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仏教ライフを考える西原祐治のブログです

一休と蓮如

2020年03月14日 | 浄土真宗とは?
図書館が休みなので書庫の本をつまみ読みしています。『一休―逸話でつづる生涯 』(安藤 英男著)は、280頁、逸話で一休さんの生涯を綴っている本です。

その中に「一休と蓮如」の章があります。以下そこからの転載です。

一休は、他宗に対して寛容であった。一休が撰した『狂雲集』には、「衣を更えて浄土宗に入る」の字が見え、『自戒集』には、「法華宗純」の文字が見える。一休の道歌にも、
 成仏は 異国 本朝もろともに
 宗にはよらず 心にぞよる
とある。
だから一休は、他宗の人たちとも気軽に交際して、わだかまりがなかった。一休が六十四歳の時、二十二も若い本願寺の蓮如上人(名は兼寿)に会った。蓮如の性格も生きかたも、一休とはまるで違っていたが、彼が話せる男であることを知って、一休はうれしくなった。
 一休が六十八歳の寛正二年(一四六一)、この年は親鸞聖人の二百年遠忌で、蓮如はこの教祖のため盛大な法会を営み、一休をも招待した。一休は喜んで大谷本廟へ詣で、蓮如に請うて親鸞聖人の絵像をもらい受けた。この画像は当時一流の画家・芝法眼慶舜に描かせたものであった。一休は、蓮如の勧めで、この画像に賛をつけた。それは「末世相応のこゝろを」と題する、次のような歌である。
   襟巻の あたたかそうな 黒坊主
      こいつの法は 天下一なり
 これは、親鸞にかこつけて、蓮如をからかっているが、悪意はない。蓮如は、一休のような貧寒なのと違い、いわば実業家で、暖かそうだ。しかし、紫衣など望まず、黒衣主義で押し通した一休とは、通じ合うところがある。

ある時、一休と蓮如が話をしていると、一人の男が馬の絵を持って来て、賛をもとめた。
 一休が、いきなり、「馬じゃげな」と書くと、蓮如は、「そうじゃげな」とつけて、二人は大笑いした。

また、ある春の一日、一休が蓮如を訪ねると、おり悪しく不在だった。一休は勝手に上がりこみ、待っている間、本堂に入って手ごろの仏像を一つ持ち出し、これを枕にして昼寝してしまった。やがて蓮如が帰って来て、「これこれ、わしの商売道具を台なしにしたな」と言い、二人で腹をかかえて大笑いした。二人とも偶像崇拝の気など全くなかった。

また、ある時、一休が蓮如を訪ねて、自分が書いている「山姥」(やまんば)という謡曲の原稿を見せた。それは、「……邪正一如と見る時は、色即是空そのままに、仏法あれば世法あり、煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生あり、衆生あれば山姥もあり。柳は緑、花は紅」と、そこまで書いてあった。
「この下がつけられるか」
 と、一休が言うと、「つけられなくて」と蓮如は筆をとって、「―のいろいろ」 と書いた。一休は、「こいつ、こいつ、ばかじやない」と言い、次の句を書きついだ。
 「さて人間(じんかん)に遊ぶこと……」二人は、心から愉快になった。
 一休は死ぬ時、蓮如に頼んで、浄土念仏による引導を渡してもらいたいと遺言したくらいで、蓮如とはよほどウマがあったようである。(以上)

実際に、この年、一休は禅宗から浄土真宗に改宗と宣言しています。宣言と言っても、宗派にこだわりのない人なので、その程度のことです。

寛正二年六月十六日、大燈国師の頂相(肖像画)を本寺へかへして念仏宗となる。
(一休『自戒集』)名も「純阿弥」に変えたとあります。


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