比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
拙ブログの記事のリンク、写真の転用はご自由に。

信濃路の秋・・・上田ローマン橋と・・・真っ赤な林檎

2016-11-22 | 川と水と海と橋の風景

上田市の段丘上を走る上信越高速道の通称「上田ローマン橋」です。古代ローマの水道橋に似ているので「上田ローマン橋」・・・だそうです?
一級河川千曲川水系神川(かんがわ)が削った段丘の間の谷間の上仁架けられています。20径間の連続アーチ橋、長さ714.5m。

信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・
※ブログ「比企の丘から」のギャラリー公開。
今回は「上田六文銭」さんの画像提供です。
林檎が真っ赤に実っています。
※撮影日は10月16日、Panasonic LUMIX DMC-FZ100。
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大阪・夏の旅・・・阪堺電気軌道・・・明治の終りに架けられた・・・大和川橋梁の風景

2016-09-15 | 川と水と海と橋の風景

彩風人・・・2016年8月、大阪の旅の写真紀行です。
8月27日、大阪市浪速区恵美須東の阪堺電気軌道㈱の恵美須町停留所から路面電車の乗り鉄
途中の「大和川」停留所で降りて撮り鉄
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)

阪堺電気軌道「大和川」停留所を降りて、すぐ、堺市と大阪市の間を流れる大和川、阪堺電気軌道阪堺線大和川橋梁です。

1911年(明治44年)竣工、全長198m、横河橋梁製作所(現横河ブリッジ)の設計施工。
プレートガーダー橋(鉄鋼財の板桁橋)、橋脚は鉄管柱、土台は杭打ちコンクリート。
明治の近代土木建築遺産、鉄道史に輝く橋梁です。現役でガンバっています

大和川・・・奈良県桜井市貝ヶ平山(標高822m)を源流として、奈良盆地の支流を集め生駒山地と葛城山地の隘路を抜けて南河内に出て大阪湾仁注ぐ。全長68㎞。かつては川口にはウナギの稚魚のシラスウナギや鮎も見られたという。最近まで水質汚染ワースト1・2位を利根川水系支流綾瀬川と争っていたが現在はワースト5(鶴見川、中川、猪名川、綾瀬川、大和川)のうちの5位らしい。かなり改善されているが1位との差はほとんどない。河川は源流から河口までその流域のすべての人々のものだ。

下流の大和橋からの風景。意外に水量が少なくて水もキレイだ。阪堺線橋梁の上流部に遠里小野橋。
※撮影日は2016年8月27日。カメラはCanon PowerShot G7X。
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これは川ではない・・・滝だ・・・白馬五竜の砂防堰堤を見た

2016-05-06 | 川と水と海と橋の風景

5月2日、白馬五竜かたくり園にやって来ました。信州白馬村神城、白馬五竜スキー場のそば、姫川水系犬川の渓谷に沿って「かたくり園」があります。
国道148号線を神城駅の近くからスキー場に向かって入り、犬川の砂防堰堤の横から沢沿いに登っていきます。

かたくり苑」に行く前に、犬川砂防堰堤を眺めてみました。5段の砂防堰堤です。

犬川は小遠見山から天狗岳の直下の水を集めて一気に滑り落ち姫川に流れる長さ約5~6㎞、比高約1000mの急流。
国土地理院の地図で砂防堤を数えて見たら約30ありました。

明治の近代化の時代に政府が招聘したオランダの土木技術者デ・レーケが日本の川を見て
これは川ではない、滝だ」と叫んだという逸話が納得できます。

※日本における砂防の歴史・・・今に残っている日本最古の砂防堤(砂留)は広島県福山市の堂々川の砂留群(国の登録有形文化財)、いちばん古いので1773年だそうです。明治時代、オランダの土木学者デ・レーケが御雇い技術者として招かれたのが1873年、日本の砂防・治山を体系づけ「砂防の父」と呼ばれました。1897年「砂防法」が制定されます。犬川の近代的な砂防工事がいつごろから進められたか定かでありませんが、昭和の後期1960年代からと思われます。2014年ここは神城断層地震の震源地近くでした。地震による被害はなかったようですが。
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越辺川の冠水橋・・・赤尾落合橋と長楽落合橋の今

2015-07-08 | 川と水と海と橋の風景
7月5日、越辺川に架かる島田橋の復旧の様子を見に行きました。そしてその下流にある赤尾落合橋長楽(ながらく)落合橋を探索。
赤尾落合橋は坂戸市赤尾と東松山市正代(越辺川と都幾川の合流点)をつなぐ木造冠水橋。長楽落合橋は東松山市正代と川島町長楽をつなぐ木造冠水橋。
落合とは川と川の合流点、川俣とか出合とかいろいろな地名があるようです。

坂戸市赤尾集落の堤防の上から赤尾落合橋を見ています。
上流の島田冠水橋は復旧しましたが、ここは廃橋になったようです。

もとは生活道路(市道?)でしたが、いまはクローズに。
(撮影日は2015年7月5日)

2014年6月撮影の赤尾落合橋です。


2009年10月16日の赤尾落合橋。         2009年10月16日の長楽落合橋

冠水橋・・・埼玉県の荒川水系のみでいう土木用語らしい。河川の低水域を河川敷内で跨ぐ橋。最近は四国四万十川流域に架かる橋がその土地で沈下橋と呼ばれ観光として目玉になっているため普通名詞として定着化しつつあるようですが、地域により潜水橋、沈下橋、潜り橋などと呼ばれていました。統一した呼称は無かったようです。
越辺川の冠水橋・・・最近は島田橋、赤尾落合橋、八幡橋だけになっていましたが、いまは島田橋、八幡橋のみに。越辺川にコンクリート橋が架橋されるようになったのは最近50年間のこと。1960年代は冠水橋は珍しいものではありませんでした。
車社会になり大型トラックによる流通が主流になり一般家庭の移動手段も車中心になり、無用の長物のようになりましたが、橋は人と物の流れを作る道の一部、飛び石橋、丸木橋、流れ板橋、船橋、渡し船、冠水橋と歴史が流れています。遺しておきたい歴史的土木建築遺産です。
赤尾という地名・・・赤羽とか赤坂とか関東ローム土の色による地名もありますが鉄分を含んだ赤い土からの地名由来もあります。この集落には金山彦神社があります。縁起書はないようですが金工集団の神様のようです。川を渡った東松山市正代(しょうだい)にはむかし小代(しょうだい)鋳物師集団がいたそうです。川島町大字長楽に金山という小字があったそうですがいまでは地図から消えています。


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昨年6月の豪雨で流失した・・・越辺川の・・・島田冠水橋が復旧

2015-07-07 | 川と水と海と橋の風景

昨年の6月、梅雨が長く続き増水した越辺川、坂戸市島田東松山市宮鼻をつなぐ島田橋が流失、今年の5月、復旧していました。

復旧の開通式は5月28日。長さ77m、幅3m。

重量1.5㌧、車輌幅1.8mの制限。



前回の設置は1995年、流失は2014年、木橋は腐食することから耐用年数は15年程度と想定されているが20年近く流失を免れていました。付け替え工事は国の河川災害の復旧の適用を受け、国の補助金、坂戸市、東松山市の負担金で施工されました。

2014年6月16日ブログ掲載、長い梅雨の増水で流された島田冠水橋

2007年9月8日ブログ掲載島田冠水橋です。


島田冠水橋・・・全長77m、幅3m、車幅1.8mまで可、車重制限1.5t。
完全な木の橋に見えますが桁行だけH鋼が使われているようです。国道407号線高坂橋から600m下流、高坂橋がいつ完成したのかわかりませんが、完成するまではこの橋が使われていたのでしょう。時代劇のロケーションによく使われましたが、実際はむかしは橋などなく、大正時代までは「島田の渡し」だったそうです。
ここは日光街道(八王子千人同心街道とも)、川越・松山を結ぶ往還道(片柳街道)など結ばれる追分・・・交通の要衝。石井下宿、橋を渡ると西元宿という地名が残っています。島田はその二つの宿に挟まれた臨時宿場・・・間の宿といわれたようです。
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中・四国の旅・・・しまなみ海道で・・・今治から尾道へ

2015-04-15 | 川と水と海と橋の風景
わたしが旅したのではありません。彩風人の中・四国紀行です。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
3月21日、旅人は愛媛県今治市からしまなみ海道を渡って尾道市に。

愛媛県今治市糸島公園から来島海峡第三大橋

今治市多々良しまなみ公園から多々良大橋

広島県尾道市生口島から多々良大橋を振り返る。

広島県尾道市因島大浜PAより因島大橋
※撮影は3月21日、カメラはCanon PowerShot G12。

西瀬戸自動車道・・・愛称しまなみ海道・・・西瀬戸尾道IC~今治ICの間、59.4㎞、芸予諸島を10の橋でつなぐ。1945年架橋運動が始まり1970年本州四国連絡橋公団発足。1996年全橋の架橋完了。2006年全道路開通。自動車道は片側1車線。自転車人道専用道路あり。
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中・四国の旅・・・瀬戸の海・・・瀬戸大橋の風景

2015-04-04 | 川と水と海と橋の風景
わたしが旅したのではありません。彩風人の中・四国紀行です。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
旅人は備中高梁から倉敷に戻り瀬戸大橋を渡ります。

岡山県倉敷市下津井・・・鷲羽山(133m)の展望台から。
このあたりの海は備讃瀬戸、点在する島々は塩飽諸島。霞んでいるが四国、香川の坂出市が見える。

与島パーキングエリアから、坂出市の工業地帯方面を望む。

JR本四備讃線が走っている。

香川県坂出市・・・瀬戸大橋記念公園から。
※撮影は3月19日、カメラはCanon PowerShot G12。

瀬戸大橋・・・1889年香川県会議員某が本四鉄橋の架橋を提案したという。99年目の1988年に竣工。全長12300m(海峡部9367m)、幅35m、高さ194m。瀬戸大橋は10からなる橋の総称。塩飽諸島の内5つの島に6つの橋が架けられ陸地部に4つの橋が。橋の形式は3種類、斜張橋、吊橋、トラス橋。瀬戸中央自動車道、JR本四備讃線。
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彩の国・・・深谷ぶらり歩き・・日本煉瓦・・・上敷免鉄道・・・備前渠川鉄橋

2015-02-19 | 川と水と海と橋の風景
彩の国深谷市岡部、埼玉に18年ぶりで訪れた渡り鳥ナベヅルを見に行ったときの、その土地の見て歩る記です。

深谷宿の常夜燈、岡部藩の陣屋跡、長屋門、江戸時代初めに開削された備前渠川、深谷市血洗島の近代資本主義の父「渋沢栄一」の生家、栄一の従弟であり義兄でもある深谷市手計の尾高惇忠の生家、最後は渋沢栄一が設立に携わったといわれる深谷市上敷免の「日本煉瓦」。

日本煉瓦の裏側に沿って行くと自動車が進める道路の行き止まりにこんな鉄橋が。

日本煉瓦の専用鉄道・・・上敷免鉄道・・・備前渠鉄橋(1895年架橋、国指定重要文化財)。

廃線となったいま、深谷駅までの4㎞はレールは撤去されあかね通りとして散策路になっています。

写真は鉄橋の上から備前渠の上流。すぐ上に取水堰、水門がある。江戸時代初期に造られた農業用の人工河川。

備前渠鉄橋・・・1スパーン、15.7m、ボナール型プレートガーダー橋、煉瓦橋台、Ⅰ字形鉄製橋桁、ポナールとは鉄道省が招聘したドイツ人のお抱え技師の名前。
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彩の国・・・深谷で見た・・・400年前に開削された備前渠用水

2015-02-13 | 川と水と海と橋の風景
彩の国深谷市岡部、埼玉に18年ぶりで訪れた渡り鳥ナベヅルを見に行ったときの、その土地の見て歩る記です。

JR高崎線岡部駅から北に、伊勢崎市境島村に通じる埼玉県道259号線(新野岡部駐車場線)、道の駅「おかべ」から小山川を越えてすぐに・・・埼玉県最古の人工河川・・・その名も「備前渠用水」があります・・・またの名を備前堀、備前渠川(渠・・・中国語で人工河川のことをいうそうです、日本ではあまり使いませんが暗渠という熟語で使われています)。
本庄市山王堂で利根川から取水、小山川の左岸を流れ深谷市岡で小山川に、深谷市矢島で小山川の右岸に流れを変え、熊谷市葛和田のあたりで福川と合流し利根川に。人工河川ですが利根川水系一級河川。全長23㎞、流域1400㌶の水田を潤す。

埼玉県道259号線の喜七八橋の上から上流の風景。遠くに浅間山が見える。

川家康が江戸に入府したのは1590年・・・そのとき家康の石高は250万石といわれ、譜代旗本に与えた分を除くと自身の石高は100万石。三河、遠江、駿河、甲斐、信濃を領した時代は132万石といいますから石高は大きく増えましたが、関東平野は荒地、湿地・・・領地開拓は一から始まります。
利根川の東遷、荒川の西遷を手始めに、新田開発の大プロジェクトです。
備前渠は1604年、初代関東郡代伊奈備前守忠次が計画、工事の指揮を執ったことから後に備前渠といわれます(同じように伊奈忠次が施工した水戸の用水堀は備前堀といわれます)。
洪水による取水口の破壊。浅間大噴火による河床の上昇など、いろいろなことがありましたが、1961年、現在の取水口の完成で安定した川になってるようです。
こうして関東平野は新田が開発され豊饒の地に育って行き、八代将軍吉宗の時代には450万石を超え、旗本所領地も400万石を越えたといいます。

何気ないただの農業用水に見えますが400年前に開削された農業用水です。
現役の農業用水路であり、治水、農業の歴史遺産です。
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日本の四季・・・袋田の滝・・・紅葉真っ盛り

2014-12-05 | 川と水と海と橋の風景
日本の秋、紅葉の季節です。
※今日はに比企の丘からのブログをギャラリーとして開放。
彩の旅人さんの素晴らしい写真を展示します。

彩の国比企の郷の・・・彩の旅人の写真帳・・・
日本の三大名瀑(日光華厳滝、南紀那智滝、常陸袋田滝)のひとつ・・・「袋田の滝」です。

袋田滝・・・茨城県久慈郡大子町袋田、久慈川の支流滝川の上流、長さ120m、幅73mの段瀑(四度の滝)、1500万年前の海底火山爆発の崖、溶岩遮断型。冬の氷瀑が有名。いちどは見ておきたい名瀑ですが遠い(常磐自動車道那珂ICから42㎞)。
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