<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

さ、眠りの国に行こう

2020年03月26日 22時25分29秒 | Weblog

さて、と、もう寝よう。

眠りの国に行こう。目蓋の内側にその国がある。

豊かな国に行こう。広大無辺の国に行こう。

眠りの国に行けば、そこでわたしは無条件でエネルギー補給を受ける。

そしてまた身心両用の元気を注入されて、明日の目覚めの国に戻って来る。

眠りの国は、だから、明日を恵んでくれるよろこびの国である。

さ、眠りの国に行こう。

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人間に生まれることは難中の難事であったが ラスト

2020年03月26日 22時18分55秒 | Weblog

誕生日の今夜はこんなことも考えた。不安の中で安心を得ようと努力した。でもこれはあくまで臍曲がり者の曲解である。

仏教は、「わたしのための仏の教え」であり、わたしがその「教え通りに仏になる」という教えである。

ダンマ(法)によって、わたしはそのようにあらしめられている。それを今夜は喜んでみたくなったのである。

わたしは人間に生まれた。これを因として、わたしは仏に生まれて行く。ダンマ(法)によって、難中の難を、みなクリアーして行くのだ。

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人間に生まれることは難中の難事であったが その7

2020年03月26日 22時17分13秒 | Weblog

わたしが人間に生まれたと言うことは、わたしが正法に出遭って、やがて必ず仏陀に成って行くということなのである。

それはすべて仏のはからいである。

その仏の道が約束されているのだから、安心をしてこの世を生死していいのである。

 

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人間に生まれることは難中の難事であったが その6

2020年03月26日 22時14分20秒 | Weblog

わたしはここに挙げられたすべての難事を通過している者である。ダンマ(法)によって、そのようにあらしめられたのである。

通過して通過して、この後やがて必ず仏陀に成る身である。

そのために仏がこの世に生まれられたからである。

生まれて、それを約束している仏陀がいるからである。

こうしてわたしが救済されることが仏陀の願いであったからである。

 

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人間に生まれることは難中の難事であったが その5

2020年03月26日 22時07分35秒 | Weblog

わたしは、目覚めた諸仏の導きにもっとも反する位置にいながら、逆らいながら、そのあらん限りの諸難をあらん限りにクリアーして、導かれ守られて仏界出現に近づこうとしている。

ダンマ(法)によって、そのようにあらしめられたのである。

 

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人間に生まれることは難中の難事であったが その4

2020年03月26日 22時05分26秒 | Weblog

わたしは、仏陀の説く正しい教えにもっとも遠くにいる者であったが、そのあらん限りの難題をあらん限りにクリアーして、今此処に仏陀の教えを聞いている。

ダンマ(法)によって、そのようにあらしめられたのである。

 

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人間に生まれることは難中の難事であったが その3

2020年03月26日 22時01分49秒 | Weblog

わたしは死すべき命の定めを背負いつつ、背負っているそのあらん限りの難条件をあらん限りにクリアーして、今日ただいまを生かされている。

ダンマ(法)によって、そのようにあらしめられたのである。

 

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人間に生まれることは難中の難事であったが その2

2020年03月26日 21時56分56秒 | Weblog

ここからはこの老人の一解釈である。臍の曲がった曲解である。

わたしは人間に生まれることがかなうような者ではなかったが、そこに横たわるあらん限りの難事をあらん限りにクリアーして、人間に生まれた。

ダンマ(法)によって、そのようにあらしめられたのである。

 

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人間に生まれることは難中の難事であったが その1

2020年03月26日 21時11分44秒 | Weblog

「人の生を受けること難く、死すべき者の寿命を保つこと難し。正法を聞くこと難く、目覚めた人たちの出現は難し」      仏典のダンマパダ(法句経)より

ダンマパダは釈迦牟尼世尊の説法語録である。

難しい難しいを列べながら、最後にはそれがくるりと転じて、叶って成立していくというこの世の真理(=法)を耳打ちされている。

 

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夜の闇に降る雨音を静かに聞いている

2020年03月26日 21時02分24秒 | Weblog

雨音が高い。障子戸の向こうに夜の闇がある。そこに雨が降っている。

障子戸のこちら側は、家の内なので明るい。此処には雨が降っていない。

家の中の明るさにいる者が、夜の闇に降る雨音を、静かに聞いている。

これが、逆であったら、わたしは雨に濡れているはずである。逆でないから、わたしは雨音を静かに聞いている。

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