のら猫の三文小説

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新しい子猫たち No.2260

2022-07-21 00:34:57 | 新しい子猫たち 
化学と紡績はそんなに対抗している会社グループではなく 世間では紡績化学グループと言われている。事実 化学の筆頭株主は紡績。純子の晩年 化学の本社にいる事が多かった。化学は 純子の本家はむしろ自分達と云う思い入れがあったに過ぎない。そして洋太郎は弟の洋治が実質的に采配を振るっていた 化学に対しては何も言わなった。

対抗心が強いのは 化学の役員クラスであって 化学グループと紡績グループは末端になればなるほど 協力関係が強く、 両社の合弁企業と云うか両グループが主要株主の会社はそれこそ 山のようにあった

化学の昔からの主要特許は大体 紡績の中央研究所が特許として持っている。安い使用料で化学に貸している。洋太郎の父がそうした 若い会社に技術開発の費用を持たせると負担になると考えた

そして化学は大きくなり自前の研究所も作ったが むしろ新しい分野のバイオに集中していた。
バイオでの化学の中央研究所は有名だが、化学関係の世界最先端の研究所は紡績の中央研究所と云われ、ここに投資する必要はないからだった

紡績グループは大きな 化学分野のグループなので 昔風の紡績しているだけの会社ではなく、逆に化学グループはむしろバイオに近い分野が多い

世界では逆に化学紡績グループと 見ている人が圧倒的。単一の会社とすれば化学は大きく、上場企業でもある。紡績単体でみれば非上場の同族会社に過ぎないのだ。

要するに 末端のグループ各社にとっては 化学のする事に見習うのが普通となる。紡績本体は当然別だし 紡績の意向に留意する紡績グループの中核会社は別ではあるが ところが紡績グループは今ではそうした中核会社を除いた 会社群がはっきりと言って数も多くて トータルの売上も多いと云う側面もあった。それに影響力の強い洋太郎御大はこの時期 会社の今後について考えていて 流石に将棋どころではなかったし、会議ビルの将棋囲碁サロンには行った事すらなかった。


新しい子猫たち No.2259

2022-07-21 00:29:32 | 新しい子猫たち 
将棋の好きな洋太郎だったが あの子は土日程度しか将棋道場にはいかず それも時々だった。洋太郎の行く頻度は減っていた。洋太郎はそれ所ではなかった。治部一族は 純子が多くの会社の創立に関与していたが これらの上場企業の役員をしている人は案外少ない。鉄鋼は関係する鉄鋼メーカーと合弁してその関係者はいるが それは稀だった。

ところが 紡績は昔からの洋太郎の家系が代々トップを務めている。ただ洋太郎の孫の清太郎 以降の 見通しが立たない。清太郎は業界でも有名な理論家だったが その息子になるとチョイ 落ちた。大きくなった紡績グループをリードしていける器ではなかった。洋太郎は清太郎に指導するように言ったが 指導すればそれで上手くいくとは限らない。

香奈オフィスも似たようなものだったが 香奈オフィスは上場企業の資源開発に表面的な営業を任している。香奈の息子の徹彦の家系が役員でいるものの、ここは普通の会社。香奈オフィスは資源開発の株式を持ち 香奈ファイナンシャルも多く 株式を持っていた。香奈オフィスは多士済々の資源のエキスパートを揃え 香奈の家系の資産管理会社でもあるし 資源開発に対する 資源の提供と云う 形を取っていた

つまり 紡績スタイルの会社は今や 治部一族では稀になっていた。洋太郎の今後の紡績の あり方について 考えないといけないのだ。それこれ将棋どころではなかった

一方 化学の会長 は 実務は ほとんど社長以下の経営陣に任せていた。それに治部一族には近いが治部一族ではない。息子は全く違う会社に行って そしてもう退任していて孫も全く化学とは無関係の会社に行っていた。会長は 洋治に見込まれて 社長となり今は化学グループの総括もしているが それも会長としての対応。化学には もはや治部一族出身の役員はいない。洋治の子供は娘で有希ファイナンシャルでブランド品のコントロールをしいて、それは洋治と云うか有希の個人会社とも云えた。その方が大体 気楽、ここは有希が作った会社でもあって、代々の治部一族の経緯ドーダは関係なかった。

化学の会長は ヒマな時には 気楽に囲碁も出来たのだ。

紡績自体を資産管理会社の形にして 実務をそれぞれの実務関係の会社群に移行させていくか それとも今のままで行けるか 洋太郎と息子の二郎 そして 現社長の孫の清太郎が 協議している最中なのだった。そして清太郎の息子の成長度合いも関係していた。ただ今までのような紡績では もはや無理だろうと みんな思っていた。

新しい子猫たち No.2258

2022-07-20 00:25:48 | 新しい子猫たち 
ジブシティーの囲碁サロンのジイサン バアサン達は この新しい囲碁将棋サロンには比較的よく行った

あの天才少女もそんなに毎日ジブシティーの囲碁サロンには来ない。どんな所かな で行ったのだ。将棋の人たちは行くのではなくて、若い棋士とか奨励会員たちに来てもらう事にしたのとは違っていた。

この人たちの移動で 駅前の会議ビルの この新しい囲碁将棋サロンはがらっと変わった。椅子席だったが ジブシティーの将棋道場も囲碁サロンも 腰に優しい 高価な機能性のある椅子にしていた。けち臭い事をするな ワシらが金を出してもいいから椅子を変えろ と強引にいい、ついに椅子も替えさせた。ドリンクの種類も途端に豪華なものに変わった。おつまみと云うかお菓子 ケーキもあるようになった。ただ 流石に若い人たちの多い このサロンではジブシティーのサロンとは違い、アルコール類を提供しろとは言わない、強引だが一応考えてはいた。

囲碁サロンのジイサンバアサン達は ソフトな言い方をするが 結局は強引なのだ。ナンダカンダと囲碁サロンの人たちで作った運用会社からの強引な提案に負けたと云うのが正しい。ゼニは強くものを言ったのだ。

新しい子猫たち No.2257

2022-07-19 00:22:57 | 新しい子猫たち 
ジブシティーには 将棋道場 と 囲碁サロンとがあった。 まあ結局はどちらも高級サロン風のジブシティー内の自治組織の一つである

将棋道場の人たちの動きは 囲碁サロンの人たちも判った。化学の会長は 囲碁のアマ高段者にして囲碁界のパトロンの一人、 このジイサンが動いて、囲碁グループの人たちで 実質的には運用会社なんだが 囲碁界のアシストが出来る組織を作った。ただ囲碁棋士は巻き込まなかった。あの将棋の強い子の身内に囲碁の天才少女がいて 中国棋院の特別棋士にもなっていて 世界戦優勝経験があって ナント10代にして9段の子がいて、この子は巻き込んだが この身内のジイサンバアサン目当てとも云えた

将棋によく似た組織になったが 囲碁サロンは将棋とは ちょい違い ホンワカとしたムードがあったし 囲碁の天才少女もホンワカとした女の子、既に大学も卒業していたが 特に日本棋院の棋士にもなりたいとも思わず、日本棋院も動かなかった。中国棋院の特別棋士は すべての手合いを打つ事を義務づけられず 棋戦のスポンサー 主催との合意で棋戦に出る事が出来る制度、あの子もほとんど日本に居て、必要な時だけ中国に行くのだ。それにあの子は強い、当時 若く強い 女の子に負けるのを好まなかったとも云える。反対に中国の棋士とか韓国の棋士は時たま あの子と碁の話と云うか 碁を打ちに日本に来日していた

注意 
ここで特定の組織の名前を出してますが 他の組織の名前では意味がなくなるので使っているだけ。この小説そのものは のら猫の戯言 思い付き で書いてます。特定の組織についてナニかを意味するものでもないのは明白です。

新しい子猫たち No.2256

2022-07-18 00:19:01 | 新しい子猫たち 
二人のジイサン達と棋士が作った会社 実質運用会社なんだったが 将棋関係のイベントとか ジブシティーの将棋道場の顧客 つまりジイサンバアサンの将棋指導と云うか話し相手に 若い棋士とか棋士の卵の奨励会員を紹介する 部門も当然出来た。そして意外な事に 二人のジイサン達が大きくした会社から 頭キレキレの社員たちが派遣されてきて 管理室みたいなものが出来て ここが近接の中小企業への投資 経営指導なんかをするようになった。あの将棋の強い子のAIに基づく運用は当然していた。ただAI運用の場合は 年間利益は顧客に渡す、それを投資資金に更に充当する事は原則しない。神之助系統の証券会社の鉄則 神之助自身の鉄則といってもいい。この利益がほぼ運用金額に匹敵していた。

二人のジイサン達は この会社の利益の2割は配当に回す事を決めていた。配当を出すまでに、ある程度経過していたので 配当金額は多い。初めの経緯から あの棋士が筆頭株主になっていて 配当は当然一番多いのだった

ゼニの部分はさておいて 敷地内の将棋道場に来ていたジイサンバアサン達もヒマなので この管理室の頼みに応じて 自分の知っている分野でのアドバイスなんかするようになった。元々 ジブトラストと治部一族に近い人たちが当初のジブシティーには多く、後継者に任せて 楽隠居の積りでジブシティーに越してきた。体元気で頭は冴える しかし ジブシティーの 呪い と云うか この地域から離れると 魔法の効果は無くなるので旅行といっても 一泊二日程度しか出来ない。一週間程度旅行してヨレヨレになって帰ってきた人がいて、元に戻るのに1年以上かかった。それを見ていた人たちは簡単にはココから離れられない。する事もない。飯はこうしたクラブに行けば食える。そして配達サービスもある。家の掃除等とかはニコニコサービスがやってくれる。買物も同じ。する事がない。要するにヒマなのだった。

二人の息子たちが 管理室に社員を派遣した狙いはこうした人たちの蓄積したビジネス経験を聞いて自分のものにしろと云うものだった。あのジイサンたちが仲が悪いのに息子を後継者に指名せざるを得ないのは 息子たちは若い時の自分に似て、いやもっと人使いは巧いのだった。親子喧嘩もゼニ勘定になると別になるのは 皮肉な事に親子共通だった。まあこれが治部一族に共通していた事でもあった。