おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

10/23日東京湾大感謝祭を赤カレンが倉庫広場に見に行きました。

2016-10-31 | 日記

毎年この時期に、東京湾大感謝祭があります。

     

     

地方の物産展は大賑わいです。

     

     

      

      

      

僕が一番興味を持ったのは、鰻を人工養殖した展示です。

      

エサの関係上、水槽を常に綺麗にしておかなければならないために

大漁に育てることは難しいそうです。

うなぎの生態もだんだん分かる様になってきたそうです。

      

      

      

      

      

      

      

      

ありがとうございました。    

 

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始めて橫浜外人墓地にお詣りしました。

2016-10-30 | 日記

10/23日 従兄弟がおばあちゃんのお墓詣りにと

一緒に行きました。

おばちゃんとおじいちゃんのお墓は、山手外人墓地の一画にあります。

橫浜の案内で外人墓地の正面に行ったところ

内部のお詣りができるとのことで、お詣りしました。

いつもは、塀の外からですが、今回は中の小道を歩いて

沢山のお墓にお詣りしました。

     

      

その昔、日本に来られて日本の文明の発達に尽くされた人たちです。

銘板に、「KILLED IN ACTION」と書かれている方が何人かおられます。

どんな事件に遭われたのでしょうね。

      

      

      

      

      

      

      

      

       

      

      

       

      

      

      

      

      

      

ありがとうございました。

今の日本があるのは、外国の人たちの力があったこそだと思います。

異国で亡くなられた方たちのご家族のことを思うと胸が痛みます。

最近、お墓詣りをと考えるけれど遠くてなかなかお詣りに行けないとの

話を時々聞きます。

時代の変化を切実に感じるこの頃です。

 橫浜外人墓地のホ-ムペ-ジからです。

維新直後の1869年(明治2年)外務省は各国領事館に書翰(書簡)を送り、

「外国人墓地は従来通り無代で貸し渡すが、

維持・修理などの費用は今後は各国領事団で負担して欲しい」旨を伝えました。

 これを受けて各国領事団は1870年(明治3年)管理委員会を結成し、

外国人墓地の管理運営を委譲することとなったのです。

 横浜外国人墓地の管理委員会は1900年(明治33年)4月に

財団法人横浜外国人墓地として法人化(2013年1月公益財団法人移行)され、

およそ150年近く墓地の管理を続けて現在に至っています。

 補足として、 1871年(明治4年)には清国人(現中国人)の墓地は

中区大芝台へ移されました。 関東大震災の後に増徳院も平楽に移転して

横浜外国人墓地は現在のような

22区5600坪(約18,500㎡)の墓域となりました。

また関東大震災により大半が焼失した埋葬記録も、

最近になって5000柱を越す記録となりましたが墓石数は3000程度となっています 。

墓地内は通常、縁故者等の墓参以外には非公開ですが、3月から12月まで毎週土・日・祭日12時00分~16時00分に外国人墓地募金公開を行っています。(雨天や葬儀都合による中止の場合は御容赦ください。)

外国人墓地の維持管理のための募金(200~300円程度)にご協力いただくと,そのお礼として入苑できます。
10分程度で一巡できる順路が設けてあり、お礼として配られるパンフレットに沿って進むと歴史に残る人たちの墓所を巡ることができます。

11月3日から5日まで

円覚寺で寺宝の風入れ行事があります。

いつもは門のところまですが、舎利殿も内陣に入れると思います。

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始めて日蓮宗の有名な龍口寺にお詣り

2016-10-29 | 神道

江の電江の島駅から5分ほどの龍口寺にお詣りしました。

 江戸時代には、大山詣でと江の島弁天様のお詣りが盛んでした。

江の島の弁天さまは人気がありました。

江戸からだと藤沢宿を経て江の島詣でです。

藤沢宿から弁天道標が今でも残っています。

日蓮聖人が捉えられた龍の口で、処刑場跡があります。

この処刑場の敷皮石にすえられ時まさに首をはねられるときに

江の島の方から満月のような光りものがとびきりて目がくらみ

処刑は中止したと言われています。

      

      

      

大きなお寺です。

     

     

珍しく、お題目を唱えながら鐘を自由につくことがでします。

始めての経験です。

でもうれしいですね。

     

     

     

オ-ブが写っています。

この裏山は墓地になっています。

     

     

木造の五重の塔は、神奈川県下では龍口寺だけです。

     

     

     

     

     

ありがとうございました。

やっとカメラの修理がおわりました。

しばらく撮り溜めの前のカメラの写真です。

キャノン G1X-Ⅱでファイダ-を買いました。

ファイダン-から覗いてアングルを決めることになれているので

やはりいいですね。

でもこの小さいなかに凄いテクノロジ-が入っていることに

びっくり。

ファイダンに目を近づけると液晶からファイダンに自動的に切り替わります。

 

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江の島洞窟探検4 岩屋窟

2016-10-28 | 日記

江ノ島岩屋窟の第二岩屋窟です。

     

      

      

江の島生まれの伝説

「昔むかし、鎌倉の深沢山中の底なし沼に五つの頭をもつ悪龍が住みつき、

村人を苦しめていました。

子供をいけにえに取られることから、この地を子死越(こしごえ)と呼んで

恐れられていました。

    

あるとき、子死越前方の海上に密雲が何日にもわたってたれこめましたが、

天地が激しく揺れ動いた後、

天女が現れ、雲が晴れると今まで何も無かった海上に一つの島ができていました。

天女の美しさに魅せられた五頭龍は、結婚を申し込むのですが、

悪行が止むまではとことわられてしまいました。

その後、心を改め結婚することが出来たと言われています。

この伝説の天女が、江ノ島に祀られている弁財天と言われ、五頭龍が

龍口明神社として鎌倉腰越に祀られています。

     

     

     

     

ありがとうございます。

江ノ島の伝説を読んでいて古事記を思い出します。

 高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、

出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立った。

箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。

その夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、

娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といった。

夫婦の娘は8人いたが、年に一度、高志から八俣遠呂智という8つの頭と

8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまう。

今年も八俣遠呂智の来る時期が近付いたため、

最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと泣いていた。

須佐之男命は、櫛名田比売との結婚を条件に、

八俣遠呂智退治を請け負った。まず、

須佐之男命は櫛名田比売を櫛に変えてしまい、

自分の髪に挿した。

そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、

8つの門を作り、それぞれに酒を満たした酒桶を置くようにいった。

準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、

8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。

八俣遠呂智が酔って寝てしまうと、

須佐之男命は十拳剣で切り刻んだ。このとき、尾を切ると剣の刃が欠け、

尾の中から大刀が出てきた。

     

そしてこの大刀を天照御大神に献上した。こ

れが「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」である。

八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、

櫛に変えた櫛名田比売を元の姿に戻し、

彼女と暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市)の

須賀の地へ行き、

そこで「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 」

(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を)と詠んだ。

 

龍神と活断層との関係が言われています。

江の島の伝説も関東地震での島の龍起や密雲が垂れ込める話は、

安政大地震のときに一転黒雲がやって来たと報告書に書かれて

いることに類似しています。

大地震の時に稲妻が走り一瞬、空が明るくなったことが

書かれていますが、昔の人は龍が降りて来たと思ったのでしょうね。

円覚寺仏殿の天井の絵に龍が描かれています。

 

 

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江ノ島洞窟探検3 いよいよ岩屋洞窟です。

2016-10-27 | 神道

10/22日に江ノ島岩屋駆へのお詣り。

第二洞窟は、江ノ島の発祥の地です。

         

第一と第二の二つの洞窟があります。

第一は、約88m先が二つにわかれています。

22m」と35mです。

第二は、約50mで2本の洞窟になっています。

稚児ケ淵です。

     

     

海岸にそってこの先に船着き場があります。

今日は、波も高く渡船は中止でした。

     

立派な遊歩道が続いています。

小学生のころ父母に連れられて岩屋窟に来た記憶があります。

当時は、木造の橋を渡り、洞窟も途中まっでした。

怖かった記憶が蘇ります。

     

     

     

     

今から6000年前に浪により浸食が進んで洞窟ができたそうです。

洞窟には、沢山のお地蔵さんが松ってあります。

入り口を入ると小さな池があります。

いろいろな解説がありますので楽しく探検ができます。

     

     

途中でロ-ソクが渡されます。

ロ-ソクを持って探検は、趣があっていいですね。

      

道の両側に祀ってあります。

      

      

      

一番奥に日蓮の寝姿の石があります。富士山の風穴に繋がっていると言われています。

歴史的には、役行者が修行した場所と言われ、江戸時代には弁財天が祀られていて、

岩屋詣でが盛んで、印としていろいろな石造物を奉納したものが残されています。

      

      

      

      

      

      

第二窟に向かいます。

ありがとうございました。

  

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江ノ島洞窟探検2

2016-10-26 | 日記

10/22日江ノ島の続きです。

弁天橋をわたり、江島神社の山門をくぐらず

右の下道である近道を行きます。

江ノ島の雑踏から離れて静かな小道です。

     

この島の半島に行ってみたいですね。

江ノ島は、なかなか楽しい場所が沢山ありますね。

      

     

     

中村羊羹屋さんの前に出ます。

ここからちょっと登ってから急な階段に

    

    

江島神社は、辺津宮、中津宮、奥津宮の3箇所あります。

一番奥の神社が奥津宮です。

奥津宮の手前に公衆トイレがありますが、手洗い水に

一工夫。まさに龍神さまです。

     

     

頼朝が奥州平泉の藤原清衡を調伏するために

京都神護寺の文覚上人に命じて弁才天を岩屋に勧請した。

参詣の際に鳥居を寄進したものです。

平成16年の台風で被害を受け改修したものです。

      

 かめ石や力石です。

          

         

         

        

        

隣に竜神さまが祀られています。

全国の竜神さまは、活断層があるところと言われています。

江ノ島は、元禄地震や関東地震で島が隆起しました。

     

     

龍野ケ岡公園です。

歩いて見ると江ノ島は大きいですね。

イメ-ジとしてちっぽけな島だと思っていました。

      

     

     

     

     

トビが風に舞って楽しそうに飛んでいました。

     

     

     

     

     

やっと岩屋に到着!!

ありがとうございました。

明日は、岩屋洞窟探検です。

 

奥が深い洞窟にびっくり。

 

横田南嶺円覚寺管長さんの本から

 

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)

 

--人のために尽くそうという願いを持つ

 

坐禅の作法を説かれた『坐禅儀』という書物にも「修行をしようとする者は、

まず誓って人々を救おうという誓願を持って行うべきで、

自分だけの悟りや解脱を願うべきではない」とはっきり説かれている。

 

松原泰道先生や坂村真民先生にしても、

衆生無辺誓願度の願いを貫かれたご生涯であられたと思う。

受け継ぐべきは、その誓願である。

 

坂材真民記念館が開館された折に、先生の三女である西滓真美子さんから、

記念館に書を求められた。私は迷わずに真民先生の「火」という詩を書いて送った。

 

「先生の 

 あの清澄

  あの放射

  あの芳香

  それは

  どこからくるのであろうか

  先生のなかに燃えている火

  衆生無辺誓願度

  あの火を受け継がねばならぬ」

 

  

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光田秀さんのム-大陸のお話し

2016-10-25 | 日記

10/20日ホロトロピックナイトサイエンスで

エドガ-・ケ-シ-の見たム-大陸について

光田秀さんのお話しがありました。

BC1万年にム-大陸は海中に没したと言われています。

エドガ-ケ-シは、アトランティスについては597件

ム-については26件のリ-デイグを残しています。

    

世界中に古代の遺跡が残っていますが、アトランティスやム-の遺跡は残っていません。

    

伝説の超古代文明「ムー」

2016/4/19 超古代・オーパーツ

伝説

悠遠の太古、太平洋には「ムー」という大陸が存在した。この大陸は東西8000キロ、南北5000キロにおよぶ広大な陸地で、そこには人口約6400万もの人々が平和に暮らし、現代文明をはるかに上回る高度な文明を築いていた。

 ムー大陸の予想図

このムーを統治していたのは宇宙創造神の地上代理人である賢者の王ラ・ムーである。国民はラ・ムーのもと、優秀な学問と文化、建築、航海の術を発達させていた。そして太陽の象徴を旗印に、世界をその支配下に置いていたという。

     

光田さんのお話しでピラミッドやマヤ文明での

重量のある石をどうして運んだのかとかカミソリの刃もはいらないほどに

緻密に積み上がられていることは、今では考えられない文明があったのではないかと。

    

今日の識りたいことは、エドガ-ケ-シ-がどのようなリ-デイングしたのかが

具体的な事例でのお話しでした。

ケ-シ-が催眠状態で話すことを聞き取ることで行われています。

    

ケ-シ-の書かれた英語をそのまま翻訳しても難しいところがあるそうです。

光田さんは20年以上読んでいるので何とか解釈できるようになったそうです。

サンプルを書きます。

男28才 で1933年11月10日

「それより前、われわれはこの実態がズ-、あるいはレムリア、あるいはム-とよばれていた

土地にいたのを見いだす。これは、人びとが完全な形の体に宿るより前のことであった。

むしろ、期間の発展を通して(??)身体にはいったり、身体から出て物質性に働きかけることが

できるような存在だったと言いえるだろう。霊において、

あるいは肉体にあって、破壊をもたらした事柄、影響力をこれら(??)が作り出した。

とういうのも、その時代の地上における大気圧は、今日の肉体存在が経験するものとは、

相当に異なったものであったからだ。

    

     

もうひとつ面白いリ-デイングがあります。

「この実体のその時の名はアフト兄であった。

 

この実体は、それより前、日のいずる国、神道の国、現在日本と

して知られる土地からこの地(エジプト)にやって来た。

 

当時、この実体は人びとに多大な貢献をした祭司たち一員で

全生涯はこの国に捧げられ、人と森羅万象との関係、人と他人との

関係を熟考することに立ち返るのを促す教義を広めることに尽力を尽くした。

     

最近、坂井洋一さんの「日本の始まりはシュメ-ル」という本を

読みました。

日本語にシュメ-ル語や古代エジプト語は入っているそうです。

どうも縄文時代前後の時代は世界は繫がっていたのではと思っています。

すでにム-大陸の世界でも日本と関係があり、それも神道と深いつながりがあるとは

驚きです。

最後に、光田さんが作製された占星術のグラフです。

800年ごとに世界は変わってゆくそうです。

今から800年前は鎌倉時代?

     

ありがとうございました。

ホロトトピックネットワ-クでは、楽しいお話しが聞けます。

一度会員になれば講演会も断食会の会員価格になります。

12月には、チャネリングが出来る木村由岐さんの話。

1月には、元裁判官判事の稲葉耶季(やすえ)さんの

食べない、死なない、争わないの話です。

     

秋山弁護士さんも5年も6年も食べない、水も飲まない話を聞きました。

そのことが、母親が97才で亡くなる前に食事が細くなりましたが、

人は食べなくて死なないとを知っていたので焦らないで淡々と

死を迎えさせてやるとこができました。

僕も母親と同じように死を恐れないで淡々と毎日を生きることを

目標としています。

ありがとうございました。

明日は、江ノ島の話に戻ります。

 

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江ノ島の洞窟探検1

2016-10-24 | 日記

10/22日江ノ島の洞窟探検い出かけました。

今日は、回り道をして上まで登りません。

     

     

龍神さまのお出迎えです。

日本国中に龍神の信仰があります。

円覚寺仏殿の天井画に龍の絵が描かれています。

     

大きな地震が来たら高い所に逃げましょう。

江ノ島の裏側に行く船は休航です。

      

      

     

今日もゆうゆうとトビが大空を泳いでいました。

風の流れを楽しんでいました。

日時計です。

     

     

沖にヨットが沢山。

     

しらすをベ-スにいろいろなお土産がありますね。

     

      

     

     

       

      

      

       

       

       

この山門をくぐらずに 、下道を行きます。

中村羊羹屋さんに向かいます。

     

ありがとうございました。

横田南嶺円覚寺管長さんの「人生を照らす禅の言葉」から 

大事因縁、山よりも重し

--何のために生まれてきたのか

尊い宝を見失ったがゆえに、『法華経』の譬えのように、放浪してしまう。

貪り多い者に貪るなと言っても、無理であろう。

怒り憎しみに燃えている者に、怒るな憎しみを止めよと説いても、これも難しい。

なぜ貪るのか、なぜ憎しむのか、それは自らのうちにある、

素晴らしい宝を見失っているがためだ。

我々僧侶は、この宝に自ら目覚め、

人にも気づかせてあげるために日夜修行に励む。

大事因縁とはこのことである。

めいめいの勤めにおいても、それぞれの仕事を通じてこの宝に目覚め、

人にも気づいてもらおうという志を持つことが、

大事因縁であり、天から与えられた封書の真意ではなかろうか。

大事因縁は、山よりも重いのである。

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渋谷 ひかりえ 面白い所ですね。

2016-10-23 | 日記

10/20日ホロトロピックのナイトサイエンスで

光田 秀さんの「超古代文明ム-」とは講演会でした。

その前、1時間ほど余裕があったので「ひかりえ」を覗いてみました。

いやはや面白かった。

入り口のモニュメント?

    

右側の小さい箱が、カメラになっていてその映像を加工して

このキュウビックに映し出します。

右の写真は、僕です。

バンダナが写っていて、カメラが顔の1/3を占めています。

     

渋谷の町は、建設中。

     

     

お登りさんだからどんどん上階に。

     

レストラン街は、開放的です。

見る人も見られる人も同じレベルで楽しんでいます。

     

     

     

     

      

     

     

藤田匠平さんの「壁のボッツ」の展示をしていました。

どこか引かれるところがあり、聞いて見ました。

京都市大の卒業の方で、瀬戸内海の島で製作しているそうです。

僕は、京都が好きで良く行きますのでどこかに引かれるところがあるのですね。

     

     

     

     

撮影は許可を得ています。

     

奈良展では、東大寺のお水取りの松明が飾ってありました。

近くで見ると大きいですね。

    

    

      

こんどゆっくり散策してみます。

ありがとうございました。

 

面白い本を見つけました。

熊谷公男編「アテルイと東北古代史」です。

伊藤博幸、八木光則、樋口知志、鈴木拓也の諸先生方が

主筆されています。

実は、奥州市の「アテルイを顕彰する会」に属していて今月号の

会報に紹介されていました。

高橋克彦さんの三部作を読んでいて

アテルイが好きになりました。

この夏には、その根拠地である胆沢(いさわ)城址に行って、

アテルイを体で感じて見ました。

高橋さんの話では、時の朝廷が東北地方を攻めいてきたのは

4回ありますが、決して東北の地から京都の攻め上ることはなかったそうです。

アテルイと坂上田村麻呂との最後の遣り取りに感動しますね。

11/12(土)に京都清水寺で「アテルイとモレの法要が行われます。

お詣りしようと思っています。

 

 

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昨日の長谷寺の続きです。

2016-10-22 | 日記

もうじき長谷寺も紅葉の季節になります。

楽しみですね。

今日は、久し振りに弁天窟にお詣りしました。

     

いつ見ても3重の屋根は豪壮ですね。

      

     

     

ほほえましい一コマ。

世界は一つです。同じ事を考えています。

     

      

真っ暗でロ-ソクの光だけなので・・・・

     

     

     

     

     

     

出口です。

     

     

午後3時過ぎなのに江ノ電の鎌倉駅での行列

     

ありがとうございました。

 

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秋の晴天のなかの長谷寺

2016-10-21 | 日記

15日円覚寺舎利講式の後に長谷寺にお詣り

長谷の町は、長谷寺や大仏でいちも賑わっています。

大仏さんの力はたいしたものです。

     

     

     

     

長谷寺にはいろいろな草花があり今日はどんな花がさいているのかが

楽しみです。

     

     

小さいお地蔵さんがお出迎え。

こんにちわ。

     

     

     

      

      

     

立派な銀杏の木ですね。

     

     

この風鈴の音は、優しくやわらかな暖かい感じがします。

     

       

マニ車

     

     

     

ありがとうございました。

今日は、空気が澄んでいて海が良く見えました。

横田南嶺円覚寺管長さんの本から。

独座大雄峰(どくざだいおうほう)

--感謝の心ですべてを受け入れる

 「なくしたもの、思うようにならないことばかりを歎くよりも、

あるいはこれからのことに不安ばかり覚えるよりも、

今生きている、生かされている、この大いなる事実に感謝して生きてゆきたい。

感謝の心ですべてを受け入れた時にはきっと、

仏心の世界に目覚めることができる。

その時人は、仏心には生き死にはない、生き通しであると気がつくのだ。

 幼い子を残さねばならぬ無念も、

例えこの身は尽き果てるとも、この子を愛し守り抜く、

この愛の心は死にはしない。

姿形を変えても、この子を守っていくであろう。

大慈悲の仏心となって生き通しであるのだ。

今ここに生きていることの深い感謝から至る、

「独坐大雄峰」の世界である。」

 

感謝の心で生きることこそ最大の修行

 

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長谷寺参道は、いつ来ても沢山の人人です。

2016-10-20 | 山伏修行

円覚寺の舎利講式を終えて長谷寺に足を延ばしました。

江ノ電鎌倉駅は、沢山の人。

みなさんどこに行かれるのかなあ・・・・

長谷駅からぶらぶらお寺まで散策

      

一心亭さんは、お肉屋さんですが

お店に可愛い動物たちが迎えてくれます。

     

     

     

アイスの宣伝が面白いですね。

何種類あるのかな?

    

    

日蓮宗のお寺((収玄寺)さんです。

お庭にいろいろなお花が咲いています。

    

     

    

外国人用にブッダのお話し。

     

    

    

    

    

    

    

    

    

生しらすが今一番の売りです。

江ノ島でもどこでも生シラスです。

      

ありがとう」ございました。

横田南嶺円覚寺管長さんの本から

一点梅花の蘂、(ずい)三千世界香し(かんばし)

--一念を貫くことが世界を変える

「いつの頃であったか、もう修行生活も十年を越えただろうか、

一月の寒い夜に、風に吹かれながら座っていた。

ふとかすかに梅の香りを感じた。

まだ梅には早いと思いながらも、

確かに梅の香りである。

そのかすかな香りに浸りながら、座禅をしていた。

明くる朝、境内の掃除をしていてハッとした。

道場の山門のそばに

梅が一輪花開いていた。

昨晩香ったのは、この花だと思った。

座禅していたところから何十メ-トルも離れている。

そんな距離で一輪の梅の花の香りがするであろうか。

無理だと言われるかもしれない。

一輪の梅の花の香りが道場一杯に、

いやこの広い天地一杯に香っていることに感動したのである。

その喜びは今も色あせることはない。

 

 

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円覚寺塔頭の松嶺院のお庭の続きです・

2016-10-19 | 神道

松嶺院のお庭の続きです。

庭の前を通って山の上に向かいます。

    

      

      

      

屋根の上に光が注いでいます。 

      

       

      

少し時間があったので仏殿で瞑想。

     

     

     

     

ありがとうございました。

横田管長さんの本から

千里同風(せんりどうふう)

--どこにいても心と心は通じ会う

「玄沙は石にけつまずいて開悟した。

思わず「痛い」と叫ぶ。

それはいのちある確かな証拠である。

川のせせらぎを聞くものは何か。

いのちあればこそ聞いている。

そのいのちはどこから来たのか。

計り知れない無限のいのちを今ここにいただいて

生きている。

その事を実体験することが禅の修行にほかならぬ。

 

「1本の草も涼風やどりけり」(一茶)

       

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

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円覚寺塔頭の松嶺院のお庭に草木の花が咲いています。

2016-10-18 | 日記

10/15の舎利講式のまえに、松嶺院のお庭で花を楽しみました。

いろいろな種類の草花が育てられています。

     

人気者のし-ちゃんがのんびり歩いていました。

禅寺の猫なのかも知れませんが堂々としていますね。

    

    

今日は久しぶりの雲ひとつない晴天。

「げんべいこぎく」

    

    

「しゃくちりそば」

    

「ろうあがき」

    

「せんなりかき」

    

   

    

「炉開き椿」

    

    

朝の太陽がこんなに大きかったかなあ?

不思議なことがあこりました。

オ-ブや光の束の流れ?

下の右の写真で軒さきの下に空色の小さい丸い玉が写っています。

    

    

     

    

ありがとうございました。

横田南嶺円覚寺管長さんの「人生を照らす禅の言葉」から

羞を識る(はじをしる)

--どこまでもまだいたらないと思う心

もちろん、何事においても一生懸命に勤めることは大事であるが、

自分はこれで十分と思い上がっては決してならない。

どれだけ人の御世話になってきたか、いや、

どれだけ人の心を傷つけてしまったか、

どれだけ物のいのちを粗末にしてしまったか、

常に反省し、恥じ入る心を持つことがさらに大切だ。

慚愧の心を持った人はやはり稀であろう。

お釈迦様の言われるように、

羞じを識った人こそ最も荘厳な輝きを放つ人なのだが。

     

 円覚寺のホ-ムペ-ジの「居士林だより」に舎利講式が紹介されています。

お釈迦様の舎利が納められている厨子の写真が載っています。

「舎利講式は、円覚寺に伝わるお舎利(お釈迦様のお骨)の入った厨子を

大方丈に安置して供養をする、1年に1度の御開帳の儀式です。」(H.Pから)

http://www.engakuji.or.jp/blog/

 

 

 

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円覚寺舎利講式 その2

2016-10-17 | 日記

10/15日円覚寺舎利講式の続きです。

舎利講式は、毎年10/15日に行われますが、

今年は丁度土曜日だったので沢山の信徒さんが来られました。

      

 百味供養が終わり、大施餓鬼法要が始まります。

北鎌倉幼稚園の園児たちの散華の舞が始まりました。

お坊さんたちの中でかわいい園児たちの舞は、ほんとうに心が和みますね。

     

     

     

      

     

お焼香が終わって施餓鬼供養を行います。

水を浸けて供物を祓い清めます。

     

     

     

終わってから書院で斎座(昼食 精進料理です。)

      

     

ありがとうございました。

この年になって、何となく落ち着いたお寺さんの行事に参加することができました。

山伏の護摩炊きの儀式は、活発な華々しいものです。

そして経験豊かな人たちの采配などで僕などの人間は小さく片隅に寄って

見ているだけです。

でも円覚寺では、みなさん平等な感じで、仏さまの前ではだれもかれも

同じなのでしょうな。

参考にホロトロピックで出雲大社のお詣りの前に

指導を頂いて居る延命寺さんの施餓鬼供養の儀式です。(http://www.enmeiji-hp.com/

護摩炊きに供養の食べ物を火に捧げます。

延命寺さんのHPに供養について丁寧に解説されています。

ホロトロピックの仲間の人のことですが、

延命寺住職の大阿闍梨の口羽和尚さんから教わって1週間行ったら

体の不調が治ったそうです。

僕が教わった方法です。

毎日、おむすび1個を施餓鬼に供養し、光明真言を唱えてから

川に流すこと。

     

     

 

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