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“今時の子供” (05-23-2019)

2019-05-28 10:05:09 | Megu's Sports
★Megu’s Sports
・こんな事を言うと、古いなって感じがしますが。私たちが、子供の時には、1970−1980年代、コンピューターも普及していなかったし、携帯電話すらなかった。今思うと、よくコミュニケーション取れていたなって思う。待ち合わせするのも、前もって、電話で時間を決めるとか、ただ、友達の家に行って、外から名前を呼ぶとか。必要な時には、今ではあまり見かけない、公衆電話を使うとか。それでも、世の中、機能していたわけで。近所に住んでなくて、たまにしか会えない友達は、手紙を書いたりして。

・先日、Family Friendの家に晩御飯を食べに言った。彼らは、アメリカに来て2年になる。仕事も順調なようで、家とバーベキューを購入して、RVでキャンプに行ったりと
"Living it up on “American Dream“。彼らには、もう直ぐ8歳になる娘がいる。彼らが、Bay Areaに東京から引っ越してきた時に、その娘は地元の小学校に、タイミングよく1年生として入った。6歳で中国語と日本語が話せるバイリンガルの彼女。初めは、学校で、英語に苦労した事もあるけど、子供の脳ってスポンジのようで、言語も含めて、新しい事を直ぐに吸収できる。

・たまに彼らの家を訪ねることがあり、その時娘は、たいていYouTube TVを見ている。中国か日本の子供番組。最近訪ねた時は、YouTube TVを親のスマホを使ってみていた。食事前と、食事中。ほとんど目を離さずに。確かに、親としては、子供がテレビでもみていれば、おとなしくしているので、大人同士での会話ができるし、食事の支度するのでも、Distractionがなくて楽。だけど、食べている時だけでも、スマホを置いて、テレビを見るのをやめて、食べているものを見て、何を食べているかに気を向けて、少しでも会話に参加できる事を教えるべきだと思う。そんなことしてたら、子供の社交性が育たない。特に、彼女は私と同じで、一人っ子。こんな子供たちが集まって遊ぶと、何をするんだろう、何ができるんだろって思う。コンピューター、スマホなしでの遊びってできるのかなとか。私たちがしてた遊びなんか、今の子供達、する機会がないのも確か。親同士が、Play Dayをアレンジしたりして。まあ、子供のいない自分にとって言うのは容易だけど。

・あと、食事のマナー。イギリスとかいくつかのヨーロッパのかしこまったマナーに比べると、私の食卓マナーはなってない。だけど、Family Styleで食べる時とか、最低は、自分の小皿にとるとか、Serving Spoon/Folkを使う。Super Basic。彼らの娘が、ゆで卵をみんなでシェアする大皿から直接食べて、潰して、Messを作ってるのを見ていると、“あーあ”って感じで、その皿からものを取りたくなくなってしまう。今のうちに、基本的なマナー、教えて方がいいんじゃない?将来、役に立つからさ。


<先生の言葉>      1946年10月30日

2019-05-20 16:31:25 | Massy's Opinion

★Massy'sOpinion

   先生 佐藤 良夫 1946年 当時 杉並区立高井戸小学校 5年~6年担当

新潟師範出身 以降 青山学院大学文学部に学び、慶応大学文学部で児童心理学を学び再び教壇にたつ 文学青年 中学時に家庭教師をして貰った

 ☆   先生の教えの内、黒板に書いてくれた物を小文集にしていた 多感な時代に話されたことでその考え方は、現在に至るまで座右の銘」となっている

    この一冊のノートは「我が最良の年」 愉快に過ごして来た小学校時代の教訓を書き綴ったものであります

    学問だ。学問だ。何よりも学問だ。すぐれた学問のないところに、すぐれた個人は、生まれない。すぐれた学問を持つ人は、必ずすぐれた人間である筈だ。すぐれた学問とすぐれた人間とは、同じものであるとことを、先生は信ずる。

みんなよ、若き少年よ、すぐれた学問をもって生き抜いてくれ。学問を忘れるな。死んでも死んでも決して学問を忘れるな。学問は魂だ。学問は魂だ。若き少年達よ生涯学問への執着をもて。

 「真実の学問だ」「真実の学問を忘れるな」     1946年10月21日

    みんながみんなの力でみんなの仕事をしているのを先生は今見た。

先生はみんなの力を信じている。そうしていつもその日のくるのだけを待っていた。

若き少年よ 若き少年達よ 自分の力を信じてくれ 自分の力を信じてくれ。

そしてこの自分を この自分を自らの手で丁度芸術家がすぐれた彫刻を生み出すよう   

に自分自身をそのまま、すぐれた芸術作品として生み出してくれ 先生はその日だけ    

をまっているのだ。

「真実」「真実」 “花のような社会を作れ”       1946年10月日時不明

    人間は真実の上に築いた学問でなければ決して力とはならないと先生はいつも思う。

    「誠実」「誠実」                    1946年11月日時不明

 ☆ 白露の ごとくあれ                   1947年(昭和22年春)

☆   真実は 必ず人の胸をうつものである 常に感謝の気持ちをなくさぬよう。

 ☆   人生 行旅の如しと故人も言へり。

正に教師の如きも行旅の如く人渡場の渡守の如し。

君ら教え子達を学校と言う舟に乗せ卒業と言う向う岸に渡し終ると共に旅人の渡守を忘るる如く、教師も又君らより忘れらるるとせば寂しさ譬もなし。

されど我が限りをつくせる魂が教え子達君らの心の一隅に宿され永久に生きて温かきうるおいと共にもゆる温かさを持つとせば師の喜び限りなきものあるべし。

いつかは別るるべき宿命持つ我と教え子達よ 清らけく美しく豊かにあの大空にます巨木のそれの如くに生き抜くべし。 

秋来たらば公孫樹の一時に落葉すれど春と共に限りなき命の伸張を若葉のみどりに見せるであろう。

我が愛する教え子達よ、君達も又、永久にかの大樹の大空に屹立する姿たるべし。

5年を送るにあたり、春の暖かき光を浴びつつ此処に一葉の写真を取りぬ。

幾年か後、君たち教え子が大人となり老人となり、又、白髪の老翁となりたる時、これを見てその昔高井戸なる小学校に就学云々せし生徒たりしを思い、その懐かしく愉快なるは譬えるものなきを信ず。

教え子達よ、我が愛する少年達よ、幸あれ永久に 我が教え子達よ初五を了るの日に春の日を浴びつつ。

 

 


“我若し、総理なりせば”    ‘19-5-14

2019-05-13 16:40:50 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・新天皇の即位も無事に終わって、さてこれから本番の国内体制の立て直しだ。

日頃、新聞紙面を賑わせている問題を全く異なる視点から,考えて居ることを羅列して見たい。

・格差圧縮日本の東側と北側の格差

僕のブログ書き始めて15年を超える。書き出してからブログ友達が沢山できた。随分その友人たちに刺激されたことも多い。持論「通行区分の世界統一」を見て、ある国大の民俗学専門の教授が我が家へ尋ねて来た。要は「中古車の輸出について」色々話を聞きたいと言う事だった。専門学部を聞いたところ「民俗学」だと言う。「何で民俗学の先生が中古車の輸出を研究されているのですか?」と尋ねたら、「富山市射水市や伏木市に如何してパキスタン人や何かがあんなに多く集落を作っているのか?と言う疑問を持ち、調べて行ったら中古車の輸出にぶっかってこれは面白い...研究テーマにして見ようと思ったのです」と言う答えだった。‘95年頃の時代、僕の高校のクラスメートが宮古の市長をしていた時期がある。

ある時、市の企画課長を同伴して、「宮古市を何とか活性化したい知恵を貸してくれよ」と尋ねて来た。「福島には大きな工業団地も出来ているし自動車メーカーも進出しているだろう?矢張り自動車だよな、外車メーカーの誘致かな...」と僕は答えた。その時、「日本列島でアメリカに一番近い所は、宮古なんだよ。地球は丸いだろう...」と教わった。言われてみれば、その通りである。「唯、飛行場は無いよな?」「向こうの連中は自動車工場があれば、その近くに飛行場を作るんだよ。飛行場があるから自動車工場を作るのではないよ」「兎に角、豊橋、九州のトヨタ、日産を見てきた方がいいよ。自動車工場は海の傍でないと輸出があるからね」と言う話をした事が有る。暫くの期間この話に付き合ったが、物凄く勉強になった。友人の市長は次の選挙で敗れてしまい、その後の話は解らないが、大きな震災でそれどころの話ではなくなった。

こんな経験の中で、港湾の話に興味を持った。昔、‘80年代に香港、マカオ、広州を回った事が有る。「広州がなぜ貿易港として栄えたのか?」と現地の人に聞いたら、「珠江」と広州の港には「10万トンの船が3隻入る」と聞いたことがある。

さて、僕は太平洋側、日本海側の港の数を詳しく知って居る訳ではない。然し、太平洋を囲む国々の「TPP」中国の壮大な「一帯一路」等を考える時、日本海の利用を考える必要があるのでは無いか?巨大ロシアはウラジヲストックとモスクワ方面では文化も大分異なる様に見える。昨年「右ハンドル」(著者ワシリーイ・アフチェンコ、群像社ライブラリー)と言う本が発刊された。著者はロシア人で内容は日本の中古車礼賛の本である。国内新車販売では、中古車がさばけないと新車は売れない。国内需要を活性化させる為に中古車の販売は是非とも必要なマーケットであると思う。又、「一帯一路」も政治的問題は多々あるとしても一部でも「一路」が完成すればアフリカ等の巨大マーケットを背景に貿易は大きく成るだろう。そして「一路」は完成するだろう。北朝鮮は除くとも、ロシア、中国との交易は日本海側の地域活性化には大きな影響をもたらすと思う。制度、資金等の格差是正対策よりもインフラ整備の長期的、安定的な構造改革にもっと視点を向けるべきだと思う。田中角栄の「列島改造論」は矢張り、大きなインパクトがあった。

・世界に存在価値を残す1億人の国日本

今、高齢化と人口減少が騒がれているが、この問題は寿命が延びてくれば、伸びてくるほど元に戻すのは難しく成って来る。今、日本の生産物が、その品質の良さでは世界的に高評価を得ている。国内の保安、清潔さも世界的に高水準にある事も認められている。この部分だけは、どんなに不況が来ようとも日本国民が維持して行くべきだと思う。これは、ひとえにGDP「一人当たりの高生産性」を維持して行くことに尽きるだろう。そして、国の財政状態を早急に改善しなければだめだ。即刻、国会議員の定数を、衆参両方とも半分にするべきだ。民主主義はスローでお金が掛る。行政区分は20世紀の発展をベースに作られたものだ。「日本維新の会」の「大阪問題」はこう言う大きな視点から見れば、結論が出てくると思う。

・世界に誇れる生産性と核に成る基幹産業

前項に引き続き「高生産性」を維持して行くためには基幹産業を決めなければいけない。矢張り、自動車産業だと思う。これからの自動車は、Ai技術との密接な連携が必要な事は云うまでもない。Ai技術は、自動車だけではない、農業、漁業、建設すべての分野で色々な角度で必要なことである。自動車産業も大雑把な一括りでなく、中身を細分化した見方が必要だ。日本が誇れる物は、「所謂、特装車、或いは特種車」の分野だ。自動車でも中古車輸出を経験したものでないと解らないが、「発展途上国」からの需要は非常に大きい。「新幹線技術」も同じだと思う。日産・ルノーの問題もあの‘90年代後半の日産の救済を政府は如何して見過ごしたのだろう。世界の中の日本の産業の将来を見通せば、あの株式の持ち株割合は将来に禍根を残すことは見通せた筈だ。此の儘だと日本はイギリスと同じに成るだろう。

・憲法改正と全法律の見直し

「憲法改正」議論が騒がしい。専ら自衛隊問題が議論の中心に成っているが、全面的見直しが必要だろう。特に、自動車関連の法律は輻輳する部分が多く、特に税金問題は解りにくい。

税法との関連等も日本の憲法との整合性も含めた見直しが居ると思う。大変な作業に成るだろう。然し、世界が大きく変わって行く中で、自衛隊問題にばかり捕らわれた憲法論議ではなく「日本の将来形を見えるよう」にした見直しが居るだろう。特に高層ビルの規制と現在集中している都会地区は禁止区域にする。都市計画の練り直しは法律見直し論の中心に置くべきだ。

・財政の立て直しには、従来の経済論、金融論の見直しが必要だ。最近、数は少ないが専門家の先生方の中で、「従来型の箱物を中心とした財政投資は変えて行くべきだ」と言う意見も聞かれるように成って来た。歴史と伝統の継承が出来ないのは、マンションによる核家族化が大きな原因だと思う。嫁、舅の問題とか家族問題が起こることは大なり、小なり当然だと思うが、それを乗り越えて歴史の継承をして行く事が必要だろう。


“Diary 148 “ ’19-5-7

2019-05-06 21:51:45 | Massy's Opinion

★Massy’s Opinion

・4,1 豊川稲荷

定例の参拝。今日は、年度替わり新入社員を引き連れての参拝もあり賑やか...顔を見ていると緊張している新入社員とお参りに来慣れているリラックスしている新入社員と表情がハッキリわかり、面白かった。今日のお昼は、タヌキうどんにとろろ昆布のトッピング。

・4, 9  六球会 優勝祝い懇親会 於 銀座 長寿庵

今、病床に伏している、先輩の加藤雄司さんが何時もメンバーを集めて懇親会を開いていた。濱監督の代になって、マネージャーの小西君が良くやってくれるし、懇親会も定着。戦績もゴルフ、野球共に活躍しているし、恒例になった懇親会も盛大24名の参加。談論風発楽しい会だった。今回の新入会員は33年生まれ3名...僕の卒業一年後に生まれた連中。考えさせられるなあ...

・4,13東京六大学野球リーグ戦 開幕 Vs R

リーグ戦開幕。ゲームの詳細は色々出て居るので省くが、メンバーも昨シーズンと殆ど変わらないので、期待していたが、いいゲームを2日間続けていいスタート、Rも部員が200人を超えると聞いていたが、新戦力は目立たなかった。

・4,16 Yoko,M Live at Someday 新宿

Yoko,Mの事は前回詳しく書いたが、何しろ東京では出演が少ないので、先ず月1回は行くことにしている。彼女、バイブが好きで今日のバンドは「浜田均」さんのカルテット。お客は珍しく外人を含めた3人組、後は大体何時ものメンバー。演奏は彼女が張り切って唄って居たので僕には面白かった。特に「Where or When」もやってくれたし、「Tennessee Waltz」リクエストしないのにYoko バージョンで歌って呉れた。大人の歌だよね。

 ・4,18 平田杯 大多喜C/C

今年2度目のゴルフ。仲間に誘われて新宿でpick upして貰い大多喜へ...久しぶりのアクアライン経由。お天気は晴天、ゴルフ日和。テイーはシルバー・ティー テイーショットはスプーン。初めてのコース18ホールキャデイーなしで周る事が出来た。スコアは酷い。最後の18番パー5は3打目からチョロチョロでGive Upと言う事は15。一応その日はクラブの「竹の子杯」と云うコンペ。仲間のコンペでは自己申告より25オーバー全体のコンペでは生まれて初めてのBM。OBは無かったが、それほど飛ばないと言う事。酷いゴルフだった。

・4,19 メトロ都市開発(株) 来宅 異動挨拶

もうメトロさんとお付き合いしだして6年目か?以前名刺交換して、同姓でよく覚えて居る人が、異動で我が社の担当部長になった。わざわざご挨拶に来てくれた。もっと大手のお客さんが居る筈なのに。初対面の頃から僕のF/Bやブログを見て頂いているので有り難いが、まさかこんなことに成るなんて、人のご縁は有難い。

・4,25 笠井法律事務所 訪問

神谷町で昔からの知り合いに店舗の賃貸の事で、相談を受けているが、神谷町の笠井先生に紹介して相談に乗って貰っている。先生の奥様も「股関節の置換」をされて居るが、たまたま手術はワイフと同じ慈恵の先生。 一区切りついて、次の進め方について相談に行く。

・4,26 慶応読書会 於 糖業会館

講師 吉野直行氏 アジア開発銀行研究所所長

演題 「高齢化のもとでの財政金融政策の有効性の低下とアジアのインフラ整備」

超高齢化の下では、従来の経済理論、金融を緩和して...では景気は上向かない。金融を緩和しても地方では、高齢化のために金融の需要が伸びない、従って税収は伸びないし、国の財政は立ち直らない。と言う意見。世界各国のデータを比べて、日本の状態は本当に悪い。僕は、昔から人口構成のピラミッドを最重要視していた。いずれの機会に意見を纏めよう。

・4,27~9 神宮球場 Vs H

1回戦 快勝、2回戦 惨敗、3回戦 誠に気持ちの良い勝ち方、これで勝ち点取れたので今後に期待が持てる。それにしても柳町、自信満々の打席、下山君の3回戦のホームラン見事。早稲田は明治に逆転負け、僕は小宮山監督どうも今迄の世渡り振りが気に入らないので、早稲田には悪いけれど、慶応優勝の芽が大きくなったな。チーム、選手よく気が入っている。付属校の出身者が力を付けてチームを引っ張っているのは、嬉しい限り...

・4,29 野原君 Live 赤坂CountryHouse

“Shime& Kanji”相変わらずの動員力約50名,満席。サービスの3ステージ野原君腕を上げてプロの中に入っても違和感なし...21世紀の会の下田君(元日産野球部)が仕切ってくれるので気楽に音楽が楽しめる。カントリーも面白いよ。僕にはすべての音楽が楽しい。

 ・4,30 「平成」が今日で終わる。一日中、テレビに釘付け。上皇、上皇后本当に「お疲れ様でした」学習院と同じ旧制7年生高校の成蹊に3年間お世話になり、又陛下のご親友明石さんに親しくして頂いて、色んなお話も聞いていた。本当に大病されたのにかかわらずお元気で、一つのパターンを作り上げられた。特に昭和天皇の亡くなられた後、新しい形を作られたのは大変だったろうと想う。平成30年すごく長く感じるが、同世代の自分の人生と比べると、アッと言う間の様な感じもする。原爆被爆の世界唯一つの国、本当に世界をリードしていける国になる事が上皇、上皇后への恩返しだと思う。出でよ、若い良いリーダー。