フランスのカリスマ的スターで世界的ヒット曲「マイ・ウェイ」を作ったミュージシャン、クロード・フランソワの波乱に満ちた生涯を映画化。歌やダンスで魅了し、世界初のファンクラブを作るなどスターとしての華やかな一面と、父との確執やライバルへの嫉妬、派手な私生活といった実像も描き出す。主演は、『夏時間の庭』『少年と自転車』のジェレミー・レニエ。『スズメバチ』のフローラン・エミリオ・シリが監督を務める。1960年代から1970年代のファッションや文化の再現、スーパースターの苦悩など、繊細に作り込まれた美術や人物像が見どころ。(シネマトゥデイより)
本編だけで149分の長丁場。でも、見応えのある映画に仕上がってました。主演のジェレミー・レニエが素晴らしかった!彼を初めて見たのは「イゴールの約束」。まだteenagerでした。で、その後は期待に違わず美青年に成長していたと思います。
でも、ここのところはその時期も過ぎ、「少年と自転車」ではくたびれた父親を演じていて、「へぇ~」と思ったものでした。これからはおじさん役にまっしぐらかな・・・と少し落胆していたところにこの映画。17歳から39歳までのクロード・フランソワを演じるため、外見だけでなく、歌やダンスもかなり練習してあると思います。本当に素晴らしかった!
お恥ずかしい話ですが、私「マイウェイ」はフランク・シナトラの歌だと思ってました。でも、この名曲はもともとフランスの歌だったのですね。それも、シナトラのように「素晴らしい人生だった」という内容ではなく、「comme d'habitude(いつものように)」と言って、「いつものように朝がやって来る。でも、君はいない」と言った感じの、男女のすれ違いの恋愛を歌ったものだったのです。なんだか優しい歌詞で、私はこちらの方が好きかな、と思いました。
クロードは元々、スエズ運河を仕切る裕福な家庭に生まれました。しかし、政変が起き、運河が国有化されるにあたり、支配してきたフランス人たちはそこを追い出されることになります。
これは時代の流れですね。誰か個人のせいではなく、第三国に対する西欧諸国の理不尽な支配というのは、いつか憂き目を見るものです。
で、たちまち貧乏な生活となるフランソワ一家。でも厳格な父は、エンターテイメントの世界で成功してゆく息子を許すことができず、「我が家に道化はいらない」と言って、死ぬまで口を利かずに逝ってしまいました。これはつらかったと思います。ちょっとホアキン演じるジョニー・キャッシュを想起しました。
そして、クロード本人は、女性遍歴こそいろいろ重ねてしまいますが、酒も薬もやらず、基本真面目にお金を貯めて、仕事も正確にこなす、自己プロデュース力に優れた人物でありました。もちろん、歌やダンスといった才能は言うに及ばず、フランスで初めて黒人と白人の混成ダンスチーム(女性)を連れてステージをこなす、という時代を先取りするパフォーマンスも成功を収め、ますます人気者になってゆきます。
しかし、早くに夫を失った母は、その寂しさから、息子の成功に呼応するようにギャンブルにハマってゆき(元々は陽気なイタリア人女性なのに)、クロードは心を痛めることになります。
また、クロードは「the voice」とまで呼ばれていた大歌手、フランク・シナトラに強い憧れを抱いており、最初の頃は「シナトラの真似をしてもだめだ。おまえは全然違う」などと言われたりもします。後に、彼がクロードの歌を「マイウェイ」としてコピーしたときも、「シナトラが僕の歌を歌っているよ、父さん・・・」と、亡き父と会話する場面があります。その時の父は微笑んでいました。彼の中で、父と和解した瞬間だと捕えていいんでしょうね。
しかし実際は、シナトラはクロードのことは全然知らなかったと言われています。また、ポール・アンカが彼向きに作りなおした歌詞も、実は好きではなかったとも言われていますね。
ともかく、今なら著作権やらなんやら、ややこしいであろうことが、強い憧れの元に掻き消され、一度だけ某ホテルのロビーでシナトラを見かけたクロードも、ただ見つめていただけで何も言えずじまいだったのでした。後でマネージャーに「あれは僕の歌だ、ってなんで言わなかったんだ」などと言われてました。
マネージャー役のブノワ・マジメルが男前を封印して、いい味を出してました。うまいもんですねぇ、感心しました。
クロードには男の子が二人いたのですが、最初の子を公にしてしまったことを悔やみ、二人目を徹底的に隠すなど、少し常人には理解しがたい神経質さもあったようです。もちろん凡人ではないですから、少々エキセントリックなところは仕方がないのかもしれません。
そんなクロード、ロンドンのアルバートホールで同歌を英語で熱唱するシーンがあります。これがまたうまい!多少の合成はあるにせよ、ジェレミーのうまかったこと。本気で感動します。
そしてこのステージが成功を収め、これから英語圏へ打って出るぞ、アメリカへ行くぞ、という矢先に亡くなってしまうのです。まさかのお風呂での感電死。えぇっ!って感じでした。享年39歳。
彼がこのままアメリカに進出してたら・・・音楽の歴史は変わったかもしれません。でも、「神々に愛されし者は短命に終わる」のです。惜しいことですが、真実かもしれません。
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