「おい、俗物」「へ、わたしのことで御座いますか」「他にはいるまい」「お前今、壁の穴から仏を覗いておったな」「へ。そうしておりました」「で、仏が見えたか」「へ。観音さまが」「嘘をつくな。観音さまがお前のような俗物に見えるものか。眩しくて眩しくてならないのだぞ。直視すれば目の網膜が破れてしまうぞ」「ではお聞きします。わたしが見たのは何だったので御座いましょう」「まがい物じゃ。ニセモノじゃ」「まがい物ニセモノを本物同然に見たわたしの目の、では、お手柄だったのですね」[見えない仏を見えるようにしてあるのは仏のお慈悲。お前の手柄ではない]「へへえ」俗物さぶろうが声の主に平伏した。「見たものを便として、頼りとして、歩を進めよというお慈悲じゃ」声の主は此処で消えた。午前3時半になっていた。眩しくて眩しくて見えない仏。それはたしかにそうであろうと思った。しかしそれではどうにも心許ない。近付こうとする気さえ起こらない。疎遠になって終わる。それでは導けない。俗物すら導けない。
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阿弥陀仏は、そこで、音となられた。音と音とで響き合いができるようになさって下さった。称名する。俗物さぶろうが念仏する。耳と口であれば眩しすぎると言うことがない。
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