風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

最後の武士(もものふ) 楢山佐渡その2 ~一揆の決着と藩政改革~

2015-05-29 14:14:29 | 幕末の盛岡藩



楢山佐渡は天保2年(1829)南部盛岡藩の家老・楢山帯刀の庶子として生まれました。名は隆吉、幼名は茂太。通称五左右衛門。

藩主の親戚筋であったことから、9歳のときに藩主の相手役として城に召され、15歳で側役に昇進します。

時の藩主は南部利済。この利済の時代に、南部藩には先述したような悪政の嵐が吹き荒れることになります。

佐渡の父帯刀は、何度も利済を諌めますが、利済は聞く耳をもたず、楢山父子は登城を禁止されてしまいます。

利済の側には「三奸」と呼ばれた側近がおり、この三人が利済の暴政を許し、私欲を貪っていたようです。この三奸に阻まれ、利済への諌言はその耳にすら達せられない。

「この三奸を討ち、殿には御退位いただく他はない!」

若さ故の血気に逸る佐渡。それをひたすらなだめる、帯刀。



先述したように、弘化4年(1847)の大規模な一揆により、利済は藩主から退きましたが、その後も隠然たる権力を握り院政を続けます。その側にはやはり「三奸」が就いておりました。

度重なる凶作で、藩財政は窮乏、領民の暮らしも困窮する中、城の御殿を新たに築造し、奥州街道沿いに遊郭を設けるなどの華奢遊蕩三昧に、領民は塗炭の苦しみを強いられていました。

嘉永6年(1853)、佐渡は22歳で家老職を拝命します。藩主の親戚筋とはいえ、22歳はさすがにまだ若い。しかも一度は退けたことのある者を、何故利済は抜擢したのか、その意図はわかりません。

佐渡が家老職を拝命した同じ年、例の江戸時代最大規模の農民一揆が起こります。

仙台藩からの知らせにより、ようやく事の重大さを理解した利済は、あわてて佐渡を城中に呼び出します。佐渡は白装束姿で、決死の覚悟で殿に諌言申し上げるべく、御前に進みます。

佐渡はこの一揆を集束させたのち、藩を根底から立て直すために、一時的に藩政を自分に一任させて欲しいと申し出ます。もはや他に手立てはない。利済は受け入れる他ありませんでした。

佐渡は早速江戸へ早馬を送り、江戸家老向井大和をして江戸在府中の仙台藩主に対し、幕府への正式な届け出をしばらく猶予してもらうよう頼みいれました。重ねて越境した領民たちには、元々藩の悪政が原因であるからと、全面的に認め、誰ににも罪咎を課さないことを条件として、藩内復帰を呼びかけました。

やがて江戸より、仙台藩主は了承したとの知らせが、佐渡の元に届きます。折しも黒船来航により、日本国の情勢風雲急を告げており、幕府としては奥州の田舎大名のゴタゴタになど関わっている暇はありませんでした。また仙台藩にも、海上警備の沙汰が幕府より出されており、他所の藩の揉め事になど、関わる暇は無かったのです。だからこの佐渡よりの申し出は、渡りに船でした。

無事に一揆を集束させると、佐渡は休むことなく藩政改革に着手します。

まず改革を行うにおいての協力者として、才気煥発の誉れ高い、若干19歳の東次郎(中務)を家老に任命します。

改革は疾風迅雷の速度で行われ、老中首座の老臣・南部土佐を、奸物を信じ藩政を誤ったとして隠居させ、石原汀、田鎖左膳、川島杢右衛門のいわゆる「三奸」には、家禄・家屋敷・家財等没収の上追放の処分を下しました。

それに代わって多くの人材が、門閥に関係なく登用されます。その中には、新渡戸稲造の祖父にあたる新渡戸伝がおり、藩学の教授として新たに登用された那珂通高は、藩校の名を「作人館」とし、その門弟には、後の「平民宰相」原敬がおりました。


産業を奨励し新田開発を行い、利済が建てた新御殿は破却され、奥向き女中の数を300人から250人に減らし、奥州街道沿いの遊郭は廃止。藩主利剛は率先して衣服を木綿とし質素倹約を示しました。

悪政の張本人利済は、南部藩江戸下屋敷に蟄居謹慎し、安政2年(1855)、蟄居のまま病を得て死去します。



藩政改革の見返りとして、幕府から5千両の貸下げがあり、それを足がかりとして、財政の立て直しと、多年の窮乏に苦しむ領民救済へと当てて行きました。しかしながら、長年積もり積もった悪政のつけを払拭することは難しく、どちらかというと「情」をもって行おうとする佐渡と、徹底した「理」をもって改革を進めようとする東との間に、対立と確執が生じて行きます。

一端は東の意見を取り入れ、佐渡は職を辞しましたが、東の果断な改革方針は藩士達の士気を著しく落とします。結果東は失脚、再び佐渡が職に返り咲きます。


初めは協力者であった両名でしたが、やがて「政敵」として、互いをライバル視していくこととなるのです。




さて、黒船来航以来、日本国の情勢は愈々風雲急を告げる展開が加速して行きます。

中央から遠く離れた奥州、盛岡・南部藩も、やがてその大風に大きく翻弄されていくこととなって行くのです。

大政奉還、鳥羽伏見の戦い、そして奥羽越列藩同盟。楢山佐渡の活躍やいかに。

では、また次回、

つづく、で、ありやす。

最後の武士(もののふ) 楢山佐渡その1 ~三閉伊一揆~

2015-05-26 14:32:43 | 幕末の盛岡藩






                       



幕末の東北を語るにおいて、外せない人物がいます。

盛岡、南部藩家老、楢山佐渡(ならやまさど)。



佐渡を語るにおいてまず、語るべきは、江戸時代最大の農民一揆といわれる、「三閉伊一揆」でしょう。

********************

南部藩13代藩主、南部利済は、領内が度重なる飢饉等で窮乏しているにも関わらず散財を繰り返し、領民に重税を課し続けます。折しも天保の大飢饉で領民達は飢餓に苦しめられ、それでも遊蕩三昧の藩主。特に重税を課せられていたのは、海産物の盛んだった九戸郡、上閉伊・下閉伊両郡の、いわゆる三閉伊と言われる、北三陸沿岸地域ででした。

この三閉伊の領民たちが、税の減免と藩主・利済の隠居を要求して、弘化4年(1847)に一揆を起こします。

藩はこの要求を一旦は受け入れ、利済は隠居し、家督を長男の利義に譲ります。

しかし、利済はその後も藩政の実権を握り、院政を敷きます。これに不満をもつ藩主・利義と対立。利済は利義をわずか1年で藩主の座から引きずりおろし、三男の利剛を新たに藩主に据えます。

こうして利済は再び藩政を完全にその手に握り、またしても悪政を繰り返したのです。



嘉永6年(1853)、三閉伊にて再び大規模な一揆が発生します。1万6千人、一説には3万5千人と言われる領民たちが、南部藩領を越えて、隣の仙台藩領に越境し、仙台藩に直訴を行ったのです。

直訴の内容は、三閉伊を南部藩領から外し、幕府直轄地か、あるいは仙台藩領に組み入れて欲しい。この願いを、仙台藩を通じて幕府に上申して欲しいという、前代未聞の内容でした。

南部藩は、領民から完全に見切りを付けられてしまったわけですね。なんともはや、情けない限りではあります。



この、農民運動ともいうべき一揆により、利済の悪政は幕府の知る所となり、時の幕府老中、阿部正弘によって南部藩は激しく叱責され、利済は江戸の南部藩邸にて蟄居謹慎を命じられるに至ります。



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これが、江戸時代最大の農民一揆「三閉伊一揆」の概要です。

さて、肝心の楢山佐渡はなにをしていたのか?

それは次回、改めて。

つづく、でありやす。

『銀河鉄道の夜』再読

2015-05-23 10:15:28 | ももクロ
 



                        



宮沢賢治は何故か苦手でした。

嫌いなわけではないのです。好きな言葉もあります。

しかし、この人の作品、というか文章というべきか、とにかく、読むのが苦手でした。

ですから、ももクロの映画が無かったら、こうして読み返すようなことはなかったかもしれない。




今回読み返してみて思ったのは、宮沢賢治という人は「孤独」な方だったのだな、ということですね。

主人公ジョバンニの家庭における父親の不在、病気がちの母。それゆえジョバンニは家計を助けるために働かねばならず、勉強は遅れ、友達とも遊べない。

そのような状況下での、親友カンパネルラの死…。

銀河鉄道の旅は、そうした事どもをすべて受け入れて行く過程の旅でもあったのか…。






賢治の父親は確か熱心な浄土真宗の信者だったと記憶してます。賢治は法華経信者でしたから、そうしたことが、この作品における「父親の不在」として表されているのかも知れず、また、若くして亡くなった賢治の妹に対する思いが、カンパネルラの死と重ねあわされているのかも知れない。

このように、「孤独」「哀しみ」「寂しさ」といったキーワードを持って読んでいくと、私なりに見えてくるものがあるような気がします。

それにしても、物語としては必ずしも完成しているとは言い難い感じは否めず、賢治自身、何度も推敲を繰り替えしたようです。

ラスト・シーンなど、随分とあっさりし過ぎなくらいにあっさりしており、果たしてこれで賢治は納得していたのだろうかと、訝しく思ってしまいます。

物語としては完成していない。いや、永遠に完成することのない物語なのか。

結局私は、賢治の、この言葉を思い出さずにはいられませんでした。


【永久の未完成これ完成である】


私が1番好きな、賢治の言葉です。







                   





舞台版『幕が上がる』においては、有安杏果演じる中西さんが、東日本大震災の際に盛岡に滞在していた、という設定が新たに加えられているとか。

被災地から盛岡に避難してきた同世代の中学生(当時)たちの経験したこと、震災の恐怖や、親しき家族、友人を失った悲しみ、そうした話を聞くに及んで、中西さんの受けた衝撃はトラウマとなって、中西さんの心に巣食っていた…。

そうしたトラウマを、この「銀河鉄道の夜」でカンパネルラを演じることを通じて昇華させていく、今回の舞台化における、重要なテーマの一つのようです。



主人公ジョバンニは、「どこまでも行ける」切符を手にして、銀河鉄道に乗り込んでいます。しかし、その切符を持っているのはジョバンニ一人だけです。カンパネルラは持っていない。カンパネルラは、いずれどこかで、汽車を降りねばならない。

どこまでも行ける切符。それは、この世に「生きて」いるものたちだけに与えられた「特権」なのでしょう。

だから、カンパネルラは持つことができない…。



やがて別れゆく二人。この『幕が上がる』の劇中劇、「銀河鉄道の夜」において、二人は、「また、いつか、どこかで」再び出会うことを約束し合います。

生死の別れはあっても、「命」そのもの、「魂」そのものが消え去ることはない。

だから「また、いつか、どこかで」必ず会えるさ。







震災をテーマに加えることが、はたして『幕が上がる』にふさわしいのかどうか、賛否はあるでしょう。

しかし、現代を生き、芸能に携わるものとして、素通りせずにはいられないテーマであろうし、取り上げることには必ず意義がある、と私は信じたい。





舞台は明日、24日が千秋楽です。私は舞台を観ることは叶いませんが、どうか無事に、良い舞台を務められますよう。

がんばれももクロ!




                      

己の中に悪魔はいるか?

2015-05-22 12:43:17 | つぶやき




おまえの中に悪魔はいるか?と問われたら

「いるよ」と私は躊躇なく答えます。

だって、それが「人」だから。

それが「この世」の、成り立ちだから。





神と悪魔、善と悪、陰と陽。なんでもいいけど、

否定することなく認める、受け入れる。

認めるけど、放置はしない。

受け入れるけど、飲み込まれない。




「自分らしさ」と「自我の暴走」とはまったくの別物。

自分で自分の手綱をしっかり握ること、努々お忘れ無きよう。






Ozzy Osbourne-Let It Die


孤高の人、オジー・オズボーン。

どんな大スターになろうとも、私がこの方から感じるのは、拭いきれぬ孤独と、言い知れぬ哀しみ。

悪魔の音楽?言わば言え、嫌わば嫌え。この方もまた、光と闇の間を彷徨する一人の人間なのだ。

この方の中にもまた、天使と悪魔は混在している。そんな底の浅いモノじゃないんだよ。


聖と邪、美と醜、善と悪、光と闇。そうした両極を包み込み、パワーとして前へ進もうとする意志。それがHEAVY METAL。

だから、好きなんだなあ。



どちらか一方を否定している限り、己の中にある悪魔を見つめ、対自しようとしない限り

前へは進めないよ、絶対。

ポンコツLOVE

2015-05-19 11:41:51 | つぶやき




ポンコツな自分を発見した時


そのポンコツな自分を


どこまで受け入れられるのか


愛せるのか


拒否してしても、逃げ出しても


ポンコツな自分は追っかけてくる


ポンコツな自分からは逃げられない


だって、「自分」だからね


ポンコツな自分を、認めて、受け入れて


ぎゅって抱きしめて


愛してあげよう


すべては、そこから











敵と味方は同類

2015-05-17 22:56:37 | つぶやき



映画『寄生獣』を「ちゃんと」観ました。



                     


ミギーが可愛い過ぎ!人間的過ぎ!などなど、色々不満がおありな方々もあるでしょうが、私にはそんなことは大したことではないです。

まずなにより、映像センスの見事さには脱帽しました。

「PG-12指定」という縛りがあったこともあって、ゴアシーンの押しと引きのバランスが絶妙です。「切り株」やら「首チョンパ」……あっ、これ、【映画秘宝】という“それ”系の雑誌の読者ならよくわかる用語です……そういったシーンの見せるところは見せ、見せないところは見せない、その描き方が素晴らしい!

結果として、非常に上質なSFホラーになっています。

この間地上波で放送されたヴァージョンは、そのゴアシーンが丸ごと綺麗にカットされていましたので、あれでは映画の魅力の半分も伝わりません。興味が湧いた方は、レンタルが開始されておりますので、そちらで御覧になることをお薦めします。

その上で、面白いか面白くないかは、ご自分で判断なさって下さい。





染谷将太演じる主人公の少年は、ミギーと「同化」したことによって、どんどん強くなっていく。このあたりは永井豪のマンガ版「デビルマン」によく似ています。そして、その力を得て、少年は対寄生生物との戦いに挑んでいくわけです。

このように、敵の力を得ること、つまり、敵と「同類」と化すことによって戦うという構図。ここに悲哀感が加わると、石ノ森章太郎の一連のヒーローものに繋がるわけですね。

ヒーローといい、正義の味方といっても、それは結局、敵と「同類」なのです。

同類同士が戦い合い、殺し合う。

さて、これは

一体「何」の

寓話なのでしょうねえ。




マンガ版「デビルマン」のラスト近く、主人公・不動明がお世話になっていた藤村家の人々が、一般市民の手によって、残虐に殺されていきます。

不動明=デビルマンは叫びます。「お前たちが悪魔だ!」



デーモン族と戦うために、デーモン族と合体した不動明=デビルマンでしたが、そのデーモン=悪魔は、

他ならぬ人間の中にいた。


これは一体、「何」の寓話なのでしょう?



怖いですねえ。

哀しいですねえ。




面白い、ですねえ。


これぞ、エンタメの効用。



楽しみ、考え、

学びましょう。



                        

ザッツエンタテインメント!

2015-05-16 13:24:12 | つぶやき






Gene Kelly-Singin' In The Rain





「人生は映画だ」とはよく言われる例えです。

それこそ、使い古されたくらいによく使われた例えで、そんなに強く感心するほどのことでもない。

監督、脚本、主演、は自分自身。これもよく使われます。別にそれほど凄い例えでもなんでもない。

実際、その通りなんだから。



脚本を書く過程、あるいは監督する過程において、多くの参考資料を集めますね。

自分一人の経験など高が知れています。より良いもの、より深いものを作り上げるためには、やはりできるだけ多くの参考資料を集めた方がいい。

しかし一口に資料と言っても、ピンからキリまであります。しかもピンを知るためには、キリも知っておいた方が、よりしっかりした視点が持てるというもの。

まあ、実生活において、無理してキリなことを経験しなくてもいいですが、世の中には映画やらドラマやら小説やら、キリを教えてくれるものは一杯あります。それも「楽しみながら」知ることが出来るという点でお得。

そういうものを「知る」ことによって、自分自身の視点で、何がピンで何がキリかを見極めることが出来ます。

自分で見極めなきゃ、意味ないです。

どこかの誰かが、あれはピンだと言ったから選ぶ?

どこかの誰かが、バッハは神の音楽だと言ったから聴く?

どこかの誰かが、ヘヴィ・メタルは悪魔の音楽だと言ったから聴かない?

アホか!

んなもん、てめーで選べ!



世の中には、「グレーゾーン」ってものを教えてくれるエンタメがたくさんある。

いや、ほぼすべてのエンタメが、グレーゾーンの中にあると言って、過言ではないでしょう。

なぜなら、この3次元世界そのものが、壮大なるグレーゾーンだからです。

そのグレーゾーンの中で、どこまでがピンで、どこからがキリかを見極めるのは、自分自身。



人生は壮大なエンタテインメントです。1秒先は何が起こるかわからない。このスリル!このサスペンス!

この先に待っているものは何か!?ホラー?アクション?ラヴロマンス?

人生は極上のエンタテインメント、えっ?そんなに自分の人生は楽しくないって?

そりゃあなた、あなたが他人の人生、他人のエンタテインメントばかりを観て、羨んで、自分を見ようとしていないからですよ。

自分の人生をよおっく振り返って御覧なさいな。そこには、自分以外の誰も経験したことのない、極上のエンタテインメント空間が広がっていますよ。

エンタテインメントには、必ず「終わり」がきます。しかもこの、人生というエンタテインメントは、エンディングまでなにが起こるかわからない。ホント、サスペンスフルだあ!

できるだけ良いエンディングを迎えるためにも、資料はたくさん集めた方がいい。

ピンからキリまで、ね。




映画『愛と哀しみのボレロ』より


全ての人の人生にはドラマがある。

そしてドラマは必ず終わる。



でも、ドラマが終わった後も、主人公の人生は「続いて」行くんです。

本当に大事なのは、ドラマが終わった「後」なのでしょう。

そのためにも、できるだけ、良い、「面白い」ドラマを作らなきゃね。

震災とエンタメ ~Mr.BIGからももクロまで、そして…~

2015-05-13 13:45:48 | 雑感
  



今朝、先祖供養の2本目のお線香を立てた丁度その時、地震が発生しました。

かなり大きな地震でしたが、不思議と不安感はありませんでしたね。なんだろう?御先祖の皆さんも「ここに」いたからでしょうか。

なーんてね(笑)。

私のところは震度5弱でしたが、「そんなもんだろう」と、特に驚きもしない自分がいます。

震度5クラスなら、ある程度は平気になっちゃってる。良くない意味で「慣れて」しまったんですねえ。

いかんいかん。変に慣れてしまってはいかん。

ヘタに慣れると注意が怠りがちになります。それは遂には「忘れる」ことに繋がりかねない。

【天災は忘れたころにやってくる】

つまり、忘れなきゃやって来ないんです(笑)いや、ホント。



今、地球の大地は激動してます。世界中が揺れています。色々な意味でも。

今後も何が起こるか分からない。

防災の意識と備え。常に怠りなく、忘れないよう心掛けねば。

まずは自分に言い聞かせなきゃならないってのが、なんとも、情けないですなあ……。






Mr.Big-The World Is On The Way


東日本大震災後、多くの外国人アーティストが日本公演をキャンセルする中、Mr.Bigは震災からわずか一か月後に来日し、日本ツアーを敢行、震災の爪痕生々しい東北でもライヴを行いました。
被災地の方々のために作った曲を引っ提げて。







ももいろクローバーZ 「Z伝説~終わりなき革命~」


これを単なる自己紹介の曲だと思っている人は、なんにもわかっちゃいません。よく歌詞を聴いていただきたい。
「私たち泣いている人になにが出来るだろう?それは力いっぱい歌って踊る事
負けないよ!立ち上がれ!大丈夫!弱くない!絶対諦めない!We Are!
止まない雨なんかない
明けない夜なんかない
(歌詞より一部抜粋)」

2011年、震災後に発表された曲ということを考え合わせれば、この曲の意味がおのずとわかるはず。このことを理解していなかったモノノフがいたなら、己の不明を恥じなさい!
これはももクロ流の被災地応援ソング。ももクロ舐めんな!









ウルトラの奇跡 -自衛隊編ー

真のヒーロー。真のウルトラマン。自衛隊の皆さんへ、敬意と感謝を込めて。






色々なことを言う人がいます。非常時に、歌などいらない。エンターテインメントなど不要だと。

ですが、私はそうは思いません。

大切なのは、なにかをしたい、と思う「心」。

エンターテインメントに関わる方々は、エンターテインメントというかたちで、己のできることをすればいい。

自分にできることをしたい。そう思ってなされたことに、「不要」なものなどありません。









空より高く -IBC岩手放送よりー

震災後にIBC岩手放送ラジオより流された、この子供達の歌声に、被災者の方々はどれだけ癒されたことか。

こんな小さな子供達にも、できることはある。

できることをしましょう。あなたも、

私も。



その前に、まずは「備え」を忘れずに。

ももクロ、ロック・チューンBest5 ~ももクロにみる【反骨】~

2015-05-12 16:41:21 | ももクロ




                     
                      ももいろクローバーZ 「5th Demention」


なにを持って「ロック」というのか、を考えると、結構むずかしい。

不良で反抗的であればロックなのか?ギターのエッジが立っていればいいのか?

成る程確かにそれは、わかりやすい「ロック」というものの形だろう。

しかし、それだけが「ロック」なのだろうか?




ロックというものをもっとも端的に表す言葉があるとするなら、それは、「反逆」でもなく「不良」でもなく、ましてや「反体制」などではないと思う。

もっともふさわしい言葉、それは「反骨」。



自分がよって立つところのもの、自身の心の芯にあるものを貫かんとする意志。

それは必ずしも不良である必要はなく、ましてや反体制でなければならない必要など微塵も無いのです。










                   
                    PINK FROYD [Wish You Were Here]









では、ももクロにおける「ロック」とはなにか?

それは、真っ直ぐさであり、健気さであり、一生懸命さであり、

「みんなに笑顔を届けたい」という意志。

それこそが、ももクロの「ロック」。





アイドルファンというのは、「変わらないこと」をアイドルに求めたがるようです。

でも、人は変わるもの。人だけではない、この世の事象はすべて変化していくものです。だから、アイドルと呼ばれた少女たちも、いずれ必ず変わって行く。少なくとも、外面的な部分は変わっていくし、恋愛だってするんである、それでいいのだ。

アイドルである以前に、彼女たちは女性なのだから。

人間なのだから。



それでいいんだよ。








もしも変わらない部分があるとするなら、それは「心」。

「心」だけが、永遠に変わらず存在し続ける。



ももクロは、その「心」の部分を変えることなく、一所懸命、真っ直ぐに走り続けてきた。

これぞ、ももクロの「反骨」。

これぞ、ももクロの「ロック」。

私はそんなももクロが、好きだ。






……となると、ももクロの曲は全部ロックだ!ってことになっちゃうけど?

いやいや、その中でも特に、エッジの立った鋭い、トンガッた曲というのがあって、そうした一連の曲群の中から、Best5を選んでみようという趣向です。

もちろんこれは、私の個人的な趣味の領域ですので、皆様それぞれに異論反論おありでしょうが、そこはひとまず、置いといて。

では、第5位から。

********************

ももクロ、ロック・チューンBest5、


第5位★『Z』の誓い


早くも新曲がランク・イン。ヘヴィ・メタリックな展開から一気にポップなメロディへ、そして2番のサビから転調していくという流れは鳥肌もの。どストレートなポジティブ・メッセージも、ももクロらしい。



第4位★★サラバ、愛しき悲しみたちよ


2012年発表のこの曲。実は、私がももクロの曲ではじめて惹かれたのがこの曲だったんです。冒頭のエッジの鋭いリフに、それまでのアイドル曲にはなかったものを感じ、「おやっ?」と思いました。ももクロという存在にちょっとだけ興味をもつきっかけをつくってくれた曲です。
布袋寅泰が作曲しギターも弾いていたということは、随分後になってから知りました。成る程と思いましたね。




第3位★★★黒い週末

これはもう、冒頭のれにちゃんの咳でやられてしまいました(笑)まさかブラック・サバスのパロディをするアイドルがいるとは、ぶったまげましたね。曲の中盤では、あーりんがオジー・オズボーンのパロディを披露しているし、とんでもない曲です。
曲展開も、サバス風でありつつ、決して禍々しさには陥らず、絶妙のポップ・センスで曲を纏め上げている。
秀曲!




第2位★★★★Bionic Cherry

理屈抜きにひたすら楽しい曲。みんなが笑顔になれるロック・ナンバーです。
甘くみたでしょ~♪この歌詞を、ももクロを「甘く」みているすべての人達に捧げたい。





第1位★★★★★猛烈宇宙交響曲・第七楽章『無限の愛』

オペラティックでパワフルで、ヘヴィでメタリックで、カオスでありながらポップでキャッチ―。文句なし、ももクロロックの頂点ここにあり!
マーティ・フリードマンの弾き捲りギターに堂々と絡んでいく少女達の歌声に、至福の時を感じるのは私だけか?間違いなし、ももクロロック・チューン1位は、この曲以外有り得ないのです!


それでは聴いていただきましょう。ももいろクローバーZで

猛烈宇宙交響曲・第七楽章『無限の愛』

どうぞ!







御静聴、ありがとうございました!







                     

さんさ里唄

2015-05-09 13:16:02 | 岩手・東北





臼澤みさき 「さんさ里唄」



岩手の歌姫、臼澤みさきさんが、去年発表した曲です。

現在、盛岡の高校に通うみさきさんは、岩手県沿岸部の大槌町出身。小さなころから民謡を習い、各大会で優勝するほどの実力の持ち主でした。

東日本大震災後、被災地を慰問して廻り、その歌声と存在が玄能関係者の目に留まり歌手デビュー。民謡とポップスとが融合した独特の歌世界が魅力的です。


こういう子を見ていると、岩手もまだまだ捨てたものじゃない、東北はまだまだ大丈夫、そんな気になってくるから不思議です。

これはもう、理屈とか理論とかではありません、そう感じてしまうのだから、仕方がないんです。

未来に希望を感じさせる、そんな歌声だと思う。



さんさ踊りは盛岡のものだけれど、この歌の根底に流れているものは、この国全体に通底しているもののように思え、この古さと新しさの同居する、「臼澤みさき」という一つのジャンルに、「日本」を感じていただけたら、幸いかなと、

「日本のふるさと」岩手に住む者として、思う次第です。





臼澤みさき 「SHAINE north」





現代では、どんな田舎でも大概は道路がしっかり整備されて、普通に車で走るぶんにはほとんど不便を感じることはありません。

しかしほんの数十年前までは、おそらく、ほんのケモノ道程度の道しか通っていなかったであろう、と思われる、山の中の小さな集落に立ち並ぶ古い家並みなどを眺めておりますと、この土地を、何もない状態から伐り拓いた人達がいて、その最初の世代から数えきれないほどの世代に引き継がれ引き継がれ引き継がれて、今のようなかたちが出来上がっているのだなあ、と、何とも言えぬ感慨に耽ってしまいます。

こうした名も知らぬ先人達が、我々まで繋げてきた「命」というものを思う時、

そこにはただ、

感謝しか、ありません。

この感謝の想い、これこそ

郷土愛。これこそ

愛国心。



感謝あらばこそ、守りたい。

故郷を、この国を

守りたいよね。