティというのは、なかなか出せないものです。

その辺のことを案外わかってない人、多いのよねえ…。





ラドンが現れた原因はなにか?劇中の仮説では、度重なる原水爆実験が大地になんらかの影響を与え、それが眠っていたプテラノドンを巨大化させた……ということのようです。

そういえばラドンが現れたのは炭鉱の近くですが、石炭は戦後の日本の産業開発を支えた重要なエネルギー源です。戦後日本の経済成長は、日本の美しい自然を破壊することによって営まれた面もあるわけで、石炭はその発展の原動力だった。

その炭鉱に、核実験の影響によって蘇ったラドンが現れる。

やはり、人類に対する大自然の怒りの象徴、という面は否めないと思われます。

そういう点でも、やはり怪獣映画の王道と言うべきでしょう。




ラドンの最期は情感たっぷりに描かれ、それを目撃した者達に満足気な表情は皆無です。

皆どこか、悲しげ、切なげな表情をしている。

平田昭彦氏演じる柏木博士などは、眼鏡を直すようなしぐさをしながら、実は涙を拭ったのではないか、と思わせるような芝居をしています。流石Mr.特撮!

生まれてくる時代をたまたま間違えてしまった生物の悲劇。その生物を滅ぼさねばならぬ人間の業というものに想いを馳せながら、

燃え落ちるラドンの姿を見つめる者達……。




怪獣映画史上に残る永遠の大傑作。

この作品を観ずして、怪獣映画を語るなかれ。




                        











『空の大怪獣ラドン』
制作 田中友幸
原作 黒沼健
脚本 村田武雄
   木村武
音楽 伊福部昭
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎

出演

佐原健二
白川由美

小堀明男
田島義文
村上冬樹

山田巳之助
中谷一郎
緒方燐作

手塚勝巳
中島春雄

平田昭彦

昭和31年 東宝映画

映画『大怪獣バラン』を読み解く

2014-08-22 22:53:05 | 特撮映画
  


                      



昭和33年の東宝特撮映画『大怪獣バラン』。

その生息地は東北、岩手県北上山地の奥深き山中。

そこには、異形の神〈婆羅陀魏様〉を信仰する謎の村があった。

調査に訪れた生物学者、魚崎(野村浩三)一行は、禁足地の森の奥の湖で怪獣を発見、安住の地を荒らされた、中生代の恐竜バラノボーダー=〈バラン〉は、村を破壊し、駆けつけた自衛隊の攻撃をものともせず、前脚と後脚の間の膜を広げてムササビのように滑空、目指すは東京!

かくして、自衛隊によるバラン殲滅作戦が行われることとなる。




劇中では、この岩手県の山奥を、ご丁寧に「日本のチベット」と称し、その僻地性を強調しています。

最近でも、民○党の某議員が「鳥取、島根は日本のチベット」と発言して物議を醸したそうですね。果たしてこの表現が差別的なのかどうか、これを掘り下げるだけでも一つの記事になりそうですが、ここではそこまで追求しません。

抑々この「日本のチベット」なる呼称は、やはり東北、特に岩手県を指していた表現のようです。

1950年代には定着していた表現のようです。岩手県は四国ほどの広さを持つとも言われますが、その面積の70~80%は山地が占めており、50年代頃は交通の便が大変悪く、その山間部には、未だ電気も通っていないような村々が点在したことでありましょう。

その僻地性、山地性がチベットを連想させた、ということでしょうか。



平安時代の歌人、源融でしたか、確か自宅に奥州・塩竈の風景を模した庭を作り、遥か奥州に想いを馳せたとか。

奥州の僻地性は何故か郷愁を呼び、郷愁は「ロマン」を生みます。奥州の山深きその奥には、かつて蝦夷と呼ばれ、中央から追われた人々がひっそりと暮らしているかも知れない。

それは、遠野物語に「山人」として登場し、里人はその山人を恐れながら、どこか「神」に近い者達として見ていた。

その山人の村の中には、里人の知らぬ異形の神を祀った村があるかも知れない……。





ところで、日本人とチベット人、そしてユダヤ人のDNAには、ある共通の特徴があるそうです。

その特徴は朝鮮半島には0%だそうで、つまり民族的に、日本と朝鮮との繋がりは非常に薄く、チベット人とユダヤ人に非常に近いということになります。

蝦夷と呼ばれた人々は、おそらく縄文時代以前からこの列島で暮らしていたであろう「原日本人」と言うべき人々でしょう。

ならばそのDNAは当然……ということです。

その蝦夷の末裔が暮らしていたであろう東北の山間僻地を「日本のチベット」と言い表したことには、なにやら非常に深い縁を感じさせます。






さて、その「日本のチベット」にて大人しく暮らしていたであろうバランが暴れだし、東京へ向かったのは、その安住の地を都会からやってきた連中に荒らされたからに相違ないでしょう。

一応の主人公、魚崎はガチガチの科学礼賛者。古来よりの伝統、習俗をすべて迷信として切って捨てる。

婆羅陀魏様の祟りを恐れて禁足地に入ろうとしない村人を、上から目線で罵倒するようなヒドイ奴です。

バランを発見するや、「都会に出て暴れたら大変なことになる」と自衛隊に連絡して攻撃させ、結果バランは山を飛び出し、魚崎が守ろうとした「都会」を目指すことになる。

この騒ぎを起こした大きな要因の一つは、他ならぬ魚崎の行動にあります。しかし魚崎はそこに最後の最後まで気づかない。

ひたすらバランを倒すことのみが、唯一絶対の正義だと信じて疑わない。

ある意味大したものです。しかし大自然に対しては傲岸不遜であると言わざるを得ない。





この魚崎。戦後の日本人が歩んできた一つの姿の象徴ではないでしょうか。




日本人の暮らしの基本的な形態は、縄文時代以来ほどんと変わっていなかった、とする説があります。

それが大きく変わったのは、戦後、昭和30年代、1950年代後半辺りからであるそうです。

丁度この映画の制作時期と重なりますね。

日本人が大切にし、共に「生きて」きた、大地の神々、森や山の精霊たち。

その神々、精霊たちを、戦後の日本人は「殺して」きたのです。

魚崎という男は、そんな時代のまさに象徴です。



ならばバランとは、滅びゆく精霊たちの悲しき象徴でしょうか。






この映画の持つなんとはなしの後味の悪さは、単に映画そのものの出来が悪いという事だけではなく、

こんなところに原因があるのかも知れない。



                      











『大怪獣バラン』
制作 田中友幸
原作 黒沼健
脚本 関沢新一
音楽 伊福部昭
特技監督 円谷英二
監督 本多猪四郎

出演

野村浩三
園田あゆみ

平田昭彦
村上冬樹

土屋嘉男
田島義文
山田巳之助

伊藤久哉
桐野洋男

千田是也

昭和33年 東宝映画




会津藩について、いま思うこと

2014-08-19 14:22:53 | 会津藩



2013年3月18日の記事「斗南藩のこと」については、色々とご指摘もいただきました。遅ればせながら、ご指摘いただいた方々に、この場で感謝、御礼申し上げます。

斗南藩のことについては、会津藩側で選んだものか、それとも明治政府側の強制だったか、素人の私には明確な判断は付け難い。まあですから、このことは保留にしておきます(笑)。

元会津藩士の子息で、後に陸軍大将になった柴五郎の自伝には、会津藩側で選んだと聞いたと書いてありますが、これだとて、何時誰から、どのようなルートで聞き及んだものか、明確なことは書かれておらず、確かめようがないようです。他ならぬ、元会津藩士自身が言っているのだから正しかろうと思いたいところですが、どうやらそうとも言えないようですね。難しいものです。

言えることは、あのような錯綜、混乱した状況の中では、様々な流言飛語が飛び交ったことでありましょう。先の見通しが立たない不安と怯え、それが様々な憶測を呼び、そこへさらに様々な言説が肉付けされて、デマは肥大化していく。真相はその肥大したデマに埋もれ、やがて歴史の闇に埋もれて行く。

斗南藩についての真相を分かり難くしているのは、他ならぬ人の心です。

斗南移封が悲惨な結果に終わったことで、責任を感じた方々、あるいは「やましさ」を感じた方々もおられるでしょう。そうした方々の中には、責任逃れや、己の罪悪感を封じ込めるために、己の名誉、己の「陣営」の栄誉を守るために、あらぬこと、つまりは「嘘」を付いた者もおりましょう。

嘘とホント、デマと真相が入交り、真実は益々闇に埋もれて行く。

まさしく、人の心が成せる技です。





いずれにしろ、「亡国」の憂き目にあった会津藩士たちの悲しみ、苦しみたるや、いかばかりであったか。今まで何十遍、何百遍と書いてきましたが、会津藩に、皇室に逆らう意図など微塵もなかった。孝明天皇の篤い信頼を受け、勇躍御上の御為、御国の御為と働いた結果が逆賊の汚名を着せられることだったなんて、そんなこと納得せいと言われても、簡単に納得できるわけがない。

怒り、怨念が残るのは、致し方のないことだった。



明治維新は、全体的にはあれで良かったのだ、と思う。

しかしだからといって、会津藩のこと、東北諸藩のこと、戊辰戦争のことも、「仕方なかった」の一言で済ませることは出来ない。

多くの命が失われました。多くの悲しみが生まれました。

それは時代を越えて、現代の我々にも、影響を及ぼしていることでありましょう。

我が国日本のために、先人達が刻んできた歴史の中で生まれた悲劇を、その歴史の先端で「生きる」我々は、その悲劇を忘れてはいけないのです。

決して、忘れてはいけない。

忘れないことが、最大の供養です。








会津藩のことを語る上で、避けて通れないことに、靖国神社があります。

会津藩士を逆賊と規定し、祀っていないことから、靖国には行かない、としている方々は結構多いようです。かく言う私もその一人。

いやいや、「鎮霊社」に祀られていますよ。といいますが、「鎮霊」って、どういう意味でしょう?何故本殿から離して、わざわざこじんまりした社を建てて祀らねばならぬのか。

もしやして、「怨霊鎮め」かなにかのつもりか!?

どうにもスッキリしませんね。

いやいや、英霊として祀られている会津藩士もいますよ。「禁門の変」で戦死した会津藩士は、英霊として本殿に祀られています。

「禁門の変」においては、会津藩は官軍ですから、会津藩側の戦死者は靖国に祀られる正当性があるということで、明治時代末期に至ってようやく祀られる運びとなったようで、それにしても随分時間がかかったもので、この辺りに政府側の「本音」が垣間見えるようですね。まあ、それでも、祀っていただいたことは素直に感謝いたします。

しかしそれについてもおかしなことがある。同じく「禁門の変」において、「賊」として戦死(自害)したはずの久坂玄瑞と真木和泉が、なぜか「英霊」として祀られているのです。

「禁門の変」において長州藩は明らかに「賊軍」です。その賊軍側だった久坂と真木を祀るのは、明らかに靖国神社が祀る基準に反しているのではないでしょうか?

尊皇の志が篤かったから?本当は賊じゃなかった?ならば、孝明天皇より篤い篤い御信頼を受け、御宸翰を賜るほどの栄に浴した会津が賊であるはずはなく、靖国神社に祀られるべきは、尊王の志篤き会津藩士!という論理も当然成り立つはず。薩長の「敵」であったという理由だけで祀られないのはおかしいのですよ。そう思いませんか?

実際、御宸翰(天皇直筆の書状)に関しては、その存在の発表を控えるよう、明治政府側から旧会津藩士側に要請がありました。その存在が明らかになると、尊王の志士であった会津藩士を、賊軍の汚名を着せて討ったことになってしまい、その批判を政府は恐れたようです。

ことほど左様に、靖国神社には様々な矛盾があり、私としては、この矛盾、この「歪み」がスッキリと解消されない限り、一生涯、靖国神社に詣でるつもりはありません。



我が日本のために命を捧げられた「英霊」の方々については、私はただただ、尊敬と感謝と、哀悼の意を捧げるのみです。

靖国神社には参りませんが、毎年終戦の日には、英霊方は地元の神社に帰ってきているとか。ですから私は、8月15日に氏神社へ参拝することで、地元の英霊の方々へ感謝の想いを捧げさせていただいております。

また、陸中一宮に参拝した際には、境内の招魂社へも必ず参拝し、感謝を捧げさせていただいております。

それとともに、戊辰戦争の犠牲となった、会津をはじめとする多くの諸将への、思いも込めて。




歴史は、栄光に浴した者達のみによって作られたものではありません。

その栄光の裏側に、多くの犠牲があった。多くの血が流された。


今を生きる我々は、その流された血の上に生きている、といっていい。



その流された血を、その犠牲を、

この国の、我が日本の歴史の先端に生きる我々は、決して忘れてはいけないのです。



決して。

映画『ホットロード』

2014-08-16 19:39:00 | 映画



                       



映画の内容以前に(いや、悪いと言ってるんじゃないですよ)、能年玲奈という【女優】の存在感にやられた!

そんな映画でした。











私はいわゆる「不良」というものに憧れたことがないんです。

我が家は平凡な家庭で、多少のイザコザはあっても、いわゆる「問題アリ」な家庭環境ではなかったし、親の愛情、特に母親の愛情は存分に受けて育ちましたから、特に不良になる要素なんてなかったし、不良というものがカッコイイという感覚が、抑々私には理解できないものだった。

リーゼントをカッコイイと思ったことは一度も無いし、特攻服も暴走族にも興味なし。まったくもって私には、遠い世界の話でした。



不良モノのマンガを特に面白いと思ったこともない。だから「ホットロード」の原作も読んだことはなかったし、興味もなかった。

だから、主演が能年玲奈でなければ、私の興味の範疇に入ることはなかったといえます。

ですから、原作に愛着ある方々の気持ちは、申し訳ないが私にはわからない。



ただただ、能年玲奈の【女優力】に魅せられた、としか、私には言えない。









能年玲奈演じる14歳の宮市和希は、父親を早くに亡くし、母親(木村佳乃)と二人暮らし。しかし母親には鈴木(小沢征悦)という恋人がおり、母親に愛されていないという喪失感から、和希は暴走族の世界と関係を持ち始め、そこで暴走族の少年・春山洋志(登坂広臣)と出会う。



和希という娘は、喪失感と寂しさと、それに伴う悲しみ苦しみ、怒りといった様々な感情が内側で激しく渦巻いていて、それ故に無表情になっちゃってる。それがちょっとした顔の表情の変化で、その時渦巻いている感情が表に出てくるんです。

「あまちゃん」で演じた天野アキのような、クルクル変わる表情の、天然な明るい女の子とはまったく違う役柄です。

自分でいうのもナンですが、私は随分と「あまちゃん」にハマりました。天野アキにハマりました。

天野アキを演じる、能年玲奈にハマりました。

そんな私が、なにか違和感のようなものを感じることはないだろうか?正直心配でした。

でもそれは、終わってみれば杞憂でしたね。



そこには、天野アキとは違う、宮市和希という少女がいました。

でもそれは、間違いなく


『能年玲奈』その人でした。


能年さんはこの映画の撮影に入る時

「能年玲奈という“軸”をブレずに演じたい」

という意味のことを語っておりました。

なるほど、こういうことか、と思いました。




役者は演じる役によって、様々な方向に傾きます。

しかしそれも、自分という“軸”あってのこと。抑々、自分とまったく違う人間になど、そうそう成れるわけがない。

軸が無ければ倒れてしまうだけ、様々な役を演じるからこそ、軸はしっかりしていなければならない。

天野アキから、宮市和希へ。能年さんは自らの軸を支えとして、このまったく真逆の役を、見事に演じ切りました。

映画「ホットロード」は、女優・能年玲奈の底力を、我々に見事に見せつけた作品です。

「あまちゃん」の次にこの作品を選んだことは、女優力の証明としては大正解だったと言えるでしょう。

天野アキのイメージが強すぎて、女優としては短命で終わるとか、したり顔でわかったようなことを語っている方々もいたようですが、この作品を観ても、果たして同じことが言えるのですかね。

能年玲奈は能年玲奈としてしっかりと立っていましたよ。そこに天野アキの影などまったく感じさせなかった。

この方はまだまだ、簡単に終わりはしません。

「あまちゃん」の次の仕事がない?そうじゃないでしょ。むしろ短命で終わらないために、次作をじっくりと選んでいたということでしょうに。

能年さんは良いスタッフにも恵まれている、ということでしょう。



まあとにかく、初めの杞憂はすっかり消し飛んで、今後の活躍が益々楽しみになってきた。

我々はひょっとすると、稀代の大女優と遭遇したのかもしれない。








和希は「恵まれた」子です。

和希自身は、愛されていないと思っている。でも本当は違うんです。

和希を心配している大人は、実はたくさんいる。でも和希はそれに気づかない。

和希の母親にしたって、確かに少女みたいなところのある人だけれども、それでも母親なりにちゃんと和希のことを心配してる。

愛してる。

でも和希にはそれがわからない。まあ、十代でそれを分かれ、というのも酷かもしれませんが、和希は自分の事しかないんですね。もっと私を見て、私を愛して、もっともっと!それしかない。

それが春山と出会い、初めて自分以外の誰かを大事だと思った。




人間というのは、自分のことばかりを考えているときは、とても「苦しい」ものです。

自分のためではなく、誰かのために生きよう。そう思えたときに、初めて人は

本当の、心の充足感を得られる。

人間というのは、そういう風に出来てます。



和希の身の回りには、和希のことを心配し、愛してくれる人達がたくさんいる。

和希は恵まれているんです。最終的には、和希はそのことに気が付いたのでしょうね。

自分以外の「誰か」のために、本当に心からそう思えた時に、和希は初めて、周りが「見えた」のでしょう。

それは春山も同じだった。




誰かのために生きよう。そう思えたとき、人は初めて、自分を生きられる。


人ってどうやら、そういうもののようですね。

がんばれ和希、春山。





がんばれ、能年ちゃん。




                        

終戦の日にももクロを観る

2014-08-15 22:40:19 | ももクロ


今年は蝉しぐれの勢いが弱かったですね。

雨模様ということもありましたが、それが原因とは思えない。明らかに去年に比べて、蝉の数が減っているようです。

なんででしょうねえ?自然環境になにやらおかしなことが起こっているのかもしれません。



正午少し前、氏神社に参拝を済ませました。土地の氏神様と、この時期帰ってきているであろう「英霊」方に、感謝を込めて。







                   



去年、2013年8月に開催された、ももクロの日産スタジアムライヴを観ていました。

現代のアメノウズメたちが、「日本を元気にする」ため、日本人の心の「天の岩戸」を開く為ため、歌い、踊る。



2011年に発表されたシングル曲「Z伝説~終わりなき革命~」が、実は東日本大震災の応援曲だということは、知る人ぞ知る裏話。思えばももクロは、デビュー当時から「和」をコンセプトとし、「みんなに笑顔を届ける」ために活動を続けてきました。

ライヴの冒頭、ゲスト・ギタリスト布袋寅泰が弾く「君が代」を、6万人の観客が合唱し、ステージのスクリーンに日の丸の旗が映し出される。

日産スタジアムはスポーツの競技場だから、果たしてそれだけの理由でしょうか?

ももクロの活動内容には、表立っては言わないけれども、じつはその奥側に、深い深いメッセージが込められている。

私にはそんな気がします。




このDVDを観ながら、案外この国は大丈夫かも知れない。そんなことを思った、私でした。


御先祖様方も私と一緒に観てくれたでしょうか。

楽しんでくれたかな?(笑)




               




この国は今、非常に危機的な状況にあるのかも知れない。

でもそれは、より高く翔ぶための助走。



信じた道を、突っ走れ!

蝉しぐれ

2014-08-12 19:57:27 | 歴史・民俗



私の氏神様の参道は、夏真っ盛り、お盆の頃の「蝉しぐれ」が凄いんです。

蝉しぐれとはよく言ったもので、本当に雨のように、頭上から蝉の鳴き声がウワンウワンと降ってくる。

壮観、としか言いようのない情景です。



蝉の鳴き声というのは、種類にもよりますが結構けたたましい。電柱なんかにとまっている蝉が鳴き出すと、たった一匹でも魂消るほどに喧しい。あれは勘弁してほしいものです(笑)

ところが、これが神社の参道となりますと、何十匹、場合によっては何百匹という蝉の鳴き声が重なっているにも関わらず、不思議と電柱の一匹ほどには、けたたましくない。

まあ、それでも、喧しいといえば喧しいのですが(笑)ここに「蝉しぐれ」という言葉を当てはめると、途端に風情ある情景に感じられるから、あら不思議(笑)



私も結構単純だ…(笑)



日本人は、四季折々の「音」に風情を感じ、風雅を楽しんできたのですねえ。








元禄2年(1689)、旧暦の5月27日。新暦でいうところの7月13日。松尾芭蕉一行は山形県の山寺こと立石寺を訪れ、例の有名な俳句を残しています。



【閑さや岩にしみ入る蝉の声】



山寺というのは岸壁に沿うようにして伽藍が建てられていますので、蝉の鳴き声もその岩肌に吸い込まれ、また独特の風情が感じられたのかも知れませんね。



                   



ところで、この山寺の蝉はニイニイゼミかアブラゼミかで論争になったことがあるとか。

調査の結果、一応ニイニイゼミ側に軍配が上がったようですが、実際のところはどうだったかわかりません。


ニイニイゼミはこんな感じ。





アブラゼミはこちら





どちらがお好み?













もう、お盆に入っていますね。

御先祖様方は寄られていることでしょう。

この時期には、「英霊」の方々も、地元の神社に「帰って」来ていると聞き及んでおります。

蝉しぐれの降る中、氏神社に参拝し、英霊の方々にも、感謝を捧げたい。


お盆というのは、まことに有難い時節です。

現し世は夢

2014-08-11 11:32:38 | 雑感



                        
                        江戸川乱歩(本名・平井太郎)。明治27年(1894)~昭和40年(1965)



【現し世は夢、夜の夢こそまこと】


私はこの江戸川乱歩の言葉がなぜか好きで、ことあるごとに引用させていただいています。

一見、ただの現実逃避のようにも思われますが、果たしてそれだけでしょうか?







この世のことを「現し世」(うつしよ)、あの世のことは「幽世」あるいは「隠り世」(かくりよ)というそうです。

隠れているから「かくりよ」なのはわかりますが、何故この世は「うつしよ」なのでしょう。

常に移ろい行く世界だから、それもありましょう。

しかし私は、また別の意味を思います。

それは、「映された」世界だから。

「かくりよ」の奥の奥のずっと奥にある“存在”が観ている“夢”。

その夢が映った世界。


それが「現し世」。



ならば我々は、その夢の中の登場人物に過ぎない…。












子供の頃、私は悩んでいました。

私が見ているものと、他人が見ているものは、果たして「同じ」ものなのだろうか?

私が見ているコップと、彼が、彼女がみているコップは、果たして「同じ」コップなのだろうか?

より正確に言えば、「同じように“見えて”いるのだろうか?」

私が見ているコップ…いや、コップじゃなくてもなんでも、この世のありとあらゆる事象は、私が見ている姿や形、色その他その他。

すべて、同じに“見えて”いるのだろうか?

私が見ている例えばコップと、彼が、彼女が見ているコップは、まったく違う形状、色その他全く違う”モノ”なのではないだろうか?ただそれをお互いに「同じ“モノ”」として認識しているに過ぎず。本当はまったく違う様相で見えているのではないだろうか?

言ってること、わかります?…(笑)



この悩みのことは、しばらく忘れていたのですがね。最近この感覚はある意味正しかったのじゃなかろうか、と思ってます。








人間は自分の目を通して、「外」の世界を見ていると思っています。

本当にそうでしょうか?

人間は視覚から入ってきた刺激を、脳内で変換して再生します。つまり自分が見ている「外」の世界は、実は自分の「中」で作られた世界なんです。

だから人間は、自分の外の世界が「本当は」どうなっているのかなど、知らないと言っていい。






京極夏彦氏の小説「姑獲鳥の夏」では、登場人物の関口巽が、床の上に転がっている死体を、「見えない」ものとしてしまう場面があります。

この場にあってはならないもの、見たくないもの。関口氏の無意識化の強い想念が、そこにある“モノ”を見えなくさせてしまった。

もちろん小説ですから、多少の誇張はあるでしょう。しかし人間が見ている(と思っている)外の世界は、実は脳内で作り上げられた世界であり、人間は自分の見たいものだけを見、見たくないものは見えないことにしている。そのようなことは往々にしてあるのではないでしょうか。




これは対人関係においても、同じことが言えるのではないでしょうか。

自分はある人のことを、こういう人だと規定づけている。

しかしその他人の姿は、「本当」のその人ではなく、自分の脳内で作り上げられた、いわば「虚像」です。

その「虚像」を作り上げたのは、他ならぬ自分の脳。

ならば、その「虚像」の根拠となったものは、他ならぬ自分の脳内にあった姿だ、ということにはならないでしょうか。

自分の脳内にあった姿、つまりそれは

自分自身の姿だ、ということです。




他人は自分の鏡。とはよく言いますね。「ゆず」の歌の詞にもあるくらいですから、そんなに珍しい考え方でもない。

人間が外の世界を認識するとき、脳というフィルターを通してしか認識することは出来ず、それは他者を認識するときにおいても同じです。

他者を認識するときも脳のフィルターを通すことによってしか認識できない。

そのフィルターとは、自分自身の姿です。

自分自身の姿というフィルターを通して、人は他人を認識する。

つまりそこには、自分自身の姿が如実に表されているのです。

他人は自分の鏡とは、そうことなんでしょう、多分。




まあですから、あの人はこんな嫌な奴だとか思っていても、それが本当にその人の実像なのかどうか分からない。

まったく間違っているかも知れない、ある程度は当たっているかもしれない。

でもね、そんなことは「どっちだっていい」んですよ。どうでもいいんだ、そんなことは。

要は、そこに映し出された自分の嫌な部分をしっかりと認識して、抱きしめて、昇華する以外、解決はないってことです。

あいつはあんなひどい奴だ、お前はこんな嫌な奴だ、どうたらこうたら、うるせーよ!

他人なんか関係ねーんだよ!自分だけを見つめろ!

そうしない限りいつまでたっても、心は苦しいままだぜ。

他人はあーだこーだ、お前はなんたらかんたら、そんなことを百億万回繰り返しても絶対に解決なんかしない。

絶対にだ!

自分を見つめるしかないんだよ。

自分を見つめるしか。








あーなんだか、説教臭くなっちまった。こんな自分ヤダヤダ!

ここは一発、ももクロちゃんでえ!





                      

ももいろクローバーZ 「Z伝説~終わりなき革命~」



【ももクロは夢、ももクロはまこと】

なんのこっちゃ(笑)




では、以上でありやす。

陸前高田近況

2014-08-09 13:43:14 | 日記



                      



7日、所用があって陸前高田を訪れました。

あまり時間がなかったので、復興の様子とかを見極めることはできなかったのですが、ざっと見ただけでも、やはり進んでいるとは言えないのかも知れません。

一関方面から山越えして、陸前高田に入ったのですが、コンビニばかりがやたらに増えてました。震災前はこんなになかったというのに、空いた土地にまるで浸食するかのように、都会の大手企業が進出してくる。

まあ、地元の人達にとっては、便利なことで良いのでしょう。





旧市街地は、相変わらずなにもありません。ただ、かさ上げ用の土を運ぶ世界一の規模のベルトコンベアが設置されており、向かい側の山を削って、土をどんどん旧市街地に運んでおり、土を削られてすっかり地形の変わってしまった山容は、なんとも痛々しい。



                
                 陸前高田市街地の現況。ベルトコンベアと奇跡の一本松



人が生きていくとは…。








同7日、陸前高田市内では、恒例の「動く七夕祭り」が行われておりました。

七夕飾りを飾り付けた山車を引いて市内を練り歩く。更地となった旧市街を、華やかな山車が練り歩く姿は、なんとも物寂しく、それでも人々は、祭りが出来ることの有難さを噛みしめているかのようです。



               
                動く七夕


それでも、人は生きて行く。











今日は長崎の日。犠牲となったすべての御霊に、哀悼の意を捧げます。