比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
拙ブログの記事のリンク、写真の転用はご自由に。

福島原発メルトダウン・・・避難・・・ふるさとへ・・・帰りたい・・・帰れない

2017-04-08 | 2011東日本大震災

6年前の2011年3月11日東日本大震災、続けて起こった福島原発のメルトダウン、水素爆発・・・避難者80000人、うち自主避難者30000人。
ひとは誰だって・・・ふるさとへ・・・帰りたい・・・でも…いまは安全であるかどうか・・・ワカラない?

今月4日、今村雅弘復興相が閣議後に開いた記者会見での出来事です。





















悲しくなりました。
テレビのニュースショーの恰好のネタになりましたが・・・
コメンターのみなさん・・・避難されているかたの心情を自分のものにして言葉を選んで発言してください。

ひとは・・・不意に弱い部分を衝かれると・・・イカる、キレる、テンパる、頭が真っ白になる・・・と・・・本音が出るといいます。
内閣の一員ですから内閣(政府)の本音といえるでしょうか。

ビキニ環礁の水爆実験のことを書いた過去のブログです↓クリック
58年前のビキニ環礁水爆実験・・・ロンゲラップ島の人々は」


※1854年水素爆弾ブラボー実験、40㎞以内の島民は50時間後に避難、3年後安全宣言で帰島、そのご被曝障害が出て1985年自主避難。

1985年、故郷ロンゲラップ島を離れ自主避難してマジェロ島に暮らすオバアチャン。
島に帰るか」の質問に
私はもう被曝しているから帰ってもいいが、子供や孫は帰らせたくないと思います
といいます。
※2012年8月日本テレビ放映番組「除染の島へ 故郷を追われた27年」より





※コメント欄オープンしています。
コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

3.11東日本大震災・福島原発メルトダウン・・・フォト・アルバム・・・作成しました

2017-03-12 | 2011東日本大震災

2011年3月11日東日本大地震・・・福島原発メルトダウン(炉心溶解)水素爆発大量の放射能物質拡散・・・
現場30㎞圏内の避難開始。わたしの町にも避難者が。
その年の11月、福島県相馬中村から海岸線に沿って気仙沼まで。
あれから6年、3.11になるとメモリアルブログを書き起こしてきました。
そんなブログに残した記憶と記録を・・・アーカイブとして残しておきたい・・・フォトアルバムにしました。

未完成です・・・わからないことが多すぎます。
画像に添えるコピーは・・・誰が見てもわかりやすいもの・・・できるだけワカッテほしい・・・

とりあえずのアップです。
時間をかけて仕上げていきたい。

3.11・・・東日本大震災・・・福島原発メルトダウン


※フォトアルバムの画像はブログ内にあります。画像のご利用はご自由に。


※コメント欄オープンしています。
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

彩の国・・・鳩山・・・福島県楢葉町からの・・・お蕎麦屋さん「楓」に行ってきました

2017-03-11 | 2011東日本大震災


3月11日、今日は3月11日「東日本大震災の日」。
福島県楢葉町でお蕎麦屋さんを営業していた「」さんがここ比企の里鳩山でお蕎麦屋さんを営業しています。
今日はお蕎麦を食べに行ってきました。

大根をお蕎麦と同じ太さの千六本に切った「大根蕎麦」です・・・美味しいですよ

楢葉町・・・人口2011年3月8011人、2017年1月767人・・・福島第二原発の立地。東日本大震災でメルトダウン水素爆発事故を起こした福島第一原発の立地する大熊町から20㎞圏内。全域避難。役場は福島県いわき市に設置。2015年9月5日に避難解除、それがどれだけ安全性を保障されたものかわたしにはワカラナイ? つい最近のアンケート調査では早期帰還希望者11%、戻らない25%。今朝ののテレビで隣町の富岡町で帰還希望者16%、帰らないと決めている57%。

※コメント欄オープンしています。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

3.11東日本大震災・・・原発避難イジメ・・・オゴッてもらったのか・・・タカッたのか・・・ユスッたのか

2017-01-26 | 2011東日本大震災



おごる(奢る)・・・人に馳走すること。強要されてではない。
たかる(集る)・・・人に馳走させること・・・あまりいい意味では使われていない。一歩間違えればユスリです。
ゆする(強請る)・・・威力をちらつかせ金品を提供させること・・・カツアゲともいう。恐喝罪という犯罪行為です。

・・・それにしてもタカッたほうの少年の言い分を聞いて、無収入の小学生が150万も気前よく「オゴッってくれた」と結論づけものだ・・・。
関わった子どものことは触れているが、関われられた子どものことについてはコメントがないし斟酌していない。
当該の子どもに教師も含めて「菌」をつけて呼んでいたことにも触れてない。
セカンドイジメ。
教育長も第三者委員会も・・・教育者として・・・それ以前の問題だ
人間として・・・美しい日本人の心はどこにいったのだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

彩の国鳩山町・・・福島の楢葉町のお蕎麦屋さん「楓」が・・・再開しました

2016-11-03 | 2011東日本大震災

今日のブログを読む前にまず↓のブログを見てください。2011年3月11日の東日本大震災・・・福島第一原発に近い楢葉町でお蕎麦屋さんを開いていた一家が比企郡鳩山町の集合住宅に避難して、川越の貸店舗で饂飩の店を開業したお話しです。
※2012年1月12日のブログ→クリック→「川越で・・・福島の・・・饂飩を食す

あれから3年、比企の丘の鳩山町でお蕎麦屋さんを開業しました。
」という屋号は楢葉町で開業していたお蕎麦屋さん「楓の庄」の再現だそうです。
※2015年7月27日のブログ→クリック彩の国鳩山町・・・福島の楢葉町のお蕎麦屋さん「楓」が・・・再出発しました・・・です。
それから数か月、ご主人お突然の訃報をコメントで知らせてくれる人があって、お店の休業のことを知りました。

2016年10月28日に「楓」が再開しました。
11月2日、お昼に食べに行ってきました。


看板の下に完売のお知らせが・・・一人前残っていると声をかけてくれました。



この日はチョッと寒かったので暖かいお蕎麦にしましたが・・・香りが良かったです。

ゴチソウサマでした。

※とうぶんの間はお昼のみ・・・11:00~その日の仕込みが完売次第終了。休日は毎週火曜日、第三月曜日。TEL:049-236-3035
コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

今日は何の日・・・あれから5年・・・3・11・・・東日本大震災

2016-03-11 | 2011東日本大震災

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0の大地震が三陸海岸、仙台湾、福島浜通りから茨城の鹿島灘など太平洋岸に起こり、その約50分後に大津波が押し寄せました。

3月12日15時36分、福島第一原発メルトダウン水素爆発。

福島県相馬市相馬漁港・・・木造家屋見あたらず、鉄筋、鉄骨の建屋もすべてこのように、福島第一原発から50㎞、撮影日2011年11月8日。

宮城県名取市閖上、県道10号線、仙台空港の近く。かなり大きな漁船が農家の庭に打ち上げられています。撮影日2011年11月8日。

宮城県石巻市日和山公園、海岸から1㎞、市民病院、西光寺を残してすべて瓦礫に、山の下の門脇小学校が残った。撮影日2013年1月25日。

日和山公園の下の門脇小学校。全校生徒270人が日和山公園への道を登って無事であった。損壊の跡が3階までに。撮影日2013年1月25日。

宮城県南三陸町志津川・・・鉄筋コンクリートの3棟を残してすべて瓦礫の山。瓦礫は3階建てのビルの屋根の上までに。撮影日2011年11月9日。

宮城県南三陸町清水浜・・・半壊したJR気仙沼線の橋梁以外に何もありません。撮影日2011年11月9日。

宮城県気仙沼市市街、街の大通りに船が乗り上げています。撮影日2011年11月9日。


東北・・・若いとき、何回となく訪れた地、震災から7か月目にどうしてもこの目で見ようと訪ねた。
石巻の日和山から見た海、気仙沼の港から見た海、茫然としていると地元の人に声をかけられ慰められました。悲しい顔をしていたのでしょうか。

2011年3月28日、埼玉県鳩山町多世代交流センター体育館で・・・原発避難者仮設住宅への入居者に対する支援物資の受付が始まりました。

2012年4月7日、埼玉県鳩山町で・・・「梅沢さくら祭り」・・・大震災の避難者の会のかたがたが焼きそばを作ってくれました。
福島浜通りのB級グルメ「浪江の太めん焼そば」です。撮影日2012年4月7日。

浪江町・・・福島第一原発から4㎞~8㎞、避難指示地区、避難指示解除は2017年3月想定、解除後の帰還意向調査・・・戻らないと決めているが48%(2015年9月調査)。

2014年3月8日、鳩山町に避難されていた方々が鳩山町農村公園に植えられた福島の桜です。


2016年月6日、TBSテレビ「サンデーモーニング」から・・・
原発放射線除染廃棄物収納袋通称フレコン「フレキシブル・コンテナバッグ」(1~2㌧)。
2015年12月現在1000万袋、仮置き場12万8000ヶ所、これをどこでどうするのだろうか。」

2016年3月6日、朝日テレビ「サンデースクランブル」から・・・
原発事故から30年、ウクライナ・チェルノブイリの今・・・原発から30㎞圏内強制避難・・・今はゴーストビレッジ、ゴーストタウンに。


天災には・・・悲しみがこみあげる。
人災には・・・怒りがこみあげる


天災に対しては自助努力で人々は立ち向かえます。
人災・・・放射能に対して人はどう立ち向かえばいいのでしょうか。

☆カテゴリー「東日本大震災」いままでのブログ見ていただければ・・・クリック
コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

福島の楢葉町のお蕎麦屋さん「楓」が・・・鳩山町でお蕎麦屋さん「楓」を再出発した

2015-07-27 | 2011東日本大震災

今日のブログを読む前にまず↓のブログを見てください。2011年3月11日の東日本大震災・・・福島第一原発に近い楢葉町でお蕎麦屋さんを開いていた一家が比企郡鳩山町の集合住宅に避難して、川越の貸店舗で饂飩の店を開業したお話しです。

2012年1月12日のブログ→クリック→「川越で・・・福島の・・・饂飩を食す

あれから3年、比企の丘の鳩山町でお蕎麦屋さんを開業しました。
」という屋号は楢葉町で開業していたお蕎麦屋さん「楓の庄」の再現だそうです。



今日は友だち夫妻とお蕎麦を食べに来ました。4人で行ったので5種類注文しました。

せいろ蕎麦。

大根蕎麦。

三味蕎麦。

楓御膳。

ゴチソウサマでした。
※{楓」の詳細は→クリック
いつの日か阿武隈山地で収穫された蕎麦で打ったお蕎麦を食べるときが来てほしい。

楢葉町・・・福島県双葉郡の人口7000人(2015年5月)の町・・・といっても現在はこの町の実人口は0。福島第二原発の立地。東日本大震災でメルトダウン水素爆発事故を起こした福島第一原発の立地する大熊町から20㎞圏内。全域避難。現在、役場は福島県いわき市に設置。2015年9月5日に避難解除予定だそうだが、それがどれだけ安全性を保障されたものかわたしにはワカラナイ


12月5日  しばらく休業するとのことを「かさかしげさん」がコメントで知らせてくれました。
再開しましたらまたブログでお知らせいたします。


2016年10月28日に「楓」が再開しました→クリック
11月2日、お昼に食べに行ってきました。
コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

あれから4年・・・311・・・東日本大震災

2015-03-11 | 2011東日本大震災
☆「2011東日本大震災」だけ見たいかたは・・・クリック
2011年11月8日・・・あれから8ケ月・・・相馬港の風景
福島県相馬市・・・太平洋岸に面した通称「浜通り」と呼ばれる地方。福島第一原発から北に約50㎞。
2011年3月11日・・・津波の高さ・・・相馬市7.3m、福島第一原発14m以上、死者・行方不明者・・・相馬市、新地町の569名、南相馬市663名。

恐るべき津波のパワーでです。港は相馬市内から5㎞ばかり離れ、市街地は被害は感じられなかったのですが。
ここでは木造家屋はほとんど見ることができませんでした。コンクリートの建造物でもこの爪痕です。




いま・・・どれだけ復興しているだろうか。ここは福島原発50㎞圏外、避難地域30㎞圏外‥・圏内は?
圏内の人の帰郷希望調査は30%に満たないといわれる。
(撮影日は2011年11月8日)


地震大国ニッポン、いつどこで想定外の大地震が起こるか。
わたしたちの知らない原子力の物体・・・目に見えない放射能が流れ出す。、
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

今日は何の日・・・3年前、東日本大震災・・・そして福島原発メルトダウン

2014-03-11 | 2011東日本大震災
2011年3月11日 14時46分18秒 宮城県牡鹿半島東南東沖130㎞、M9の大地震発生。
警察庁がまとめたこの震災による死者15854人、行方不明者3155人、避難中に亡くなった方1407人。復興庁まとめた避難者数267000人。

2011年11月8日、福島県浜通りの北端、相馬市の相馬港、このあたり福島第1原発より50㎞圏外。

2011年11月9日、宮城県石巻市日和山公園から見た石巻港までの街並み。

2013年1月25日、宮城県石巻市日和山公園から見た石巻港までの街並み。

2011年11月9日、宮城県南三陸町志津川の・・・町のあったところ。

2011年3月12日 15時36分、福島第1原発水素爆発。

2012年7月21日、NHKスペシャル「メルトダウン 連鎖の真相」より。

天災は有史以前から地殻の変動で数限りなくあっただろう。そのつど人はそれに対して向き合ってきた。
福島原発事故は天災によるものといっていいだろうか。観測史上はじめての、想定外の・・・と片づけていいのだろうか。

福島第1原発・・・まず破壊された建屋の撤収です。完全撤収に30~40年かかるそうです。除染水をタンクに入れて敷地内に保管していますがその敷地が満杯になるのは時間の問題だそうです。そのあとどこに保管するのか。放射能が何年で消えてなくなるのか・・・原子力専門の物理学者でもわからいようです。

あるところでこんなキャッチフレーズを見た・・・  Your happiness is Our happiness
これを、ひっくり返すと・・・              Your unhappiness is Our unhappiness
どちらも同じ意味です。
コメント (8)
この記事をはてなブックマークに追加

宝永の富士大噴火からの再興と・・・東日本大震災を重ねあわせて見る

2013-03-13 | 2011東日本大震災
3月6日22:00~22:43、NHKテレビの歴史秘話ヒストリアシリーズで次のような番組が放映されました。
江戸の復興代官 奇跡の4年  巨大地震・富士大噴火からの復興」
※写真コラージュはテレビからの抜粋。


東日本大地震から2年を迎えるころの時期を得た番組だったと思います・・・深夜放送であったことが残念です。

さて3月6日の放映日以来、私が2012年8月23日にブログアップした怒る富士・・・神様になった関東郡代・・・伊奈忠順に閲覧者が訪れるようになりました。初日は161PV、7日121PV、以後はわずかですが今日まで続いて合計400PVを超えています。拙ブログではありますが読んでくれたことはうれしいことであり訪れたかたがたにお礼申し上げます。。

この話の主人公は伊奈半左衛門忠順・・・徳川家4000石旗本、大老、老中などの政務中枢閣僚ではなく、関東郡代・・・実務官僚です。宝永大噴火で小田原藩領の富士山麓が壊滅的被害を受けたとき復興担当を命じられ、さまざまな苦難ののち復興の糸口を開きますが謎の死を遂げています。
この話に興味を持ち昨年8月、富士山麓須走の伊奈神社を訪ねました。

伊奈神社の一隅に立つ伊奈忠順の彫像です。「御厨の父 伊奈半左衛門忠順公之像」と書いてあります。
御厨とは・・・中世平安時代における皇室、有力神社の荘園(神領)、いまも地名で残る地区もある。御殿場、小山地区は中世は御厨荘園だった?

須走の中心街の北側の裏通り、徳川家康江戸入府以来の関東郡代七代目伊奈忠順(ただのぶ)を祀った伊奈神社です。いまから400年くらい前の生身の人間、しかも体制側の人を神に祀り上げて民衆側の人々が作った神社です。

話の内容はNHKテレビ歴史秘話ヒストリアで詳しく紹介されましたが、番組を見ていなかった人、違った見方で知りたいという人のために昨年の私のブログをダイジェストして紹介したいと思います・・・といっても・・・新田次郎の小説「怒る富士」の紹介ですが。

小説は1707年「宝永の大噴火」から始ります。噴火は小田原藩大久保家の領地の御殿場、須走、小山などの駿東59ヶ村から相模の足柄下郡、上郡に甚大な被害を及ぼします。幕府は大久保家の被災所領地を直轄領に変更(大久保家には幕府の他の直轄領を代替地に与えます)。被災地の復興に向けて関東郡代伊奈忠順を任命。
復興資金として全国の士分に対して禄高100石につき2両の義捐金(強制的)を上納させます。全国の士分から集めた義捐金は40万両、そのうち16万両を復興資金に回し、残りは使途不明金に。大奥の運営資金、朝鮮通信使の接待費用、皇室勅使の接待費用に流用されたといいますが定かではありません。
駿東地区で除去した降砂は雨が降れば鮎沢川から酒匂川に流れ出し河床を上げ、大雨が降れば川が氾濫、二次被害を起こします。大規模な川攫い工事も復興のための公共事業になります。この公共事業の請負は伊奈忠順の手の及ばないところで江戸の商人が入札していきます。
さらに幕府の直轄領とした被災地を亡所宣言します。亡所とは領民に税金は取らないから好きなようにせいということです。行政放棄され飢えに苦しむ百姓の悲惨な状況を見て忠順は駿河の幕府米倉から米を持ち出し被災農民に与えます。

震災から5年後の1712年に忠順は死亡します、病死であったか幕府から切腹を命じられたか自ら死を選んだかは不明です。
小説では自ら死を選び、幕府は病死として伊奈家は跡目を認められます。

忠順がお倉米を持ち出し領民を救ったということも切腹したことも記録には残っていないそうです。「徳川実記」には「忠順死ければ養子十蔵に家を継がしめ父の原職を命ぜられる」と書いてあるだけだそうです。忠順が死したのは1712年、それから江戸中期、後期、駿東の民百姓は忠順を神と崇め祠をつくりひそかに詣でてきました。忠順公は記録にはなくても記憶に残り農民の口から口への伝説となりやがて伊奈神社の祭神になります。

忠順の自死が犬死であったか。その後、駿東地区は年に数町歩の田畑が復帰されていったそうです。元に復帰するまで数十年の年月がかかったそうですが百姓は強かに生き延び亡所にはなりませんでした。

義捐金の流用、復興公共事業の指名入札、被災で飢えに苦しむ農村を亡所にして政争、派閥争いに明け暮れる幕府閣僚、高級官僚。
もう30年も前に書かれた小説ですがいまの社会に問題提起しています。

亡所・・・ふるさとを離れるしかない状況の場所のことを言います・・・帰りたい・・・帰れない


関東郡代伊奈家のについての私の過去のブログ・…こちらクリック
コメント
この記事をはてなブックマークに追加