比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
拙ブログの記事のリンク、写真の転用はご自由に。

秋の新潟・・・魚沼平野・・・塩沢宿を歩く

2017-12-05 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

秋・・・10月29日、新潟県・・・南魚沼あたり周遊・・・
湯沢高原で雲海を見て麓の「越後湯沢駅」でコシヒカリ、新潟名酒など・・・それから湯沢錦鯉ランドへ・・・それから塩沢の街並みへ・・・
江戸時代の街道町。宿場町に回帰したようなリノベーション、リメーク・・・

信州上田の・・・六文銭の写真帳

タイムスリップしたような空間・・・南魚沼郡塩沢町(現南魚沼市塩沢)・・・
三国街道・・・塩沢宿・・・牧之通り(ぼくしどおり)・・・350m・・・
塩沢町の景観・・・雪が降ると道路中央の融雪水道も利かなくなるほどの豪雪地帯。道路を埋め尽くした雪は軒先を埋めるほど。
1999年道路拡幅計画が、2001年それに伴う街づくり計画が・・・電線の地下埋設、建造物の外観、意匠、色彩など統一化、雁木、石畳舗装などなど・・・
川越の蔵造りの街、妻籠、馬篭、奈良井の宿場、飛騨高山の古い町並み、ヨーロッパの中世の街並み、スイスのアルプスのシャレーの風景…住宅協定の中に人々は普通の生活をしています。
2011年都市景観大賞、2015年アジア都市景観大賞。
三国街道・・・上州高崎で中山道と分岐し渋川、沼田、三国峠、長岡を経由して寺泊で北陸街道に。上杉謙信の戦さ道、佐渡金山と江戸を繋ぐ道・・・であった。
牧之通り・・・江戸時代後期、塩沢町の豪商で文人鈴木牧之(1770~1842年)の名をとったもの。
牧之は縮の仲買、質屋を営む鈴木屋の主人、経営者としても非凡であったが、書画、俳諧もこなす知識人、山東京伝、曲亭馬琴とも親交があった。
雪国越後の生活、風俗、方言、産業、奇譚などを挿絵も使って記した「北越雪譜」は当時のベストセラーになった。秘境秋山郷を尋ねた「秋山紀行」も有名。


薄荷園・・・
※むかしから薄荷草(ニホンハッカ)はどこにでも自生していていました。むかしの人はそんな薄荷を使ってお菓子に。

つむぎ小路へ・・・塩沢つむぎ記念館があります。
・・・屑繭から紡ぎだした絹糸で織られた絹織物、丈夫で野良着などの使用に耐えた。いまは高級品。
結城紬、大島紬、久米島紬、琉球紬、塩沢紬、遠州木綿紬・・・などが有名だが全国各地で織られた。
塩沢では越後上布(縮)、本塩沢(塩沢お召し)も織られていた。

両替・・・いまでいう金融業・・・
※街並みの屋根が切妻、玄関が妻入り・・・屋根の積雪が道路に落ちないようにの配慮だと思います。

雁木の街・・・道路中央に融雪水道管が埋められています。
雁木・・・商店街のアーケードのようなもの。雪国の宿場町、町屋、城下町の生活のための独特の雪除け通路施設。
江戸時代には既にあったという。新潟県上越市高田、十日町市、青森県津軽の黒石市などが有名。
※撮影は10月29日。

秋の新潟・・・魚沼平野周遊はオワリ。

※コメント欄開いてます。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

秋の新潟・魚沼平野を周遊・・・錦鯉ランドへ

2017-12-04 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

秋・・・10月29日、新潟県・・・南魚沼あたり周遊・・・
湯沢高原で雲海を見て麓の「越後湯沢駅」でコシヒカリ、新潟名酒など・・・それから湯沢錦鯉ランドへ。

信州上田の・・・六文銭の写真帳

錦鯉の美しさに感動。

錦鯉・・・1800年代初頭、文化・文政のころ越後山古志郷(二十村郷)で食用養鯉からの突然変異で生まれたといわれています。
いらい改良を重ねて「世界の錦鯉」に。小千谷市から長岡市、魚沼平野の主に山間部の農家の副業として広く養殖されています。





※撮影は10月29日。


※コメント欄閉じています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

秋の新潟・魚沼平野・・・湯沢越後駅で・・・コシヒカリと上善如水

2017-12-04 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

秋・・・10月29日、新潟県・・・南魚沼あたり周遊・・・
湯沢高原雲海を見て麓の「越後湯沢駅」でひと休み。

信州上田の・・・六文銭の写真帳


JR越後湯沢駅・・・上越新幹線、上越線、第三セクター北越急行ほくほく線乗入れ、1日の乗客数3000人。秋田県JR湯沢駅との区別でJR越後湯沢駅。

川端康成の小説「雪国」に書かれた静かな山の湯宿の風景は・・・

越後湯沢駅」構内に入ります。地産品の商業スペース。

魚沼は「コシヒカリ」の最上米の産地・・・水清く冷たい。
※「魚沼」は古代からの行政名、信濃川(千曲川)と魚野川の合流点から魚野川の流域全体をいいいます(例外もありますが)。

南魚沼産コシヒカリ100%、雪ん洞の「爆弾おにぎり」・・・。

上善如水」「八海山」の薦被りの酒樽の前にヨッパライが寝ています。
上善如水」は湯沢町の名酒、「八海山」は南魚沼市長森の名酒。

上善如水」・・・中国の哲学者「老子」(紀元前5世紀ごろの人?道教の始祖)の言葉。
最善の生き方は・・・水のように平らに」。
※撮影は10月29日。

コシヒカリ・・・日本を代表する米の品種。1944年新潟県農業試験場で開発がはじまり1948年福井県農業試験場で開発を続け、そのご新潟県と千葉県で開発を継続、1955年奨励品種に。命名者は当時の新潟県農業試験場長の国武正彦氏。


※コメント欄オープン。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

秋・・・越後魚沼平野・・・湯沢高原から雲海を見る

2017-12-03 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

信州上田の・・・六文銭の写真帳
秋・・・10月29日、新潟県・・・南魚沼あたり周遊・・・
湯沢高原・・・パノラマパークに上がってきました。標高850m、ロープウエイ山麓駅(標高350m)から標高差500m。

眼下にJR越後湯沢駅(上越新幹線、上越線)、湯沢温泉街が見えます。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」ではじまる・・・川端康成の小説「雪国」の舞台で有名。




雲海・・・



眼下に見える湯沢町の市街、中央に関越高速道、その左に魚野川、右側に国道17号線(三国街道)。
※撮影は10月29日。



※コメント欄オープン。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

越後・・・頸城山地・・・日本一の美しすぎる・・・星峠の棚田・・・シリーズ(終章)

2017-05-28 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

新潟県東頸城山地、新潟県十日町市松代(まつだい)・・・峠・・・標高300m~500m、山また山。
国道403号線・・・星峠・・・日本一の美しすぎる棚田・・・といわれる景観が広がります。
・・・彩風人の写真帳・・・
比企の丘ブログのギャラリー開放です。

棚田は先人たちの汗の結晶・・・日本人の命の米を作り・・・山の水を涵養する小さなダムです。




※撮影は2017年5月15日 FUJIFIRM X-T10 14~140㎜。
※四季、違った顔を見せてくれます。詳細は下記の十日町市観光協会のサイトご覧ください。撮影マナーなどについての注意書きは必見です。
《参考サイト》
十日町市観光協会「星峠の棚田」
まつだい棚田バンク」NPO法人越後妻有里山協働機構
★2016年4月27日のブログ「越後・松代・・・山や谷を切り開いた・・・先人たちの知恵と汗の結晶・・・儀明の棚田
★2016年4月26日のブログ春の越後・・・東頸城丘陵・・・儀明峠・・・峠の釜めし

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

越後・・・頸城山地・・・日本一の美しすぎる・・・星峠の棚田・・・シリーズ(2)

2017-05-27 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

新潟県東頸城山地、新潟県十日町市松代(まつだい)・・・峠・・・標高300m~500m、山また山。
国道403号線・・・星峠・・・日本一の美しすぎる棚田・・・といわれる景観が広がります。

・・・彩風人の写真帳・・・
比企の丘ブログのギャラリー開放です。




※撮影は2017年5月15日 FUJIFIRM X-T10 14~140㎜。
※国道403号線上越市安塚方面から分水嶺を越えるトンネルを抜けてすぐ。六日町IC、上越ICより車で1時間。十日町市峠。駐車場、トイレあり。
※駐車場も用意して大歓迎のスポットですが、観光地、写真を撮るためのフォトスポットではありません。桜の名所もそうですが農家の人たちの生活の場です・・・

《参考サイト》
十日町市観光協会「星峠の棚田」
★2016年4月27日のブログ「越後・松代・・・山や谷を切り開いた・・・先人たちの知恵と汗の結晶・・・儀明の棚田
★2016年4月26日のブログ春の越後・・・東頸城丘陵・・・儀明峠の茶屋の・・・峠の釜めし
※コメント欄クローズしています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

越後頸城山地・・・日本一の美しすぎる・・・星峠の棚田・・・シリーズ(1)

2017-05-26 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

新潟県東頸城山地、新潟県十日町市松代(まつだい)・・・峠・・・標高300m~500m、山また山。
国道403号線・・・星峠・・・日本一の美しすぎる棚田・・・といわれる景観が広がります。

・・・彩風人の写真帳・・・
比企の丘ブログのギャラリー開放です。


※撮影は2017年5月15日 FUJIFIRM X-T10 14~140㎜。
十日町市峠・・・1889年峠村から明治の大合併で奴奈川村に、1959年松代町に、2005年十日町市峠に。

ここは古代律令時代の「松山保」。「保」とは都の主導で行われた開発で、国の直轄地。すでにそのころ棚田を主とする耕地の開発があったと考えられます。標高300mから400mの山のすぐ下まで棚田が築かれています。日本有数の豪雪の地であるため山の水が豊かで水利を容易にしていると考えられます。日本有数の地滑り地帯、美林が地下水を涵養し棚田がダムに役目をして、水を制御、地滑りを防いでいます。

※国道403号線上越市安塚方面から分水嶺を越えるトンネルを抜けてすぐ。駐車場、トイレあり。
《参考サイト》
十日町市観光協会「星峠の棚田」
★2016年4月27日のブログ「越後・松代・・・山や谷を切り開いた・・・先人たちの知恵と汗の結晶・・・儀明の棚田
★2016年4月26日のブログ春の越後・・・東頸城丘陵・・・儀明峠の茶屋の・・・峠の釜めし

※コメント欄クローズしています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

冬の北陸の旅・・・世界三大奇岩・・・東尋坊・・・柱状節理の海食崖

2017-04-15 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

2016年12月、北陸新幹線で金沢へ・・・
金沢城、尾山神社、兼六園、ひがし茶屋街、武家屋敷跡街、近江町市場・・・金沢の定番観光コースを回って東尋坊へ。
東尋坊・・・福井県坂井郡三国町安島、越前加賀海岸国定公園。国指定天然記念物、名勝。

※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

蝋燭岩・・・安山岩(火山のマグマからの火成岩)が急激に冷えたときにできた柱状節理

大池・・・(入江になったところ)。

屏風岩・・・水面から25m、見事な柱状節理は日本海の波による浸食により地上に現れた・・・そうだ。、

遊覧船。

雄島・・・東尋坊の北、雄島橋によって結ばれている10.2㌶の島。周囲2㎞は流紋岩の柱状節理、板状節理。
※撮影は2016年12月20日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。
東尋坊の名前由来・・・そのむかし数千人の学問僧がいた勝山市平泉寺(現白山神社)、その中に東尋坊という暴力、悪行を重ねる僧侶がいて、あるとき僧たちが酒を飲ましてこの海食崖から突き落として殺してしまい、そのことからいろいろな祟りが出て海が荒れまくったことからその名前がついたという。
※ミステリードラマのラストシーンの舞台は断崖絶壁・・・よくあるンです。ここと能登金剛、伊豆高原がおなじみです。
※輝石安山岩の柱状節理・・・世界で三か所、朝鮮半島の金剛山、ノルウェイの西会がとここだけだそうです。


※コメント欄オープンしています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

冬の北陸・・・金沢の台所・・・近江町市場を歩く

2017-04-13 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

2016年12月、北陸新幹線で金沢へ・・・金沢の中心街香林坊から北へ10分ばかり歩いた武蔵辻・・・
近江町市場・・・金沢市上近江町・下近江町・青草町・・・地元の人はおみちょ市場と呼ぶのだそうだ。
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

金沢の台所といわれる一般の小売店街です。2.8㌶、185店舗。
札幌の二条市場、函館の朝市、京都の錦市場、大阪の黒門市場・・・こういうところはその地域の生活の匂いがしてなぜか観光客を惹きつけますね。

コウバコガニ・・・ズワイガニの♀。石川、富山での呼称。福井ではセイコガニ、山陰ではセコガニ。
ズワイガニの♂より小型、資源保護のため漁期も短い。小型であるため地元消費、安価であったが最近はだいぶ高くなったそうだ。

ランチタイムです。

中落ち定食・・・豪快
※撮影は2016年12月19日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。

近江町市場・・・300年の歴史ある小売市場。1690年浅野川に近い袋町市場が当地に移転、1721年犀川に近い魚屋町市場が当地に移転、1622年併合されて近江町市場に。ともに大火による移転。今でいうと築地市場から豊洲市場への移転みたいか・・・そういうゴタゴタでは無かったようです・・・。そのまま明治の時代に。1904年官許青草辻近江町市場が認可。1923年から近江町騒動(小売商と問屋のゴタゴタ?詳細はよくワカリマセン)が10年間続いた。2009年「近江町いちば」オープン。

※コメント欄オープンしています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

冬の北陸・・・加賀百万石の金沢・・・武家屋敷跡界隈を歩く

2017-04-12 | 道をゆく 越前、加能、越中、越後

2016年12月、北陸新幹線で金沢へ・・・金沢の中心街の香林坊から西へ5分ばかり歩いた・・・金沢市長町・・・武家屋敷街
大野庄用水が流れ江戸時代にタイムスリップしたような武家屋敷が並びます。。
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開です。
信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

加賀藩の重職を代々務めたという野村家(禄高1200石)の屋敷跡です。維新後、建物は解体。土塀、曲水庭園のみ残存。
昭和に入り北前船で栄えた大聖寺藩御用達の豪商の館(1843年築)を移築。
アメリカの建築雑誌で日本の庭園ランキング3位、ミシュランの観光地格付け2つ星。

武家屋敷街を流れる・・・大野庄用水(別名御荷川、鬼川)・・・犀川から取水され市中を貫流してふたたび犀川に合流して金石港に。
開削は藩祖利家の入城のころか。水路長11.5㎞、幅平均6m・・・かつては城を守る水壕、金石港と城内、城下を結ぶ流通の運河・・・
火除け、排雪、友禅の洗い場、水車の動力源、炊事洗濯用の生活用水・・・など、そして市中を出ると農業用水に・・・多目的用水路。

冬の風物詩・・・薦掛け(こもがけ)・・・12月から3月まで、積雪から土塀を保護するため。

大きな門構えの高田家(禄高550石)・・・上級武士の屋敷です。母屋は現存していませんが池泉回遊式庭園、長屋門、廏、仲間部屋が残存しています。
※撮影は2016年12月19日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。


※コメント欄オープンしています。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加