おやっさん は 神三郎 との話の中で得るものがあった。ドッチが上とかを意識しているのはそもそもオカシイ、死ぬような歳になって、そんな事を意識せずに 後輩たちを育てていこう、そして後輩たちも新しい才能を育てられる工房にしていこう、そのための作陶の開始なのだと悟っていた
神三郎 に ワシは名医 という驕りは おやっさん には感じられなかった。勿論 外科医としての手腕には自信を持っているのはよく判ったが、それよりも院長としての自覚に おやっさんは感心していた
ワシも考えてみれば、若い腕自慢の陶工のような 度量の狭い姿勢ではそもそもいけない、ワシも会長なのだ、経営実務はほとんど社長に任せていた。ワシは社内の技術レベルを上げるようにしていけばいいのだ。
神三郎への感謝の気持ちで作陶を開始するのではあるが、気持ちは微妙に変わってきていた