【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

支持率

2011-09-16 19:03:10 | Weblog

 マスコミはせっせと世論調査を行なっていますが、内閣が替わったばかりでの支持率/不支持率の調査、って、どんな意味があるのでしょうねえ。だってまだ何の“仕事”もしていないでしょ。「期待を持つ(持たない)=支持する(支持しない)」ではないと思うのですが。
 ちなみに私は、好きか嫌いかとその内閣がちゃんと仕事をいくらかでもしたかどうかの評価とは別の問題だ、と自分の中では処理しています。

【ただいま読書中】『スターリン謀殺』アブドゥラフマン・アフトルハノフ 著、 田辺稔 訳、 中央アート出版社、1991年、2136円(税別)

 ヒトラーがソ連に電撃戦をしかけた瞬間、スターリンは“敵前逃亡”をしました。引き籠もってしまい、何の反応もしなくなったのです(これは『フルシチョフ回顧録』で私も読みました)。そのとき右往左往する人の中で、唯一スターリンの所へ出かけていって「戦争の指導をするよう」勧めたのがベリヤでした。戦争中「ソ連」を実質的に動かしたのは、軍はジューコフ、内務人民委員部(政治警察)はベリヤ、党はベリヤとマレンコフでした。
 スターリンは、自分個人にだけ従う政治警察を組織していました。この「特別部」は、地方も中央も監視し、それがスターリンの「無限の権力」の源でした。側用人のように常にスターリンの側に存在するのは、陸軍中将ボスクリョーブイシェフと同じく陸軍中将ヴラシクでした。この二人を通さなければスターリンには面会もできませんでした。特にヴラシクは、無学な赤軍兵士がスターリンのボディーガードから中将まで登りつめた(そして、スターリンの死間近まで粛清されずに持ちこたえた)興味深いケースだそうです。
 そしてベリヤ。彼の経歴には謎も多いのですが、天才的な刑事の感覚と貪欲な立身出世主義、そしてスターリン(個人と彼が作ったシステム(側近たちがお互いを陥れる策謀に明け暮れていたら、協力してスターリンを陥れる策謀をする暇がない))に対する理解によって、ぐんぐんのし上がってきました。ただし、彼の通った道は血まみれだったのですが。
 スターリンはすべてを政治的に扱いました。言語学や経済や科学も。それは「誰がトップか」を明確にする作業でした。だからルイセンコ学説は「科学的に」ではなくて「政治的に」正しかったのです。
 粛清に次ぐ粛清が行なわれますが、その手がベリヤに届こうとしたときこれまでになかった“異変”が起きます。政治局員たちが団結したのです。1952年、スターリンの意向に逆らって中央委員会総会が開催され、スターリンにかわってマレンコフが政治報告を行ないます。これを著者は「機嫌を損ねたスターリンの“ボイコット”」と捉えています。党の第3位から第5位に降格されたベリアは、大演説をします。それはスターリン賛美に聞えますが、実はスターリンに対する挑戦でもありました(「党」をスターリンの上に置いているのです)。結果はベリヤの“勝利”でした。大会後彼はまた第3位に復活したのです。
 スターリンは最後の賭に出ます。もしも彼が好きなことができたら、また新たな粛清が行なわれたことでしょう。そしてそれが防止できたのだとしたら、それは当時のソ連で二番目に憎むべき人間、ベリヤの手柄、ということになります。ベリヤは権力の振るい方をスターリンに学び、そして“生徒”が“教師”を越えてしまったのです。そしてスターリンの“病死”についての謎。死因(本当に病死なのか、あるいは毒殺か)も謎ですが、そもそもいつどこで死んだのかも曖昧なのです。著者は様々な(相互には矛盾することもある)証言などから、四人組(フルシチョフ、ベリヤ、マレンコフ、ブルガーニン)の総意でスターリン排除が決定されベリヤがスターリンに毒を盛った、と推測をしています。そして、スターリンの死後、こんどは四人組の間で(命を賭けた)権力闘争が始まります。“負けた”者がすべての汚いことの責任を負ってあの世に行く闘争です。
 冷戦時代、赤の広場のパレードでバルコニーに並ぶ順番を見ることでソ連政府要人の序列を判定する、という作業が行なわれていました。クレムリン内部での暗闘は、そういった“結果”でしか見ることができなかったわけです。そこで私は二つのことを思います。一つは、そういった“暗闘の伝統”は、今のロシアにも引き継がれているのではないか、ということ。もう一つは、自由主義の国も、一見選挙などで“公開”されているようには見えますが、やはり同様の“暗闘”は行なわれているのではないか、ということ。この場合、「全部秘密だよ」と最初から言っている場合と「公明正大に明らかにやります」と言って実は秘密がたっぷりある場合と、どちらがわかりやすいのでしょう?