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“教える- I” ‘15-3-31

2015-03-31 07:33:10 | Megu's Sports

☆ Megu’s Sport

今日も、気温24度で晴天のSan Francisco Bay Area! 干ばつが、心配されているけど、この気候の良さと、自然、そして適度の刺激のあるエリアには、日々、満足せざるを得ませんね。

 さて、私のキャリアに興味を持ってくださる人が、指の数ほどいます。その半分は、大学の教授。私がアメリカに来て、はじめて通ったFoothill Collegeの教授は、毎年、” Injury Prevention”のクラスの生徒とともに、私の仕事場、Evolution Trainersに見学に来ます。また、私も卒業生の一人である、San Jose State University Athletic Training Graduate Programのプログラムディレクターとも知り合うきっかけがあり、昨年の10月には、セミナーのクラスのゲストスピーカーとして私のキャリアをトピックとして、プレゼンテーションをする機会をいただいて。また、今月初めには、同じグループの生徒が、授業の一貫としてEvolution Trainersに訪ねてきました。

なんで興味をもってくれているのかと考えたところ:

・1)仕事場、Ashley SelmanがオーナーであるEvolution Trainersが、ユニークな施設である事;

・2) Evolution TrainersでIndependent Contractorとして働いているトレーナーの仕事形態の特殊さ;

・3)私が、ここまで行き着いた経歴、だと思うのです。

 恵まれた環境でビジネスができる事とクライアントの支援に感謝しつつ、3)の私の経歴について語ってみます。私が、NATA-ATCとしてパーソナルトレーナーの道に進んだきっかけは、以前に働いていたAXIS Personal Trainers, Incのトレーナーが、先日、私がゲストスピーカーとしてプレゼンテーションしたように、セミナーのクラスにきてAXISについての話しをしたこと。彼ら自身も、NATA-ATCで、プロのチームや大学、もしそれがだめなら、理学療法クリニックでのアシスタントという、お決まりの職業以外に、パーソナルトレーニングが、NATA-ATCにとっての新しいキャリアの選択のひとつ;また 、その当時、創業2年目ほどのAXISでは、ATCやExercise Science/Physiology; Kinesiologyなどで修士を取得している人々(Body Builder系の典型的なパーソナルトレーナーとは違った部類の人々)を集めていると言っていたのを聞いて、私の目がこの業界に向いたわけです。

 “教えたいな”と頭のどこかで思っていたんだけど、4年制の大学では博士号が必要とされ、大学院をでたあとで、これ以上、学生を続けることもできないし、コミュニティーカレッジでは、教えられたとしても、空きがないし(また、当時の語学力では、ちょっときつかったのも確か)。クライアントと知識をシェアして、彼らの健康の目標の助けになるというのも、“教える”うちのひとつだと思うようになり。。。。

 と、いうことで、私自身がゲストスピーカーの影響を受けて、この道を選んだのと同じように、今の大学院の生徒達が将来のキャリアを選ぶのに、「TraditionalなATCの仕事以外に、このような選択肢 もあるのだよ」って言う事を伝えられたらな。また、選ぶにあったって、この業界で成長していく過程、ビジネスの形態、心がけなどを把握してくれたらなと思いながら、プレゼンテーションをしたわけです。

 これらの学生を対象に、プレゼンテーション/授業ができる経験は、私にとって貴重な経験で、多くの人が私に良い意味で影響/刺激になってきたことの恩返しとして、今度は私が、学生達にとっての良い影響/刺激になれたら幸いだと思っています...。

 

 

 

 

 


“自動車の進化と通行区分“   ‘15―3-24

2015-03-24 07:45:59 | Massy's Opinion

*  Massy’s Opinion

僕の持論「通行区分の世界統一」もブログに載せてから可なり古くなった。馬鹿みたいに機会があるごとに話をしているが、野球の集まりで話したりはしない。T,P,Oを考えてはいる積もり。此の頃、テスラを中心に自動車の燃料問題、(ハイブリッド、電気、水素等)ウエアブル端末化、装置に至っては、バック誘導装置、自動運行システム等、色々な将来形がマスコミの話題に取り上げられている。

先日、或る人から「マッサンの言う右ハンドル、左ハンドルも、自動車に自動運行装置が付いたらもう必要ないのじゃないの?...」と質問を受けた。予想外の質問に「一瞬答えに戸惑ってしまった」自動運行装置についても、新聞記事等の報道を僕自身、そんなに詳しく読んで居なかったのだ。

そこで改めて色々考えてみた。

・自動車が生まれたのは、フランスで1760~70年頃に蒸気自動車が生まれたそうだ。それから凡そ100年後、1870年頃にガソリン自動車が生まれ、1908年有名なT型フォードが大量生産されるように成って来た。21世紀の今、日本国内はトヨタ一強の中でプリウスを主体としたハイブリッド車がエンジンとしては主流となっているが、このハイブリッド方式も色々な形で1900年初め頃から生産されているのである。要するに此処で言いたい事は、自動車は大体100年位の間隔で変化の節目が出来ていると言う事である。そして勿論、自動車だけでは無く、道路や周辺の環境にも色々と左右されて行く。そういう意味では、この21世紀の前半は燃料、駆動装置等に新しい機構が出現する可能性は大きいだろう。しかし、幾ら自動運行装置が出来たとて、交通ルールなしで走り回ることは出来はしない。船でも飛行機でも運行区分のルールはある訳だ。自動車は当然道路上を走ることに成るのだからその上での自動運行になる筈である。まあ、どんな運行装置になるのか、よく解らないが、ステアリングが形状は変わったとしても無くなる筈はあるまい。とすれば運転席は必要な筈だ。だから、矢張り「通行区分の世界統一」は必要だと思う。

・もう一つ別の面から考えてみよう。

燃料問題、駆動方式問題は何れも自動車のコストアップに繋がる問題だ。経済はなだらかな成長を遂げて行かなければ成らない。或いは経済のインフレーションを牽引するのは自動車産業の大きな役割だろう。水素であり、電気であり、その元と成る熱源は石化燃料に頼らざるを得ないのだ。地球温暖化、大気汚染等の局面から考えると電気であれ水素であれ、石油以外の燃料に切り替えることに目が向くかもしれない。しかし、現実的にはもう一度LNG,やLPG、軽油とかとのハイブリッド化を重視しなくてはいけないのではないかと思う。さて、大量生産方式の代表的産業は自動車産業である。自動車産業の経営上の最必要項目は、軽量化と作業効率の向上であり、この為には生産種目の少量化、流通面では在庫の少量化が必要条件である。既に20世紀後半では、国産メーカーでは、車種のプラットホームの大幅な削減に取り組んでいる。特に目立つのは日産だ。これから遠いい将来を見据えた時、自動車メーカーは更なる合理化に取り組まなくては成るまい。とすれば、「右ハンドル、左ハンドル」を統一すれば大きな合理化になるだろう。

・今、発展途上国には年間100万台を越える中古車が日本から輸出されている。この正確な台数は実に把握し難い。輸入国の税制、管理体制により、「完成車はダメ、部品は良い」最近では、年式により輸入を規制されたり、様々である。新車の場合は車の使われる地区の法制に従って現地生産した方が、効率が良いと言う考えも出てくる。今日本の国内生産台数と海外生産台数をメーカー別に調べると面白いだろう。日本の景気の悪いことが良く解る筈だ。

・今、「京都大学大学院経済研究科東アジア経済研究センター」では、塩地教授を中心に中古車の東アジアを中心とした流通の研究が活発に行われている。その内容は、色々な学校の若い先生方や業界の人が多く集まり、ユニークな中古車流通の部門の研究がメインである。僕は、今まで50年に亙り「自販連」がお付き合いしていた教授方に接しているが、この様なアプローチで長い期間研究を続けているグループは珍しい。僕もこのグループに入れて頂いているが、日本の政治の世界観が狭いこと、縦割り行政の情報の流れの悪さ、をつくづく感じさせられている。

先日のニュースによると、アメリカ、カリフォルニアでは、自動車の排気ガス規制を又一段と厳しくするそうだ。まさか「テスラ」の増販をバックアップしようとしているのでは無いと思うが...カリフォルニア州は自動車に対する規制の一番厳しい州であり、この規制が強まると、自動車が進化する節目になる。反響を注意して見守る必要があるだろう


“失われる倫理観”       15-3-17)

2015-03-17 07:09:10 | Massy's Opinion

Massy’s Opinion

☆最近の倫理観 喪失度は激しいな!

・小保方問題

マスコミも最後まで報道して欲しいよね。小保方さんもキチンと自分の所謂、説明責任を果たして欲しい。「本当に貴女は何を考えているの?」理研も偉い人が辞めただけでは済まないよ。若い小保方さん 貴方の考え方一つで、貴方の将来も世の中も変わるよ。僕は、貴方が性悪だとは思わない。教育のプロセスで欠けていたものがあつたのだろうと思う。

・金沢の準教授の学生殺害。

ひどいな準教授は所帯持ちでしょう?何が在ったか知らないが、貴方、曲がりなりにも指導者でしょう。男女の関係か、何か未だ報道がないので解らないが、兎に角酷い。学校、学生、PTA,OB、関連する人々に与える影響は計り知れない。僕の頭では追いつかない位、考えさせられる問題だ。

・中学生殺害

僕の住んでいる杉並地区は、吉祥寺を中心に「石や一家」と言う「てきや」のしまだった。ある時、井の頭のプールへ近所の仲間4~5人で井の頭んープールへ泳ぎに物資のない終戦直後、水泳パンツなんか満足にない時代。一人の子供が女性用の水着で泳いでいた。一緒に泳ぎに行った仲間の一人が、「ああ、あいつ女の水着で泳いで居らー」と言ったのがその子の耳に入り「チョッと来いと...」と僕らの仲間がプールの裏の畑に引っ張り出された。向こうは10人位、そこで、所謂「総ゴロ」多勢に無勢コテンコテンに殴られた。「土下座して、謝れ...」と言われた。悪いことをしている積もりは無いのに、土下座をして謝ると言うことは、中々できる物ではない。この殺害問題は、こんな精神構造の問題と似ているような気がする。群集心理、そして背景にある家庭の貧困、或いは倫理観のない強い暴力でのストレス発散。この弱いものいじめは、周囲の細かい注意でお互いが防げた問題だと思う。

・中川国会議員の不倫問題

これまた酷い。常識の無さ...自分のお金を貰っている立場、親の立場、幾ら恋愛の自由と言ってもT,P,O位弁えなくては...予算委員会に出て来たときの本人の気持ちは、何を考えていたんだろう?それにしても安部さんの人事は甘い。女性の地位と活躍の場を広げると言ってもこんな広げ方は安部さんも期待しては居なかったろう。説明責任はあの答弁で「終わった」と思うのは多々間違いだ。自民党の女性国会議員全員集めて、前回辞めた議員含めて、「公開総括」をするべきだ。面白いだろうな...この会議に出てこない議員は辞職するべきだ。アベノミックスよりも経済効果は上がるかもしれない。自民党の支持率も上昇するだろう。中川さんは確か皇后様と同じ、聖心ののOGでしょう。聖心さんも毅然とした態度を示して欲しいものだ。

・お決まりの政治と金の問題 

3・15NHK政治討論3・16国会中継を見ていて感じたこと。文科大臣の金の問題もNHK会長のハイヤー料金問題も質問も甘い。タクシー会社を調べて質問をすればいい。政治資金規正法も抜け道だらけ...法律は立法の精神がある筈だ。文科大臣があんな答弁をしているのでは、この国は本当に危ない。幾ら出版業界やテレビの視聴率が下がっても、こんな低俗な問題ばかりで、マスコミの記事造りを助けているのでは困ったもの...

 

 


“プロの経営者を占うもの“        ‘15-3-10

2015-03-10 07:43:07 | Massy's Opinion

Massy’s Opinion  

 ☆3・7付け 朝日の朝刊12面「経済気象台」に表記の記事が出ていた。

この所、知名度の高い会社のトップ経営者の異動が激しいので、こう言う記事が出ていたのであろう。ポイントは創業家企業にそう言うケースが多いと言う事。記事の中に出ていた会社は何れも20世紀の日本の繁栄を引っ張って来た会社だ。それだけ日本の会社は21世紀の15年間何とか持ち応えて来たと言うことだ。僕は会社勤めもして来たし、父親の作った会社もワイフのお陰で今まで持ち応えている。従って、この記事が提起している問題が良く解る。先発投手が創業者、予定の6回まで何とか投げてきたが、さて次は如何しようか?中継ぎにしようか?最後まで完投させようか?何でも他所のピッチャーが欲しくなる。こんな結果、成るべく知名度のあるピッチャーを引き抜いてこようか?何処かの似非オーナーが頑張っている球団の様だ。僕は「プロ経営者は占う」ものではなく創業家を中心とした株主の考え方によるものだと思う。株主の考え方が一番のポイントだと思う。プロの経営者には占われている余裕は無いはずだ。

☆後継者問題は経営の最大の課題だ。

僕自身、約50年に亙り、部門長だの、組合長だの、雇われ経営者を経験し、父親の作った会社も当初の資本金50万円から、商法改正のたびに資本金を増やし、現在では、1000万円の会社に成っている。業績は今一つだが創業1931年、株式会社化1957年と言う事で、会社化してから58年経つ。父親は1960年に亡くなったので50年は株主として会社の後継者を考えたり、業容を考えたりして来た。振り返ってみると若い時代に組合の専従をした事が一番いい経験に成っていると思う。何故かといえば、組合長当時一生組合をやることは考えて居なかった。当時は、学歴別給与体系が出来ていて、夜学の卒業生は高卒扱いだった。部下に昼間卒業生と同時期に夜間を卒業した社員の給料が違ったのである。これには義憤を感じて、意見を言って居る内に組合専従に成らざるを得なくなってしまった。「よし、しょうがない3年専従をやろう上部団体には行かない」僕の生きている内に資本主義は変わる訳は無い。「労働組合は野球で一人だけ反対向いてホームベースを守っているキャッチャーだ人権と平等を守るんだ」と自分に言い聞かせて専従になることを決めた。そこで、「直ぐ3年後の自分の後任は誰にしようか?」と考えたのである。会社の部署でも異動はある。何時も「後任は誰がいいかな?」と考えていたものである。創業家がトップを長く続けていると、如何しても組織は「慣れが出来てきて、やがて、淀みに変わり、業績低下に繋がっていく」お客様の会社、友人の会社、知人の会社、幸い色んな創業経営者の方と親しくお話を聞くことが出来、後継者問題についてお聞きすることが出来た。6つのケースを例にして見よう。

・タクシー会社第二次大戦後の会社である。現在は東京で5指に入る保有台数。息子さん3人と幾つものグループ会社があるが、「長男には一番古い会社保有台数700台の会社、次男には500台の会社、三男には300台の会社を持たせ、それぞれ1000台の会社にしろ」と言ってある。と言う話を聞かされた。毛利元就の3本の矢に習ったのか?いつも新しいことを考えて兄第仲も良く、この激戦の中でも隆々としている。

・あるタクシー大手、先代は長男を社長にして、次男を専務と言う配置にした。先代が存命中は良かったが、長男次男が成長して子供が出来る。如何しても意見の一致に骨が折れる。今は、長男の息子が社長をしている。

・ある地方で自動車ディーラーを国産車と外車の2社経営している会社がある。創業者には、息子が4人。国産車のディーラーは、長男が社長、4男が専務、外車ディーラーは次男が社長、三男が専務。長男の息子が社長を継いだが経営不振になり清算。外車ディーラーは次男の息子が今は社長をして隆々としている。三男は子供が女ばかりで皆嫁いでいるので、ゴタゴタは起きない。兄弟皆知っているが、先代の子供を見る目がしっかりしている絶妙な配置だ。

・ある広告会社は長男と三男で創業。折からの好景気で会社は2部上場にまで成った。長男は学者肌、三男が実質的に頑張っていた。今、社長は長男の息子、三男の息子はさる保険会社に勤めている。兄弟でも、子供の代に成ると難しい。

・或る超大手のタクシー会社は、先妻の子供と後妻の子供が年齢も近く二人いたが、不幸にも、先妻の子は若くして病没してしまった。問題なく経営は後妻の子に引き継がれて来たが、この所の経営改革で規模の縮小と原点回帰を社内からの昇格社長が切り回している。

・僕の父親は、長男、姉、弟二人、二人の弟は兵隊に行って、終戦後引き上げてきて自動車部品商を始めた。その他に番頭さんが二人同じように暖簾分けで部品商を始めた。父に「如何して合併しないの?」と聞いたけれど「合併はしない...今に解るよ」と言っていた。ヤッパリ方針事の意見の一致は難しいのだろう。最近になって、父親の言っていた事が解るようになってきた。

此の頃の様に資本の異動が激しく、しかもその資本の実質的権利者は誰なのか?解らない状態では「プロ経営者」は力の発揮が出来るだろうか?外部からのスカウトは基本的には、ショートリリーフだと思う。日本の資本主義はどうなって行くのだろうか?占いも出来ない位に混迷だ。

☆若い学校出立ての後輩に「社長になりたいと半年言え」「少年よ大志を抱け」

Boys be ambitious like this old man

10年位前、母校の慶応高校の野球部の後輩10人位に学部への進学相談、就職相談を受けたことがある。僕らの時代と桁外れ部員の数も違い、学部も増え、指導教師も若返っている。この種の話し合いも少ない事は事実だ。その連中に色々聞かれて、会社に入れば、「色んな先輩、上司もいるよ」「大事なことは勉強する事を忘れるなよ」など話をした。そして、「会社に入ったら、半年間社長になりたいと毎日言え...」そして、「お前みたいに字の下手な奴は社長には成れないぞ...」とか、「遅刻が多い奴はダメだ...」と叱られるだろう。そうしたら、「叱られた事を直す努力をしろ...」と話した。一人の子が、「先輩、僕社長になったら、日銀副総裁ですよ...」と答えた銀行へ就職の決まった子が居た。僕の方が度肝を抜かれた答えだった。又ある子は、最大商社のM商事を受けたが、不幸にも不採用、就職留年をして又翌年同じ会社を受験して採用された。「おい、E君良く受かったね。入社したら何をやりたいの?」と聞いたら、「大きな会社で小さなことを遣りたいんです」と予想外の返事をして来た。この子の時代は、チームが弱く県予選で負けてしまったが、仲間とママチャリで甲子園まで行くようなことを遣っていたのである。こう言う機転のきく子、信念の強い子をスクスクと育てる事の出来る企業が多くなって欲しいものだ。後継者を内製で育てることが矢張り一番だろう。時間も掛かるし、社会も変わる。この先見性も経営者の大事な要素だろう。


 “Diary 98”            ‘15-3-3

2015-03-03 07:58:47 | Massy's Opinion

☆Massy’s Opinion

☆2・1豊川稲荷

例月通り、お昼は菊屋さんで、「力うどん」もうこれが恒例、美味なんだね。僕のお参りは本堂だけ...他に沢山あるお狐さんや何かにはお参りはしない。何か商業的な匂いがする。

☆2・4案内状作り

庭の沈丁花もだいぶ蕾が膨らんできた。東日神宮ネット裏懇親会も15回目を迎える。早いものだ。案内状造りもこの4~5年は片岡君のPCレベルが上がり(住所録が二人とも筆グルメ)殆ど下地が出来ているので要領よく短い時間で準備できた。会場は、矢張り馴染み深い「楼外楼」に決めた。来年は東北大地震5周年で、丁度、あの日、会を開いていた「パンダ」にすることに決めた。

☆2・8アフリカ野球友の会 総会

初台のJICAにて恒例の総会出席30名。今年も友成代表が在タンザニアなのでSkypeによる参加。NPOになってから5年経過し資格更新時期を迎えて、無事に更新を終えたとの報告。財務報告等小須田幹事長の取り纏め事務力見事なもの...アフリカで散らばっているJICAのメンバーが各地で活躍しているようだ。甲子園とネーミングされた球場も出来たとか...見事な活動だ。今年は、赤木君(昔国鉄スワローズ、塾高5回生六大学首位打者一回)のチーム「柳北エラーズ」と練習試合を予定している。

☆2・14 TUN君囲む新年会

Tun君が職場を変えてから早や半年が経つ。適材適所と言うか、本人希望通りの母国との架け橋の業務で出張が多く、中々日取りが合わず遅ればせの新年会と近況報告。Mr&MrsYさんと我々夫婦Tun夫婦の六人で昼食会。場所は渋谷のおなじみ「PandaRestaurant」あそこは店も広いし小部屋が多く5~6人の懇談には、がさがさしていないのが丁度いい。Tun君生き生きとして十分に彼のキャリアーが生きている様だ。余り道を外れることは無いだろうが、大成するかどうかはこれから本人の勉強しだいだ。得がたい幸運を掴んだラッキーボーイだ。勿論、彼のご招待。

☆2・16平田杯 新年会

代々木公園の駅前のマンションの一室にイタリアンレストラン「SAKU」と言う店がある。何か隠れ家風の変わった造り、昨年末忘年会をやって、皆さんがお気に入り。年末と同じメンバーで今年のゴルフの打ち合わせ。車を運転する人が居らず、少し高くても「平塚あたりでやりたいね」「4月頃になったらね」と言うことで終わり...皆、よく飲んだ。

☆2・17先生方来宅 

兼ねてより連絡をいただいて居た。北海学園大学の浅妻教授と千葉大の福田博士が来宅。主題は中古車の流通について2時間ばかり懇談。浅妻先生は3度目の来宅。昨年半年近くロシアへ行って日本から輸出された中古車がどんな流通と使われ方をしているのか実際に調査してこられた。僕としては、若い先生方に僕の「問題提起」「通行区分の世界統一」を解って頂ければこんなに嬉しい事は無い。今度、上京の折には我が家へ泊まって話し合おうと言うことになった。

☆2・17 慶応読書会

講師 岩橋崇至氏 (山岳写真家塾員)今月のスピーカーは例月とは異なり、日本有数の山岳写真家岩橋先生の燕岳を中心とした写真を題材にした講演。僕も写真も一時期は随分と撮ったものだ。FaceBookのアルバムには良く撮れたと思う物を15~6枚UPしてある。しかし、全部フイルム時代の物、先生の作品、雪山、雷鳥などは僕のものとは比べようも無い鮮鋭さ、やがてカメラの世界は3Dの世界へと更に進化していくだろう。僕はフイルムが退化してから写真をすっかり止めてしまった、今はニコンのCoolPix一台だ。それも十分には使いこなせない。改めて写真機も進んだものだと思う。

☆2・21慶応野球部練習見学会

幸いに好天に恵まれて、予定通りに日吉へ行く。午前中は2~3軍の練習試合。大久保監督にも挨拶をして貰う。僕の知っている限りでは、地域三田会のこう言う見学会は初めてだろう。今、女子の部員が一人居るが、丁度、紅白戦で一回登板した。ランナーは出したが無得点でお役目は果たした。一度見てみたいと思っていたので良かった。帰り、一人で日吉台へ回った。高校の方が練習場では元気な声がしていた様な気がする。特に目立つ選手は居なかったが、去年のレギュラーが4~5人残っているので、ある程度の期待は出来そうだ。

☆2・27慶4会 

何時もの顔ぶれ。高校の野球部は何時も仲がいい。昼間から結構飲む。昼食を終わりお茶を飲んで解散。既に15時を回る。A君が「ガードの並びの飲み屋に行こうよ」「俺の知っている所があるから付き合え」と...ワイフに「電話して遅くなるよ」と言う。一軒目の飲み屋、お客は誰も居ない。店は韓国人の女性一人。そこへ若い坊やが飛び込んで来た。  暫くして話し掛けてみる。一人旅で韓国から宮崎に来て福岡~京都~新宿~秋田~札幌~釜山の旅だと...殆ど夜行バスでホテル代を節約だそうだ。日本語が30%英語が15%解らないと直ぐIpadを使う。A君が「もう一軒、本当に俺の知っている店がある。あの子を連れて行こうよ」と言う。A君、英語韓国語随分出来る。「学校のころあんな出来なかったよな」韓国の坊やは徴兵があるので、その前に一人旅に来たそうだ。「日本とは戦争はやめようね。君は僕たちに会って、ご馳走になって猛烈に本当にラッキーだよ」A君「新橋の焼き鳥やより、新宿の方が焼き鳥がでかいだろ...」チョッとした外国旅行気分、楽しかった。と言うことで2月も無事に終わった。