マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

校則(01、行過ぎた校則の根拠)

2008年07月09日 | カ行
 日本の学校では服装とか頭髪とかについての校則が厳しい所が多いようです。又、ゲームセンターに行ってはいけないとか、学校からの帰途にデパートなどに立ち寄ってはいけないとかの規則があって、学校教師が見回っている所もあるようです。これらのことをどう考えたらよいのでしょうか。

 私はこれを考えるには、まず、生徒のしてはいけない事、つまり「悪い事」を分類してみるといいと思います。それは以下の通りです。

 A・本人の人生をだめにする事
  A-1・法律で禁止されている事(飲酒、喫煙、麻薬、売春など)
  A-2・学校が決めている事(服装、頭髪、ゲーセンなど)
 B・他人の人権を侵害する事(盗み、暴力行為などの犯罪)
 C・成績不良

 このように分類してみると、本来学校で問題になることはCの成績の事だけではないか、ということにまず気づきます。しかし、日本の学校ではよほどの事がない限り留年はなく、退学はないということにも気づきます。つまり、日本の学校ではCに対して厳しくできないのです。

 正当な授業をしたにもかかわらず「出来ない」生徒は留年させるか退学させるしかないにもかかわらず、それをすると世間が、「悪い生徒をよくするのが先生の仕事ではないか」と教師と学校を責めるのです。

 もちろんBに対しても厳しくできません。Bに対して厳しくするとやはり、「悪い生徒をよくするのが先生の仕事ではないか」という「世論」とやらが騒ぎ立てるからです。これについては既に「学校は治外法権か」で論じました。

 この「世論」はものすごく強いものです。今でも記憶に残っている事があります。3年ほど前、神戸小学生連続殺傷事件というのがありました。犯人とされる少年は中学生で、最後に近所の男の子を殺し、その首を中学の門の前に置いたというあの事件です。その容疑者が自分を「酒鬼薔薇(さかきばら)」と名乗ったあの事件です。

 この事件は4つの事から成り立っています。
 ① 小学生の女の子を殴って大怪我をさせた。その時は犯人不明。
 ② 別の小学生の女の子を殺した。当時は犯人は不明。
 ③ 同級生の男子を鎖を使って目茶苦茶に殴った。殴られた生徒は転校。犯人とされる少年は教師に「学校に来るな」と言われて、登校しなくなった。
 ④ 小学生の男の子H君を殺して、その首を中学の門の前に置いた。容疑者逮捕。

 さて、この事件はいろいろと論ずべき事がありますが、ここで取り上げるのは、④が起きた時、その犯人とされる少年が学校に行っていなかったこと、そしてその理由が、③の後、先生に「学校に来るな」とか「学校に来なくていい」と言われたことによるらしいということです。

 というより、④の事件が起きた時、その容疑者の少年が学校に行っていなかったのは、その前に先生に「学校に来るな」と言われたからなのかが大問題になったということです。学校は「そんな事は言っていない」と否定したのですが、世間の多くの人は「言ったのではないか」と疑いました。これが相当大きな問題になったのです。

 私はこの争いを聞いていて、「これだから日本はだめなのだ」と思いました。どちらの側も「先生はそういう事を言ってはならないものだ」という事を当然の大前提にして、言ったか言わなかったかだけを争っているからです。正論を言う人が1人もいなかったからです。

 学校は場合によっては生徒に「学校に来るな」と言ってもいいし、③の後は学校はその容疑者を警察に引き渡すべきだったのに、そういう事を言う人が1人も居なかったからです。

 このように日本ではB(犯罪)とC(成績不良)に厳しくできないのです。そのため、学校はBとCを未然に防ごうとするのです。そして、A-2の校則を厳しくするのです。

 もちろんA-2の校則によって犯罪や成績不良を防ぐことはできません。それは先生にも分かっているのです。しかし、それしか方法がないのです。そのために今のような事になっているのだと思います。

 特に校則の厳しい私立学校などになりますと、親の方がそういう校則を評価して、子供をその学校に入学させるという面もあると思います。私立学校は客である親の意向を無視することは出来ません。そのためにこうなっているだと思います。

 要するに、生徒の犯罪や成績不良に対して厳しくすると、大多数の日本人は「悪い生徒をよくするのが先生の仕事ではないか」と言って学校と教師を責めるのです。この日本人の体質が変わらない限り、おかしな校則もなくならないのではないでしょうか。私はそう思います。

(教育、2000年12月13日発行)