僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

アルゼンチンからこんにちは

2012年03月24日 | 日常のいろいろなこと

   

  
     アルゼンチンからやって来たソルちゃんと仲良くなったモミィ。

 

2009年の9月に、妻と、妻の姉との3人で、アルゼンチンへ旅行したことがある。
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに住む、妻の姉の次男に会いに行くためだ。

次男はヒロユキと言って1969年生まれ。
僕にとっては、義姉の子だから、いちおう甥ということになる。

若い頃から「スペイン料理人」だったヒロユキは、
1995年25歳の元旦に、本場スペインへ料理の武者修行に出た。
2年後、アルゼンチンへ移り、ブエノスアイレス郊外のレストランで働き始めた。

そのレストランは、以前にも紹介したことがあるが、こういうところだ。

             ↓

http://www.rosanegraargentina.com.ar/#

この真ん中をクリックするとレストランの写真が出てくる。
画面下のCHAF(シェフ)をクリックしたら一人の日本人が出てくる。
それが、甥のヒロユキである。

2009年に、僕たちがアルゼンチンへヒロユキに会いに行くまで、
彼は一度兄の結婚式に出るため帰国したが、またすぐに戻った。
そして、その後13年間、日本に帰ってくることはなかった。
どうやら、現地で、同じレストランで働く若い彼女もできたようだ。

そんなとき、ちょうどその2009年3月末に定年退職を迎えていた僕は、
義姉に「いっしょにアルゼンチンへ行ってみましょうか?」と持ちかけた。
義姉は大喜びして、「ぜひ、連れて行ってください」と言った。
そして、僕たち3人は、伊丹空港から成田空港へ飛び、
成田空港から米のダラスで乗り換えて、ブエノスアイレスへ行った。

成田空港やダラス空港での飛行機の待ち時間も長くて、
結局大阪からブエノスアイレスまで、30時間近くかかった。

余談だが、ダラスと言えば、今やダルビッシュのホームチームがある街で、
それを見るために、ダラス行きの飛行機の日本人乗客が増えているとか…

当時のアルゼンチン旅行の詳しいことはこのブログに書いています。

ご参考までに…

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20091004

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20091011

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20091017

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20091022

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20091028

さて、僕らがブエノスアイレスへ行くと、ヒロユキのみならず、
ヒロユキの彼女、そしてレストランのオーナーや仲間たちが、
義姉をはじめ僕たち夫婦の3人の来訪を大歓迎してくれた。

14年ぶりに我が子に会った義姉は、感無量の様子だった。
地球の裏側で、立派なレストランのシェフとして元気に活躍するヒロユキ。
その姿を自分のこの目でたしかめられて、どれだけ安堵したことだろう。

すると、翌年の3月、ヒロユキがソルちゃんという若い女性を連れて、
実に14年ぶりに日本へ帰ってきて、2週間ほど滞在したのである。

レストランのオーナーが、ママがわざわざ日本から来てくれたのだから、
キミも日本へ行ってあげなさい、と特別に休暇をくれたというのだ。

それが2010年、つまり一昨年の3月だった。
もちろん、僕たちも、ヒロユキたちと、今度は大阪で会った。
ちなみに、義姉夫婦は大阪市のほぼ真ん中、京橋に住んでいる。

…と、翌年(つまり去年)の3月にも、また2人はやって来た。

その時は、彼女のソルちゃんが、カラオケに行きたいと言ったので、
親戚の中で最もカラオケ好きな僕が、真っ先に声をかけられた。
「ソルちゃんが好きなカラオケに、ぜひご一緒してあげてください」
と、義姉からの連絡を受けて、カラオケを楽しんだ。
その時すでにモミィはわが家の家族となっていたので、
いっしょに連れて行った。
カラオケボックスの中で、モミィは大人しくおやつを食べて続けていた。

そして今年の3月にまた、3年連続で日本に「帰省」してきたのである。

ソルちゃんが去年のカラオケが楽しかったので、今年もお願いします、
と義姉からメールが送られてきたので、3月19日に京橋方面へ出かけた。

もちろん、今年も僕と妻とモミィの3人連れ、である。
モミィは去年のことを覚えており、「ソルちゃんに会いたい」
と言っていた。

ソルちゃんは日本語がわからないので、僕はモミィに
スペイン語で「こんにちは」という意味の「オラ~」とか、
ありがとうの意味の「グラシアス」などの言葉を教えた。

そうしたら…
ソルちゃんがモミィにお土産をくれたとき、モミィが「グラシアス」と言ったので、
ソルちゃんは、目を丸くした後、おなかを抱えてガッハッハ~と笑った。

義姉夫妻と、ヒロユキ・ソルちゃんのカップルと僕たち3人の計7人が、
ソルちゃんのお気に入りだと言うブッフェレストランで食事をし、
そのあと、「二次会」で京橋のカラオケ店へ行った。

ソルちゃんは英語が堪能なので、スペイン語だけではなく、
英語の歌もいろいろ歌っていた。

僕も、せめて一曲ぐらい英語の歌を歌ってソルちゃんにサービスしなければ、
と、大好きなビートルズの 「レット・イット・ビー」 を歌った。

カラオケ画面の字幕に英語が出るので、ソルちゃんは喜んで、
時々歌いやすいところを、僕に合わせてデュエットしてくれた。

僕やソルちゃんが歌うと、今、ヒップホップダンスを習っているモミィが、
タンバリンを持って、狭い部屋の中をお尻ふりふりダンスしてみたり、
クルッとまわって片手をあげるポーズをしてみたり、
なんだかアイドルグループのような振り付けの踊りをするので、
大人たちはみな大笑いで、ヤンヤの喝采を送っていた。

なかなかね~、こういう場を盛り上げる才能があるようだ。

3時間、主に僕とソルちゃんと義姉の旦那さんが歌い、モミィが踊った。

「アリガトウ。タノシカッタデス。モミイ、アリガトウ」

と、ソルちゃんはかわいい顔に満面の笑みを浮かべていた。

  ………………………………………………………………

…と、ここまで書いて、間もなく午前7時になろうとしている。

今日はこれから京都へ行って40年ぶりに母方の叔母さんたちと会い、
京都のお祖父ちゃんのお墓へ行くことになっている。

なんだか、まだ書き足りない気分だけれど、これで筆を置きます。

 

 

  
  27歳のソルちゃんは、すっかりモミィと「意気投合」していた。 

 

 

 

 

 

 

 

   

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