マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

醜い日本人

2011年03月21日 | カ行
 公正な発言態度について考えをまとめてみます。

第1点・金の動きと結び付けて考える

 大学で教科通信を出すと喜ばれます。特に女子学生はこういうのが好きで、「高校時代にこういうのがあったらなあ」と書いてくれる人も少なくありません。

 さて、哲学の授業の場合は授業の性質上、毎回発行するのですが、ドイツ語の授業では平均して月に1回です。すると、「毎週出してほしい」といった要望が出ます。私は「これこそ『言い易い人にだけ言う』という間違った態度だ」と言い、機会を見て以下のような話をします。題して「世の中の事は金の動きを考慮しないと、本当の事は分からない」。

 「この要望がなぜ間違っているか」を考えるには、イチローにだけ『4割を打ってくれ』と言うことと比べて考えると好いと思います。牧野への要望はなぜ「×」で、イチローへの要望はなぜ「○」なのでしょうか。

 お金の動きを考えるのです。イチローが4割を打ったら、お金はどう動くでしょうか。かつて2005年ころ話したので、当時に立って考えますが、当時イチローの年俸は約10億円でした。1~2年後に契約更改の時が来る予定でした。そこで私は、「イチローが4割を打ったとしたら、次の契約更改の時、年俸が今の10億から15億とか20億とかに上がるでしょう」と言います。皆、これで大体察してくれます。しかし、私は続けます。

 君達は私の給与を知らないようだけれど、時間講師は時給5300円なのです(私の勤務していた大学は特に悪い)。この5300円という時給が高いか安いか、外部の人は判断しにくいと思いますが、これは不当に低い時給です。

 1年間30週の授業とすると、1コマ(2時間)で30万円です。大学講師の適当な担当コマ数は週に6コマですから、年俸にすると180万円です。これで分かるでしょう。私見では、大学の時間講師の時給は最低でも1万円でしょう。そうすれば年俸360万円になって、ワーキングプアは何とか脱することが出来るでしょうから。

 まあ、それはともかく、現実は時給5300円です。その時、授業の準備に週に4時間かけるとすると、週に4時間担当していましたから、実質の時給は半分の2650円になるわけです。ですから、毎週教科通信を出すとすると、それだけ準備の時間が今より増えるわけですから、実質の時給は一層下がるわけです。

 要するに、メジャーとかプロ野球とかでは「努力が報いられるシステム」があるから、特定の人にだけ高い要望を出しても好いのですが、大学には「努力の報いられるシステム」がないので、そういう要望を言ってはならないのです。

 最後に、私は「君達は僕に損をさせようとしているんだぜ」と言います。既に教科通信を出しているだけでも普通の先生より時間を割いています。まあ、私はいろいろな目的で講師をしていましたから、銭勘定だけで考えているわけではありませんが、一般的に言うと以上のような事になります。

 その後のレポートには「あの要望は間違っているということが分かった。サービス残業と同じだ」といった意見が出てきます。

第2点・まずトップに言うのが原則

 第2の問題として、学校では校長や学長が天皇になっていて、トップに意見や批判を言うことをしない、という問題があります。長には言わないで、全てを担当教師とか「言いやすい人に言う」のです。

 浜松市議のSさんは、生徒の親から「ブラスの顧問の先生が30万円の楽器の購入を強制した」と相談に来た時、ブログに書き、議会で教育長に「貸出制度を充実させたらどうか」といった質問をしたようです。しかし、校長には談判に行かなかったようです。訴えた人は、自分では校長に言えないので、市議に言ってもらいたかったのではないかと推測しますが。

 私見では、この「言いやすい人にだけ言う」という態度ほど世の中を悪くしている態度はないと思います。この問題は浜松市の積志公民館での哲学講座の通信「松の木」でも取り上げてあります。

 「言うべき人に言う」という態度が必要です。しかし、では何かが問題になった時、「言うべき人は誰か」、これを正しく判断するためには世の中の仕組みを正しく理解しておかなればなりません。

 今、多くの大学では「授業アンケート」を取ります。私は最初のアンケートの時が来ると、授業アンケートというものをどう考えるべきかをテーマにした授業をします。新聞に載った論争を取り上げたりします。私見としては、「アンケートはまず学長の大学運営について取るべきだ。個々の授業についてのアンケートはその後だ」と言います。結論はありません。学生がそれぞれ考えて行動すればよい事です。

 一定の割合でおかしな学生がいます。なぜか私を嫌ってくれて、揚げ足取りのような事をレポート(我が授業では「アンケート」とは言いません。これをまとめて教科通信「ユーゲント」を出します))に書いてくれます。「先生の間違いを指摘したのだ」というのが言い分です。それに対して、「まず学長の間違いを指摘するのが学問的に正しい順序だ」と言います。

 この問題は既にブログ記事「主権者であるということ」にも書きましたので、このくらいにします。

第3点・醜い日本人(自分の意見を言ってから質問せよ)

 今、東北・関東大震災に際して、日本人が略奪や暴動を起こさず、助け合い、忍耐強く並んで順番を待つ姿が外国の人々から称賛されています。これはこれで立派な事であり、我々の誇りとすべき事ではあります。

 しかし、外国人からしばしば批判される日本人の悪癖もあります。その中でも特に悪名の高いのが、「日本人は相手に質問をするばかりで、自分の意見を言わない」というものです。

 これはかなり有名な事ですから、一般的な事実は確認だけにして、今回「仮立候補」をしてみて、経験した事を材料にして具体的に考えましょう。

 私への質問を書き、その後盛んに返事をしろと要求してくる人がいます。その人はその返事の催促の中で、「私どもの間では、最近牧野さんの仮立候補についてがよく話題に上ります」とも書いています。しかし、その「私ども」とはどういう仲間なのか、そこでどんな意見が出て来たのか、自分はどういう意見を述べたのか、そして一番大切な「どちらを支持するのか」は述べていません。これが「醜い日本人」なのです。私の経験では、外国人はまず自分の立場(支持する人)から話し始めるものです。

 材料が足りなくて判断が出来ないと強弁するかもしれませんが、それは逃げているか嘘をついているかのどちらかでしょう。「現時点での判断」をするに必要な情報は十二分に出ています。

 別の或る人は、質問を10個ほど列挙してきましたが、その中に「マキペディアで馬込川についての記事を読みました。そのうえでどのように『憩いの川』にするのか具体的な考えは?」というのがありました。

 私はあの提案の中では珍しく(わざとですが)自分の具体的提案は書かずに、問題を提出し、皆さんの提案を募りました。しかし、同時に、「いまでもかなり楽しい散歩が出来ます」と書き、「まず自分で何キロでもいいから歩いて見てほしい」という趣旨の要求をしました。それなのにこの質問者は歩きもしないでこういう質問をしてきました。ほかの方からも「歩いてみての感想」は1つもありませんでした。具体的な提案などは望むべくもなかったようです。

 この方は「耐震補強作業中に高校生がミスをした場合、逆に作業にて負傷した場合等の保障はどこがどのように行うのですか?身内に高校生がいる身としては大変気になります」とも書いています。

 高校生がいるなら奥さんも加えて(最低でも)3人で話し合ったうえで、馬込川についても家族で歩いてみて話し合ってから、自分達の意見を十分に詳しく報告してほしいです。質問するのはその後にして下さい。

 学校教育については、「天タマ」を3号くらい読んで、話し合ってみてほしいです。私は「市長通信で全市民と話し合いたい」と書きましたが、それは「天タマ」を拡大したようなことを考えているのです。それなのに、市民がこのような「自分の意見を言わない市民」では市長通信は作れません。

 言論は自由ですが、社会的発言には「資格」ということを考える必要があると思います。誰でも何でも質問していいわけではないと思います。「10回自分の意見を出したらようやく1回質問の資格が出来る」くらいに思って下さい。そうでもしなければ「醜い日本人」を改めることは出来ないでしょう。

 最後に、もう1度、最初の学生の「毎週教科通信を出してほしい」という要望に返ります。この要望も本当は「そう思う事自体」は悪くないのです。そう思ったらレポートに充実した意見を書けばよいのです。例えば、こういう意見を書いた人がいます。

──前期の最後の授業の中で授業に対する評価を提出するのがありました。選択式・匿名のものです。アンケートの内容が授業に反映されるのは嬉しいことですが、これは対話ではなく、先生の意見の聞けない一方的なものでした。

 昨年、浪人して予備校に通いました。そのとき講師に対する評価をアンケートとして提出しました。予備校の講師というのは評価が待遇に影響するそうで、講師は生徒の反応には敏感でしたが、人気取りに気をつかわなければならないのか、授業態度を注意するのも大変そうでした。

 一方的な評価を第三者が見て更に評価する制度というのは、このようにご機嫌取りを必要としてしまうのではないかと思います。牧野先生の「レポートを書かせて教科通信を出す」やり方のように、対話であることが本当の意味でより良い授業のためになるのだと分かりました。

 昨年は「アンケートによる授業評価」自体を疑問に思いましたが、それが「一方的なアンケート」に対する疑問に変わりました。──

 人生意気に感ず、です。先生がまず頑張ったら、次は学生が頑張って返すのです。すると、先生は更に頑張るのです。市長候補者と選挙民の関係でも同じでしょう。

    関連項目

「天タマ」

主権者であるということ