<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

今夜も寝(やす)むときが来た 有り難い

2017年12月15日 20時52分33秒 | Weblog

今日も寝むときが来た。蒲団の中に忍び込む。横になる。足と手を伸ばす。くったりする。それが今夜はひどく有り難いことに思える。わたしにあり得ないことが、わたしに有り得たというような、嬉しさが込み上げる。

それを阻むものがあったかもしれないのに、それをそうさせず、平穏を保ち続けることが出来た。わたしに見えないところでさまざまな阻害のドラマがあったはずなのに、それをわたしには見せない。何にもなかったかのようにしている。

そして夜に繋げている。わたしがそこで寝むだけにしてくれている。

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雨が降り出すまで畑仕事

2017年12月15日 18時53分02秒 | Weblog

北の畑まで車で行く。農作業の道具一式を積んで行く。晩生の玉葱苗を植える。鶏糞をどさりと施肥した。玉葱苗は肥料を好むらしい。植え付ける前に、スコップで土を深々と掘り下げて土を柔らかくした。椅子に座った姿勢で。筋肉労働なので疲れた。それから日没まで密生していた高菜苗と中国菜ターサイを間引いて、広いところに移植した。よく働いた。雨が降り出して来た。切り上げて帰宅した。土遊びに過ぎないのだが、まあまあ自己満足をした。

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有明海二番摘み海苔を頂いた スープの中に浮かべて食べてみた

2017年12月15日 17時53分18秒 | Weblog

客人あり。本場白石名産の蓮根、有明海二番摘み海苔を頂いた。早速海苔をスープの中に浮かべて食べてみた。香りが鼻を刺激した。おいしかった。蓮根はまだ料理されていない。これは明日だ。有り難い有り難い有り難い。

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四六時中 不安の中で暮らしているようなものだ

2017年12月15日 10時21分12秒 | Weblog

四六時中、不安の中で生きているようなものだ。しきりに不安が行き来する。これからどうなるだろうかという不安。このままでいいのだろうかという不安。今すべきことをしていないのではないかという不安。死んだ後はどうなるだろうかという漠然たる不安。わが愛すべき死者たちは安らかにしているのだろうかという掴みきれない不安。わたしは現在此処でこうして生きているけれども、その生き方が肯定されているだろうかという不安。これらの不安が、望ましくない方に的中したらどうするだろうかという不安。

掻き消して掻き消して、そこからまた浮かび上がる不安。泡のようにわたしの胸の奥底で泡立つ不安。

お日様が照っている。そこへ来て日向ぼっこをして足を延ばす。片時、不安を和らげる。でもこれはあくまで片時。

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さあこれから何をして遊ぼうか

2017年12月15日 10時05分27秒 | Weblog

さあて、これから何をして遊ぼう。このさぶろう老人のすることは、遊びの領域に留まっている。そこを出ることはない。実用性からは遠い。社会貢献には結びつかない。人様のお役に立つことではない。お金儲けにもならない。生活費を稼ぐなどということにはならない。唯単にぶらりぶらり。無目的のふらりふらりだ。なるだけ出費を抑えて、慎むべきは慎んで、その簡素の中で楽しもうと心掛ける。こんな暮らしぶりで許してもらっている。なんだか申し訳なくも思う。

今日は晴れている。風もない。寒さも幾分か遠退いているようだ。たぶん畑に出て行くことになるだろう。ひとりぶらりと。しゃがみこんでこそこそ土いじりをして。オレは誰からも待たれているわけではないからなあ。

でもほんとうは、勉強をすべきだ。そうも思う。生きている間に勉強をしておくべきだ。なんでもいいから、勉強を積んでおくべきだ。それが正しいだろうと思う。だからこの老人のさぶろうは、そこを回避しているに過ぎない。核心からズレて泳いでいる回遊魚のようなものだ。

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冬の乾燥性湿疹に塗り薬を塗る

2017年12月15日 10時00分00秒 | Weblog

痒い痒い。冬は肌が乾燥する。湿疹状態になる。掻く。掻きまくる。赤くなる。いよいよもって痒くなる。ゴシゴシする。自然と指が痒いところへ来て掻いている。そういう連続だ。炬燵の中に足を差し延べているのもその一因かも知れない。ついには痛くなる。怺えきれなくなって昨夜は風呂上がりに、家内が皮膚科からもらってきた痒み止めの軟膏を分けてもらって患部に塗った。効き目はあった。痒みはやわらいでいる。やれやれだ。

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楽しい気分に浸っているのは楽しい

2017年12月15日 09時49分40秒 | Weblog

ああ、楽しい楽しい。これを自分に言い聞かせる。するとやおら楽しくなってくる。自己暗示法だろうか。自己暗示だろうが何だろうが、いいじゃないか。楽しくなれたらそれでいいじゃないか。楽しさはもともと気分の有り様なんだから。これでなくてはならないということはない。楽しさという固定した特有の物体がそこにあるのではない。あるものを楽しくすればそれで楽しい気分になれるのだ。ああ、楽しい楽しい。老いるということは楽しい。畑に出て農作業をしているというのは楽しい。誰に邪魔されるということもなく、ふらり一人でいることは楽しい。楽しい気分に浸っているのは楽しい。

 

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捨ててしまうのは勿体ない こればかり

2017年12月15日 09時41分46秒 | Weblog

プランターで種を蒔いて育ってきた高菜苗を数十株、畑に移植してきた。楽しい楽しいを連発した。これでいよいよ楽しくなった。言葉は自分を誘い込む誘い込み漁の網になる。高菜苗は移植に強い。滅多に枯れることはない。少々萎れたようにしていてもやおら立ち上がって育つ。さあて、しかし、育ち上がるにはおそらく数ヶ月はかかるだろう。気長に待とう。食べるのが待ち遠しいのではない。育ってくるそこの経過観察が楽しいのだ。育ってのはほぼ人様に差し上げる。差し上げられなかったらそれで枯らしてしまう。勿体ない。そう、勿体ないのだ、幼いうちにあちらへこちらへ移植をするのもそのためなのだ。いのちのまたけき姿を見ているのが好きなのだ。

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お正月の凧作りに挑戦してみるのもいいなあ

2017年12月15日 07時37分43秒 | Weblog

凧を作ってみようかな。お正月に凧揚げをして遊んでみようかな。凧揚げはこどもたちだけのものではあるまい。竹籤を薄く薄く削いで6本組み合わせて作る。そこに障子紙を糊を溶かして貼り付ける。どれ位の大きさがいいか。小さくてもいいだろう。凧の絵をなんにすればいいか。正月らしいものがいいな。何処へ行って飛ばそう。電線がないところ。麦畑だ。長い長い糸がほしい。風に切られないほどに強い糸が。そんな糸が、しかし、今どき手に入るだろうか。幾つかの難関を乗り越えて、初春の空に凧を揚げてみよう。何十年ぶりだから、凧作りの記憶が蘇るだろうか。思い通りに行き着けなくて途中放棄して、べそを掻いてしまうかもしれない。

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