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Technology into Sports” (05-16-2022)

2022-05-30 22:19:14 | Megu's Sports

★Megu's Reports

・私の最新のTech-Gadgetは、”Wahoo Powerlink Zero Speedplay Power Meter” 。長い名前ですが、何をするものかと言いますと、バイクのパワー(乗ってる人のパワーアウトプット)を測定するもの。Power Meterが、市場に出てきたのは15年ぐらい前からでしょうか。ついに購入。理由は…Power Meterは、様々なタイプがあって、クランクに入ってたり、ペダル、ホイルのハブに入っているものがあったり。個人的に、バイクを乗り始めてから(ママチャリではなく、ロード・トライアスロンバイク)使ったことがあるペダルは、Speedplay。Speedplayが、Wahoo Fitnessに買われ、SpeedplayのPower Meterが出てくるとの噂があり、8ヶ月遅れて、ようやく今年の2月にWahoo Powerlink Zero Speedplay Power Meterがリリースされ。価格もPower Meterが出始めた時に比べると、(まだ高いけど)買いやすくなったので、ついに購入。パワー(Watts)を使って、トレーニングの効率を上げようと。今、買い始めて、2週間目。理論だけでなく、使いながらPhysiologyを学んでいるところ。

・以前にもブログで言いましたけど、理事をさせて頂いている、”STIC”。私たちの目的は、テクノロジーとスポーツを共に、どのように生活に組み込んで、活かせることができるか。よくでるトピックは、Wearable。Apple Watch, Fitbit, Garminなどなど。万歩計 on ステロイドから、ヘルストラッキング、パフォーマンス向上のためのデータトラッキングなど目的は様々。人々のニーズによって、モチベーションになったりしますよね。パフォーマンス向上のためのデータトラッキングは、昔は、研究所でしか取れないデータが、トレーニングをしながら目の前にある…ので、データをもとに、体の状態のモニターやトレーンング適応・変更がしやすくなるなどの利点が。

・このように、データが、直接活かせられるのはいいんだけど、実際にデータがあっても、それをどのように向上していいか策がないこともある。いい例は、睡眠。多くのデバイスは、睡眠の質と量を計測できるけど、どうしたら向上できるかとは言ってくれない。Whoop (https://www.whoop.com/)は、睡眠パターン(体温、呼吸数、心拍数、HRVなどなど)と生活のパターン(運動、飲酒、性行為など)を含めて他のデバイスよりも細かなデータを提供してくれる。なんだけど、このデータをどのように利用できるかユーザーが理解していないと、数字を見ただけの自己満足なってしまう。いくら高い、性能の良い、多くのデータを提供してくれるデバイスを持っていても、ユーザーがそれを使いこなせないと、もったいないでしょ。と言うことで、Power Meterを買った私も、その一人にならないように、頭を一緒に使おうと。

 

 

 


“犬に魅せられて70数年...ⅲ”    ‘22-5-24

2022-05-23 21:33:25 | Massy's Opinion

★Massy’sOpinion

・LoveとGyuのお産

・交配 基本的な考え  loveを購入するときから、繁殖を考えて居た。浜田さんはその後、イギリスのサンスー犬舎を尋ねてクラフト展も見て来ていた。イギリスでは、日本の犬界は評判が悪い。「流行を追いかけて、犬を商売にする」と言う事だそうだ。確かに英国系の犬は日本には少ない。KCと言うのはイギリスケンネルクラブ、AKCと言うのはアメリカンケンネルクラブである。確かに犬の雑誌を見てもKCの血統書の犬は殆ど見ない。浜田さんは2度英国のサンスー犬舎を尋ねて、種オス(レンジャー)を一頭分けてもらってきた。もう一人浜田さんの所から雌犬を飼った坂本さんと言う人が居る。要するに,Loveと同胎のメスを買った人だ。この人も自分の犬の交配にスコットランドからオス犬を輸入している。実は、アメリカ系とイギリス系ではこの位違いがあるのである。もう我々のブリードが終わってから、イギリス系のPaleGoldのゴールデンにはお目にかからないだろう。確か、長野の方にこの血筋の犬を飼っている人が居るらしいが...

・産床は、コリーの失敗を考えて、玄関の上がり口にケージを置いて、何時でも直ぐ見られるようにして準備した。Loveは順調に妊娠してお腹も大きくなった。コリー、エアデールとお産の経験はあり、犬のお産は軽いと言うが、この時は何しろ犬が高い犬なので、交配の条件は、「子分け」にして貰った。5~6頭は生まれると予想していた。Loveも家への中へ上げる事もあったので、身近に人が居ると落ち着いていた。

今迄もそうだが、子犬は胞衣を被ってお腹から出て来る。そして、良い親犬はこの胞衣を舐めて息が出来るようにする、「うわん...」と可愛い声を挙げれば無事お誕生だ。

此の産床の傍には、42度位のお湯を入れたバケツを用意しておく。産声を上げない子犬は産湯に浸けて柔らかくマッサージをしてやる。中には弱い声や、泣かない子がいる。その時は、ワインか日本酒を用意して置いて、インクのスポイドで口の中に一滴ずつ垂らしてあげる。これで、産声を上げれば「良しよし」と言う事に成る。親犬には一頭生まれる度に、生卵を食べさせる。これを旨そうに食べれば、また一安心と言う事である。Loveは7頭生んだ。Gyuの時は血統の関係で坂本さんが輸入したサンスー系の犬を交配したが、1頭しか生まれなかった。無事に出産したら、子犬が巧く乳を吸うか、1週間位は目が離せない。子犬は生存競争が始まる。母乳を均等に吸えるか?この位から犬の個性が解って来る。面白いものだ、どんな犬に育ってくるか...

さて、大体45日位から、新しい買主探しである。何しろ、30年位前の30万だから高い浜田さんが、「増さん、保険料ですよ。可愛がってくれるか、如何か...」

出産 オス3頭30万 メス4頭35万 メスが高いのは良いオスを交配すれば、いい子が出来る。「オスは良いオスでないと交配相手が見つからない」と言う。

・子犬を引き取って呉れた人びと

考えていたより多くの子供が出来たので、今度、飼って貰う人を探すのが大変。まあ、一番一般的に「愛犬の友」に広告を出した。予想外に反響があり、値段の交渉が凄い。「もっと安く成りませんか?」当然である。しかし、子犬の出来は僕の経験上一番いいし、血統の良い親の子は遺伝力がつよい。雌の内で一番いい子を家に残す事にしたが、これがGyuである。買いに来る人は、勿論、経済力のある人。お金を白封筒に入れ袱紗に包んで来る人も居た。犬を売るのにこんな人初めてだった。又、親が子供を二人連れて来て、「犬屋でゴールデンを買ったが、6ケ月で死んでしまった、子供たちが欲しがって仕様がないんで...だけど、30万は出せない」と言う。他のお客さんも居るので、「それでは解りました」と言う訳にはいかない。随分、粘られた。子供が子犬から離れないのである。当日は、帰って貰った。最後に一頭に成った時、その大工さんに電話をして、10万で分けて上げた。凄く死ぬまで良く可愛がってくれた。二人兄弟でお兄ちゃんが犬と一緒に寝ていた家もある。犬が生きている間、(大体12歳位迄生きた)飼って呉れた殆どの人と交流があり、我が繁殖犬の日常行動の話を聞くとこの繁殖は本当に血統の遺伝力が強いなあ、と驚かされ殆どの犬が10歳以上生きた。

・ズット付き合って呉れた武石先生

Loveが高かったので、育て方を変えようと警察犬訓練所に入れる事にした。そこで出会ったのが武石先生である。未だ、若い先生だったがLoveとGyuはお世話に成った。

Gyuは少し胴が長め、これは繁殖には向いている。武石先生と相談して、トレーニングチャンピオンを狙う事にして訓練して貰い見事チャンピオンに成った。昔、Ⅽ80型と言う日産車で犬の移動トリミング車を考えたが、先生はそれにケージを付けて犬舎替わりにした車を買って呉れた。600万円位した車だった。浜田、坂本さんと訓練士の松村先生、五島先生、武石先生で「東京南ゴールデン・レトリーバー倶楽部」と言う会を作って、訓練会やショウをやったりしたが、瞬く内に会員が650人にもなってしまった。10年位活発な会だったが、それぞれの愛犬が亡くなるとともに他の犬種が入り、会の形が変わってしまった。イギリスからKCのメンバーの英国人が東京へ転勤に成り3頭の犬も連れてきて、入会して呉れて賑わったものだ。

・我が家のLoveとGyuは偶に家の中へ上げても絶対に人の食べ物を欲しがったりしない。お風呂場で洗っても、「ぶるん、ぶるん」と言うと体を振って水を切る。Gyuがおしっこをすると「早く片付けて呉れ...」とLoveが吠える。まあ、本当に良く解る犬たちだった.死んだ年も全く同じ13歳半だ。死んでから4年位の間、「イギリス系のワンちゃん居ませんか?欲しいのですが...」と知らない人から電話を頂いた。その位、英国系のゴールデンのチャンピオンは希少価値だった。最近は、スーパーで犬を売っているが、Mixでも15万円位する。まあ、この位の値段は仕方ないかも知れないが、まず、Mix犬は繁殖しない事だ。又、小型犬が多く、同伴で入れる喫茶店も目立つが、矢張り、犬と人間は区切りをしっかりとした飼い方をするべきだと思う。犬の飼い方はイギリスを参考にするべきだと思う。

Love


 Gyu


“犬に魅せられて70数年 ⅱ...。      ‘22-5-17

2022-05-16 22:18:47 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・この頃から、犬へののめり込みが激しくなった。或る時、新車置き場当時は車両庫と呼ばれて居て品川に在った。業務上良く出入りをして居たが、「おい、増田君良い所へ来た。君が来るのを待って居たよ...」天井係長から言われた。「何ですか?...」車両庫の柱の下に場違いなコリーの5か月位の子犬が縛りつけられていた。「君、犬が大好きだろ。この犬を1万5千円で買って呉れないか?」「どうしてですか?」東京自動車の石川さんが、スクターを1万5千円っで下取りの商談を決めたら、お客様の都合でその下取りにこの犬を取って呉れ...」と言う話に変わって仕舞ったそうだ。石川さんの家はマンションで犬が飼えないんで誰か買ってくれる人は居ないか?犬の好きな君に話してくれ...と言う事なんだ。

「血統書もついて居るし...」早速、帰宅して両親に話して飼う事にしたのである。犬の下取り何て聞いたこともない。もうその頃、僕は犬の勉強もしていたし、割と良い犬だったので繁殖をして見ようと思ったのである。コリーは当時映画にもなって居た人気が在った。ご存知の様にコリーは、セーブル、トライ―、ブルーマールの3色の犬が居たのである。血統書を発行している処は、日本警察犬協会(シェパード、エアデールテリア、コリ―の3犬種の血統書を出していてコリーとシェットランドだけの血統書はコリー倶楽部出も出しているコリー倶楽部の血統書の方がグレードが高いと言われていた)、今ではJKC日本ケンネル倶楽部、FCIと言う風に世界統一の団体出来て居るが、こんな時代だった。家へ来てから呼び名当時大人気だったテレビ「サンセットストリート77」の中から「ロスコ」と決めた。

家へ来てから三ヶ月位経った日曜日セーラ服のお嬢さんと両親が我が家へロスコに会いに来てくれた。この話には50年後エセ-ラー服のお嬢さんと接触出来た。この人名前は日塔さん、犬舎名はSon Towerだった。神田川の近く農家でセーブルの素晴らしいオスのコリー飼っている人が居た。僕は本当はセ―ブルが欲しかっただが、ブリーダーさんが良い人だったので安心した。

・ロスコの犬小屋を親父と作った。約畳一畳位の大きさで半分に仕切り、寝床の方には毛布を敷き、反対側の屋根にはが曇りガラスを入れた本格的な物だ。やがて1年位して交配の時期に成り「ドッグワールド」(月刊誌)を見て、オス犬を探した。折からラッシー物語の映画の人気がありコリーの人気が上がり、沢山の輸入犬も出て居たが、下北沢にミドルビレッジ犬舎と言うのがありアメリカチャンピオンが3頭いた犬舎が在った。そこへ尋ねてみると上下2段のケージがあり、一頭だけ家の中に居た、パレダーズダークビクトリーと言う素晴らしいトライのチヤンピオン犬だった。交配料は9万円との事、その次のクラスはセーブルで矢張りチャンピオン犬で6万円、もう一頭の輸入犬は3万円だと言う。コリーには、セーブルにはトライをかけた方が良いと言う話も在り、6万円の物を掛ける事にした。エアデールの時は子分けと言って、生まれた子供の中で一番いい犬を交配料の替わりにオス犬の持ち主に上げるやり方を取った。コリーで初めて本格的道楽が始まってしまった。

・この時は11月頃12頭生まれたのであるが、凄い寒波が来て親犬が暖められず、全部翌日に死んでしまった。僕は、野球部の合宿で伊東へ行って居たので、生まれそうだとは知って居て連絡を貰い、直ぐ帰京したが、間に合わなかった。経験もないしお金を払って交配して不幸にも初めての本格的犬道楽は失敗に終わった。この後、もう一年後に同じ犬を交配して、その時は小分けで御願いした。この時は、友人知人に分けたが、確か4頭しか生まれなかった。この間にコッカ―スパニエルの子供を知人から貰って飼ったが、これもミックスか大きく成らなく3歳位で死んでしまった。又その後、僕も親父が死に、結婚もして暫く犬がいなかった時期がある。その内、ダルメシアンを大原人事部長から貰ったが、この犬も半年位で、全然大きく成らず死んでしまったが、先天的腸ねん転だと獣医さんが言って居た。中々犬もいざ飼うとなると難しい物である。こうして数年犬の居ない時期が在った。

・その後、3~4年は犬の居ない暮らしをしていた。僕も結婚して、ワイフは部品商を辞めてコーヒーショップにして朝から出勤、お袋が一人で留守番の生活が続いたが珍しくお袋が「寂しいから犬を飼をうよ」と言い出した。さて、大型犬はムリだな」と思い、ビーグルにした。

犬はコリーの中村犬舎ら飼う事にした。ビーグルは吠え声の可愛い犬だった。元々、ウサギ狩り用の猟犬で「ビーイちやん」と名付けた。よく穴を掘る、その穴によくお袋が躓いては、怒って居た。ジステンバーで死んだ。基本的に繁殖の為に「メス」しか飼わないが、繁殖はしなかった。そんな余裕もない時代だった。又、犬の居ない時代が3年位続いたが、其の間も次はどんな犬種を飼おうかな?と「愛犬の友」は毎月読んでいた。僕は室内犬はヨークシャーテリア、矢張り中型犬がいいな。ベアーデットコリーが良いかなとブリーダー周りはして居たが、或る時「室内で飼える大型犬」と言う広告が眼に止まり、キャッチフレーズに魅かれて中州(日本橋)迄行く事にした。まあ、驚いた。

・フォルムス犬舎 浜田さん

中州の横道をちょうッと入った処に、20坪位の建坪か?4階建てのビルが建っている。一階は喫茶店の看板が出て居た。初めて挨拶をして、どこに犬が居るのかな?と思ったら3階に案内をされた。何とそこには4頭のゴールデンが居て人なっこく寄って来る。その中に畳一畳位の大きさで部屋が作られて居る。其処が、浜田さんの寝室なのである。驚いた...

室内で飼える犬ではない。犬小屋の中に人が住んで居るのである。4階は犬の運動場。僕も色んな犬舎を見て来ているが、生まれて初めて見た犬小屋の中に人が住んで居るのである。

奥さんは、お店の前のマンションに一部屋借りていて自分のシェルテイーと住んで居る。これは尋常な犬好きではない。全くゴールデンに惚れ込んでいるのである。そこで、広告に出て居た子犬を見た。可愛い! 値段を聞くとオス30万,メス35万と言う。確か、6頭位だったかな。僕も犬を見る目はそれなりの積り...子犬は「持ち重り」のするのが良いと言われて居る。値段は「高いな」と思ったが、黒い目で見つめられると「これに決めよう...」と思い購入を決めた。未だ一月引き取るのは60日経ってからと言う事にして、首にブルーのリボンを付けて貰った。この出会いが、驚きと可愛さと浜田さんの人柄である。犬えの対応の仕方で人柄が解る。信用できる人がブリードした犬は間違いがない。我が家へ引き取ってから、家の中の玄関にゲージを置きその中で飼う事にして、名前は「Love」とした。

ゴールデンには。アメリカ系とイギリス系がある。イギリス系は「pale gold」と言って白いゴールデンが珍重される。浜田さんの犬は此の系統でLoveは正にこの中でも白い方だった。家内で相談して今迄と違った飼い方をしようと言う事で訓練所に入れる事にして、6ケ月経ったら訓練所に入れた。可愛い盛りである。そこで出会った訓練士が武石先生で、未だ25歳位だったか。此れ以来、ショーに出そうと武石先生と相談して、1年半くらい経って初めてJKCの地方展に出したら、ベスト・オブ・ブリードで4ポイント取ってしまった。

さあ、これで欲が出て展覧会がある毎に参加した。殆ど毎週何処かへ行った。ゴールデンも人気が出て来て出頭数も多くなる。或る時、雨上がりの会場でLoveを車から降ろしたら、水溜りがあり、何と言っても動かない。もう、出ずっぱり展覧会で嫌になったのだろう。

仕方ないので出場辞めて、家に帰ったら普通に尻尾を振って甘えるのである。確か20ポイント取るとグランドチャンピオンに成るのである。大きな展覧会は審査員はイギリスからも来る。兎に角、外国人の審査員の時には何時もいい得点が取れてJKC本部展のチャンピオンに成った。この展覧会が一サイクル終わって、3歳半位から子供を取ることにした。勿論、浜田さんに相談して、イギリス系のオスを探した。浜田さんはこの間にイギリスのサンスー犬舎を尋ねてオスを一頭輸入して居るので、これを交配する事にした。此のお産の事は次回にしよう。色んな勉強をさせられて、いろんな人との出会いが在った。


“犬に魅せられて70数年...1“      ”22-5-10

2022-05-09 22:01:57 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

さて先週のブログで、犬の事を書いた。ホントに犬との付き合いは長い物に成った。

決して僕だけが好きだった訳ではない。親父も相当に好きだった。犬だけでなく生き物が好きだったのだ。第二次世界大戦が終盤に近付いた頃。芝の御成門旧田村町6丁目からこの東京の西部地区に家を探していたようだ。聞いた話では。荻窪周辺を候補地に探していた相だがその時、現在地が見つかったとのことである。「人間魚雷」が話題になっていた頃、人間魚雷の船には、古い自動車のエンジンが使われたとの事。其のエンジンの整備に芝周辺の自動車整備工場が使われたそうだ。今、西新橋1丁目の交差点にエネオスの本社と三井物産の本社がある。勿論、建て替えられているがその北側にはヤナセの大きなガレージが在った。

ヤナセは三井物産の鉱油部から独立したそうで、あの周辺には数軒の修理工場が在った。今、浜田山の億ションが建っている処は、三井の運動場だったが、そこに人間魚雷のエンジンを整備する工場を作る話も在ったらしい。そんな事で親父は浜田山に疎開を兼ねて引っ越しをして現在に至っている。当時は、周囲は畑と雑木林、兎に角、駅の周囲には、3公社5現業の酒屋、炭屋、たばこや位しかなかった、のどかな田舎だった。三井の雑木林には雪の降った次の日ウサギ撃ちに炭屋の坂本さんに連れて行って貰った記憶がある。神田川の水は冷たくてとても奇麗だった。今では考えられないが、ぬまず、鰻、ドジョウ、ヤマメ、タナゴ、フナ、メダカ、鯉本当に釣った事がある。僕の泳ぎは、此の神田上水で覚えた。川の縁を上流に向かって行くと「お釜」と呼んでいた湧水が出て居る所がある、そこには4月から今頃に掛けて、産卵の為に多くの魚が集まってくる。ミミズを餌に吊り糸を垂れると直ぐ釣れたものだ。今でも神田川には昔の魚が集まって来た処には、その後放流された鯉が集まってくる。不思議なものだ。

さて周囲の環境は想像頂けたと思う。小学校5年生から高井戸小学校に通い始めたが、犬が欲しくて仕様が無かった。当時、小鳥屋は有っても、犬屋は殆どなかった。犬を飼って居る人から子供が生まれたら貰って来ると言う入手方法しかなかった。丁度、前記した炭屋の坂本さんの家で子犬が産まれたので伯父さんに頼んで、貰って来た。親父もお袋も反対はしなかった。これからが僕の犬遍歴である、個別に思い出してみよう。

・初めての犬。ビーグル系の雑種 白地に薄茶色の大きな反斑がった。背高35㎝、垂れ耳、尻尾、水平。眼玉大きくて、可愛い.鼻黒、「タロー」と名付けた。或る日、散歩に連れて行った時、猫に出会った。猫が怖がったのだろう。タローの鼻面に飛びかかって来て、顔を引っ搔いたのである。その時、爪がタローの眼に当たり瞳を傷つけてしまった。5歳位で死んだが左目は恐らく一生見えなかったのでは...と思う。此れ以来、僕は猫は嫌いになってしまった。今では、猫と犬と一緒に飼って居る人も居るが、僕には出来なかった。

・「マリ」僕の親友、政克ちゃん高校から僕が慶応に入りズット一緒。もう亡くなったが彼の父上が犬のブリーダーをやって居た。大型秋田、エアデール、チャンピオンクラスの犬を飼って居た。或る時、「ヒロちゃん、どうせ犬を飼うなら血統書付きを飼う方が良いよ、どうせ同じ餌代は掛かるのだから...」と言われた。それは「その通りだな」と思いタローが居なく成って寂しいので親父に頼んで、新宿の三越に畜犬売り場があるのでそこへ行き、柴犬の血統書付きを3000円で買って貰った。雌犬で子供を取ろうと思った。当時は放し飼いが出来たので庭中遊びまわり、当時、生垣区切って在った裏の畑へ出て、掛けずり廻り元気な犬だった。半年過ぎても「耳」が立たない。血統書は日本犬協会の物だったが偽り在りだった。或る時、散歩に行った時、畑の中にある「肥溜め」の中に落ちてしまった。肥溜めの表面が土を被り匂いがするのに間違えたのだろう。引き上げるのに臭いし大変だった。それから神田上水の農業用の小川に連れてゆき洗ってやった。この時は、2~3日臭くて大変だった。この犬もフェラリアで5歳位で死んだが、血統書付き。三越で買った柴犬なのに一生耳は立たなかった。ボール紙に伴創膏で立ち耳に固めて矯正したが遂に駄目だった。この時に血統書は発行している処が色々ある事を知った。

・1代目 「ファニー」当時、親父のやって居た自動車修理工場には、駐留軍人が整備や帰国することに成ると車の売却に来る人も多かった。ついでにペットの犬を誰か飼う人は居ないか?と言う依頼もあり、或る時、エアデールテリアの成犬を連れて来た人が居たらしい。

親父から「如何する?」「欲しいよ。僕が面倒見るから...」と言う事で家に連れて来た。雌のエアデールで結構、人なっこかった。当時は僕らに繁殖の知識もなく,交配の知識もないその内に妊娠してしまった。勿論、あれよ、あれよと言う間に無事出産確か5頭だったと思う。その内の1頭は白地に茶色の斑点の子犬が居た。それから他の子犬は飼ってくれる人が居たが、その白地に茶色の犬雑種丸出しで、「クルクル自分の尻尾を噛もうとするので,「独楽」となずけた。犬としては頭のいい「可愛いい犬」だった。矢張り、この時代、狂犬病の注射はしたが,フェラリァの注射もなく、大体5歳位が寿命だった。この経験は、犬の交配の時期や血統やメンデルの法則を勉強させられた。

 


“Diary 184”  ‘22-5-3

2022-05-02 22:30:55 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

Stay Homeの4月何にもしない内に、ニュースに追いかけられて月日が過ぎる。

早くも ゴールデン・ウイークを迎えた2022 しかし、薫風爽やかなMay… と言う感じがしない。

今年は、北風が何か強い様な気がしてならない。余りにも暗いニュースが多いからかも知れない。自然は、人間世界の暗い雰囲気にお構いなしに命を繋いでいる。我が家の庭は狭い庭だが、結構な木が植わっている。4月は、色んな花の開花を期待して随分と庭の草木の手入れをした。

・一番古い木は柿の木でこの浜田山へ親父が越して来た時からあった木である。この土地へ来たのが1943年だから、太平洋戦争末期である。その家は老夫婦が住んで居た純日本風の建坪20坪位の家だった。敷地は90坪、庭は初めて来た時には凄く広く感じた。北側に桧が三本植わって居てその柿の木が東側に植わって居た。その後、西側に桧を抜き7坪位の總二階4間の家を建てた。お店の従業員を住ませるようにである。僕たちが結婚した時には、この家に住んで居た。周囲は平屋ばかりで、見晴らしが良く富士山が見えるし、2階は凄く快適だった。戦争中、空襲に成ると、B29が飛んで来た方角に富士山が見えたのである。その後、親父が死んでお袋と一緒に住むために、その小さい家を壊し少し大きめの家を建てた。この時に庭の木は柿の木ともみじと寒椿とグミを残して他の木は全部処分した。建て直した家は桜材に統一したのだが、桜材は奇麗だが弱くて、余り良くなかった。庭木はこの時に榊やつつじを植えた。そうそう大事な事を忘れて居たが、家の近所に柏の宮公園がある。小学校5年の頃、学校から帰ると直ぐ柏の宮へ行き野球をやった。其処には桜や椿や紅葉が沢山植わっていた。そして、紅葉は種が自然に落ちて、可愛い双葉の芽が出るのである。其の芽を抜いて来て、家の庭に植えたものが今でも残っている。樹齢65年位に成るのか...紅葉は凄く枝が広がる。可哀そうに毎年枝を詰められるから我が家の紅葉は大きくならない。

・親父は庭いじりが好きで防空壕も庭に自分で作った。コリーを飼った時は畳一畳くらいの天窓付きの犬小屋を二人で作ったものだ。考えて見ると親父に習ってか僕も結構庭いじりが好きで植木は匂いの良い物が好きである。今の家は、ワイフが足の具合いを悪くしたときに色々将来を考えて、自由度の高い木造建てで廊下や天井はヤヤサイズの大きめの1,5所帯住宅にした。当然、庭は狭くなり、庭木も残したのは柿の木と椿と今では珍しくなったグミと周囲は金木犀と棒樫である。東側は棒樫と金木犀半分ずつであるが、全部金木犀にすれば良かったと思って居る。後、クチナシ八重、つつじが大きなものが3本。今年は皆、花付きが凄く良い。季節的には何か北風が冷たすぎる年だった様な気がするが、樹々にはエネルギーをたくわえることに成ったのか...芝生は雑草の伸びが強く困った。昨年、植木屋さんに言われて電動の芝刈り機を買った。刃渡り30センチで従来の物より10cm位広いか?リョービ製である。よく切れるし刃渡りが広いと時間が短くて済む。

・後、池がある。初めはU字溝を二つ繋げた池だったが鯉が大きく成り、可哀そうだからと畳一畳位で、深さ45センチ位の池を造り今6匹の鯉が居る。大きなものは45cm位、これにはフイルターを使って水を濾過して居るがこれの掃除は最近では重荷に成って来た。鯉は小さいのを買って来て大きくなるのが楽しみ...ただカタログに載って居る様な鯉は中々出会わない。生き物は育てるのが楽しみ...昨年9月頃からバラの挿し木をしているが、5本のデオールの挿し木の内、一本だけついて今見事な花を付けている。親父に似たのか感化されたのか、ジュウシマツ、カナリア、文鳥、インコ、鶏、ウサギ、手乗りにしたり、繁殖した。犬は飼った犬は67頭に成る。ビーグルの雑種から始まり、柴、エァデール繁殖3回、コリー繁殖3回(スクーターの下取りが犬の下取りに変わって僕が買った),コッカスパニエル、ダルメシアン、ゴールデン・レトリーバー繁殖2回最後のゴールデンは2頭ともJKCのチャンピオンを取った。想い出すと育てる楽しみは本当に意のままに成らず、そこが楽しい物だ。今の家は、犬小屋を二つ置けるように、そして、排水溝も犬舎用に作り掃除がしやすいようにしてある。生き物は犬が一番楽しい。最後のゴールデンは、訓練士も付けたしキチンと可愛い盛りの6ヶ月から半年、訓練士に預け、長い付き合いに成るので,きちんと教育をした。その甲斐あって本当に良い仲間も出来て楽しかった。今は欲しいけれどお隣さんやご近所さんの犬で我慢している。Love & Gyuの話はこの次にしよう。