massy-academy

advice for consumer

“2022 Highlight” (12-25-2022)

2022-12-26 22:11:12 | Megu's Sports

★Megu’s Sports

Travel: Tokyo (4月); Milwaukee, WI (4月); St. George, UT (10月); UAE/Egypt (11月); Tokyo (12月)

Race: 3x Ironman 70.3; 2x Olympic/Standard Distance; 2x World Championship

Covid: 今のところ1x

と言うことで、2019年以来、あちこち行くことになった年。今月の初めに初の中東から帰ってきて、あっという間に東京へ。今年のHighlight、中東について書きます。

2019年に出場権をとったWorld Triathlon Championship Final。2020年と2021年、エドモントンで開催される予定が、2年続けて、Covid-19のおかげでキャンセル。ついに、Abu Dhabi (United Arab Emirates)で11月25日に開催。出場権がそのまま移ったので、参加することに。ヨーロッパ、オーストラリアなどは、いつも自分で旅を計画。今回は、一緒に旅をしたことのある4人で行くことになって、中東ということもあり、PPS (Premium Plus Sports)という、レースを中心にツアーを組むトラベルサービス・ツアーを使うことにした。このツアーでは、オプショナルで、レース後、エジプト6日間が計画されていた。ツアーと言っても、現地までの往復は、個々なので、バイクを一緒に持って行く私達にとっては、計画するのに時間がかかった。長くなるので、前置きは、この位にして:

World Triathlon Championship FinalAbu Dhabi (United Arab Emirates):水温29度、気温30度以上で湿気が多い。今まででたWTCは、もっと出場者が多いんだけど、場所のせいか、私のAge Groupでの完走者33人。ほとんどの出場者は、アメリカとイギリス。結果は、12位;アメリカからの出場者の中では4位。スイムは、2位。まずまず。Abu Dhabiは、Dubaiから車で1時間20分程の比較的新しい町。Formula 1のレーストラックの真横に立っているW Hotelに滞在。Formula 1のファイナルが終わったばかり。滞在中は、Formula 2の練習ランをベランダから、コーヒーを飲みながら見ていた。ダウンタウンには、行く時間がなかったけど、レース会場やホテルの周り、レースの出場者以外、あまり地元の人を見かけない。不思議なことに。

Cairo- Aswan- Abu-Simbel- Luxor- Cairo (Egypt): ピラミッド、スフィンクス、寺院、モニュメントなど、訪問したサイトは、どこもImpressive。ラクダにも乗って。一生一度の経験でしょ、きっと。行く価値あり。お気に入りは、Dahshurのピラミッド、Valley of Kings, Luxor Temple。40+人のツアー。初めての大きなツアー、最初で最後。自由時間もなく、いつ食べられるのかわからない。ランチがたいてい午後3時以降。クッキーとプロテインバーが夕食という日も。人数が多いので、いつもビュッフェ。良し悪しあっても、6日間結局同じようなものばかり。観光者向け以外のものは、トライする機会がない。午前2時起きで、飛行場に向かう日も。移動の時間が長く、見学を急かされる。どこに行っても超混み。もし、次に行き機会があったら、または、これから行く人には、プライベートガイドをつけたツアーをおすすめ。Cairoは、クレージー。道路に車線もなく、信号もない。常に渋滞。どこへ行くにも、車だと時間がかかる。エジプトは、私にとって初めての第三世界。観光客が多い中、地元の人の生活は、かなり貧しい。

Dubai (United Arab Emirates):  バイクをAbu Dhabiの飛行場に預けていたので、Cairoから、Abu Dhabiへ。そして、帰国する前にDubaiで一泊。Dubaiは、Las Vegas x Disney Landというような感じ。エジプトに比べると、全てが新しくて、清潔感があり、お金がかかっいてる。Light Show, Night Lightが、きらびやか。時間がなかったので、世界一高いタワーBurj Khalifaに行くことに。あまり高さの実感はない。浅草のSky Treeのようなもの。

この旅は、体にきつい旅だった。こう言ったら、”First World Problem”なんだけど (普段かなり甘えた生活してるんだなと実感させられる)、エジプトでの睡眠不足と食べ物不足、運動不足、バス・飛行機の中で多くの人が、ゲホゲホと咳していたりして。体が完全に、この旅から回復していないうちに、東京へという感じ。これだけ文句を言っても、行ってよかったのは、確か。風邪を持って帰ってきたけど、バイクと共に無事に帰ってこれたので、良かった。それもこれもいい思い出。

 

*Happy New Year and let’s see what adventure is ahead in 2023!

 

 


“中古車輸出のあれこれ”   ‘22-12-20

2022-12-19 21:55:51 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

*アメリカ日産から増田商会へ部品依頼

1960年頃、アメリカ日産の社長には、Mr,Datsun事、片山豊さんが成っていた。片山さんは、その後、日産の米国市場拡大に尽くされた人。有名人である。息子さんは、三菱のサッカーでこれも有名な人で、お二人とも慶応の先輩。僕の上司の小林さんは、片山さんに可愛がられて居た。

「小林君、君の部下に部品屋さんの息子がいたろう。アメリカで部品が足りないのだけど、日本の部品屋さんで持って居ないかな?」

「マス公、片山先輩から部品を頼まれたのだけれど...親父さんに聞いて見て呉れ...」

「何で、片山大先輩が、部品が手に入らない無いんですか?そんなもの親父の所にある訳無いですよ。」

「まあ聞いて見て呉れよ...」勿論、無かった。色々原因を調べると、メーカーは3ケ月タクトで生産計画を組むから、「納期が掛かってしまう」と云うことだった。僕にすれば「何てメーカーは融通が効かないんだ...」と思う訳。当時アメリカ日産は体制が来ていなかったのだと思う。よく記憶に残っている事だ。

*香港からのセドリック中古車の依頼

僕の先輩で東アジアの貿易やって居た人がいて、「セドリックの中古車を70台欲しい」と言って来た。70台と言っても「車型、ミッション、燃料等」色んな種類があり同一の車種を集めることは至難である。この時に「ああ、 香港のタクシーは、中古車を使って居るんだな...一体何台タクシーは、或るんだろう」と調べたが、其の後、香港行く機会があり十分な予備知識を持つ事ができた。香港には、20000台のタクシーがあり、90%は、セドリックだった。’97年には、日本国内のシエアーを反映して、80%クラウンに成っていた。この時期香港政庁が排気ガス対策の一環として、30台のLPG車を走らせる言う情報が入り何とかテスト車30台日産車にしよう考えて色々動いたが、トヨタ、日産の15台ずつに成ってしまった。今は如何なって居るんだろう?僕らのプロジェクトは、日産最後の戦いだったように思う。

*バハマクルーズのFantasy のボーイから

多少、時代が前後するが、’93年「ダットサン研究会」(戦後、ダットサン使ってタクシ―営業を始めた人の団体)の旅行でバハマへ行き、クルージングでナッソ―に行ったFantasyという豪華客船である。我々が自動車界の団体だと言う事を知って、若いボーイが車の部品が欲しいと言って来る。「モット詳しく車型、年式、部品番号等解らないと駄目だよ...」と教える。ナッソ―港へ着くと、三菱デリカのバンが旅行会社の手配で待っている.さっきの若いボーイが運転手と何か話している。運転手も解りはしない。大体、こんな話が色々伝わって来る。今では中古車のオークションに外国人が参加しているが、こんな話の中に良い筋の話もある事がある。

*ボリショイバレー団のプリマが中古のブルーバードを買った

この話も古い話であるが、ボリショイレー団が日本公演に来た時に、そのプリマドンナが、中古車を買いたいと話が入って来た。当時は一番大きかった品川の展示場へ連れて行った。ブルーバードの確か2年物位の車を、90万位で買って呉れた。処が領収書を「65万に書いてくれ」と言う。「領収書高く書いて呉れ」と言う話は有るが...「なぜ?」聞いたら、「税関が煩い」と言う。「面白い事が有るな...車の輸出には色んな事が有るな...」

*輸出担当者設置のご案内

僕が中古車部長に成った時、本格的に輸出を遣ろうと思った。大体、事情は解って居たので、新車販売の経験のある次長と課長、それに台湾出身の日本人と結婚している女子を移動させて、チームを造り、「輸出担当者設置のご案内」と言う文書を造り、商社を中心に東南アジアの各国大使館に手紙を出した。これは、猛烈に反響が在った。職場はお客様から電話が多く掛かれば、活気が付く。本当に面白かった。そして、次長と課長には大使館周りをさせた。中国大使館には、台湾出身の彼女を同行させた。次長が帰社して、「部長、K嬢が中国大使館に行くの嫌だと言うのですよ」と言って来た。「台湾生まれと言う事が言葉で、解ってしまうから大使館には行きたくない」と言って居るという。此れも大変勉強に成った。

*中国大使館からセドリックの要望

早速、中国大使館からセドリックの注文が入った。出来るだけ「新しい中古車...」と云う注文である。早速、中古車業界用語で言う「ピンピンの走行キロの少ない車、3万キロの2年物」を選んで持って行ったら、「メーターを7万キロに巻いて呉れ...」と言われた。関税の関係なのだ。登録は都内にある「糧油公司」と言う日本登記の会社である。輸入する国々で法律が異なるし、「輸出は埠頭渡し、FOBの取引に限る」と言う事が解った。

*ミヤンマー観光年を迎える体制に中古車が欲しい

日産特販に移動してから、本格的に輸出をしようと思った。先ず、国内ディーラーの既成概念を変えなくてはならない。幸い、中古車時代に顔見知りだった専務の永田さんは、僕と同じ問題意識を持って居たので、大賛成。役員、部長クラスに中古車輸出市場の大きさを理解させるため、先ず、横浜の埠頭にある船済み待ちの中古車が集荷されて居るヤードの見学にマイクロバスで見学会を開いた。これは、カルチャー・ショックだった様だ。その内に、ミヤンマーの話が何か所からも入って来た。350台ワンロットの輸出なんて対応できるディーラーは無い。さて、幾つもの情報の中から信用できそうな仲介商社を選び、取り組んだ。其の頃には、社内の顧客管理はお客様の会社の簿価で一台一台を管理するシステムが組み上がって居たので、マニュアル・ミッションの車を指示して代替させる事が出来た。細かい事は山ほど有ったが、無事ミヤンマー観光年に向けて対応する事が出来た。この時、ミヤンマーは右側通行、左ハンドルだったが、特別に右ハンドル車を認めたのである。

*さて、今日綴った事は、色んな輸出絡みの記憶に残っている事を書いた。自動車ディーラーは固定費の70%を部品、サービス、中古車で賄えないと安定した経営は出来ない。これは、アメリカでは100年位前から言われて居た事。メーカーは新車を作る処。これから、世界は急速に脱ガソリン・エンジンに進んで行くだろう。自動車産業に従事している人々は、急速に既成概念を脱して行く事が大事だ...こんな仕事をしながら若い人々が、視野を広め仕事を覚えて呉れ、大きく育ってくれた事に感謝である。永田専務は、有名な陸軍軍務局長、暗殺された永田鉄山将軍のご子息で在る。改めて、感謝。


“通行区分あれこれ“    ’22-12-13

2022-12-12 21:26:06 | Massy's Opinion

★Massy’s opinion

*ウクライナ戦争

ロシアのウクライナ侵攻もボツボツ1年に成る。太平洋戦争を肌で知っている世代も少なくなく成って来ている今日この頃である。全くこんな事が起こるなんて想像もして居なかったし、ソ連邦が解体した時に、こんな禍根を残しているなんて、関心も薄かったし,米国とNATOの関係なんて最近の様に詳しくは知らなかった。今では毎日you tubeで戦闘の情報を見ている。ドローンが活躍している様子や核を使わない、何か「人を大事にしようと言う良心がある様」に見える。「民族、領土」が昔からの戦争の元なのだろう。改めて「国連」の弱さを痛切に感じる。

*一帯一路

中国が打ちだした「一帯一路」構想確か、「2049年目標」だったと思う。僕の考えた「通行区分の世界統一」は目標が「2035年」が目標だった。何も確たる理由が有った訳ではない。

およその「エイ!ヤア!」で取り上げただけである。「一帯一路」構想を見て「これは良いな...」「中国主導なら右側通行に成るな...推移を見守りたいな...」と楽しみにして居たが昨今の中国の経済情勢を見ていると「一帯一路は3000年目標」に変わらざるを得ないだろう。世界の自動車産業は、「カリフォルニア規制のガソリン車禁止」に如何言う風にメーカー、ユーザーが対応して行くのだろうか?目下、自動車は「電気自動車」に方向は動いているが、自動車ももっと細分化した部分までの「世界基準の統一」が必要だろう。その第一歩が「通行区分の統一」だと思う。まあ、これも国連レベルでの問題解決が必要に成るだろう。

*香港とメイン・ランドの通行区分

この「一帯一路」は中国の構想通りには進まないだろう。中国の本気度がどの程度なのか?先日、日野市での講演を前にして、香港の状態は、その後、如何なんだろう?と僕らが’97年に北京で開かれた「LPG博覧会」出品のプロジェクトを組んだ時の事を知っている友人に「香港の通行区分は、如何なっているの?」と聞いたところ「昔と全然変わって居ませんよ。メイン・ランドとは、深圳で区分が変わりますよ...」と言う事だった。もうタクシーは日本の中古車を使うと言う事は無く成っている様だ。

この通行区分の問題については、僕のブログに載せた以降、3冊の本が出て居る。

「左ハンドル国産車が日本を救う」 小森正智、小森正隆著 2014年11月発行

               法医学教室メンバー+経営コンサルタントによる

「右ハンドル」        ワシ―リィ・アフチエンコ 著2018年発行

               ウラジオストクの運命と右ハンドル車ドキュメンタリー

他にも「右ハンドルか左ハンドルか人道車系統一運転理論」富沢昭三著 2000年発行

*如何してメーカーの人は考えないのだろう?

上記した通行区分問題は考えて居る人は、色んな立場で居る訳だ。しかし、流通面から考えて居る人は少ない。リサイクル問題は一時期色んな議論が持ち上がり、日産でも解体大手の啓愛社と共同して、方向性を薦めた時期がある。現実に僕は、このプロジェクトに参画して意見を述べたことも有る。しかし、如何しても、中古輸出の業務などは難しすぎて理解して貰えない。或る実際に在った話を書いて見よう。

・kさん、日産自動車の役員から、日産ディーゼル常務に成った人、 日産時代には数々のリコールがあり、其の度に色んな議論をして来た人。

或る時、UDトラックの受注が溢れて、ラインが残業しても、納期が3ケ月位掛かってしまう時が在った。リコールの対象部品は、ラインに供給するので精一杯、リコ-ルに対処するにはラインを止めなくてはならず、役員会の議論が、

「ラインを止めれば受注しているお客様に迷惑を掛ける...」

「すでにお買い上げをして貰ったお客様の車がリコールで使えなく成っている...ラインを止めても使って居るお客様に部品を回さないと...」

「すでにお金を払っているお客様に申し訳ないでしょう...」という議論に成ったそうだ。「ラインを止めれば売り上げが落ちる...何とか部品メーカーに急がせろ...」役員会の結論は、結局、ラインを動かすことに成った。kさんは

「マスさん,如何しても僕の意見は多勢に無勢で通らなかったよ...」と言って来た。

*地球温暖化を防ぐ為 島国の解体車の処理

僕が、’84年ハワイに初めて行った。その時、ハワイ日産の社長に、「解体車は、如何するんですか?」と尋ねたら

「マスさん、大変なんだよ、やっと本土と話を付けて、今月メイン・ランドに4000台持って行くんだよ」と言う話を聞いた。今から、40年前の話である。ハワイは、御承知の通り、何処の島でも自動車以外の交通網は無い筈である。最近の事情は解らないが、地球上の何処の島でも、解体車は積み上げられて居る。メーカーは此の最終処理を考えなくては駄目だろう。‘79年日本プラストの古川専務は、「ステアリングの原料に解体車の資源の再利用を出来ないか?」と言う事で、末端の解体業者の調査に行った事がある。何とパチンコのチューリップを一つ一つ解体している物の純度が一番高く再利用が出来ると言う結論に成った。農閑期に農家の伯母さんがパチンコ台の解体をよくやって居た。メーカーが廃車処理まで考えた車造りが必要だろう。

さて、もう一つ丁度、英国が大不況に陥った頃、日産が英国工場を作るか如何か?と言う時代である。僕が、リース会社を作って居る時代だ。英国からのセールス・マンが誰に聞いたか、僕を尋ねて来た。ロンドンのあの有名な2階建てバスの中古車を2台買って呉れないか?と言う売込みである。1台1千万と言う。どうせ20年位は使って居る償却済の筈だ。僕も何処かの観光バス会社に「リース」しようかと思った。価格の交渉に入ると800万迄、下がった。部品は、以降、「これから30年間保証する」と言う。色々検討したが、車高、転倒角等保安基準に合わない問題もある。と言う事で結局リスクが多いので、止めにした。今でも都内で偶に見掛けるが、改造申請を出し、路線を限定して、政治的に押し込んだのだろう。

この部品の補給体制には、驚いた物だ。これから、カリフォルニア規制が、展開されて行けば、ガソリン車を古く乗り続ける人も居るだろうし、中国が通行区分を変えた時の様に短期間でハンドルの位置が変わるのは難しいだろう。今、車が大変革に迫られて居る時代に車造りの考え方も変える必要があると思う...

 


“Diary 191” ’22-12-6

2022-12-05 22:55:41 | Massy's Opinion

★Massy's Opinion

・11、5~6 早慶戦

如何も神宮球場のコロナ検査は応援に行く気を無くさせる。テレビの放映も多いし、テレビ応援。まあ、僕達の頃のアの熱気は、本当に昔の話に成ってしまった。シーズンを通してみると、2か月間調子を維持するのは難しいな。早稲田は後半、調子を上げて来て、まさかの2連敗、優勝は明治に成ってしまった。応援団は益々女子学生が増えて来て、東大の女子も凄く頑張っている。チアーも各校見事。まあ慶應は選手が皆良く集中していたと思う。堀井監督いいチーム造りをしている。東大も頑張っている。まあまあ良いシーズンだったと思う...

・11,15 ワクチン5回目接種

今回の予防注射の会場は、永福町のおおぞら公演 車が無いので(故障中で工場預け)タクシーで行く。来ている人も、会場の医師、看護師、お世話係も手慣れたもの...佼成会、浜田山病院、おおぞら公園、保元クリニック、おおぞら公園と5回目。

保元クリニックは、一番近いし、歩いても行けるので、区役所に掛け合ったが駄目だと言う。この辺は、本当にお役所仕事。接種率が上がる訳はない。夫婦二人身障者だと言っても駄目。年金は減る、費用は掛かる 本当に頭にくる。

・11,18 Stic 第4回目 オンライン・セミナー

めぐみが主役 鶴池さんとのトーク まあ、まあかな...

・11,20 日野セミナー

朝早く6時半のスタート 色んな会合に参加して来たが、ゴルフ以外こんな集会は経験した事がない。しかし、月1回で147回だから凄いもの...久しぶりの20号線朝焼けの空の下、豊田まで...昔がなっかしく成った。セミナーはFaceBbookからyou tube にアップしてある。小田原外務副大臣、富士高-東大 富士銀行他の職歴、アフ友の小須田君のニュヨーク時代の友人、趣味、トライアスロン、屹度アメリカでトライアスロン覚えたのかな?人の出会い、ご縁、恵は本当に恵まれている...

・11,25 みずほ銀行 来宅

当社担当のEさんの上司が新任で挨拶に来られた、法人担当のEさんの部下に慶応卒の女子、韓国からの留学生、珍しい。これまた新任の上司も慶応卒、珍しい。

 ・11,27 アクアクライブ コージ―サークル

西川、大島、細川トリオ、 シマコ大島君は学生時代、鈴木章治のリズムエースで、ピアノを弾いていたことがあるそうだ。三保敬太郎君みたいな男、その後、保険会社に定年迄勤めて、そののち現役ジャズメンに復帰。最高のセカンドライフを楽しんでいる。

僕のクラスメートに呼び出されて、田園調布の兵隊屋に行った時、呼び出した本人がボケていてすっぽかされた事がある。その時のメンバー未亡人を誘って行って来た。

まあ、お客は10人程度、昔、よく行った店、帰りは更科でおそばを食べて、昔に帰った様だった。コージーサークル、昔、よく行った店あれからもう5年位過ぎた。コロナのStay Homeは本当に貴重なロスタイムだ。