坂上田村麻呂は古浄瑠璃などの語りもの芸能の世界で、鬼退治の英雄として描かれていきます。『鈴鹿の草子』『田村の草子』などの語りものが紡がれ、その影響を受けた『田村三代記』が、江戸時代に生み出されるに至ります。
田村三代記を語り伝えたのは、「奥浄瑠璃」の語り部たち。奥浄瑠璃とは主に仙台藩領内で派生した芸能で、琵琶や三味線を奏する盲人たちによって、奥羽各地に広められ、その影響は遠く九州にまで及んだといいます。
田村三代記に登場する田村麻呂は、観音菩薩の化身であり、日の本を魔の巣窟にせんとする鬼どもを退治するスーパーヒーローです。この演目は大変な人気だったようで、多くの神社仏閣がその創建縁起に田村麻呂伝説を取り入れたようです。その為、「田村麻呂による創建」と伝える寺社が一挙に増えたらしい(笑)。
田村三代記の影響は大変なもので、新たな地方伝承を生み出すに至ります。
その伝承の一つ、「人首丸伝説」。
岩手県奥州市江刺区米里は、かつて江刺郡米里村であり、さらにその前は「人首村」と呼ばれていました。これは悪路王の甥に由来するとか。
地域の伝承によれば、坂上田村麻呂の征討によって悪路王は磐井(岩手県一関市及び平泉町)にて敗死し、その弟の大武丸は栗原(宮城県栗原市)の地で敗死します。
大武丸の息子・人首丸は江刺に逃れ抵抗を続けますが、ついには討たれ、その地に葬られたといいます。
田村三代記の絶大な影響力が、新たな地名伝承を生み出すに至ったわけです。ところで、
磐井郡と栗原郡は隣同士、岩手県と宮城県の県境で隣合っています。
そうして、かの鬼死骸村は、まさしく県境、栗原の地と隣合ったところ。
どうやら、繋がってきましたね。
つづく。