僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「道明寺合戦」 から400年

2014年12月24日 | ニュース・時事


地域のコミュニティ紙の12月号が郵便受けに入っていたので、手に取ってみると、1面に「えぇっ!」と驚くような記事が載っていた。


毎週楽しみにして見ている「独眼竜政宗」(1987年の大河ドラマの再放送)と大いに関係していたからだ。「独眼竜政宗」は大河ドラマでは史上最高の視聴率を記録した人気番組だったが、今見ても胸が躍動する傑作中の傑作である。このことは先月のブログにも書いた。そして先週土曜日に放映された第38回「仙台築城」では、関ヶ原の戦いが終り、時代の趨勢は家康に傾き、徳川方に付いた政宗が仙台に城を築くところだった。


そこでコミュニティ紙の話に戻るが、こういう記事が載っていた。

 

  

 

「大坂夏の陣 道明寺で400年ぶりの和解」という見出し。
記念碑の前で、4人の男性が笑顔で手を握り合っている写真。
これはどういうこと…?


記念碑に刻まれているのは、「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」という文字だ。写真の左から片倉重信さん、真田徹さん、後藤基保さん、森田剛浩さんである。この人たちは一体だあれ…?ということになりますよね。実は、右端の森田さん(地元のまちづくり協議会の会長さん)以外の3人は、大坂夏の陣で戦った武将たちの子孫の方々なのだ。記念碑の除幕式にゲストとして招かれたという。


大坂夏の陣と言えばご存知のとおり、大阪城の外堀を埋められた豊臣勢が、押し寄せる徳川勢を迎え撃った戦いだったが、中でも僕たちが住む大阪府藤井寺市の道明寺というところが最激戦地であった。いわゆる「道明寺合戦」と呼ばれる。


その道明寺合戦で、豊臣勢の後藤又兵衛と真田幸村が徳川勢を迎え撃つわけだが、攻めて来たのが片倉小十郎という武将の部隊であった。これぞ!…何を隠そう(大げさやなぁ)、僕が今ハマっている「独眼竜政宗」で、政宗の重臣として重要な役を果たしている片倉小十郎だった。ドラマでは西郷輝彦がその役を演じており、政宗に対する忠義に厚く、才覚に富み、勇猛果敢である。片倉小十郎の存在がなければこのドラマも興味半減…というほどだ。


そして後藤又兵衛は、その片倉小十郎の部隊によって討ち取られる。後から駆けつけた真田幸村は奮戦するも形勢不利で退散。翌日、四天王寺の近くの神社内で討たれて波乱の生涯を閉じる。


日本の歴史を大きく左右した大坂夏の陣で、最も激しい戦いだった道明寺合戦。それが慶長20年(1615年)だった。来年は2015年で、それからちょうど400年となる。そこでわが町・道明寺に記念碑が建ち、その除幕式に、合戦にかかわった3人の武将の子孫がお客様として招かれたわけである。豊臣方の後藤さん、真田さん。そしてその敵となる片倉さん。3人の固い握手。「大坂夏の陣 道明寺で400年ぶりの和解」という見出しも、これで納得だ。


片倉小十郎の子孫、片倉重信さん(75歳)は仙台からわざわざ来られた。この除幕式で、3人の方が初めて顔を合わせたそうである。


ドラマ「独眼流政宗」は、1月24日に第42回「大坂攻め」というのがある。ここで片倉小十郎が後藤又兵衛らと戦うシーンが出てくるのだろうか。


ちなみに今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」も同じような時代が背景だった。
来年の大河は幕末の長州藩を舞台にした「花燃ゆ」というドラマとのこと。
そして再来年の2016年が、真田幸村を主人公とする「真田丸」だという。


せっかくのことなら、幸村没後400年に当たる来年にやればいいのに…。しかしNHK大河は戦国時代と幕末を交互にやるので、戦国時代の「軍師官兵衛」に続いて同時代の真田幸村は、慣例上できないのだろう。で、その次に回されたんだと思う。主人公の幸村役はあの「半沢直樹」の堺雅人である。待ち遠しいなぁ。

 

 

    
    近鉄南大阪線道明寺駅前に建った記念碑。 
  (藤井寺市のホームページより)

 

 

 

 

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