マキペディア(発行人・牧野紀之)

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実践

2011年03月11日 | サ行
 実践概念については、まず、他の概念の場合と同様、実践概念の定義が問題ですが、同時に理論との関係(理論と実践の統一)をどう考えるかも同じように大切です。いや、両者は結びついています。

 後者での肝心な点は「理論と実践の統一」という句を「理論と実践は一致させるべきだ」という道徳的な当為命題として理解しないことです。これは「両者は事実、一致している」という事実命題です。なぜなら、これは「対立物の統一(対立物は対立していると同時に一体でもあるという法則)」という弁証法の根本命題の1特殊例にすぎないからであり、これは「対立物は事実、一体である(一致している)」という意味だからです。

 実践概念の理解では、政治、あるいはもっと正確に言うならば、政治ごっこだけを実践とするような子どもの態度を卒業することです。政治はむしろ生産活動ないし経済活動という実践に対しては理論に属するとさえ言えます。

 又、例えば学問の内部にも方法(理論)とその適用(実践)との対立があります。

 つまり、理論とか実践とかは相対的な概念なのであって、絶対的に何が理論で何が実践かと決まっているのではありません。

  参考

 01、理論を神秘主義へいざなう全ての神秘は、その合理的な解決を人間の実践とこの実践を理解することの内に見出すであろう。(フォイエルバッハに関するテーゼ第8)
 感想・マルクスは「実践」そのものと「実践の理解」との2つを上げています。ほとんどの人は前者だけ見て、後者を見逃しました。

 02、この世界を精神の上で実践的に獲得する……芸術、宗教(マルエン全集第13巻633頁)
 03、実践、即ち実験と産業(フォイエルバッハ論第2章)

 04、注目すべき事──概念と客観との合致としての「理念」へ、真理としての理念へ、 ヘーゲルは人間の実践的な、合理的な活動を通じて接近している。これは人間が自己の「実践によって」その観念、概念、知識、科学の客観的な正しさを証明するという思想のすぐ近くまで来ていることだ。(哲学ノート。邦訳全集第38巻161頁)

 05、以上の全ては「認識の理念」の章(第2章)に──「絶対的理念」(第3章)へと移る所に──ある。即ち、ヘーゲルは明らかに実践が1つの環として、しかも客観的(ヘーゲルでは「絶対的」)真理への移行として、認識過程の分析の内に、その位置を占めている。従ってマルクスが実践という基準を認識論に導入した時、彼は直接にヘーゲルに結びついていたのである。フォイエルバッハに関するテーゼを参照せよ。(哲学ノート。邦訳全集第38巻181頁)

 06、人間は客観的な世界像を作り上げてからその活動によって外的現実を変化させ、その規定性をなくし(=それのあれこれの側面、質を変え)、このようにしてその現実から仮象、外面性及び空無性という特質を取り去り、この現実を絶対的に存在する者(=客観的な真理)にするのである。(哲学ノート。邦訳全集第38巻187頁)

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