仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

パラサイト難婚社会

2024年04月24日 | 現代の病理

『パラサイト難婚社会』(朝日新書・2024/2/13・山田昌弘著)からの転載です。

 

 

古くを振り返れば、平安時代の貴族階級は紫式部の『源氏物語』に見られるように、女性は親元に住み続け、そこに夫が通ってくる「妻問」、いわゆる「通い婚」が一般的でした。男性が3日問続けて女性のもとに通い続けると、4日口に女性の両親も含めて会食をし、それで「結婚が成立した」とみなされる時代だったのです。

 実際に、『源氏物証』のストーリーの核ともなる男女の恋愛模様は、(主に貴族階級に限ってですが)1人の夫に複数の妻という「一夫多妻」の慣習があったればこそ。あの時代に現代的一夫一婦制が確立されていれば、日本文学の革たる名作もこの世には生まれなかったはずです。光源氏は、葵の上という正妻がいながら父の後妻と関係を持ち、のちに正妻格となる紫の上を幼児誘拐する。他にも多くの側室や愛人、不倫相手を持ちますが、そうした個性豊かな恋愛模様が、『源氏物語』の彩りになっているからです。

 ちなみに妻のもとに夫が通い、子どもは妻の実家で成長する妻問のカタチは、日本固有のものではありません。今もポリネシアやインドの地方などに存在する、れっきとした「結婚の一形態」です。

 サウジアラビアやインドネシアなど、イスラム諸国やアフリカの一部では、21世紀に入った現在でも「一夫多妻」が法的に認められています。同じくアフリカの一部や、あるいはネパールの一部では、「一妻多夫」の結婚慣習もいまだ存在しています。ネパールやチベットでは、兄弟がI人の妻をめとる習恨もあるくらいです。

 このように、「結婚」のカタチに世界共通の正解はありません。私たちが現在、正しい結婚と思い描くイメージは、実は世界の一部にすぎない西欧諸国が築き上げた一つのスタイルでしかないのです。(以上)

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