比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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埼玉県秩父の谷が生んだ偉大な俳人「金子兜太さん」・・・が亡くなられました。

2018-02-21 | 語り継ぐ責任 あの戦争
埼玉県が生んだ偉大な俳人「金子兜太」(かねことうた)・・・が20日亡くなられました。
2015年7月16日のブログをリライトして・・・哀悼・・・

金子兜太さん・・・金子さんにとって俳人とは「ニンベンに非・・・人に非ず」と母に止められていたそうですが、知らず知らずのうちに入った道のようです。
旧制熊谷中学、旧制水戸高校、旧制東京帝国大学、海軍主計中尉、日本銀行員・・・俳人は裏の顔です(俳人では食っていけませんから)。

●金子兜太・半藤一利対談「今、日本人に知ってもらいたいこと」(㏍ベストセラーズ 2011年刊)
●わが俳句人生 金子兜太「語る兜太」(岩波書店 2014年刊)
●金子兜太「私の骨格 自由人」(NHK出版 2012年刊)の中の文と写真です。

           緑陰に秩父の人の話し声・・・・・・という俳句と釜伏峠あたりの写真が写されています。


金子兜太(1919~2018年)・・・98歳、母の実家の埼玉県比企郡小川町で生まれ幼少期を中国上海、少年期を父の故郷の埼玉県秩父郡皆野町で過ごす。父は開業医で伊昔紅と名乗る俳人、秩父音頭再興の人(美の山公園にブロンズ像が建てられています)。

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
山なみの一と隅明し蚕の眠り

旧制熊谷中学、旧制水戸高校、東京帝国大学繰り上げ卒業、1943年日本銀行入行、3日間で退職、海軍経理学校へ、海軍主計中尉に任官、1944年南太平洋ミクロネシアのトラック島第四海軍施設部に赴任。施設建設のために応募した工員を管理。トラック島は米軍の飛び石作戦の埒外にされたため上陸されることもなかったのですが補給ルートを断たれたため孤島となって終戦を迎えます(米軍にほっとかれた)。そのため食料は自給自足、2年で5回収穫できる薯を栽培、食べられる野草、小動物、昆虫はすべて食べて飢えを凌ぎます。多くの人が餓死と栄養失調、ときどきある機銃掃射で死んで行きます。トラック島にいた兵士50000人のうち30000人以上が戦闘ではなく餓死したといわれます。生き残ったのは「運」だけのようです。やがて敗戦、捕虜として労働、1946年11月最後の引揚げ船に乗って日本に向かいます。島に眠る戦没者の墓碑が船の上の自分を見ているような思いがしたといいます。

海に青雲生き死に言わず生きんとのみ
水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る

日本銀行復職、旧帝大卒ですからエリートコースに乗れたのでしょうが、当時の日銀の中の組織の閉鎖性に抵抗して、身分給廃止、学閥人事廃止、生活給確保を訴え日本銀行従業員組合初代専従事務局長に。労働協約も作ったそうです。それが影響してか福島、神戸、長崎の支店を回り、最後は日銀本店の巨大金庫の鍵を預かる文字通り金庫番で勤めを終えます。
組合運動に身を投じたのは南の島で非業の死を遂げた戦友、工員たちへの思いだったからでしょうか。

原爆許すまじ蟹かつかつと瓦礫歩む
彎曲し火傷し爆心地のマラソン
人体冷えて東北白い花盛り

死の戦場知らぬ政治家得意顔


金子兜太さんの思い・・・
次世代を生きていくみなさん・・・先人たちが経験した愚かな(砲撃で肉が飛び原爆で焼けただれ南の島で餓死した)戦争を反面教師として正しい歴史認識をしてください・・・
そんな思いが込められていたように思えてなりません。

・秩父人の 魂叫びつづけて 兜太逝く      比企の村びと
・荒川の 魂叫び 兜太逝く             縄文人
・出でては 土に鍬を 取りだんべいなぁ       縄文人




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2017中欧の旅・・・ハンガリー・・・ブダペスト紀行⑨・・・市民の足・・・トラム(路面電車)がゆく

2018-02-21 | 鉄道と駅 海外
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

中央アジア・・・ウラル山脈の南麓あたりから移動してきたマジャル人が建国したというハンガリ―・・・
首都ブダペストをブラブラ散歩・・・ブダペスト市民の足・・・市電に乗ったり。
ブダペスト市電(Villamos)・・・ブダペスト交通公社(BKV)運営、1866年営業開始(ちなみに東京都電は1882年馬車鉄道で開業、1903年電化)、路面電車の総延長156.85㎞(世界最長)、年間利用者393.4万人(バス557.7万人、地下鉄302.4万人)。
日本で東京都電の利用経験のあるかたには懐かしい風景です。いまは東京の路面電車は都電荒川線だけになりました。







ドナウ川の畔。

SUZUKI]の車が走っています。

TOYOTA]の車が走っています。

ドナウ川の畔・・・ペスト市街・・・白い吊橋は「エルジューベト橋」・・・「ゲッレールトの丘」の上の「自由の像」。
※撮影日は2017年7月27日。


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