紅葉。

2020-11-20 21:37:04 | Weblog

ここ数年、「紅葉」に心を動かされ過ぎて、自分でも自分を持て余している。

美しすぎるのだ山が。どこもかしこも。

トラックの同僚に同意を求めると、決まってみんな怪訝そうな顔をする。

彼らはあれを、特に美しいとは思わないみたいだ。・・別にいいけど。

山の木々の葉っぱが赤や黄色に染まるくらい、何てことないのだ。

確かに・・・・・・・・・・・・・そうかもしれない。

それはただの、季節における自然現象なのだ。

しかし、美しいものは美しい。

試しに何枚か、写真にとってみたのだが予想通り、見事にその「感動」は映らない。

ただの「木々」しか写らないのだ写真には。

その「オーラ」みたいなものが写らない。当然と言えば当然なのだが。

しかし、考えてみたらこんな光景、もっと若かった頃にも見ているはずだし、

何なら子供の頃だって・・・・秋になればこの紅葉の風景を目にしていたはずである。

しかし過去の僕は、何にも感じなかった。

若いヤツにはわからないのだ、「紅葉」の美しさが。

確かに・・・「紅葉狩り」ツアーとかは老人が多い、という印象が強い。

女子高生がバスを借り切って「紅葉狩り」には、いかないかもしれない。

例えば幼稚園児が「紅葉」に感動していたとしたら、その光景は奇妙なものだろう。

「紅葉」の美しさはある程度、歳を重ねなければわからないものなのだ・・・・きっと。

ところでさっき「紅葉狩り」という単語が出たが、

「紅葉」を見に行くのに「紅葉狩り」という名称は、あまりにもそぐわない。

そう思いませんか。

「狩り」という行為は、動物とか獲物を殺して持ち帰る行為で、それは「狩猟」だ。

「狩猟」が悪いことではない、もちろん。(レジャーでやるならどうか?とも思うが。)

「オヤジ狩り」なら話は別だ。「オヤジ狩り」は単なる弱者標的の恐喝で、卑怯な犯罪だ。

「狩猟」に対して、「紅葉」を見て楽しむ、という行為はとても平和的で、

いい意味で受動的だ。

「草食」的でもある。

「狩り」と正反対の行為だからこそ、「紅葉狩り」は、単語として面白いのであろうけれども、

僕は違和感ばかりを感じる。

「紅葉」を見て楽しむ、という行為はもっと崇高で、悪い意味ではなく「老婆心的」である。

僕は単なる老青年であるのだが、

(自慢になどならないから言うのだが)・・・老婆心すら、持ち合わせているのかもしれない。

しかし「紅葉」の季節は、今しかないのだ。

あと半月もすれば葉っぱは落ちてしまって、山の風景は灰色に染まる。

灰色と、常緑樹の緑色だ。

燃えるような鮮やかな赤と、輝くような黄色の葉っぱを拝めるのは、あと少しの間だけなのだ。

 

ああ僕はもしかして映画「12モンキーズ」に出てきた、

未来からタイムスリップしてきた囚人なのかもしれない。

映画の中で彼は、海を見て感動しつつ、こう言っていたのだ(うろ覚えだが)

「俺は海を初めて見たんだ!俺たちの時代にはもう海なんかないんだ!」

と。

 

今の僕には「紅葉」が、とても貴重で、はかなく消えて行ってしまうものに見える。

 

っていうか、

 

 

そうとしか見えない。

 

 

 

写真は、オーラの映らなかった「紅葉」の風景。

コメント (10)
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