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松平容保公御事績 その3 京都守護職拝命 -その前にー

2017-10-15 13:21:46 | 会津藩





時代を少し遡ります。





徳川幕府がいわゆる「鎖国令」なる法令を出したことは一度もないことは、以前記事にしましたね。国を鎖していたわけではなく、「付き合う」相手を選んでいただけであると。


しかしそうはいっても、世界情勢は刻刻と変わっていきます。西欧諸国がアジアに進出し始め、日本もうかうかしてはいられない。


さて、どうする!?






幕府は文政8年(1825)、「外国船打払令」を発令、日本に寄ってくる外国船を追い払う政策を立てますが、天保13(1842)年には遭難した船に限り、薪や水を与え、寄港を赦すこととする薪水給与令を発布し、これによっていわゆる「開国」への道が開かれていくことになります。


翌天保14年(1843)、阿部正弘が老中に就任。阿部は弘化2年(1845)に海岸防禦御用掛(海防掛)を設置し、外交と国防に当たらせます。その一方で昌平黌(東京大学の前身)の改革に取り組み、それまでは単に教養を得るためだけの場であった昌平黌を、国家運営に役立つ優秀な官僚を育てるための機関に改革し、小栗上野介や川路聖謨、岩瀬忠震など多くの人材を育て、登用していきます。


また、嘉永6年(1853)にペリーがアメリカ東インド艦隊を率いて浦賀に入港、アメリカ大統領フィルモアよりの親書を携え、日本との国交を望みます。ペリーは一年後に再びやってくることを告げて一旦引き上げていきます。


この事態に阿部は、、長崎に「海軍伝習所」を創設、オランダ軍人を教師に、幕臣や雄藩の藩士から選抜された人士に、蘭学やオランダ式の航海術を学ばせ、海防の充実に務めました。



ペリーへの返事をどうするか?この国難おいっていい事態に、阿部は外様大名を含む各大名や朝廷、市井にまで広く意見を求めますが、結局良い打開策が見つからず、嘉永7年(1854)再びやってきたペリーと日米和親条約を結ぶことになりました。


この日米和親条約自体は、要するに日本とアメリカと仲良くしましょうというだけの内容で、攘夷論者だった孝明天皇を納得させることは比較的容易だったようです。しかしこのように広く意見を求めたところから、島津斉彬や松平慶永、徳川斉昭など、これまで幕政に関与できなかった外様や親藩大名の発言力が強くなっていき、相対的に幕府の権威が弱くなっていったわけです。


この弱くなった幕府の権威を再び復活させようとしたのが、大老・井伊直弼だったわけですね。





ところで、阿部正弘の頃の将軍は、第12代徳川家慶、第13代徳川家定の治世でした。


13代家定は、大河ドラマ『篤姫』で、主人公篤姫の旦那になった方としても有名ですね。ドラマでは堺雅人氏が家定を演じており、本当は賢いのだけれど、そうではないフリをしているという設定でした。

フリをしていたかどうかはともかく、いわゆる「発達障害」のある方で、尚且つ病弱で子供を作ることができなかった。

そうなりますと当然その跡目をどうするのか、が問題となってきます。


通常なれば、家定に血縁の近い、紀州藩主の徳川慶福(後の徳川家茂)が次期将軍となるところですが、時局に対処できる人物が必要ということで、英邁の誉れが高かった、一橋家当主・一橋慶喜を押す声が上がり、慶福を推す「南紀派」と、慶喜を推す「一橋派」との争いが起きてきたのです。


南紀派は井伊直弼を筆頭とし、高松藩主・松平頼胤などの溜間詰め、つまり普段より幕政に関与していた大名が中枢を占め、大奥などの支持も篤かったようです。

一方の一橋派は、慶喜の実父である徳川斉昭や、福井藩主・松平慶永(春嶽)、島津斉彬など、普段幕政に関与できず、これを機会に幕政に参画しようと企ていた者達を中心にしていたようです。

ちなみに阿部正弘は幕政に関与していた側でしたが、やはり時局を鑑みてか、阿部自身は一橋派でした。


では容保公はどうか。容保公はご自身が溜間詰めでしたし、神君家康公以来の祖法を守ることが筋であるとの考えから、当然南紀派でした。



さて、阿部正弘が老中に在任したまま急死され、井伊直弼が大老に就任します。井伊は幕府の権限を再び強めようと断固たる政策をとり、大老の権限を使って半ば強引に徳川慶福を時期将軍に据え、一橋派を弾圧します。これにより徳川斉昭、松平慶永、一橋慶喜らは蟄居謹慎の処分を受け、徳川斉昭は永蟄居が解かれることのないまま亡くなってしまいます。



そうして、「桜田門外の変」と繋がっていくわけです。



こんなところで、今日はここまで。



続く。





このシリーズ、長いかも……(笑)

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2017-10-16 23:40:44
このシリーズとても楽しみにしております。
薫風亭様はお話が上手ですね。ハートは好奇心でいっぱい。御自ら楽しまれて、感動してる人の言葉は聴いてる方も楽しくなります。いつも有り難うございます。
Unknown (Unknown)
2017-10-17 00:18:52
あれ、何が言いたかったかといいますと、
薫風亭様が紹介して下さる映画やdrama、俳優さんの各々の魅力もさることながら、
薫風亭さんが徹底的に見る側を楽しませようと思っていらっしゃることも伝わってますよと、申し上げたかったのです。失礼しました。
Unknown (薫風亭奥大道)
2017-10-17 04:38:18
Unknownさん、ありがとうございます。

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