保江先生の門人で整形外科医の小坂 正先生が
書かれた「身体の痛みを取るには気功がいい!」の本の紹介です。
弘前大学医学を卒業され関東一円の病院で臨床経験を積まれました。
手術を得意とする勤務医から「入院・手術前に治す」を
目標として開業されました。
2004年にガンの宣言を受けました。
この本は、下記の構成で書かれています。
第一章 私が整形外科を選んだわけ
第二章 気功治療の奇跡
第三章 診療日記から
第四章 気功治療でわかったこと
第五章 気と愛の世界へ
第二章は、大学附属病院で脊髄梗塞と診断され下半身麻痺の
患者さんが病院と喧嘩しながら入院施設もない町医者が治療。
患者の夫婦は、夫の病気を治して欲しいと先生に信頼を寄せました。
倒れてから三ヶ月弱で杖無しで歩き、自転車に乗り、車の運転をするようになりました。
「あの日起きた不思議な出来事は、私には何の実感もなく、いわば朱さんが
勝手に立ち上がっただけのようでした。」
と小坂先生は、謙遜されています。
この話を読んでいて涙が出てきます。
そして病気とは何かを教えてくれます。
少し長くなりますが、小坂先生がガンになった時の
話です。
O-リングテストは、天外さんから教わりましたが、
ほんとうに簡単に分かります。
小坂先生の本でガンも分かるのですね。
「O-リングで癌が発見された!
ところが2004年の8月のことです。
早稲田大学の講堂でバイディジタル・O-リングテスト国際学会が開催されました。
最終日のスケジュールは、創始者大村恵昭先生直々のO‐リングによる癌のスクリーニング法のセミナーでした。
医師、歯科医師限定で七十人ほどの参加者です。
O-リッグテストを使って数分間で癌の有無をチェックできるという触れ込みです。
どこの癌が、その部位、サイズ、さらに余命も確定できるという癌検診のためのセミナーでした。
大村先生の「どなたかモデルになっていただけますか」の声に、
私はイの一番に手をあげて進み出て、
上半身裸になって検診が始まりました。
快調に始まったテストでしたが、あるところで先生の手がピタリと止まりました。
「……癌です」
思いもかけない結果に、一瞬その手が止まった大村先生ですが、
すぐに立ち直って淡々と講義を進めました。
おへその右と右肋骨の下部に、それぞれ4センチほどの腫瘍があり、
しかも悪性度が高くて、テロメア(染色体の末端にあって分裂を制限している部分。
50回の分裂で増殖が止まるといわれている)で余命を測定すると、一年弱という宣告です。
会場は突然のドラマで凍りつきました。
救いは、私かその突然の宣告にとっさに反応できず、
愁嘆場にならなかったことでした。
本来なら何の癌かも確定するはずでした。
それも数分でできるはずなのに、
大村先生は「脾臓癌です」とか「肺癌です」とかそこまで宣告するのは
さすがによろしくないと配慮されたらしく、
告知を省略して終了となりました。
そして最後に、私に声をかけてくださいました
「いろいろ有効な方法はあります。お医者さんなのですから、ご自分でなんとかなされるでしょう」
あのお声は今でもはっきり覚えています。
癌スクリーーニングセミナーとしては、予想外のドラマティックな展開です。
大成功でした。
先生の宣告どおり、もし一年後に私か死ねば、O-リングの信憑性の完璧な実証となるはずでした。
しかし私は、大村先生がかねがね推奨されていた
大村式足三里のツボ(ひざの下三寸、向こうずねのすぐ外側にあるツボ。
腹部の病症を治療するためにょく使われる)にお灸をすることで生還しました。
ツボを知らなかったら、生還はまさに厳しかったと思います。
自分でも驚きながら、私はこの癌宣告を100パーセント真実だと受け入れました。
0-リングのこのセミナーには三日間欠かさず参加するほどに入れ込んでいましたし、
O‐リングを研究開発した大村先生を偉大な学者として尊敬していました。
それに加え、なるほどと思える傍証があったからです。
この何か月か前に、薬品メーカー’のMさんから血糖測定セットをもらったので測ってみると、
ボーダ-ラインの上限ギリギリでした。
父親が糖尿病だったこともあり、
「これはよくない、少し改善しよう」と思って、昼食を玄米ご飯に
と、愚かにも得意になっていました。
体重は、あっという間に83キロから18キロ減の65キロになっていました。
これはやはり進行癌の末期です。
そういう兆候があったのです。
そこへ大村先生の宣告です。
そのとき遅ればせながら、癌だと得心しました。
私は55歳でまだ死ぬ気はなかったし、死にたくもありませんでした。
それで次のことを決めました。
一、病院の検査は受けない。何か、どこにどのようにできているか。
それがわかると、自分の性分として自分で新しい治療方法を考えて、
自分で自分の身体をいじくりまわすのはわかっている。
そうすると仕事どころではなく、底なし沼に突っ込んでいく。
二、体力を落とすような治療はしない。体力、免疫力を落とせば、
に直結する。そのため専門病院の治療は受けない。
三、今までの知識をまとめてみると、いちばんしっくりと納得できたのが
大村先生の癌の特効ツボといわれる足三里のツボだ。
それで治すべく、毎日もぐさでお灸をする。
実行したのはこれだけです。ほかには何もしませんでした。さらに冬にはサンメディカル製の
遠赤外線マットをシーツの下に敷いて寝ました。温かく、気持ちよく、これは快適でした。
半年ほどすると、だんだん顔色がよくなってきて、
体重も戻ってきました。
お灸は昼夜一日二回ほどやっていたのが、火傷が痛いし、
だんだん面倒臭くなってきて、電動マッサージ器によるマッサージ刺激に変えました。
体重が七三キロに戻ったところで、
それをキープしながら通常の生活に戻して、今に至っています。
突然の癌宣告は驚きでした。
あれから9年近く経ちましたが、元気に生きています。結局、
私か元気なのは「理科系男子の特性」のおかげと思っています。
いったん頭脳で理屈を完全に納得すると、
よけいな心配も不安も持つことがないという特性によると思います。
と書かれています。
保江先生は、大腸癌の手術後にルルドに巡礼して
抗がん剤治療をしないで腫瘍マ-カ-が下がっています。
僕は、3年前位から三井温熱(遠赤外線)で最初に背中をその次に痛いところを
暖めています。阿
保先生の免疫の話で読んだことからです。
玉川温泉の放射線ホルミスの布団に寝ています。
保江先生の愛魂につて書かれています。
活人術という可能性
活人術という言葉に限りなく惹かれました。
それがいちばん求めていたものだったからです。
人間は何か人のためにしてあげたいと思います。
励ましたり元気づけたりしたいと思いますが、これがなかなかむずかしいのです。
ところが活人術という言葉を聞いたとき、
これならやれると思えたのです。
保江先生がそこにいるだけで、その場が明るくなり、幸せになる。
まさに、キリストがそこにいるだけで周りの人々を変えたのと同じです。
私か求めていたものは、心と魂に働きかけるまさにその活人術でした。
私か脊髄麻疹の患者さんに手を当てているうちに歩けるようになったことは書きました。
私は整形外科医ですから、痛む身体から痛みがなくなってほしい、
折れた骨が元どおりになるのに三か月もかかるのは大変だから
もっと早く治ってほしいと思います。
治って身体が楽になれば、確かに心も人生も楽になります。
ところが活人術はそれ以上です。
たとえば癌の人にとっては治療以上のアプローチが必要です。
癌の患者さんは癌に対する恐怖や死の恐怖から逃れられないからです。
その恐怖という水に溺れて死んでいく人が多いのです。
じつは立ってみれば足が立つかもしれないのにです。
活人術には恐怖を取り去ってくれる可能性があります。
神様がやってくださる
活人術は、その存在を知っているというだけで、
治療の中で数パーセントくらいは使えているかもしれません。
私か使えなくても、神様が手伝って勝手にやってくれるのではないかとも思っています。
この8年間やってきた気功治療自体、
どう考えても私の能力ではないからです。
気功で脊髄梗塞の下半身麻疹が治ったのだって、
私は手を当てていただけで、
私か治したのではありません。
それと同様に、活人術も勝手に降ってくるのではないかと思っています。
医者は薬を出し、注射をし、手術をしますが、
治らないこともあります。
たとえ治っても、時間がかかります。
身体ですらそうですから、
心や魂に対してはもっと寂しい現実があります。
本当の意味で励ますとか、
元気にしたいと医者は思います。
私はそれをしたいのです。
患者さんも自分も、人間としてハッピーになりたいのです。
活人術は人を励ますとか、喜ばすとかいうその先にあるもので、
やってあげたことも気づかれません。そんな究極のところにあるものです。
月に2回、稽古がありますが、笑いの中で
心の底から笑って、愛を教わり、
体が痛いほど動かします。
第三章の診療日記から膝の話です。
⑩ 膝の痛みを自分で治せると気づいた超素質の男性
五十代半ばの男性が初診でやってきました。
二年前にジムで膝の半月板を痛めて以来、
膝の調子が悪く、どこへ行っても治らない、
今は整体に通っているが、友人に薦められて当院へ来たといいます。
診察すると、疲れが溜まったための炎症なので、
説明をしながら気功をしました。
歩いてもらうと調子はいいようです。
しゃがんでも良好です。
ダメ押しでもう一度気功をすると完治した感じでした。
しつけ腰も痛いのですと言うので、腰に手を当てると、
「ああ気が流れるのがわかる、ああ流れている」
とすぐさまの反応です。
これはすごい。
「あなたは素質がありますね、自分で治せますよ」
と言うと、自分で自分の膝に触って、
「うわ!本当だ、これなら自分で治せる」
と声をあげました。
さらに自分で自分の頚に触って、
「これなら本当に自分で治せる」と喜んでいます。
手を当てたところから手や足などの末梢側へ気が流れていきます。
初回でこんな人は初めてです、たちまちプロ級になってしまうでしょう。
「あなたは触るだけで人を治せるはずですから、
人を治してあげてください。
人を治すのは自分を治すよりずっと簡単ですから」
と勧めました。また超えられてしまいました。
私を超えてしまった三人目の患者さんです。
しかしこの人はすごすぎます。
⑩ 膝の痛みで、このまま歩けなくなってしまうのでは……(43歳の美しい女性)
一年前から両膝がガクガクして歩くのが痛い、
誠に通っているが治らない。
整形外科へ行ったが、レントゲンの結果、
「関節の隙間が狭く、軟骨が減っています。加齢です」と言われて、
湿布と痛み止めの薬をもらったが治らない。
鍼でも改善せず、一週間前からとくにひどく、痛くなってきた。
階段は手すりに掴まらなくては降りられない、
歩くときは脚を引きずって歩く、
しゃがむことができない……そんな患者さんでした。
膝痛の症状は全部揃っています。
診察すると、やはり疲れによる膝の炎症でした。
「疲れが溜まった膝の炎症です。毎日膝を使っているので、
疲れが取れる暇がなく、治らないだけですよ」と話し、三分ほど膝を触りました。
「さあ歩いてみて」と歩いてもらうとほとんど普通に歩けました。
もう一度ベッドに乗ってもらい、再度手を当てます。
「43歳の女性に向かって、加齢だ、
軟骨が減っているなんて、とんでもない医者ですね。
許せないですね。膝は、疲れが溜まっていただけですよ」
などと話をしながら、およそ2分問ほど気功をしました。
もう一度歩いてもらうとほとんど完璧です。
そこで「どうですか」と聞くと、「涙が出そうにうれしいです」と言いました。
思いがけない言葉でした。
このまま歩けなくなってしまうのだろうかとまで思っていた人です。
この方だけではなく、
痛くてつらい症状が続くと、
このまま歩けなくなってしまうのでは、
寝たきりになってしまうのではと、
不安を掻き立てられることが多いのです。
不安がさらに不安を呼びます。こうした不安には、
医学的説明よりも、治してしまうことが決定的な、最高の特効薬です。
実は、昨日龍起さんに行き、気の流れを通して貰いました。
膝が少し痛いので来週末のも南奥駆けが心配でした。
言われたことは、疲れが溜まって膝にきているのですよと。
それなら大丈夫と変な自信を持ちました。
書籍の紹介の写真で右側は
保江先生の最新の本です。わくわくするほど面白いですよ。
ヒカルランドでこの本の内容の講演会があります。
またまた違う世界を知ることになるのか楽しみです。(ちょっと余分でした?)
え! ピラミッド・・・・?
最後に、エドガ-・ケ-シ-の話で
ホロトロで光田秀さんの懇親会の時の話が出てきました。
ありがとうございました。