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'23-12-26 “2023 Highlight”

2023-12-25 22:48:20 | Massy's Opinion
★Megu's Sports
Travel: Tokyo (5月); Milwaukee, WI (8月); Lathi, Finland (8月); Spain/Portugal (9月); Tokyo (12月)
Race: 2x Ironman 70.3; 2x Olympic/Standard Distance; 2x World Championship
Turning 50

*Travel: 今年の “Racecation”、Ironman 70.3 World Championshipで、Lathi, Finland に。WTC Final で、Pontevedra, Spain。その後、3日ほどPortugalへ。Lathi, Finlandは、夏は、緑が多く綺麗だけど、活気にかけるところ。街を歩いてても、レストランや、店が開いてるのか、閉まっているのか、わからない。もう少し、ヘルシンキで時間があったら、またフィンランドの違う面もみられたのかもしれないけど。

それに比べると、Pontevedra, Spainは、Livelyな町。天候も、その街の印象に影響を与える。レースの後に行った、Portugal。スペインの隣の国なのだけど、カルチャーが結構違ってたりして。食べ物、現金嗜好、などなど。

これらの街で、よく見かけたのが、レンタル電子スクーター。Lathi, Finlandでは、レース会場が、街の中に転々としていて、歩くいて回ると、結構な距離になるし、時間がかかる。ので、レンタル電子スクーターは、便利だった。Lisbonでも、レンタル電子スクーターが、多くあったけど、場所によっては、石畳の道や急な坂道が多いので、ちょっとチャレンジ。また、スクーターを決まった場所に返さなければいけなくて(ほとんどのレンタル・街は、‘乗り捨て’・どこへでも駐車して、レンタルを終了できる)、そのパーキングのスポットが見つけられなくて、街をのり回ってたりすることも。

旅をしていて、観光して楽しいところ、住んでみたいところってある。Portugalは、今の所、その両方。また時間をかけていってみたい。

*Race:おかげさまで、まずまずのシーズン。Olympic/Standard Distanceのレースは、2レースともキーレース。ランが、今年は、10年以上ぶりに、良い走りができて、楽しかった。WTC Finalでは、初めてのトップ10Ironman 70.3 Morro Bayでは、2度目のAge Group1位。バイクが寒くて、あまりプッシュできなかったので、ランで、良い走りができた。タイムとコンペティション的には、あまりタフではないレースだったけど、Ironmanブランドのレースで1位になれるのは、滅多にないことなので、 喜ばしいですね。

*Turning 50 :9月に50歳に。恐ろしいって言えば、恐ろしい?自分では、まだ32のような気でいるけど、あっという間に時間が経っているんだなって感じ。自分が、子供の頃、思っていた50歳位よりは、今、みんな若い50歳だなって思う。これは、自分がその歳になったからで、今の、子供たちからみたら、やっぱり老けているのだろうか?以前に比べると、日本でも、普通のサラリーマンや、主婦っていうだけじゃなくて、趣味で、アクティブなことをしている人が増えてきた。これも、若さを保つ秘訣。

Happy Holidays!!



‛23-12-19 街角の変化

2023-12-18 22:35:59 | Massy's Opinion
★Massy’sOpnion
*吉祥寺
先日、古い会社の同期生 4人と「久し振りに昼飯を食おうよ」と言う事に成った。
顔ぶれは、R大 陸上競技部 中単距離選手K君 M大自動車部 主将N君、K大 骨董倶楽部主宰S君、それに僕、の4名。
K君とN君は、吉祥寺周辺の住人、K君は、3ヶ月前に腰椎手術をしたそうだ。それなのに元気、年令から言っても手術には、かなりの勇気が必要だったと思う。本当に7年ぶり位の顔合わせだった。
会った時は流石皆年をとったな...と思ったが、。会場はN君の案内で駅、北口の方の横町のイタリアン・レストン、入り口は狭いが、奥は広く満席殆どが女性客N君は何回かきて居るらしい。メニュウはN君任せ。皆、矢張りビール、僕は水割りのダブル話はK君の手術の話からスタート。’1970年代、あの頃は日産最盛期、会社は自動車以外手を広げハワイのホテルを買ったりしていた。N君はそこの社長を務め、開所式に50人位の社員が参加させられた。開所式の挨拶を英語でしたのを今でも覚えているが、「おい...N君あの時、君が英語で挨拶するなんて思わなかったよ。」
「流暢だったよな 如何したの...相当暗記したの?」「そうよ、マスちゃん、俺がそんなに出来る訳無いじゃん」「でも、あの頃は楽しったよな、バブル期の始まりだよな...」
約2時間半位の思い出話に大きな花が咲いて。「マスちゃん話は面白いよ。又、半年位したら会おうよ」と言うとでお開きに成った。
さて、吉祥寺は良く通い歩いた成蹊中学時代パチンコ屋に入ってたり、野球の練習の帰りは「特一番」のラーメン何時も食べていた。あの頃,小遣いが一日100円、ラーメンが1杯35円、3杯食べると105円に成るので3杯目は誰かと半分こしていた。35X3=105円 は今でも頭に沁みついている。慶応高校の時は日吉に店が無く渋谷の「珉珉」で餃子と炒麺で50円ずつの100円、大学の時は練習帰りに玉突き屋に寄って出前で「狸蕎麦」が35円 吉祥寺の特一番ラーメンが忘れられない。
今、文房具屋が無くなり、来年の手帳を買いたくても中々見つからない。吉祥寺駅ビルのユザワヤ行ってみた。スッカリ店の雰囲気が変わって仕舞って文房具類は少ない。パイロットの物も品数が少ない。井の頭線沿線では永福町に1軒昔しながらの文房具屋さんがある。そこに行っても無い。店主に「どうして無いの?...」と聞いたら「だって、売れないんですもの...」と言う事。
*渋谷
色々考えたがどうしても毎年使って居る奴が欲しい...と「ロフト」ならあるかな?と渋谷迄でる事にした。「ロフト」にもなかった。「ハンズ」まで行った知らぬ間に「Tokyu」の名前が変わっている。「資本が動い居るんだな...」いずれ、西武のデパートも再開発されるのだろうな。と感じた。
*吉祥寺~渋谷と久し振りに文房具探しに歩いたが、世の中大きく変わって来ている。
・カレンダーが少なく成った。僕が気にいって居る犬のカレンダー屋さんが閉店すると
・手帳、日記帳の類が品目の絞り目立つ
これらは全部スマホの機能強化により、追い出されて仕舞ったのだろう。
さて、株式の逆張りでないけれど、「読み」「書き」「ソロバン」をしっかりと幼い内に教えて置かないと高給取りには成れないだろう。








‘23-12-12”世情寸評“

2023-12-11 21:35:53 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*マスコミの賑やかな事、種に事欠かない。気が付いて感じた事を羅列することにする、今週のUpdate.
*世界は広い...ウクライナとロシアの戦争、この処、ウクライナの反攻がうまく行って居ない様な報道が多い。武器不足なのか?西側諸国のウクライナ応援も戦果待ちくたびれの様な雰囲気。プーチンも落ち着いている様だが、内部では「どう収拾しようか...と言う議論はあるのだろう。 戦場の現場では、生死を掛けているので緊張しているのだろうが、何かドローンの飛ばしっこをしているような感じがする。イスラエルのガザとの戦争も激しさを加えている様だ。これは、力の差も大きいし、イスラエルは徹底的に他国の応援なしに戦うだろう。又、ミヤンマーでも内戦が始まった。これも何十年も前から在った内戦が顕在化して来た様だ。僕は、もう40年位前から中国提案の「一体一路」には、大きな期待をしていた。イタリアが脱退を表明して、中国の国力も落ちて来て、再論議されるのには、100年位先の話になるだろう。僕が実務をやって来た中で、「自動車」と言うものを通じて考えた「世界平和」は「通行区分の世界統一」が一番身近だと思って中国提案に期待をしていたが、この世界中の戦争が速く終わってほしいものだ。全ての戦争の原因は、「土地」と「宗教」なのだろう。
*国内...酷い政界。自民党に徹底的なメスが入りそうだ。これは国民の責任だと思う。
それにしても、安倍さんの時代は何だったのだろう?人柄は悪い人ではない。しかし、世渡りは上手いが、基礎的な勉強は足りなかったのではないか?その流れを汲んでいる岸田さんも同じだ。最近、色んな事を感じるが、僕も90歳自分の今までを振り返ると本当にいろんな人にお世話に成り、その度に良い勉強をさせて貰った。矢張り、そのベースは学校にあると思う。成蹊から慶応と言うプロセスの中で、野球一筋、社会人では自動車ディーラー
本当にお客様、役人、同業他社のいろんな人々とお付き合いをして来た。労働組合もいい経験に成ったが、僕の生きている間に、資本主義は変わらないと思い組合の本部専従は断った。
今、岸田さんが考えている色んな無償化とか給付は、政府が面倒を見ると言っても、これは共産主義になって仕舞う。誰か本当に良いリーダーは出て来ないものだろうか?
*スポーツ...今日は朝から「大谷君」のニュースでどの新聞でも一杯。本当に素晴らしい選手だと思う。移籍は選手に与えられた権利、お金にしようか...環境にしようか...彼の自由いい選択だと思う。僕も右投げ左打ち経験では右肘が痛くなる。投手が出来なくても打撃は生かせる。僕の意見は、ブログに8年位前に書いている。入って来るニュースによればストイックな体作りと生活をしている様だ。毎年グローブを配ってもいい。生活、行動大谷モデルを作り上げて、勉強して将来は日本の政治家になれ。今慶応の野球部の学生は、セカンドライフを皆考えている。先生方のサラリーマン化の方が心配だ。良いアドバイサー、良いコーチが必要だ。高齢者の側も自分のセカンドライフの目標の中にそう言う Keep your  eyes openも必要だ。僕も最近、理学療法士さんのお世話になって居る。非常にいい青年で「うん...自分の姿勢は悪かったな...昔もそう言われたことが在ったな...」「矢張り、いいコーチが必要だな」と痛感している。


‘23-12-5 “Diary 203” 

2023-12-04 22:09:17 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
* 11/2     riha
如何も足の調子が良くない。足首が突然痛む。右足は70年前の後遺症らしかったが、左足は右足をかばっての原因か? 加齢のウエイトが多いのだろう。保険を使って理学療法士に訪問介護をして貰うことにした。とてもよい青年。青森出身だそうだ。サッカーをやって居たが、膝の靱帯を切って、プレーをあきらめてこの道を選んだとか...僕の見方から若い子を眺める目は、余り狂っていない筈だが、良い性格の青年。安心して任せることにした。早速、僕の主治医           MeguとSkype で打ち合わせ...キット同じ様な患者のお役に立てるようになるだろう。2本ステッキでウォーキング 足の踏み出しとか、背骨の角度とか悪い癖が附いている様...skypeの限られた画面では解らない部分だ。

*11/21    福岡教授 お別れ会 華山会館
慶応読書会の校長先生こと福岡先生のお別れ会。場所は樫の会の例会場。福岡先生は僕が大学1年の時経済原論の講義を持っていた。僕も経済へ入ったのだから「原論」はシッカリ勉強しておこうと思って取った時の先生。当時、アメリカから帰ってきて直ぐだった先生、ツイードの背広に変えズボン学校の中ではひときわ目立つ服装だった。当時は「サミエルソン」
と言うアメリカの学者の原論で、非常に難解で有った。それでも「A」をとれた。不思議...
会社を退任してから読書会に入ったが、事務局の先生が丸山教授で野球部長だった。生徒の代表が秋山譲介君こんな縁でこの会自体が秋山君の父上が浄財を集めて当時の若い先生方が洋書を買って勉強するようにと言うのが読書会の発足だとか...野球部が塾の中で「特殊部落の様にならない様に...」と言う思いが学生当時からあったので、故前田裕吉監督,故榊原監督、柴田君らをメンバーに入れた時代もある。お別れの会は歴代の秘書のお嬢様方も来て居たし、いいお別れの会だった。コロナ過は矢張り非常に大きな禍根を残しているな」来ているメンバーも随分年を取った人も見られた。

*11/ 27吉祥寺 
東京日産時代の吉祥寺近くの友人が食事をしようと誘って来た。明大自動車部の元キャプテン、立大の競争部の100mの選手、慶大の同期、僕の4人、吉祥寺の素敵なイタリアンレストラン皆、同じように腰椎、肩甲骨、耳、不具合を抱えている連中。「いい時代に会社勤めが出来て幸せだったな...」と言う事で、昔話に花を咲かせた。本当に「日産」の全盛期に大過なく勤められた幸せを話しあって、楽しかった。吉祥寺は僕も成蹊の3年間悪い事を覚え始めた場所であり、懐かしい思い出も一塩。来春の再開を期して別れた。                                                 
*11/29 日吉倶楽部 75週年記念パーテイー
日吉倶楽部の創立75週年を祝う記念パーテイーが開催された。1部は現役甲子園メンバーを中心にアルコール抜き、2部は現役退席してOBの宴会。1回生から10回生までは、テーブル席が用意されて、心配りの在る会場。兎に角、大学からは加藤新部長、堀井監督が参加。
本当にいい会だった。会場の設定、進行、塾高のOBはマスコミの現役アナウンサーも数人いるし、全部、本格的、大学の秋優勝、 神宮大会優勝、高校の“日本一“75年掛かったと言う事。杉並三田会の会報に寄稿を頼まれたので、付記して置こう。

*“杉並三田会会報” 寄稿
”祝う! 日本一...“(‘23-9-2)
先日の甲子園大会で、慶応高校が見事、優勝をした。正直な所、神奈川予選では籤運に恵まれた所もあったが、甲子園では、強豪校ばかりで何とか2回勝って欲しいなァと思って居た。神奈川の県予選では好調な試合ぶりで安心はしていたが甲子園ではそうは行くまいと...特に初戦の沖縄尚学戦は好投手東恩納君なのでロースコアーの試合を予想していた。その内に勝ち進み、これは、仙台育英と当たると良いな、春のタイブレークは何か物足りなかった思いも強かった。まあ、順当に勝ち進み予想を超えた夢みたいな「育英」戦による決勝戦に成り、既に、皆さまご承知の様な107年ぶりの2度目の全国優勝となった。全く後輩たちよ、「良くやったな...」と言う感じである。
*さて、新聞、テレビ、戦況については、十分すぎる報道がされて居るので、ここに至るまでの慶応野球の今まで100年に喃々とする歴史を振り返って、三田会皆様の記憶の中にとどめて置かれれば幸いである。先ず、大会から言へば、森林監督に注目が当たる。然し,ここまでくるまでに100年を超える月日が過ぎているのだから色んな人が影に成り日向に成りご尽力を頂いているわけだ。皆さんも余り行く機会は少ないと思うが、綱町のグランドで慶応野球は始まっている。狭いグラウンドである。僕は慶応高校の4回生であるが、今の矢上キャンパス用地に高校のグラウンドが出来たのである。通称「嵐が丘」と呼ばれいた。給水設備はないし、練習前には小石拾いが下級生の日課であった。その後、日吉の大改築の一貫でマムシ谷に今のグラウンドが出来たのである。両翼90m位しかない狭い球場である。それでも上田監督の希望もあり、外野に高いネットを張り黄色いラインを超えたらホームランと言う事にしたり、トレーニング場や、雨天ピッチング場を作ったりして、最大限の整備をした。狭いグランドで上田監督も知恵をしぼった指導をされて居た。ライト側の外野のネットに「keio 日本一」と言う横断幕が張られている。もう可なり以前から貼られている。初めて、見た時、「現実離れしているな...」と感じたのである。これは七條部長先生が昔57回生が甲子園に出て2回戦で「神戸国際付属」に大敗した時に「これではいけない...もっと高い理想を持たなくては...」と言う事で、作られたそうだ。大分色あせて来ているが、見事今回は高い理想通りに成った訳である。この次、どんな理想を掲げるのか、楽しみでる。もう一つ今年の特徴は,小宅始め、推薦で入学した選手も、「慶応で野球が遣りたい」と言って勉強をしたそうだ。他校はいろんな推薦推薦方法がある様だが、慶応の推薦は、難しい。文武両道を究める事が大事だ。[Enjoy Baseball ]は、故前田監督が監督時代に言われたことである。何か、髪の毛だとか、楽しんでやる...と言う事とは違う。もっと深い「独立自尊」
を根幹とする前田さんの発想の中から生まれた物である。本当に「いいチームが出来た」指導者のご努力を感謝し、来年も頑張ってほしい。      (日吉倶楽部4回生、三田倶楽部32年卒増田 弘)