1989年のアメリカ映画『ペットセメタリー』。
幼い息子を交通事故で亡くした男が、死者を蘇らせるという禁断の土地に息子の遺体を埋めます。すると噂通り息子が帰ってきた!
しかし戻ってきた「それ」は、息子であって息子ではなかった。
息子のような「それ」は、男の妻、つまり息子の母親を包丁で刺し殺してしまいます。男は意を決し、息子のような「それ」を、泣きながら殺します。
男は思います。「今回」は失敗した。何かが間違っていたんだ。
でも、「今度」こそは……。
男は妻の遺体をその土地に埋めます。そして妻もまた、戻ってきました。
喜ぶ男。今度こそうまくいったぞ!
しかしその妻「のようなもの」の手には、包丁が……。
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ホラーの帝王、スティーヴン・キングの小説を映画化した作品。キングですから、死者を蘇らせる土地の設定はかなりいい加減です(笑)。そこはどうでもよくて、要は愛ゆえに禁を犯す人間の悲しさ、愚かさなんです。
ストーリー・テラーのキングのこと、そこの至るまでの男の行動、心理描写は真に迫るものがありました。映画版もその点は上手く描けていたんじゃないかと思いますね。
愛が執着を生み、その執着ゆえに身を滅ぼしていく人間の哀しさ。
でもそれって、本当の「愛」なのだろうか?
2008年公開のスウェーデン映画『僕のエリ ~200歳の少女~』
家庭にも学校に居場所のない一人の少年。少年はある雪の夜に一人の少女と出会います。
エリと名乗る少女は学校へも行かず、「父親」と二人暮らし。この親子が引っ越してきた頃から、周囲で殺人事件が頻発し始めます。
この親子、実は親子ではなかったです。
エリは、人の血を飲むことで生きながらえている「吸血鬼」でした。エリとともに暮らす男は、エリのために人間の血を得るため、行く先々で人を殺し続けていたのです……。
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孤独な少年と、人間ではない「少女」との、恐ろしくも悲しい恋愛映画。
人と、人ではないものとの隔たりが、ある種の「純愛」感を醸し出しており、非常にうまくできているなと思いましたね。ホラー映画であって、純愛映画。
一見相反するかのように思える「ホラー」と「純愛」というテーマが、実は繋がっているということを見せてくれました。
エリのために殺人を犯し続けていた男は、その現場を見られてしまい、少女を守るために自らの命を絶ちます。エリを「守る」者がいなくなってしまった。
少年は決意します。ならば僕が、エリを「守ろう」……。
この哀しき「純愛」。でもこれは、本当に「愛」なのだろうか?
「愛」が「執着」を生み、執着ゆえに身を滅ぼしていく愚かしさ、哀しさ。
「執着」を生む愛とは、一体なんだろう?それは本当に「愛」と言えるものなのか。
ホラーとは、日常のすぐ横にある「闇」を描いたものだと言えます。
「愛」と呼ばれるもののすぐ横で、闇は大口を広げて、誰かが落っこちているのを待っている。
そんなことを考えさせてくれるという点では、ホラーも結構、役に立つかもね(笑)。
あなたの「愛」。「自己愛」、「我よし愛」になっていませんか?
エリは、あなたのすぐそばにいるかもよ(笑)。もちろん、私のそばにも……。