2003年のアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞した映画に
(2003年・アメリカ THE FOG OF WAR:ELEVEN LESSONS FROM THE LIFE OF ROBERT S.McNAMARA)
がある。今回は、この映画について書いてみたい。
映画の内容については
http://www.werde.com/movie/new/fog_of_war.html に詳しくあるので参照を。
ここは、かなりマクナマラに好意的に書いてあるが、映画の中の彼は、堂々と自己正当化しているだけで、日本人やベトナム人の大量殺戮に関わった(時には直接命を下した)ことについて、微塵も「罪の意識」など感じていないことがはっきりと伝わってくる。
私が、この映画で特に注目したのは、Lesson4とLesson5である。今回と次回のエントリーを使って紹介してみたい。
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Lesson4:
maximize efficiency 「効率を最大限に高めよ」
マクナマラは大学で学んだ経営管理の理論を戦争に応用。
攻撃効率を高めるため、統計を取り、分析する。
そして、彼の報告書を元に、日本に無差別絨毯爆撃の決定がなされた。
指揮官は後に広島・長崎に原爆を落とすことになるカーティス・E・ルメイ少将。
マクナマラは、1945年3月からルメイの指揮下に入る。
「我々は、一晩で女性や子供を含む10万人の東京の住民を焼き殺した」
マクナマラの任務は、爆撃の分析と効率化だった。つまり、味方の損失を少なくし、いかに虐殺の効率を上げるか、を統計的に分析し、ルメイに報告書を提出する仕事だ。
その際に、あの「B29」の作戦効率の分析を行っている。
B29は高度7000mを飛べる当時最新鋭の戦闘機。
それまでは、敵の防空網の圏外である高所から爆撃を行っていたので、味方はやられないけれど、攻撃の効率は低かった。
ルメイは、マクナマラの報告書のデータに基づき、高度を1500mに下げ、「焼夷弾」を使用する決定を下した。
焼夷弾とは…http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BE%C6%B0%D0%C3%C6 より
焼夷剤(しょういざい)と少量の炸薬(さくやく)とを入れた砲弾または爆弾。地上の目標物に火を放つことを目的とする。
油脂焼夷弾・エレクトロン焼夷弾・黄燐(おうりん)焼夷弾 など。
第二次世界大戦時に、B-29による日本の都市に対する爆撃で大量に使用され(木造建築が多いため焼夷弾が特に効果を発揮した)、火災により多くの市民を殺傷した。この時使われたのが、M69焼夷弾*1を束ねたE46集束焼夷弾/M47集束焼夷弾と、テルミット・マグネシウム焼夷弾を束ねたM17集束焼夷弾である。
また、ベトナム戦争では焼夷弾の一種であるナパーム弾が米軍によって大量に使用された。
現在の戦争では、空対地誘導ミサイルによるピンポイント爆撃や中近距離弾道ミサイルによる軍事施設への直接攻撃が主流となっており、焼夷弾による無差別爆撃が行われることはほとんど無い。
高度を下げることで狙いを外しにくくすることに加えて、当時の東京は木造の建築物が多かったので、焼夷弾で一気に焼け野原にすることこそがもっとも効率よく人々を殺戮できる手法である…という判断である。
実際、1945年3月10日の東京大空襲では、一晩に10万人もの民間人が無差別に虐殺された。
生きながら焼き殺される。言葉だけではいくら表現としても、当時の悲惨さは伝わらないだろう。
東京大空襲・戦災資料センターの以下のサイトを見るのがいいと思う。
http://www.kmine.sakura.ne.jp/kusyu/kuusyu.html
https://www.youtube.com/watch?v=tXzyusfuFTo
映画では、画面に「Destroyed」の文字が何度も表示される。
東京を焼き尽くして戻ってきたパイロットが、ルメイにこう詰め寄ったらしい。
「高度7000から攻撃できるのに、なぜ1500に下げたのか。そのせいでオレの僚機は打ち落とされた!」
ルメイはこう言い放ったという。
「我々は何のためにここにいる?」
「たかが一機の損失で、我々は東京の130平方キロを焼き尽くしたのだ」
自軍の兵士が死んだことは少しは問題かもしれん。だが「虫けら」の日本人をこんなに効率よく殺すことができたのになんで責められるんだ? それが我々の任務なんだし、効率よく大量に殺戮できたオレの作戦を褒めてほしいもんだ。
当時のルメイの心中を代弁すると、こんな感じなんだろう。
■カーティス・E・ルメイ(第二次大戦末期は陸軍航空隊少将、1961~1965年空軍参謀総長)
太平洋戦争末期、陸軍航空隊第20航空団に所属。指揮官の1人として日本の諸都市の焼夷弾攻撃、広島・長崎への原爆投下を命じた。戦略空軍司令官を経て、ケネディ政権時にはキューバやベトナムへの核攻撃を主張。第二次大戦、キューバ、ベトナムなどの国際軍事問題で、ことごとくマクナマラと対立した。1968年の大統領選では、無所属で出馬したジョージ・ウォーレスの副大統領候補となった。
映画の中での、この人物のキ●ガイさ加減はまさに群を抜いている。
(キューバ危機の際に、この人物の進言にケネディがなびいていたら、人類は絶滅していただろう。)
ルメイには、後に、第1次佐藤内閣(昭和39年11月9日成立)によって勲一等旭日大綬章が与えられている。http://gold.ap.teacup.com/tamayura/1.html 自分たちを大量虐殺した人物になぜ???(自衛隊創設に貢献したとの理由らしいが、それも、日本を対共産圏の「人垣」にしたいという連中の勝手な都合であって…、まったく頭がオカシイんじゃないだろうか?)
映画では、完全に焼け野原になった東京の街と、目を覆うばかりの多数の日本人の死体が、画面に次々と映し出される。
映画はそこから次の章へ…
☆「マクナマラ元米国防長官の告白」Lesson5より-大量虐殺の推進者が世銀総裁を13年、という事実…』
につづく…
素直に考えると、この時点ですでに日本政府は売国政府であり、そして勲章を与えた本当の理由は日本人を大量虐殺した功績に対して。
ということになるのではないでしょうか。