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‘23-4-25 “年相応“

2023-04-24 21:51:43 | Megu's Sports
★ Megu’s Sports
“年相応“って、一体何なんだろう?何を基準にしているんだろう?今、私が理事をしているグループの次回のセミナーの準備をしているところ。”高齢者“って、何歳から?
30才だからって、何をするべき?60歳だから、どうしたらいいの?

年齢は、自分のPerceptionによる。歳をとっていると思えば、それなりに動かなくなったり、若いと思っていれば、楽しくアクティブな生活を送れる。次回のセミナーは、高齢者を対象にしているので、ここから話に入ってみよう。歳をとるに従って、身体・肉体的キャパシティーに個々の差が大きくなってくる。例えば、90歳。アイアンマンのトレーニングをしている稲田さんから、ほとんど寝たきりの人までいる。稲田さんが、昨年(?), バイクで落車して、入院していたと言う記事を見た。この時、病院で、医師や理学療法士は、稲田さんを90歳として治療・アドバイスをしていたのか?それとも、“稲田さん”として、診ていたのか?彼に、聞いてみたいものだ。

私のクライアントで、76歳のランナーがいる。彼女は、50歳代の時にランニングを始めた。稲田さんと似たような感じ。学生の時から走っているランナーと比べてみると、まだ走行距離が少なめ。決して、速くはないが、フルマラソンのトレーニングをしている。他の“趣味”は、登山。年に1-2回は、Grand Canyonに行って、1日で上から下まで行って、また登ってくると言うようなことをしている。彼女が、ランニングで、良くあるオーバーユーズのケガをした時、理学療法クリニックにリハビリに行った。私のクライアントは、“リハビリのエクササイズが簡単すぎる”、“容易すぎって言ったら、何をしていいかわからなかったみたい”って言っていた。なので、私が、私がクライアントとどんなエクササイズをしているか、彼女のランニングトレニングのプランなどを理学療法士にシェアしたところ、返事がない。おそらく、76歳のここまでアクティブな患者を診たことがないのだろう。

彼女に限らず、アクティブな70歳以上の人からは、同じようなフィードバックを良く聞く。歳だからって、椅子に座ってやるエクササイズをしなくてはならないってわけではない。年齢で見るのではなく、身体・肉体的キャパシティーを見て、個々のプランを立てるべき。また、大切なことは、個々の限界・安全性を知っておくこと。

うちの親父は、いつも“俺は1934年生まれなんだ”って、必ず、人に言う。どう言う意味で言っているのか。“若いですね”って言われたいのか、“年寄りだから、労わってくれ”っていいたいのか。また、“90歳だったら、どれだけの運動をすれば良いのか”って聞いてくる。年齢では、一概にアドバイスはできない。その人が、 “何ができるか”を基に運動量を考える。医者も、高齢だから、関節が弱ってきますよと言うんじゃなくて、どうやって維持できるのか、具体的なアドバイスをして欲しい。高齢化社会の日本の課題の一つは、医療関係者がどこまで、パーソナライズした治療・アドバイスを供給できるか。と、人々が、 “もう歳だから”を言い訳にしないこと。

P,S
慈恵医科大学の創立者 高木先生
       “病気を診ずして 病人を診よ”
                    Massy

‘23-​4-18 “顧客管理...”

2023-04-17 21:55:58 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*僕の顧客管理の歴史
・年賀状1957~1971
何の商売でも顧客管理は大切だ。人間関係がどんなAT技術の進歩があっても、人と人の関係をキープする事が大事。僕は、自動車の販売会社に入社したので、初めて配属された部署は間接部署だったが、いつ営業に替わってもいいように、学友中心に約250枚の年賀状をスタートに、その後、日産メーカー、運輸省陸運局関係を中心に400枚位の年賀状を出していた。
・営業所長時代 東日 渋谷、八王子1974~1979
大体、一つの営業所の勤務は3年、5年位が、どんな会社でも、常識的な期間だろう。この時代の自動車需要は大きく発展した時代だったがトヨタの追い上げが厳しく、競争激化で経営は苦しくなるばかり、営業所の数も増えたが、会社の経営状態は日に日に苦しくなってきた。なんとか自立できるディーラーにする為には「拠点別経営」が大事、それにはサービスと部品の利益で固定費の80%位がカバーすることが必要だと考えた。サービス工場の入庫車両を分析すると、営業所で納車した車と同系他社で納車した車が整備に入っている事、交通状況で、工場に入って来る車両がある事が解った。この車両の認識がしやすい様に営業所の頭文字のステッカーを貼ることにした。自分の営業所で納めた車は「青」サービスだけで工場に入る車は「赤」、そして、サービス工場は、「ラベル付きの車で満杯にしよう」セールスには、特に「赤ラベル」の車は、「代替」の目標ユーザーだよと指示をした。これは、営業所員の意識統一には効果的であった。ある時、営業所の部下を連れて銀座へ飲みに行った。タクシーが拾えない時代だったが、ちょうど「青のS」マークのブルーバードが止まっていた。連れに「おい、この車〇〇さんの車だよ、もうじき店も終わって出てくるよ...お客さんがいなければ、乗せてって貰おうよ」しばらく待っていると〇〇さんが出て来た。「〇〇さん、お客様いるの?」「いないわ家に帰るだけよ...」「済みません渋谷まで乗せていって下さいよ」「いいわよ、送ってあげる...」「みんなお願いしよう...」翌日、連れて行った部下が、「所長、マークの効果ありますね...」「ああ、顧客管理だよ」と言うことがあった。
ある時、交差点で隣にSマークを付けた車と並んで停止したことがあった。お客様、車の調子は如何ですか?」「車は調子いいよ、だけどセールスは買ったら後1度も来ねえよ...」
と言われたことがある。「済みませんね、セールスは誰ですか?」「Kだよ...」なんとトップセールスだった。「あんた、よく解るね...」営業所へ戻ってから、Kを呼んで、「すぐ整備を一回サービスしろ、と謝って、紹介を頼め...」と指示をした。
・リース部時代1981~
この時代も、リース車両にはラベルを張った。「L」と言うグリーンの一番いいデザインだった。ある時、営業課長が、「部長ラベル止めましょうよ...」と言って来た。理由は、「競争相手のリース会社に狙われて困る」とのこと。リース専業会社が乱立しだし、金利競争に成りだして来た時代である。特にオリックスは9%代の金利でフリートの客を狙っていた。ディーラーは月賦販売の18%位の金利でリース料を組むので全く競争に成らない。そんなことで格好いいラベルは中止にした。個人リースの1号はファレデイーZを銀座のママと契約したのだが、ウインドにラベルを貼るのが嫌いで、3回剥がしてしまった。車は丁寧に使う人だった。ある時、我が家の前にその車が止まっていて驚いた。我が家の前の家にジャズで有名なバイブ・プレイヤーが居たが、その人にジャズを習いに来ていたのだった。
・中古車時代1984~
この時代は、ラベルのロゴに困った。「usedcar」の「U」はどうもお客様が喜ばない。
ダットサン510型の商品化をメーカーの中古車部と話し合い協力して貰い、グリルを3Sの物を使い色も白だけにして仕上げたが、これは大ヒットした。ラベルの替わりにナンバープレートの飾り枠を付けて販売した。
・日産特販時代 NIFSCO1991~1999
自動車の社名は各社とも命名に苦労していた物だ。商標登録をしたりして、保全に努めている。日産特販はフリート・ユーザーを専門にして、地域、全車種扱いの戦略会社である。そのために英語の社名もNissan Fleet Sales Co としてメーカーの知的所有権部の了解を取り、ラベルを作った。社内の顧客管理としては、お客様の帳簿価格が解るようなシステムを組んだ。特にタクシー会社は、保有台数も決まっているので、東京、神奈川のタクシー車は全部お客様の帳簿価格が解るので、営業マンに指示するのにも具体的に下取り価格、お客様の帳簿上の「売却損」が発生しないように指示できたし、ミヤンマーに350台中古車を輸出する時に車集めには非常に役立った。現在では、ディーラーの再編成も大規模に行われているので、如何なっているか?解らない。
・咋今、市場は縮小気味でどんな商品でも顧客管理の必要性は最重要課題だ。AIの発達ですぐAI頼りに議論が進みがちだ。僕は、顧客管理には「視認性」と社員の十分な「顧客様第一の考え」の徹底が不可欠だと考えている。車が工場に入って来た時、フロントマンの第一声が大事だ。AI頼りでないお客様に対する認知度が必須だと思う。眼鏡の老舗「イワキ」では、僕は35年位使って居るが、一番初め僕が買った眼鏡から詳細の記録が数枚のカードに記録されている。女子の営業マンは、それを見てお客と対応する。先日、「お宅はAI使っていないの?」「勿論、使って居ますよ...」「でも、古いお客様には、この方が失礼にならずいいんですよ。」

P,S
そうそう、思い出した。日産特販は、本社が芝浦、港南 渋谷時代の銀座の女性が雪ヶ谷に引っ越して居たが、海外旅行をするからって、一萬数千円の傷害保険を入りに来てくれた。嬉しかったね...彼女のお店は、高級店だったので、一度もお客として行ったことはない。彼女は秋田のお医者さんの所へ嫁いだ。ある時、八王子のマイカーで売った中古車の411型ブルーバードが特販の工場に入庫した。僕は、フロントに出ていたので、「お客様この車八王子でお求めになったのですね...ナンバープレートの枠をあの時は付けていたんですよ...」お客様は、驚いていた。僕は、お客様の行動半径の広さに驚いてしまった。








“読後感 バブル金融秘史 恩田 饒著” ‘23-4-11

2023-04-10 21:53:20 | Massy's Opinion
  • Massy’s Opnion
先日 銀座の白石画廊が主催する高齢者向けのゴルフ会「山川草木ゴルフ会」事務局から、1冊の新刊が送られてきた。帯には、バブルとその崩壊、回生なき「失われた30年」。貴重な教訓を我々はどう生かせるか?と書いてある。一番僕の考えている事であり、大きく興味を持たせられた。
勿論、僕は何度もゴルフ会に誘われて頂いているが、コロナ以降、体調を崩し一度も参加していないので、著者の氏名も知らない。唯、白石画廊の社長から、ゴルフの会の趣旨も聞いていたし、多分そのメンバーの人の著書だろうとは思った。タイトルに惹かれてすぐ読んだ。約280頁の本である。今の僕の読書力からは読み終わるのに5日はかかった。

 先ず感じた事から綴って見よう。 著者は1934年生まれ、1962年東大卒、同年大和証券入社、大和証券常務取締役、証券団体協議会常任委員長などを経て1995年現インベスト証券社長に就任、という経歴である。生年は全く僕と一緒、そういう意味では、全く同じような視点、を持っていると感じた。
著者は、大和証券入社時に「副社長には成ろう」と心に決めたと書かれているが、僕は入社した時にそんな事は考えなかった。将来、親父の遣っていた部品商を継がなくては...と言う漠然とした考えしかなかった。僕らの同期近辺の入社した者の中で具体的ポストまで狙いを決めていた者は多分居なかったと思う。2000年頃、一時期高校野球部の学生達に就職の相談を受けたりした時期があったが、会社へ入ったら、「俺は社長に成りたい...」と言え、そうすると先輩たちから、「お前何言っているんだ...そんな汚い字を書いて...」とか「遅刻なんかしやがって...」と怒られるだろう。そうしたら、「素直に直せ」「二度と同じ事で叱られないようにしろ」と言ったものだ。中々入社時に副社長(社長でなくて)に成りたいと具体的には決められないと思う。そう言う意味で、この本の中では、登場人物に一切敬称を使って居ないのも、面白い書き方だと思った。
MOF担と言う言葉が沢山出てくるが、大蔵省出入りの担当者の事だと言う事はかなり知られているが、自動車業界の中にも同じ様な担当部署があった。先ずは運輸省、通産省であろう。ディーラーになるとそれにメーカーとの折衝部署が加わる。車の仕入れ、営業部門への配車、登録、競争相手のディーラーとの折衝等を担当する部署である。先輩からは、「メーカーと自動車検査場の検査官と狂人には逆らうな...」と教えられたものである。1957年当時は運輸省も法律もメーカーの人もよく解っていない時代だったし、それでも殆ど毎日車検場には通ったものである。この本を読んでいて、金融業界も同じようなものだなと感じた。
人事問題は金融業界ほど官庁の介入は無いだろう。矢張り国の根幹をなす金融業界はそれだけ業界の在り方がポイントになるので、色々介入の深さが大きいだろう。
僕が書いている此のブログでも、人名等は神経を使って居るが、この本は前述した通り実名で書かれているが、著者の年齢がさせるものか?殆どの人が既に亡くなられている人か?今、我々、日産の下で、車を作り、売って居た仲間も、殆ど昔のことを知っている人は居なくなってしまった。僅か数人の仲間でゴーン以前の日産の販売について書き留めて置くことが必要なのでは...と言う話もつい半月ばかり前に話し合ったばかりだ。それだけ世の中の回転が速くなって居るのだろう...

‘23-4-4 “Diary 195”

2023-04-03 23:43:09 | Massy's Opinion
★Massy’S Opinion
コロナ禍も80%位収まったのか、比較的、変化のある3月だった。

3・2 パンダ 昼食旧東日グループ
久し振りで渋谷の中華、パンダで昼食会。人数は6名。旧東日系のOBばかり...社長経験者が3名。僕が最年長。日産が最高に繁栄していた頃の実務畑の人の集まり...話題は、最近の寂しい日産の話。責任はどこにあるんだ?喧々諤々?の話。慶応の八代先生の「ルノー・日産オーラルヒストリー...の話をする。ゴーン以前の話を記録しておくべきだと言う話になった。参加者の中に股関節の人口手術関節への手術をした者が居て、「マスさんのリハビリのアドバイスが一番良かった」と言って呉れた。13時から4時半まで...

*3・3 吾朗ちゃんの会 新橋亭
恒例の吾朗ちゃんのご招待による新橋亭での昼食会、今会は出席者13名かな...人数も漸減の感じがした。欠席者は病欠、半年前には元気だった奴が厳しい病だとか、3名参加の女性の元気さが印象に残る。吾朗ちゃんが、生きることは大変だ...と言う挨拶があり、やけに印象的だった。大体、6ヶ月毎にしているので次回はステーキにしてほしいと代表幹事のお願い、さて、何処になるのやら...いつもご馳走様でした。店を出て、近所のコーヒーやで1時間ほど数人で雑談してお開き...

*3・6 JazzBird シマコ大島 カルテット
何時ものスタイル。参加者も殆ど同じメンバー僕はあのバンドが兎に角、息が合って居るので今のとこ一番好き...先日、中古車時代のH君が「American dream car fair」と言う手作りのアルバムを送ってくれた。僕が車好きだったのを覚えて呉れたのだろう。‘90年フェア
の写真と自分のコレクションを送って呉れた。地味な男だったが、ジャズも好きなのを思い出して、呼び出した。一声で「OK」表参道で待ち合わせ...偶然、「Stars Fall in Alabama」を演奏してくれたが、彼が「一番好きな曲」だと凄く喜んで呉れた。「堀君、素晴らしいコレクションだね。だけどあの中にフラッシュサイドになった49年式のフォードがないね」
「僕の親友の三保敬タロー君が、一番初めに買った車がそれなんだよ...」と言ったら、又、今日、49年式フォードと2階建てバスの写真を4枚追加で送って来てくれた。あの日は本当に喜んで呉れた。(blog: massy-academy”22-3 documentary 箱根路)

*WBC BaseBall
野球の話はもう今月はやめよう。「今昔、野球の練習の違い...」に具体的に書いた。兎に角、日米格差がなくなって来た。怪我せずに長いシーズンを乗り切ってくれ...

*3・21 選抜 塾高 甲子園
WBCの陰で選抜も影が薄くなったが、塾高惜しかったな...対ブレイクは絶対に後攻がいい、赤松先生、森林監督頑張ってね...

*3・22 落語の会 於いて 新橋 金田中
同期のレスリング部Yの道楽...ここに究めりっか?新橋金田中でのイベント。約100人の集客。芸人一流所名の出演。本当に20年ぶりかな...古い知人に同席したり楽しかった。

*3・25 東日TopOB 来宅
月初めの会食で話が出たように、「ゴーン以前の日産の事を書き残して置こうよ」
と言うことで、下打ち合わせにY氏とH 氏が来宅、生憎、ワイフの体調が悪く,何のお構いもなく、4時間懇談。本当に「お構いしないで...」我が家では、初めて...申し訳ない...

*3・31 Mr,Gary Langとファミリー来宅
恵の渡米時の一番初めの先生、日本人の奥さんと娘サーシャ、息子コーリン久しぶりの来日で我が家まで来てくれた。Garyは昔から家に来ていたし、子供さんも2度目かな...大きくなって、大学生と高校生。お寿司を取って、日本酒「久保田」Gary 持参で13時から19時ごろまで、拙い英語と拙い日本語でGaryは大の日本好きで鯉を23匹も飼って、日本犬を飼っている。Skypeで恵を呼び出し楽しい一日だった。