平野敏夫総長 最終講義
「免疫学者として、総長として~来し方を思い、未来を思う」
からです。YouTube から(2015.7.14)
https://www.youtube.com/watch?v=uIe3SuJwjUA
この講演から人類の歴史においての感染についてです。
今、コロナウイルスでいろいろな意見がでていますが、7年前に平野先生は
未来を思って述べていることはまさに今一番求められています。
適塾から世界適塾へ
20万年から現代までを感染症から眺めたとき5波があったと整理されたいます。
私たちは、今の状態だけを見るのではなく人類の歴史から眺める必要があるのではないでしょうか。
第1波:20万年まえ~1万年前 ホモサピエンスが5大陸に拡散。
コイサン、コ-カサイド、モンゴロイド、アポジリニの4つの人類
第2波:1万年まえから12世紀 文明開化、多様性の基本確立
言語、慣習、文明、宗教、そして感染症の出現
第3波:13世紀~17世紀 モンゴル帝国、大航海時代
世界が7つの生みで繋がる、感染症の拡散
第4波:18世紀~20世紀 産業革命、大英帝国、2回の世界大戦 冷戦
政治的/軍事的世界覇権競争 感染症との戦い
第5波:1990~現在 情報伝達手段 移動手段の革新 地球の狭小化
多様性凝縮、多様性の爆発 感染症の暴発?
この第5波の説明で、人類を脅かした様々な感染症 結核、コレラ、スペイン風邪、
エボラ出血熱、エイズ、マラリア、SARS等
グロ-バル化第5波で感染症爆発の予兆すらある
と今日の世界的に広まったコロナウイルスを予兆していたように感じます。
阿部シズ先生の「病から見た日本史」からです。
ネズミ買い上げ――ペスト流行
現代社会に生きる、多くの人がいちばん嫌う病気はガンであろう。だが、百余年前、
二十世紀を目前にした明治三十二年(1894)に、日本中はペスト流行に震え上がっていた。この年、ペストがはじめて日本に上陸したのであった。
実は、このときペストの本当の恐ろしさを知る者はごく一部であった。多くの人は
中世ヨーロッパでは黒死病と呼ばれた病気で、ヨーロッパの人口が四分の三に減った
ことを知って震え上がったのである。
ペストは感染経路と病状で腺ペストと肺ペストに分かれる。腺ペストはペストに感
染したネズミのノミが人を刺して発病する。このとき脇の下や股の付け根のリンパ腺
が腫れるので腺ペストと呼ぶ。腺ペストはネズミがいないところでは発生しない。そ
のために肺ペストに比べておとないしいペストである。
肺ペストは肺炎をおこすペストである。肺ペストでは咳や痰とともに菌が出て、空気伝染する。
感染しやすく、広がり方が早い上に死亡率が高い。腺ペストよりはるかに怖い。
1 日本最初のペスト患者
明治二十七年(一八九四)香港在住の中川恒次郎一等書記官から外務省に宛て、広
東省域で一種の悪疫が流行。この病気は前駆症状なしに高熱を発し、激しい頭痛を訴
え、意識混濁となり、二十四時間以内に顎部、旅嵩(脇の下)、股間(大腿の付け根)
のリンパ腺が腫脹し、昏睡状態になって四十八時間以内に落命するという電報が入っ
た。この電報を追いかけるように、香港でペストの流行が始まったから中国からの入
国船はすべて検疫する必要があると入電があった。
ところで、十九世紀末に香港で発生したペストは中国雲南省の地方病であったもの
が、突然人口密度の高い広東省の町で発生し、さらに南部へと広かっていったのであ
る。
香港では超過密状態にあった貧民街太平山から流行が始まって、約三ヵ月に
2683人の死亡者を出した。英国の直轄植民地であったから軍隊が出動し
て、ヨーロッパ式の防疫活動を行った。交通を遮断し、各戸の患者調査を実施して、
患者を発見すれば隔離し、その後を家財道具一切人ったまま焼却したのである。
1896
年にボンベイで流行が始まった。中国から入って大流行したといわれるが、
インド北部アウマンからの巡礼者がペストをもたらしたという説もある。
政府はただちに各港で検疫を開始し、同時に伝染病研究所長の北里柴三郎と東京大
学の内科学教授青山胤通を香港に派遣して、流行状況の調査と病原菌の探索、予防法
の研究を命じた。ライバル同士の二人は六月六日、随員四人とともに東京駅頭で盛大
な見送りを受けて出発した。
六月二十日、北里から「今回黒死病の病原発見せり」と内務大臣に電報が届いた。
世界に先んじたペスト菌の発見である。
しかし、この朗報を追うように七月三日、青山胤通と助手石神亨がペストに感染し
て危篤状態になった報せが入った。幸いにしてすぐ危篤状態から脱したため、北里の
一行は七月二十六日に帰国し、二人は快復を待って九月一日に帰国した。なお、この
あと北里が発見したのはペスト菌ではないとされた。
同じ時に香港でペスト菌を研究していたスイス人エルザンが発見したのが本物であると、北里は青山らから激しく攻撃を受けた。北里自身も明治三十二年(一八九九)
に神戸でペスト菌を検査したとき、原因菌がエルザン菌であると認めたが、実はその
後、北里の発見していたものもペスト菌であったことが確認された。いまではペスト
菌をエルザン・北里菌と呼んでいる。
ありがとうございました。
平野先生は、ノ-ベル賞候補のお一人のような気がします。
なかなか表に出かけられません。
夕方、雨が上がったので弘明寺商店街に買い物へ。