のら猫の三文小説

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新しい子猫たち No.1362

2017-12-31 00:25:38 | 新しい子猫たち 

あの オッサンは ほとんど 日本の敷地内にいた。敷地内の魔法の効果を知っていた。子供はすくすくと育ち、奥さんも敷地内を気に入っていた、オッサンは時々アメリカに視察、監督のために行くが、それすら減ってきた、幹部を日本に呼び寄せれば、それで済んだ


 


幹部はこのオッサンが基本的には ゼニの亡者と知っていた。あのオッサンは調査機関とも手を結び、どうでもいい事までの細かい事も知っている。ただのオッサンではない事は百も承知していた。ただ子供が出来てからは、みんなの役に立つ とのキーワードがあれば多少の事は大目に見てくれるという事も判ってきた。


 


昔はゼニが儲けないと追及は厳しかったが、みんなの為になってますと云う事があれば厳しい追及はなかった。幹部としても、みんなの役に立たないと、単なるゼニ儲けでは、儲けが目標を下回ると大変と判ってきた


 


あのオッサンは付き合うには気が難しいオッサンで、会計関連書類は、不信に思うと専門家を呼んで調べさせる。いつも顔を見ていると、コッチが参る、指摘は鋭いが、年に何回なら まだ我慢も出来る とかで あのオッサンが日本にいるのは歓迎するという空気もあった


 


あのオッサンは全体を見る、頑張れば報酬も上げてくれる、全体の運営力は流石と云うしかない。それにあのオッサンは金儲けていれば多少の事は大目に見てくれる、優秀な若手、ベテランも会社に入れてくれる、どこで調べるか判らないと、優秀な人材は会社に入ってくる。カヨコファイナンシャルは高給グループなので、自薦他薦で入りたい人は多いのだ


 


あのオッサンが日本の敷地内にいる事について、反対するような人はいず、むしろ歓迎しているのがカヨコファイナンシャル内部の共通した認識だった。元々任せてくれるが、オッサンが日本にいれば、細かい事は報告しなくてもいい、あのオッサンは細かい事を追求するようなオッサンではなかった。


新しい子猫たち No.1361

2017-12-30 00:23:00 | 新しい子猫たち 

アメリカのカヨコファイナンシャルは、加代子の天才的な運用で出来たのではあったが、アメリカの会社の責任者が 運営に参加するようになって、複雑化していた。


 


加代子がごっそりと 神三郎の病院を建てるといって 資金を日本に移動させて、資金に困った事があって、不動産部は直ぐに換金できやすい不動産が安くなる時を待って、安値で買い叩き、高値で売り飛ばす事を続けていた。ただ加代子はもう日本に資金を移動させる事はせずに、不動産部も方針を変えて、新しく町を作る、総合的なデぺロッパーとして側面が出てきた、カヨコファイナンシャルの不動産部が基礎から作くりだした都市も出来ていた。それはジブの不動産部の足跡を追っているかのようであった


 


加代子たちの運用がごっそりと儲け、そして不動産部が町を作り、エンゼルホープ病院が医療を担当している場所、病院のある地域からそれは始まった。治部ホテル系列がホテルを作り、やがて販売店、商店街などの商業施設は治部ビルのアメリカ法人と組み、商売はチャタロウのアメリカ法人とも組みだしていた。ジブアメリカが株式を持っていた会社とも組み始め、神帥傘下の会社とも協力関係も出来ていた。商売は広がっていた


 


ナンダカンダとゼニ儲けのネタを あのオッサンは探し出していた。カヨコファイナンシャルはもはや運用だけの会社では、とっくになくなっていた。


新しい子猫たち No.1360

2017-12-29 00:21:03 | 新しい子猫たち 

エンゼルホープ病院が寄付で成り立つ要因は、東京本院と九州とは異なった。東京本院は、ジブシティーに近い事もあって、ジブシティーに高所得層が増えた事と 厚労省との話し合いで一旦患者側に医療費を示す事になった事が大きな要因になった。高所得層にとって、実際の医療費の倍程度を寄付するのが当たり前になった。見栄を張りたい人の中にはそれ以上の寄付をする人もいた。救急搬送された人たちは、そうではなかったが、その時は この病院直属の法人からの寄付で充当できた、カヨコファイナンシャルの執行部はこの緊急病棟をそんなに重くみなかった理由はそこにあったが、神三郎は元々緊急病棟の出身でもあって、この病院の医学的水準を維持していけた理由の一つでもあった。


 


この病院は、敷地内の治部一族からの寄付で成り立っていたのでは実はなかった。治部一族は敷地内のジブ直営の診療所を経由する事が多く、実はこの病院に直接行く事は稀だった。この診療所は維持運営費としてかなりの金額をエンゼルホープ病院に渡すが、寄付としては渡すのは稀だったのは多くの人は知らない。加代子が自分で支える事が出来る間は、他の治部一族の支援を受ける事には心良く思わなかった。神太郎はそれを知っていたし、長老たちもそれを知っていた。まさかの時は支援するとは言ったが、世界でも香奈、神之助と並ぶ資産家の加代子がついているのでそんな事はないだろうとも思っていた


 


世界の高所得層もちょっとでも重い病気の時はこの病院を使用し、多額の寄付をしていた。世界最高水準の病院があるのにそれを使わない方法はなかった。ゼニは大事でも命はもっと大事。


 


一方 九州病院は、独自の方針を、マチコジブ記念病院からの病院長が示した。アジア、中東の高所得層の ホームドクター化する事で。九州病院のみならず、マチコジブ記念病院の安定化が図れるのだった。寄付で診療が成り立つのは、九州病院では加代子教の存在があって、ほぼ自動的に医療費は入ってくるのだった。難しい病気とか外科は東京本院に任せる事も出来た。


 


偶然と置かれている環境を駆使しているのだった。それに実際的に遺伝子治療も出来るのが、エンゼルホープ病院の強みでもあった。遺伝子治療は世界に向けてサービス化しているものの、実際的な活用はこのエンゼルホープ病院が先んじていた。臨床例も多いのだ。


 


一方 アメリカのエンゼルホープ病院は 救貧対策としての側面が根強く、医療水準を上げて、所得階層が高い人たちも利用して、少しづつ寄付は増えていたものの、医師や医療スタッフの報酬も上げて維持費用も上がり、とても寄付だけではまかないきれない。依然として カヨコファイナンシャルからの寄付で成り立っている側面が残っていた。


 


それは多くの人が実は知っていて、カヨコファイナンシャルとしての評価は高かった。アメリカの医療を底辺で支えているとも言われていた、これは加代子の所までいかず、あのオッサンの決済で寄付を続けていた。念のため病院直属の寄付の受け入れ法人には数年間の経費分の蓄えはあったが、単年度の不足分以上の寄付を、カヨコファイナンシャルは続けていた。利益比例だから実際は遥かに多い時の方が圧倒的に多いのだった。


 


あのオッサンはそれは知っていたが、カマワン、ゼニ儲けでこんな事をするかと言っていて、それも実は知られていた。


 


日本とアメリカでエンゼルホープ病院はあったが、成立基盤は異なっていたのだった。もっともそれ程アメリカのカヨコファイナンシャルは儲けてはいた。


 


 


 


新しい子猫たち No.1359

2017-12-28 00:18:18 | 新しい子猫たち 

このオッサン は 日本のカヨコファイナンシャルを実質的に統括するようになって、役員連中も少し変わった。ゼニ儲け優先は カヨコファナンシャルでも基本姿勢ではあるが ナンダカンダと考えていった。費用として ゼニとしては少額でも多くの人が助かる事もあって、それを探すと、このオッサンは喜ぶ。そういう姿勢が大切なんだと言う。


 


ゼニ儲けには依然として厳しい事には変わりにはないが、役員連中が変わると下も変わってきて、結局 カヨコファイナンシャルは変わった


 


このオッサンが実質的に指示していた アメリカのカヨコファナンシャルの日本支社みたいな会社は 日本のカヨコファイナンシャルに実質的に組み込まれて、ここはここなりに儲けていた


 


このオッサンは 洋太郎と親しい。治部一族の最長老とも洋太郎は言えた。洋太郎の紹介で事業はナンダカンダと拡大していった


 


しかも このオッサンが実質的に日本のカヨコファイナンシャルを統括するようになって、役員連中の報酬は上げた。自分でチョロまかす事がないとしたら、報酬をあげてやろうと このオッサンは思い、加代子もそれはそうだねと言った。このオッサンも加代子もいわば世界の最高報酬に近いのだ。今の報酬は加代子もこのオッサンも取るに足らない金額に見えた。


 


カヨコファイナンシャルはアメリカも日本も報酬はずっと高い、しかも利益も高い、寄付は利益に比例して行うのは昔から一緒、寄付も高レベル。企業グループとしての評価も高くなっていた。


 


日本のカヨコファイナンシャルは元来 エンゼルホープ病院を維持管理運営するための法人の筈だったが、別の社会福祉法人、病院関係の寄付の受け入れ法人を作り、その法人だけでも十分に運営していけるようになっていた。


 


 


 


 


新しい子猫たち No.1358

2017-12-27 00:15:56 | 新しい子猫たち 

カヨコファイナンシャルの役員連中は唖然としていた。あのオッサンは ゼニの亡者として知られていた筈だった。この回のタックスヘイブンでの医療援助は むしろこのオッサンが進めた。アメリカのエンゼルホープ病院も協力していった。むしろ日本のエンゼルホープ病院はアメリカ勢の勢いに負けて協力したと言っても過言ではなかった。


 


アメリカのエンゼルホープ病院の連中は救貧対策の意識も強い、日本のエンゼルホープ病院は世界最高水準の医療である事に誇りを持っているが、医は仁術の一面もあると、日本のエンゼルホープ病院の幹部は思い知った。医療水準が高いと自惚れている場合ではないと、幹部会で報告して、神三郎もそれも大切だ。我々も得るものがあったねと言った程だった・


 


ただ このオッサンはやはり ゼニの亡者でもあると思い知った。ナンダカンダとゼニの種を見つけていった。資源の噂でもあれば 香奈オフィスと瑠璃興業にも協力を求め、商業施設の話になると治部ビルにも協力を求め、衣料の話になると洋太郎にも話をした


 


支援は支援、ゼニはゼニ 


 


ただ このオッサンはアメリカの自宅を色々な人の仮の住居としていた。使用人の首を切るのではなく、始めはカヨコファイナンシャルの奴らの仮の住居としたが、アメリカのカヨコファイナンシャルは高給企業、やがては出て言って、どこかのマンションの最上階の部屋を買うのが普通。空きができると一般の人とか近くのエンゼルホープ病院に入院した家族の為にも開放していき、今回のタックスヘイブンで入院した人たちの家族にも開放していた。ここに住んでいたカヨコファイナンシャルの奴らは、おミアゲをもって世話をしてくれた使用人の人たちを訪問する事がある。カヨコファイナンシャルの奴らは今住んでいる人たちにも提供する事を知っていて、ナンダカンダとお菓子だったりを数多く持っていく、ゼニ儲け優先のカヨコファイナンシャルの社員と言っても、それが一応 住まわせてもらったお礼の形なのだった。このオッサンが 住まわせてもらったお礼を考えるとそうしろと言っていた。


 


このオッサンは慈善家なのか、それとも依然としてゼニの亡者かは判らないのだった。アメリカのカヨコファイナンシャルはゼニ儲け優先ではあるが、このオッサンのこういう姿勢が各部門、特に若い奴らには伝わっていた。ゼニ儲け優先の企業ではあるが 自分の出来る事はしようとする姿勢が社員に出来ていた。