おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

国民の目を覚ます「参政党」 神谷宗幣と吉野敏明氏の対談から

2022-07-06 | 読書感想

国民の眠りを覚ます 「参政党」

  吉野 敏明・神谷 宗幣

p114 からp119まで

日本人の体に害を及ぼす小麦と農薬

吉野 私は患者からこのような質問をされたことがあります。「小麦にはグルテン蛋

白っていう発がん性が強い物質が入っている。それなのに、なぜ白人はがんにならな

くて日本人はがんになるんですか?」

 なぜなら、白人は数万年前から小麦を食べ続けているから耐性を持っているわけで

す。それに対して日本人は純金属に対する耐性がすごく強い。それは昔から魚を食べ

ているから。魚の体内には濃縮された金属が多く含まれているのですよ。例えば、日

本人の毛髪をアメリカで検査すると、あなたは水銀中毒だと判断されることがありま

す。実際は、水銀中毒になっている日本人は、ほとんど存在しませんが。

 日本人が小麦を食べるというのは、白人が水銀中毒になるのと同じことです。小麦

とはメリケン粉、つまりアメリカから来た粉ですからね。戦前の日本には存在しなか

った。メリケン粉を食べるようになってから日本人のがんが増えているわけ。小腸が

んや大腸がんを患った人は例外なく小麦を大量に摂取していますよ。パンが好き、パ

スタが好き、ピザが好き、クッキーが好き、ケーキが好きとかね。3食小麦料理とい

う人も数多くいますから。

神谷 海外から輸入する農薬も問題ですよね。

吉野 最も毒性が強い農薬であるラウンドアップは、アメリカでもヨーロッパでも使

わなくなったのに、日本では200倍以上に濃縮されたラウンドアップの輸入を許可

している。普通に考えればあり得ない話です。それもビッグフアーマの影響でしょう。

神谷 参政党に所属するメンバーたちが、パブリックコメントをずっとチェックして

くれているのですが、日本政府は、年に何回も農薬の基準を緩めるという政策を出し、

アリバイ作りでパブリックコメントを発表しています。

 海外では数多くの薬品や化学物質が使用禁止になっています。だから(ポリ塩化ビ

ニリデンが使用されている)サランラップも今は使えません。その一方、日本は使用

基準を緩めています。

 これはマスクの着用と一緒で、もう一度考えて欲しいことですが、今は多くの人々

がSDGs (持続可能な開発目標)を唱えていますよね。要するに循環型社会を

作りたいわけですよ。

それならば、化学肥料や農薬の使用を禁止するように活動するべきです。

ケミカルな物質を使ったら環境破壊につながるんだから。

 僕自身が農業を行なっているからわかるのですが、良い種を使い、化学肥料を使わ

なければ作物に虫はほとんど寄ってきませんよ。虫には地球の環境を守る役割があり

ます。害虫という言葉がありますが、ケミカルな不純物が含まれた作物には虫が寄り

ます。虫は不純物を自分の体内で分解してゼロに戻すために食べに来てくれるのです

よ。彼らが環境を守っているんです。僕らは農薬も化学肥料も一切使いません。

吉野 なるほど。でも、一度化学肥料を使わずに育てたピーマンを買った時、中に虫

が入っていましたよ。

神谷 もちろん、化学肥料を使わなくても、虫が作物に寄り付くこともあります。た

だ、その数は化学肥料を使った場合と比べると、とても少ないのですよ。むしろ、化

学肥料を使うと虫が大量に寄り付くから、農薬を使う形になる。

吉野 要するに農薬と化学肥料がセットになっているということですね。

神谷 本来は、殺虫剤を使うと植物もダメになるはずですが、ビッグファーマが作物

の種とセットで開発していますから。ビッグファーマが開発した種は、化学肥料を使

わないと大きくならない、農薬をかけても枯れないという風に品種改良されています。

通常の種だったら枯れてしまうのですがね。つまり、種と化学肥料と農薬と殺虫剤は

全部セットなんです。

吉野 昔、実家で鶏や豚を育てていました。生まれた鶏や豚を掛け合わせて子供が生

まれて、その子供を育てて、そのうちの何匹かは食肉用として加工しての繰り返しで

したよ。

 これは養鶏業を営んでいる人から直接聞いた話ですが、農家の種と同じで、今の養

鶏業者の大半が自分のところでIから育てるのではなく、メーカーから雛を買ってい

ます。なんと、メーカーから買った雄の雛と雌の雛が育った鶏同士を掛け合わせても

子供が生まれないそうです。要するにメーカー製の鶏はFI種(生殖能力を持たない

家畜)です。

 今の養鶏業者が育てている鶏は、雛の状態で買って大きくしては屠殺しているわけ

です。一から育てているわけではない。その意味では循環している。養鶏業の方は、

ここだけの話、メーカーが売る雛がどうやって生まれているのかが秘密になっている

と言っていましたよ。

 自分のところで卵の状態から鶏を育てたいというのが養鶏業者側の本音ですが、メ

ーカーから雛を買うシステムを一度行なうと、手間がかからないので脱却できなくな

るそうです。

神谷 国内で育てられる農作物の種も、ほとんどがF1種です。作物の種すら輸入に

頼っているのが今の日本ですよ。

 その現状を理解している人たちは、日本在来の農作物の種をしっかり保護していま

す。最近の種苗法の改正などによって日本原産の農作物は守られているように言われ

ていますが、僕は警戒しながら見ています。今後、法律が少し変われば、全て外国産

の品種に乗っ取られる可能性すらあります。そうなれば、僕はいずれ、日本人自体が

乗っ取られてしまう、家畜同然にされてしまうとすら思っていますよ。一部の国会議

員がその辺りの実情に警鐘を鳴らしているのは、間違ったことではありません。

吉野 本来、農業というものには国を守る役割もあるのですよ。安全な食物を作って

国民を健康にするための。

神谷 仰る通りです。

この本は、参政党の基本的な考え方がよく分かります。

是非、目を通してください。

一般の書店では販売していないことが多いです。

街頭演説会で購入してください。

7/8日 10:30-12:00 川崎駅前

    13:30-15:00  横浜駅前

    16:30-18:00   桜木町駅前

    19:00-21:00  個人演説会

      関内大ホ-ル ¥1000円

  最近、政府の意見と相違と講演は消されてしまいます。

  まさに言論統制の時代です。

  吉野先生の話は、真実に迫りますので是非直接話を聞いてください。

  僕は、申し込みをしました。吉野先生の話が楽しみです。

  投票日まで1日なので何が出るのか楽しみです

 

我那覇真子さんのブログから「

アメリカ内戦が始まりそうだなんて・・

Salon Venus

茨城選挙区きくちまさや立派だな~こちらは川満しぇんしぇいが面白くて爆笑我那覇ちゃんのアメリカが内戦が始まりそう疎開し始めているこの話は驚いた。どうやって生き延びるかこれを考えているそう。激動の時代いまここに生きてる。画像クリックで詳細ページへ横浜旭区鶴ヶ峰駅徒歩5分SalonVenus受付時間9時~16時定休日不定休メニュー&料金最新の予約状況ご予約&お問い合わせフォームサロンまでの道案内よくある質問ホームページ

 

 

 

 

 

 

 

 

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コシミズと宮沢先生のブログを載せてみました。 消される覚悟です。是非見てください。

2022-05-24 | 読書感想

 

1.ブログでの掲載です。 いつバンされるか分かりません。

2022年(4月): リチャード・コシミズ 講演会 公式 動画ギャラリー

リチャード・コシミズ Internet 講演

【テーマ:新型コロナウイルス戦争401】

http://www.t-sskk.com/richardkoshimizu/video-gallery/2022.4.html

402の掲載は5/24日現在ありません。

2.じゅりあの談話室から  いつバンされるか分かりません。

https://ameblo.jp/chanchan369/

次ページ >>

リチャード コシミズ氏の動画

2022-05-21 15:28:28

テーマ:ブログ

ご機嫌いかがでしょうか?

バタバタしておりまして

アップロードするタイミングを

逸しております。

大変に失礼しております。

リチャード コシミズ氏の動画

ご覧くださいませ。

https://video.fc2.com/content/20220517MT45KnEU

3.京都大学宮沢先生のブログから

人間は昔からウイルスその他と共存しています。

画像 donのブログのユーザープロフィール画像

donのブログ

1時間前

https://twitter.com/takavet1/status/1528723451199885313?t=6MZMQEffC_NhMo7ZIDXPcw&s=19今、書いている原稿から抜粋。

今、大きな問題になっている新型コロナウイルス(正式名は重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2型〔SARS-CoV-2〕)も、

感染したときに病気を必ず起こすわけではありません。

—TakayukiMiyazawa(宮沢孝幸)(@takavet1)2022年5月23日https://twi

コロナワクチン、薬害以上の大問題に発展するかもしれませんね

画像 中谷良子の落書き帳のユーザープロフィール画像

中谷良子の落書き帳

1時間前

最近、心が晴れやかになる出来事が。それは毎朝見かける光景で、

ノーマスクのお父さんが同じくマスクをしていない小さい娘さんの手を繋ぎ

、優しい笑顔で会話しながら歩いている場面に遭遇すること。

とくに子供の笑顔を、なかなか道端で見られない異常な時代の中で喜びもひとしお、   

そこまで言って委員会

画像 本を読んでも賢くなりません。のユーザープロフィール画像

本を読んでも賢くなりません。

昨日 21:41

例によって、関東では流されない「そこまで言って委員会NP」の5月15日放映分がYouTubeで公開されました。

▼番組テーマウイルス学者の魂の叫び!東大女子の悲哀!?

元キャリア官僚の赤裸々告白!日本最古の歴史書から新発見!?

今話題の本をきっかけに、関連する諸問題について徹底討論!宮沢孝幸先生が出演されています。

番組ではある本を取り上げ、パネラーたちがその本の内容に共感できるか否かを表示します。

宮沢先生の『ウイルス学者の責任』は、ほとんどの出演者が納得する内容と

ありがとうございました。

どの程度の内容がVANされるのか挑戦です。

 

 

 

 

 

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雲水日記(佐藤義英著)から「規矩」

2021-03-15 | 読書感想

雲水日記(佐藤義英著)から「規矩」

全て規則で定められている。

規矩(きく)

 禅堂後門上の禅堂規則をはじめ、道場内いたるところに

諸法度条々の掲額が眼にとまる。

これは、僧堂生活のすべてが、今日もなお厳然と、

百丈禅師という禅堂制度の創始者が定めた僧堂憲法、

『百丈清規』を基盤にしている何よりの証拠。

 むずかしい法式の類から箸のあげおろし、

下駄のぬぎ方まで出処進退ことごとく規則ずくめだ。

自由奔放の娑婆からとびこんできた新到どもには

まったく窮屈至極だが、これも真剣に勤めることによって

やがて身も心も規矩に順応し、

古参のように眼つき、運歩、自ずから作法に適うよう

になるはずという。

 今の世に、また、僧堂ぐらい上下差の厳格なところも

少なかろう。

先輩を高単・中単・末単と分けるが、

十年、二十年と修行の進んだ超古参は評席と呼ばれる重役。

この序列はすべて年功で、

年齢、学歴、出身はいっさい問題で

ない。一日早ければ一日の長として仕えねばならず、

師家や大衆に関してもまた一念の不満もあるべきでない。

あれば道場を去ればよい、

去る者を追う者は誰もおらぬ。

 

雲水さんはどのような生活をしているのかを知るに

よく書かれた本です。

この本を読んでいると、円覚寺にお参りしたとき

雲水さんにあった時にその姿が見えてきます。

僕は、雲水さんとすれ違う時には、

立ち止まって合掌し挨拶をします。

雲水さんも必ず合掌を返してこられます。

朝の材木座海岸です。

左の小さい小山の裏側が、稲村ケ崎です。ここから見る富士山は最高です。

写真中央に見える屋根は長谷寺です。

我那覇真子さんの情報

3/14日 昨日、パナマの原住民の村を訪問したお話でした。

マイケルさんとホルトンさんと一緒です。

15日のfacebookで、お二人一緒に車で

コロンビアからやってくる不法移民を追跡している途中の

話です。道の途中で空気銃で獲物を狙っている

若者に遭遇し、銃を試弾の映像です。

米国のコロナの話ですが、バイデン大統領はマスクをするように

言っていますが、幾つかの州では、マスク無しで

ロックダウンも解消しはじめました。

見本では、ワクチンの副作用で死亡される方が発生し、

ヨ-ロッパの何カ国は、ワクチン接種を一時中止しているそうです。

 

 

 

 

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ちょっとショッキングな本を読みました

2021-02-22 | 読書感想

いつもの故杉本秀太郎先生の花ごよみ「春 蕗の薹」を

読んでいて、米国の大統領選挙の話のなかで

梅さんの息子の話と繋がるものがありました。

故杉本秀太郎先生の花ごよみの蕗の薹から。

蕗の薹(フキノトウ)

 若菜、春の七草はそれとして、われわれの食卓にいかにも春らしい香気を添えるものなら、

蕗の蔓にまさるものはない。

澄ましのお椀にうかぶ黄みどりの小片から湯気とともに湧き立ち、

春待つ心に染みとおる香り。

それは不粋なローマ人が回春のために用いたという処女の生き血の風呂よりも、

われわれには効き目のある回春の秘香かも知れない。

斎藤茂吉の次の一首は、そういう機微に触れていると私には思われる。『寒雲』所収。

  

  まぼろしに現(うつつ)まじはり蕗の蔓萌ゆべくなりぬ狭き庭のうへ

 

 お椀にうかぶ蕗の蔡を歯のあいだに捕えてみると、ほのかなにがい味がある。あのにがみは、

甘みでも辛みでもないが、時として甘みにやや近づき、時として辛みにやや近づく昧を含んでいる。

もう少しにがければ野暮になり、下品になるのに、あのにがみはよく節度を心得ていて、

小気味に、上品ににがい。

 蕗の薹の長けたのを「蕗の姑(しゅうとめ)という。

嫁に小言ばかりが多い姑は、にがみが多すぎて野暮な、

いやみな蕗の薹である。

副島 隆彦さんの本を2冊ほど読みました。

副島さんの学問道場の重たい掲示板のなかに

「すでに最高裁裁判所の判事たちも腐敗していた。とりわけ、J.R 長官は、

 エプスタイン島の大量の幼児殺害、生け贄の儀式、たくさんの赤ちゃん殺しの

 罪に問われるべき人間である。」と書かれています。

大統領の息子のパソコンに見たらへどが出そうなファイルが沢山あるとういう。

日本で9歳以下の自動の行方不明者は、令和元年で1253人です。

米国では沢山の子供達が不明になっているそうです。

今回の米国の大統領選挙でいろいろなことが明確になりつつあります。

ワクチンの副作用の動画があります。(黄金の金玉を知らないか にあります。)

 (でもすぐに取り消されるかも知れません?)

  

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鏡リュウジさんの占星術の文化誌を読み始めました。平行して夢枕獏さんの陰陽師も。

2019-01-28 | 読書感想

 1週間程前から夢枕 漠さんの陰陽師を読み始めました。

夢枕さんの長辺小説「生成姫」「瀧夜叉姫」を読み終わりました。

昔夢枕さんの空海の話が面白くて、続きとしての陰陽師シリ-ズが読見たくなりました。

読んでいて話の元にになっているのが、今昔物語や日本霊異記などが出てきます。

2,3日前まえ みなとみらのクイ-ズタワ-の丸善で

三浦佑之先生の「日本霊異記お世界」が目に止まりました。

古事記や日本書記で、三浦先生のファンになり夢枕さんの話から

面白そうで買ってしまいました。

読み始めているところですが、古事記や日本書紀や風土記など

いろいろと繋がっていることを教えてくれます。

学術書なので値段はちょっと高いのですが。

第1講で雷丘(いかずるの丘}のはなしですが、万葉集、日本書紀に書かれていることなど、

当時の文献でどのようにかかれちるのかを解説しています。

そのときに目に入ったのが、鏡リュウジさんの「占星術の文化誌」でした。

10年以上まえですが、ホロトロピックの講演会でⅠ度お逢いしました。

この本では、占星術のヨ-ロッパの占星術の話が出てきます。

ロンドンののみの市で1949年のALMANACKを見つけた話。

1年に2,3回は、イギリスに出かけて学会や占星術師を情報の交換をしているそうです。

清水義久さんのセミナ-で西洋マジックとしての占星術の話が時々出てきます。

清水義久さんも沢山の本を読まれていることを感じます。

何でも良く知っていると感心しますが、鏡リュウジさにも同じ雰囲気を感じます。

この本をみるとその造詣の深さが少しわかります。

目次からです。

 

第一章 占星術とメディア 

マスメディアの「星占い」の誕生

太陽占星術の誕生 

忘れられたもう一つの「星座占い」 

 ソ-ラ-バイオロジ- 

第二章 占星術と文学 

     シェイクスピアは星占いを信じたか 

     『カンタベリー物語』の星たち 

     『神曲』の中の宇宙 

     ダンテを導く星たち 

第三章 占星術と美術 星の神々のグレートジャーニー  

     「イコノロジ-」(図像学)の誕生と占星術 

     ボッティチェリ『春(ラ・プリマヴェ-ラ』の春と愛の魔法 

     デュ-ラ「メランコリア-」に封じられた占星魔術 

第四章 占星術と盲楽 天球の音楽を聴く 

    『組曲惑星』 

ピュタゴラスからケプラーヘ 星の音楽を写し取る 

第五章 占星術と医術 星の薬草の治療効果 

     自由七科目から占星医術へ 

      ニコラス・カルペパ-の戦い 

第八章 占星術と心理学 内喰る宇宙を探求する 

   ユングと占星術 

   心理占星術の誕生 

1/27日 よこはまの港に海洋大学の練習船が寄港していまいた。

 前書きからです。

占星術を単なる前科学、ないし偽科学と見るのではなく、思想史の重要なジャン

ルとして学問的研究の対象とする動きは、近年になって本格化してきた。「西洋」

占星術の領域においては、ギリシャ語、ラテン語、アラビア語に通じた研究者たち

による科学史、文化史家たちの仕事に加え、宗教学、人類学などの立場からの分析

もようやく加えられるようになっている。今後、文化史における「占星術」の重要

性はますます認められていくだろう。

 だが、そうしたアカデミズムにおける成果と、一般の人々の認識の間には、ずい

ぷんと隔たりがあるのが現状だ。

 ありていにいえば、星占いといえば「今年の運勢を教えてください」という層と、

専門性の高い論文を読みこなせる層の間には、大きな乖離があるのだ(これはいわ

ゆる「プロ」占星術家にしても同じである)。

本書を執筆する動機は、その間を少しでも埋めることができないかという願いだ

った。本書を開いていただければわかるように、占星術は単なる運勢判断だけでは

なく、メディア、文学、美術、音楽、医術、心理学などなど実に幅広いジャンルで

重要な役割を果たしている。本書で取り上げたのは、ほんの一部ではあるが、その「ほ

んの一部」を一瞥していただいただけでも、西洋の文化を理解するうえで星の文化

がいかに重要であるかを感じていただけるのではないだろうか。

 

清水義久さんのセミナ-を2年近く学んでいると

まさにこの前書きに書かれたことの意味がわかります。

願望をある装置に記憶させ5次元の世界でその願望が叶えられるという

話があります。清水さんのセミナ-のお誘いにも

似たような文章が見られます。

中華街では、占いのお店が増えました。

手相が両手で500円とか。

でもこれまでセミナ-を受けてきて、鏡さんの文化誌のように広い視野が必要です。

ありがとうございました。

今日は、少し抹香臭いお話でした。

 

 

 

 

 

 

 

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僕は横浜生まれで故郷の田舎がありません。でも・・・新しい田舎に気づきました

2018-08-25 | 読書感想

 先日の大山講で今度元町を探索しようと意見がまとまりました。

本箱kから何冊か引っ張り出して読んでいて新しい発見です。

 

この中で改めて感動したのは、スコットランド出身のマ-シャル・マ-テンです。

幕末に外国からの圧力で横浜や函館など開港を行いました。

横浜では、新しいいろいろなものが持ちこまれました。

蛤御門の戦いで国内が争っている時期に外国の文化がどんどん入ってきました。

この本を見ると幕末の混乱期にも文化は、どんどん入ってきているのを感じます。

日本にあった横浜山手(鳥居 民著)の最後のところに

大正大震災の復興に腕を振るったマ-シャル・マ-テンについて書かれています。

永大借賃権のことで大いに力を発揮しました。

その上、自分の借地権を市に売却し、顧問料も受け取らず、

米国やヨ-ロッパに出かけた費用も受け取らなかった。

今の山下公園に港を造る案に反対し公園を設置することに努力されました。

今の横浜は、マ-テンのお陰ですね。Ⅰ度外人墓地に行ってお礼を言ってこなければと思っています。

 

 

遺骨で山手に還る

 マ-テンが腕をふるったのは、震災あとの横浜市の復興に際してである。

横浜でも、東京でも、復興計画は焼失区域全体にわたって区画整理を行い、道路を拡張することに重点を置いた。

 東京ではこれが激しい反対運動にぶつかったが、

横浜では山下町の区画整理を行うために、永代借地権者の了解を得なければならず、

しかも多くの永代借地権者が帰国しているために、交渉ができないという困難をかかえていた。

 さらに横浜の切実なる問題は、貿易商が山下町に復帰して来なければ、

横浜の復興は望めないという悩みがあったことである。

震災後一年たち、二年だっても、山手は依然として廃墟のままであった。

フェリス、紅蘭、共立の三つの女学校が再建された以外、外国人の家は十数軒あるだけであった。

 山下町はといえば、南京町にバラックが立ち並んだだけで、

山下町に事務所を持っているのは、船会社、銀行の支店、貨物陸揚げ業者、

それにわずかな生糸貿易業者が戻ってきただけだった。

多くの貿易業者は疎開先の神戸にとどまり、東京へ事務所を移し、上海へ移転し、本国へ帰っていた。

 横浜にはさらにもうひとつ問題があった。

山下町と山手が焼けてしまい、その土地の価値が下落したいま、

永代借地の問題を片付ける絶好の機会だとする主張が強くなっていたことである。

本国に帰ってしまった永代借地権者のなかには、自分の土地を手放したがっている者もいたから、

永代借地権の買収にとりかかることで、不平等条約の遺物を搦手から解決できると、国と市は考えたのである。

 いずれにせよ、山下町の区画整理をまっさきに着手し、道路を整備し、

上下水道の工事を行わなければ、横浜へ戻ってくる貿易業者はいなかった。

このためには英国人の永代借地権者に協力を求めねばならなかった。

英国人は、山下町二十万平方メートル、山手四十万平方メートル、計六十万平方メートルの永代借地の

うち二十六万平方メートルを持ち、アメリカ人の借地とあわせれば、全体の七割を支配していた。

 政府は山下町の特殊事情を考慮して、この区画整理の実施を市に任せた。

市長渡辺勝三郎は英国の永代借地権者委員であるライジングサン石油会社の

横浜支店長A・P・スコットに協力を求めた。スコットは自分の力ではどうにもならないと考えて、これを断わった。

 つぎの市長有吉忠一は、神戸でホテル住いをしているマーテンに助けを仰いだ。

マ-テンは快諾した。かれは一九二四年(大正十三)十月にこの復興事業の顧問に就任した。

つづいてかれは山下町の英、米、仏、中の永代借地権者委員会の連合会委員長に選任された。

さらにマーテンは山手通り拡張のための永代借地権者の委員会の委員長となった。

 一九二五年一月にかれは山下町に事務所を置いて、十数人の技術者を雇った。

減歩率十二パーセントで区画整理の計画案をつくり、日本側の案と調整したあと、

各国の委員会の支持を得て、各戸の了解を求めてまわった。

 実現のめどがついたところで、かれは本国に帰っている権利者との交渉を行うために

、翌年の七月に単身でアメリカへ渡航し、つづいて英国に渡り、

さらにフランス、ドイツ、ベルギーに帰っている権利者の承認を得てまわった。

こうして一九二七年(昭和二)三月に海岸通りの五番で杭打ち式が行われることになったが、

マ-テンは出席を辞退した。

かれはまたこの期間月額一千円の顧問料も受け取らなかったし、一万円の

出張費も固辞したのだった。

 マ-テンが気位の高かったことはよく分るが、いったい、

かれはどうして区画整理に尽力したのであろうか。

年来の友人である有吉に助力を懇請されたとき、

スコットランド生まれのかれの胸には困っている人を助けようというカルヴィソ主義的な気持が湧いたのであろう。

 無論、このような心意気だけだったのではあるまい。

震災は横浜の九十五パ-セントを潰滅させた。

居留民にとって潰滅したものはなんだったのであろうか。オーティス・プールはつぎのように述べる。

「救難船で日本を去った大部分の人は、そのまま故国へ去ってしまった。多くの人びとは戻ってこなかった。

 

 横浜駅です。

                                        

元町の百階段 関東大震災で崩壊してしまいました、

現在の状況です。ちょっと気づきませんね。

 

 ありがとうございました。

今日は、何とか時間を作って鎌倉に行ってきます。

 

 

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傳田光洋著 第三の脳 から

2017-10-21 | 読書感想

 今日は昔読んで面白い本の紹介です。

清水義久さんのセミナ-の主催者さんのニュ-スレタ-にいろいろな

情報がメンバ-に届けられます。

その中で清水さんの推奨される本に、傳田光洋さの「第三の脳」がありました。

3,4年前に読んで大変面白かった記憶があり読み直して見ました。

傳田さんは、

資生堂のライフサイエンス研究センタ-の主任研究員です。(主筆時)

京都大学工学研究科分子工学専攻の修士の方です。

皮膚の研究で米国で研究されたかたです。

本の目次から。

第一章 皮膚は未知の思考回路である

 皮膚とは何か

 防御装置としての皮膚

 防御装置をコントロールするセンサー

 感覚器としての皮膚

 女性の指先はミクロンレベルの不規則を嫌う

 触覚の錯覚

 色を識別する皮膚

第二章 表皮は電気システムである

 脳と表皮は生まれか同じ

 感じ、考える皮膚

 表皮は電気システムである

 表皮細胞は電波を発信している。

 皮膚か老いるということ

 疼い!

第三章 皮膚は第三の脳である

 第三の脳宣言

 背中を掻く無脳カエル

 自我をつくる皮膚

 遍在する脳

第四章 皮膚科学から超能力を考える

 東洋医学再論

 皮膚科学から超能力を考える

眼以外の「視覚」

目利きの本質

 気とは何か

 テレパシ-あるいは以心伝心

第五章 皮膚がつくるヒトのこころ

環境と皮膚

アトピー性皮膚炎私論

こころはどこにあるか

皮膚かっくるヒトのこころ

こころと皮膚

こころを育む皮膚感覚

第六章 皮膚から見る世界

 皮膚の変遷  カエルからヒトへ

 ヒトはなぜ体毛を失ったか

 はだかの意味

 顔の皮膚

 境界としての皮膚

 「非因果律的世界」を護る皮膚

 皮膚が見る世界

 読んでいて興味を次から次と呼び出されます。

その中から一部です。是非2007年出版ですのでアマゾンで中古本でお買いになったらと思います。

写真は、長野県尖考古学博物館の展示品からちょっと面白いものを。

本書では、あくまで科学の枠内で、「神秘的」と考えられている東洋医学や超能力を論

じてみたいと思います。

 私か「超能力」をまじめに考えてみょうと思ったきっかけは「暗黙知」と呼ばれる概念

を知ったことです。下條信輔博士の著書『サブリミナルーマイソド』(中公新書、1996年)か

らその定義を学びました。

 伝統的な技能、スポーツ、武道の熟達者か、一般の人には到底なし難い技能を披露しても、

それを言葉で第三者に通じるように表現できないことがあります。

 皮膚感覚や体性感覚に由来する暗黙知が、とりわけ重要な役割を果たしているように思

われる例に相撲かあります。文字通り肌と肌のぶつかり合いです。柔道やボクシングと違っ

て体重の差も顧慮されない。しかし小柄な力士か大きな力士を豪快に投げ飛ばしたりしま

す(ただ無粋だな、と思うのは勝ち力士へのインタビューですか)。

四つに組んでいるとき、優れた力士はまわしにかかった手から、あるいは接触している

皮膚から、相手の身体の重心の微妙な変化、一瞬の力や注意力の緩みを察知し、瞬時に的

確な攻撃に移る。静から動への劇的変化の結果、大きな力士か宙を飛んで仰向けに土俵に

叩きつけられる。その一連の過程、情報認識から動作までの過程は最短経路を選択してい

るに違いなく、おそらく言語中枢など巡っている暇はないでしょう。かくして勝利者は「思

いっきりいっただけです」「無我夢中でした」ぐらいしか言えない。これは当然で、稽古

によって積み上げた体性感覚中心の暗黙知の成果を言葉にできるわけがなく、聞く方が野

暮なのです。

 歴史に残る名横綱、双葉山関か、実は右目の視力かほとんどなかったことはよく知られ

ています。一瞬の立ち合いの場面、相手との距離を視覚で認識するのか困難だったであろ

うこの横綱は、おそらく視覚以外の感覚を総動員して「情報」を把握していたのでしょう。

あるいは相撲そのものが実は視覚以外の感覚による「技」なのかもしれません。

 言葉にできないことについて、人は沈黙します。語りたからない。言語化できないから

です。しかし言語化できない「認識」「知覚」かあることは、

下條博士の著作の他、ラマチャンドラッ博士の

『脳のなかの幽霊』(山下篤子訳、角川書店、1999年)にも豊富で示唆に富有、

驚くべき事例が挙げられています。それを知るだけで、多くの「超常現象」が科学の対象に

なりうるはずです。先ほど述べたように、脳の研究者に「超常現象を頭からひていしない

人がいるのは、彼らには「暗黙知」の概念が常識としてあるからこそ、ではないでしょうか。

 皮膚感覚は「暗黙知」になる場合か多いのです。

つまり皮膚感覚に由来する「超能力」がいくつか存在することが考えられます。

それでは、私の仮説をいくつかご説明しましょう。(中略)

 

視覚障害者か、進路に立ちふさがる障害物を回避したり、分かれ道で立ち止まったりす

ることはよく知られています。この現象は通常次のように説明されます。視覚に障害かあ

る場合、それを補うために、他の感覚、たとえば聴覚か発達し、自分の足音の反響や、ま

わりでしている様々な音の響き方などで、障害物を認識するのだ、と。

 しかし矢野博士の話は続きます。あるとき、選手たちにハチマキをさせた。その途端、

たちまち選手たちはコースから外れスピードも出ず、競技そのものかできなくなってし

まった。博士が彼らに聞くと、うまく説明できないが、額、つまりおでこでモノを「見て」

いるので、ハチマキされると「見えなくなって」困ると言うのだそうです。

 彼ら視覚障害のプレーヤーは「おでこ」で何かを感じていたらしい。下條信輔博士も、

この現象に触れておられます。そこでは、前述のように、自分の足音の反響音、特に意識

されない高い周波数の音を認識するからこそ可能でであること、さらに選手自身か、

「おでこ」で感じる気がするのは、これら自覚できない知覚を、額の緊張に帰属させているからであ

る、と解釈されています(前掲『サブリミナルーマイソド』)。

 ではハチマキの作用はどう説明できるのでしょうか。

僕が聞いている双葉山関の話ですが、相手の力士が立ち会いで組んだら

双葉山関が自分の視野から消えていて気づいたら投げられたいたそうです。

先日の清水義久さんのセミナ-の報告で、

相手の方のイメ-ジが違っていることを感知する話を書きましたが、

清水さんは、ご自分では超能力はないとおっしゃってはいません。

表情や皮膚から来る情報で理解しているのでしょうね。

僕も数年まえに合気道を少し修行していました。

合気あげという技があります。

正座しているところに相手側が上から膝に置いた手を力一杯押さえます。

それを押さえられた方が持ち上げます。

普通にあげようとしてもなかなか上がりせん。

押さえられた方が手を上にあげようとすると皮膚を通して次の動作を感じて

押さえてしまいます。

押さえられた方の手をほんの少し横に移動させると同時に手を上に上げるとあがります。

頭で考えると上手く行きません。

手の皮膚で相手を騙すのです。

改めて読み直して見ると、人間の豊かさにびっくりします。

清水さんから教わったことですが、「言霊法」は、聴覚を利用して行うことで

超能力を獲得出来るそうです。

最近、不思議なことに巡り会うことが増えています。

願望を叶える方法として①気功術 ②神様頼み ③念力や超能力でしたが、

最近、ESP INKのSNSで清水さんが30年掛けて最近見いだしただい4の方法の

動画がアップされました。

少しずつ試して見ようと思っています。

天地交流・天人合一の4つの基本エクササイズ(清水先生ver.

今日は、朝から上野国立博物館に清水さんの推奨の運慶を見に良きます。

午後から桜井竜生先生の気功と漢方の話を勉強に行きます。

 

 

 

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久しぶりに読み応えのある本を読みました。「カラダにいいことやめてみる。」

2017-09-22 | 読書感想

 このところ面白い本を立て続けに読んで見ました。

円覚寺の「円覚」に毎回、書かれている桜井竜生医師の文章に惹かれて

「病気にならない生き方考え方」と「カラダにいいことをやめて見る」の2冊。

桜井先生は、消化器一般外科を専攻し、漢方専門医になられた先生です。

H.Pを見て、10月から初級の漢方講座に通って見ようと考えています。

http://seyaku.com/

漢方クリニック 龍源寺内 三田 施薬院診療所
Tel 03-3457-6626
Fax 03-3457-6638
〒108-0073 東京都港区三田5-9-23-201
東京メトロ三田線・都営地下鉄南北線 白金高輪駅 5分
JR田町駅 徒歩15分 

清水義久さんのセミナ-に半年通っていると

東洋医学に自然に興味を持つようになりました。

漢方専門医の先生にその神髄の一端を感ぜられるのではと考えました。

この2冊の本を読み、体の不思議さをつくづく教えられました。

清水さんと不思議と繋がってきました。

「カラダにいいことをやめてみる」は、面白い。

今まで漠然と思っていたことが書かれています。

「カラダにいいことをやめて見る」 漢方医 桜井竜生。

   本名 桜井正智 日本東洋医学会漢方専門医。

       北里大学東洋医学総合研究所、聖マリアンナ医科大学勤務

       消化器一般外科を専攻後、漢方専門医に。

目次から

目次から

第1章 「健康法」という病

  1.それでいいのか?

  2.人は究極の「雑種」である。  

  3.体にいいものは変化する。

  4.サプリメントは不安に効く宗教

  5.良いわけのために飲む薬

  6.たくさんやっている健康法の一つをやめてみる

  7.医者はインフルエンザにかからない?

第2章 「食べるもの」を選ぶより「食べないものを」を選ぶ

  10項目ありその中から

  3.高級料理よりコンビニ食が健康的な時がある。 

  5.食事の簡単三原則

  9.「まだだいじょうぶ」と思わない。

第3章 「医学にできないことを」を知っておく

 9項目があります。その中から 

  1.医者ができることできないことを知ろう

  3.「病気を理解した」という誤解

  5.ゆっくりなった病気はゆっくり治す

  9.ストレスを与える医者

第4章 患者と医者の勘違い

 11項目があります。

  2.期待しすぎる患者

  5.教祖のような医者

  8.医者に聞いてもムダなこと

  11.うそをつかれる患者

第5章 東洋医学の感じ方

  1.数字化できない変化

  2.自分で感じるしかない

  3.東洋医学は現代医学より術の割合が多い

  4.黄金比とヒ-リングア-ト

第6章 「言葉にできる感覚」「言葉にできない感覚」

  9項目があります。

  2.「暗黙知」と形式知」

  3.漢方の方が怪しいのは暗黙知のせい

  8.科学の教育、術の教育

  9.医者の直感

第7章 症状になる前に感じる

  7項目があります。

  2.周囲の状況によって変わり続ける体

  4.生活の変化で治った経験

  6.「心地よい場所」は錯覚ではない。

第8章 体のつぶやき

  6項目あります。

  1.体の声を聞いてみる

  2.好調のサインを覚えておき常識にまどわされない

  6.「体調がいい」感じを忘れない

目次を見ているだけでわくわくしてきますね。

前書きからです。

まえがき

本来なら、医者の寿命は、ほかの職業の人のそれより長いはずである。

 医者は病気の知識がいっぱいあるうえ、早期発見ができる機器や検査手段が身近にある。

しかも友人には医療関係者が多く、最新の検査や治療がいち早く受けられるチャンスも多い。

ところが、医者の寿命はほかの職業の人と比べて特段長くない。というより、私の印象では短いくらいだ。

 命はだれにとっても一番大切である。

それなのに、健康を守る知識を学んだはずの医者自身が、自分を守れない。

それが現代の医学である。医者に自分の健康管理をまかせたり、

「医者が言うことは全部聞こう」なんていうのは、ナンセンスだ。

 ちまたにあふれる健康法も同じである。みな現代医学(西洋医学)の理屈をペースにして開発され、

効く効かないを判断、説明されている。信憑性があるだろうか。

医者の寿命が長くないのと同じように、多くの健康法に疑問符がつくのではないだろうか。

 人が病気にかかるか、かからないか。どのくらい生きられるか、いつ死ぬか。

それらは、医学知識を持っているか、持っていないかに左右されないように思う。

 もっと言えば、医者のような医学知識なんかなくても、健康で長生きする人がいっぱいいるのである。

病気が見つかるか見つからないか、自分に合う治療法や医者に出会えるか、出会見ないかなど、複雑な要素の結果が健康だ。

 小学生のころ、私は『週刊少年チャンピオン』に連載されていた手塚治虫の『ブラック・ジャック』に夢中になった。

 もともと痛みや病気が怖かった私は、難病やひどいケガでも手術で治してしまう外科医の物語に引き込まれていった。

そして、医者になれば怖い病気の予兆もわかるし、医者の友だちもたくさんいるだろうから、

たとえ専門外の病気になっても安心だ。きっと長生きできると確信していた。

こうして、祖父も父も絵描きであったにもかかわらず、医者の道を選んだ。そして外科医になった。

 ところが、大学を卒業して医者になったら、同級生の医者が過労や病気で次々と亡くなっていくではないか。

一方、東洋医学(漢方)を専門にしている医者は、みんな高齢まで仕事をしている。

「なぜだろう」と思った。でも、まだ現代医学の全体像が見えなかった

私は、とりあえず目の前の外科の研修を続けることになる。

 やがて研修を終えて外科医になって気づいた。

私は病気やケガの対応はできるようになったが、一番興味のある治療しないで済む方法、

つまり「病気にならない方法」はちっとも教えてもらえなかった。

ブラック・ジャックはヒューマニストではあるが、臓器を機械のように扱う。

今は自信をもって言い切れるが、そんなことをすれば一生、不具合に悩まされるから、

可能な限りやめたほうがいい。それでは、病気は治らないし防げない。

 私か外科医から漢方医になる過程は、自分はブラック・ジヤックではないこと、

人は機械のように操作できる臓器の集まりではないことを知る過程でもあった。

 私たちは、現代医学に身をまかせすぎている。その頼り方を少しゆるめてみてはどうだろうか。

そして、自分で自分の体のことを感じ、考えてもらいたい。

 現代医学は、病気になってしまった患者に対応する力は持っている。

でも、今、生きている人たちの多くは、病気と健康の間で揺れているのだ。

その揺れをしっかり自覚し、揺れすぎた場合には、早めに対策をとれるように自分の体を感じてもらえればと思う。

また、世の中は、「カラダにいいこと」だらけである

「カラダにいい」というキーワードがあれば、無条件に取り入れる。でもそれでいいだろうか。

 人はみな違う。特に体調が悪かったり、老齢だったりすると、

さらにその効果の違いに大きく影響される。

ただ、「カラダにいいこと」をため込むのではなく、

自分には何か合うのかを感じながら一つ上の次元の健康を実現してほしい。

「この病気にならない生き方考え方」は、アマゾンで1円(送料別にかかります)

一気にその日のうちに読んでしまいました。

いままで漠然と健康のこと体のことを考えていたことに大きなショックでした。

桜井先生は、紹介のない一般の患者さんは多忙のために

診察を受け付けていないそうです。

桜井先生を訪れる人にサラリ-マンの方はほとんどおられずに

経営者が多いそうです。

ありがとうございました。

今日は読書感想文を載せて見ました。

写真はみなとみらいからです。

 

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白川静+梅原猛の対談本 ”呪の思想”から

2017-06-03 | 読書感想

武田鉄矢さんは、白川静先生に心の底から

尊敬して「今朝の三枚おろし」でとうとうと語っています。

僕もいつの間にか引き込まれてしまします。

 「言霊」は願望を叶える目的で使われることが時々見られます。

 漢字がどのように発生したのかを知ると、それらのことに疑問を持ちます。

原点に返って見るべきではないでしょうか。

白川静先生と梅原猛先生の対談を読むといろいろと

教わります。

その中から一部紹介します。

 

白川静の或る言葉とは-                   一    

 

呪的儀礼を文字として形象化したものが漢字である

 

祭の中には、無数の漢字がうごめいていた。どこへ赴いても[サイU  ]はあり、[哉」はあった。

:サはUに上に一を書き蓋のような文字で白川静博士が見つけ出した。

 [哉」は口がない文字でさいと読みます。

初めて、その高い呪性 。

「左」も「右」も神に祈る形である。さらにこの二つの文字を上下に重ねると

「尋」ねるという字になる。

誰を? 何を? たずねるの? もちろん、神を尋ねるのである。

社の左右に立つ大御幣を持った二人。

神を尋ねていた。そしてその場を祓い、清めていた。(別冊太陽 白川静の世界から)

 

 

梅原 その妊婦について言えば、縄文の土偶は、全部妊婦なんです。

成年の女性で、腹が大きい。これが一つめの特徴です。

二つめは顔がみな異様な形をしていることです。ミミズク形とか円

筒形とかハート型とか、いずれにしてもこの世の人の顔ではない。

三つめは腹に縦一文字の筋がある。へこんでいるのも盛り上がってるのも

あるんですけどね。

四つめはみんな手足や胴体がバラバラになっていて、完全なものは一つも

ない、壊してある。最後は総てに当てはまるものではありませんが、丁寧に埋

葬してあるものもある。

この五つの特徴がある。

 その土偶の意味が長い間解らんかったんですが、ハル婆ちゃんにアイヌの葬

法について聞きますと、妊婦を埋葬するのがいちばん難しいと言うんです。

いうのは、子供が産まれるというのは新しく生まれるのではなくて、祖先の誰

かが帰って来たということなんです。だから子供が出来ると、あの世のA家と

B家の祖先が相談して、誰を帰すか決める。で、決まったら妊婦の腹に入って、

月が満ちて生まれて来る。とすると、妊婦が死ぬとせっかく先祖の人がこの世

へ帰って来だのに、閉じ寵められて出られないということになる。これは大き

なタタリになる。ですから妊婦が死ぬといったん葬り、後に霊を司るお婆さん

が墓に行き、妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦にその子を抱かせて葬る

ということを聞いたんです。

 そういうアイヌの話から土偶を見ると、「妊婦」「異様な顔」(死者の顔)「腹

を縦に割く」(赤子を取り出す)「バラバラにする」(この世で不完全なものはあの世

で完全という思想)「丁寧に埋葬されている」という条件が総て当てはまる。

こういうことをある雑誌に書きましたら、福島県の方から手紙を頂いて、福島の

方では明治の頃までは、死んだ妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦に抱か

せて、藁人形を添えて葬るという風習があり、それが法律に触れたといって裁

判になったというエッセイを送って頂いたんです。この話を聞いて、この縄文

の風習が日本の本州でまだ残っていたことに驚きました。土偶は藁人形と同じ

役割をしているに違いありません。だから土偶は妊婦が死んだ場合に用いたも

のだということに間違いありません。ですから先生のお話をお聞きしますと、

殷でも妊婦が特別な役割をする。殷で妊婦の腹を叩くというのは、縄文の妊婦

の腹を切るという風習と繋がるのではないでしょうか。

この風習が、弥生時代になるとなくなるんですよ。入墨がなくなるのと同じ

ようになくなるんです。やっぱりこれは生まれ変わりなんですよ。この世の人

があの世へ行って、生まれ変わって来る。縄文時代の思想では子孫となって生

まれ変わって来る。ところが弥生時代になると、甕棺なんか見ますと、個人の

遺体を腐らぬように保存しようとしている。子孫として生まれ変わるのなら個

人の遺体は保存しなくてもいいんです。遺体は霊の脱ぎ捨てる着物に過ぎない。

 どころが弥生時代になると屍を大事にする。これは個人の不死という考え

方ですよ。これ中国から来た思想だと思いますけどね。ですから妊婦の話を聞

きますと、ひょっとしたら殷の時代にもあるんじゃないかと思いますね。

 

白川 生まれる時も死ぬ時も「衣」がモチーフになって字が出来るんですがね。

例えば「産」恚いう宇もね、この「生」の所に、「初」(産衣)が入る字がある。

死んでからの儀礼ですとね、殆どの字にみな「衣」が入るんです。

梅原 どういう意味なんでしょうか、死んだ時に「衣」というのは。

白川 例えば襟もとに祝詞を添えて、これ、「哀」ですね。これに「目」を添

えて、胸に環を入れて、帰って来なさいと、これ「還」という宇になる。

梅原 これ「目」ですか。

白川 そう、これ「目」です。

梅原 死んでから生き返って来るんですか。

白川 そう、「再生」することが基本で葬儀が行われる。

梅原 それで葬儀が儀式の中ではいちばん大切ですね。再生しなくてはならん

から。

白川 死んで封じ込める時、襟元を閉じるんですよ、これ「卒」という字。

梅原 「目」というのは重要ですね。遮光器土偶というのがありますが、こん

な大きな目をしているのに中は堅くつぶれている。やはり死んだ入間なんです。

ではどうして大きな眼嵩をしているのか。これは『ユーカラ』を読んでて解っ

たんですが、目のある死人と目のない死人が出てまして、目のある方は再生可

能な死人を意味する。だから再生可能を示すために大変大きな目を付けた。目

は再生のシソボルなんですよ

 

長野県茅野市で発見された土偶。

縄文のビ-ナスと言われる土偶でほぼ完全な形で発見されている。

 

仮面の女神もほぼ完全な形で発見されています。両方とも国宝である。

この7月のホロトロピックの断食会の前にご対面してこようと考えています。

古事記では、出雲を追われて諏訪に逃げてきたお話があります。

長野県で発見された土偶や土器は、芸術的に高いものです。

本物は、オ-ラがでていますので、逢ってみたいですね。

 

白川 上に「目」を置いて、襟に「玉」を置いて、「環」。「玉」は生命の復活を意味した。

梅原 古代日本の信仰は「玉」なんですね。私が館長をしている三方の

縄文博物館が調査している鳥浜遺跡と青森の三内丸山遺跡を見ると、

米が出て来ないんですが、あとのものはみんな共通に出て来る。

玉とか瓢箪とか。みな中国と同じものが出て来る。

「玉」の甦りの思想が入って来ていると思う。

玉の文化は稲作より遥か前に入った。

大変面白い話ですが、「衣」とはどういう意味でしょうか

白川 「衣」はね、魂の受け渡しをやるという信仰がある。

魂寄せ。『尚書』に「顧命」篇というのがあって、

例えば即位式の時、現在の王さまが余命いくばくもないという時、

王の衣を脱がせて中庭に置く。

そうすると跡継ぎが臣下を連れて中庭に臨んで、

その衣を受け取るという形で、王位の継承をやるんです。

大体「依」という字は人に依りかかるんではなくて、

人に魂を移すという意味です。

真床襲衾(まどこおぶすま)と同じです。

憑依、大嘗祭と一緒です。

殷と日本は衣に対する観念が似ていると思います。

梅原 折口信夫は新天皇が布団に横たわる前の天皇の屍の側で

寝るんだという解説をしている。

これでは死臭もするし、えらいこっちゃと思うんですが、

先生のおっしゃる「衣」を受け継ぐということだったらよく解るんです。

銀色え大きく書かれているのが「さい」です。

 

 

 

 

この土偶に武田鉄矢さんは、何を眺めているのだろうか。

縄文時代のことと、白川漢字学を読んでいて祈りの原点を語りかけてきます。

2千年も3千年も人は同じなのですね。

それを忘れてはならないと思います。

清水義久さんのセミナ-は、まだ2回しか受けていませんが

その原点を淸水流に解き明かしているような気がしています。

「無意識」のうちに脳にしまい込まれたことを引き出す方法を

淸水さんは自分では気づいていないかも知れませんが、それを教えてくれています。

ありがとうございました。

不思議といろいろなことが絡み合ってきます。

 

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木村さんの奇跡のリンゴから

2017-06-01 | 読書感想

5/31日の時点でパソコンとプリンタ-とが

接続されていません。

しばらく読書感想文を書かせて貰います。

写真は、以前撮影した野毛山動物園からです。

昨晩、木村秋則さんの「リンゴが教えてくれたこと」を

一気に読み上げてししまいました。

また、2冊目 「奇跡のリンゴ」NHK制作班監修を読み始めました。

「奇跡のリンゴ」からです。

沢山の苦労をして育て上げてきたことがひしひしと伝わってきます。

シャクトリ虫のおかげで、リンゴ農家である男の家庭は

滅茶苦茶にされていた。

葉を食い荒らされたリンゴの木は、もう何年もの間、

実をつけていない。

今では家族七人が、路頭に迷う寸前の暮らしを続けていたのだ。

「あんまり葉っぱを食うんでないよ」と

虫にそんなことを言い聞かせる始末だ。

農薬を使わずにリンゴを育てる。

簡単に言えば、それが男の夢だった。」と。

なぜ始めたかと言えば、木村さんの奥さんが

農薬に弱くて散布後に寝込んでいまうことがあること。

偶然に自然農法の福岡正信さんの本がきっかけでした。

印象に残ったことの一つとして、解決策が見つからず岩木山に

死に場所を探してさまよっています。

そのときに気づいたことは、山の木とリンゴの木の土の違いに気づいて

麓に降りてきました。奥さんは心配して麓まで迎えにきていました。

それをヒントに、山の木を育てている土と同じ土に改良して今の木村さんがあります。

畑田天真如さんが、家族や親戚に攻められて生まれて間もない

女の子を背負って鞍馬山で首つりの場所を探しているときに

鞍馬の魔王様が現れ救われた話を思い出しました。

もう一つは、リンゴの木にひとつひとつ触って感謝の言葉をかけました。

隣家に近いリンゴの木には、近隣から変人と言われ白い目で見られているので

声をかけませんでした。でも声をかけなかったリンゴの木は枯れてしまったそうです。

車を売る前の家族旅行での昼食のとき、

長女がメニュ-からやっと見慣れたカレ-ライスを注文したとき、

「そばやでそんなものを注文するやつがあるか」と怒った。

 娘は一瞬、ポカンとしていた。なぜ怒られたのわからなかった。

夫としては、せっかくの蕎麦屋なのだから、おいしい蕎麦を食べさせたかった

のかも知れない。

 (中略)

そういう夫を恨んだり、不満を持ったことは一度もない。

夫の混乱が、家族を思うがゆえであることはわかっていた。

信じられないほど無欲な人なのだ。食べ物がなくても、

服がなくても、自分のことなら何も不満はないし、

心を乱されることもない。どんなに困窮しょうと

嬉々として、夢を追っていただけのことだろう。(中略)

娘たちに新しい服はおろか、学用品も満足に買ってやれないこと、

自分が娘たちに人並みの幸せを与えられないことが、

夫の不機嫌の原因だった。(中略)

ひとつだけ救いがあるとすれば、それでも家族が

バラバラになっているわけではないということだ。

リンゴ畑で、夫が珍しく弱音を吐いたことがあった。

「もう諦めたほうがいいかな」

本気でそう思っているわけでもないことはわかっていた。

けれど、お父さんも苦しんでいるんだよということを

教えてやりたくて、子供たちにその話をすると、

長女が思いがけない反応を見せた。

いつもは大人しい彼女が、色をなして怒ったのだ。

「そんなの嫌だ。なんのために、私たちはこんな貧乏しているの?」

父親の夢は、いつしか娘の夢になっていた。

 

以前、木村さんについての話を聞いたことがあります。

そのときは、UFOだのこれをすると台風のときにリンゴが

落ちなかったなど我田引水の話でした。

今、こうして読んで見ると、家族の愛に包まれたリンゴ園は

神さまが守ってくれていることをひしひしと感じます。

この本を読むと、木村さんは涙ぐましい努力をされていることを知ります。

そして家族に対する思いやりというか愛の素晴らしさを教わります。

今の世は、安易な方向に陥りがちです。もっと自分を信ずることだと感じます。

そのことを教えてくれました。

是非、「奇跡のリンゴ」を読まれることを。

 

ありがとうございました。

 

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最近、読む本が偏ってきています。古代の話です。

2017-05-31 | 読書感想

最近清水義久さんのセミナ-の影響で

いろいろな本を読み始めています。

武田鉄矢さんも影響が強くなってきているのかも。

YouTubeを見て面白がっています。

白川学館で言霊について学んでいるうちに広がっていったのでしょう。

読んでいるうちに祈りはもっと深い意味があるのではと感じています。

武田鉄矢さんの推薦の本「宗像教授伝奇考」は、劇画作者星野之宣の

古代の時代考証の優れたところに惹かれました。

あくまでもフィクションですが、面白い!

第2集の女たちの神では、舞台が青森三内丸山遺跡が出てきます。

「巨大柱なモニュメントの形代として「オシラサマ」を登場させています。

縄文土器は、想像力をかき立てます。

縄文人は何を祈っていたのでしょうか。

土偶は、ほとんど女性で、それも壊されて土に埋葬されています。

なぜ壊して埋めたのかについての学説はまだない。

このペ-ジに書かれていますが、

縄文時代後期には、石棺墓などにいったん遺体を埋葬し、

一定期間腐らせては、残った骨を掘り返し、甕棺に埋葬し直す再葬が行われていた。

梅原猛先生は、縄文土偶の女性のお腹に筋が入っていることの理由がわからなかったそうです。

アイヌの古老に聞いた話で、子供がお腹にいるときに母親が亡くなったときに、

シャ-マンが二人を一緒に埋葬し、翌日に掘り起こしお腹を裂いて

子供を取り出し二人を埋葬する習慣があったとのことを聞き、

縄文文化がアイヌに伝わってきたのではと書いています。

赤ちゃんでも生きる生命の精霊があると考えられていたのではと言われています。

貝塚もゴミ捨て場ではなく生きとしすべてに精霊がいるとして

祭祀の場所ではないかと考えられています。

生きるために採取した食物がまたこの世に戻ってくるように

と祈ったのではないかと言われています。

今の世界を見るとはずかしいですね。

武田鉄矢さんも今朝の三枚おろし(白川漢字学の話)で

さいの話が出てきます。

「人が神様に願い事をするために書いた文(祝詞)を入れる器の

形を「さい」といいます。

もとの字は告で、木の小枝に口(こう)をつける形

木の小枝にさいをつけて神前に掲げ、神に告げて祈ることから

「つげる」の意味となる。

縄文遺跡からポシェットが発見されその中に木の実が入っていたそうです。

三内丸山遺跡では、栗の木を栽培し、そのグ-ルプが生きて行けるテリトリ-を守り

2千年以上平和に生活したそうです。

武田鉄矢さんの話で面白い話があります。

九州の遺跡で顔の右と左の骨の大きさが違った人骨が発見されたそうです。

復元すると醜い女性の顔になるそうです。

古事記のなかに姉妹と結婚するときに、

美人のほうを嫁にもらった。醜い妹とは結婚しなかった。

その結果、美人と結婚したために永久に生きるとこができない運命になってしまった。

もし、醜い妹と結婚していれば永久の命になったのに。

武田鉄矢さんは、長生きするための願望ではないかと。

こうしていろいろな本を読んでいるとみんなつながってきます。

実際に最近あった話です。

あるスポ-ツ選手の話ですが、願望のかなえると言われるアイテムを

信じ過ぎてけがをして休まなければならなくなりました。

最初にそのアイテムで上手くゆき、2度3度と頼っているうちに

どうにもならなくなりました。気づいた時には大きなけがになっていました。

もし、そのアイテムを知らなかったら、けがの手前で中止し、

これからのために休むという手段があったと思われます。

白鵬は、今回の全勝優勝のためにヨガや断食を行ったといいます。

今場所の相撲を見ていて後半はエネルギ-の塊を感じました。

数日前に京都芸子さんの奇跡のお話をしました。

清水さんが聞いた、京都であったほんとうの話です。

京都のセミナ-の間で祇園に行ったそうです。

そこであった話です。

細かい話は、あまり出来ませんが、

名刺を交換したときに、真っ白で何も見えなかった。

清水さんは、縦書きの書いた名前の上から

指でなぞるとその人が見えてくるそうです。

なぜかと疑問にその芸子さんに聞いたそうです。

清水さんと同じような年の芸子さんが、自動車事故に遭い、

顔面の骨が砕けるような大けがをしたそうです。

1ヶ月ほどで手術もなしで治ってしまったとの話を

涙ながらに話されました。

その芸子さん昔、「あなたは白い綺麗な澄んだ目をしている」と言われたそうです。

小さい時から苦労し、人に騙され、お金も無かったそうです。

今では、祇園で4階建てのお茶屋さんを建てたそうです。

まさに実際に起こったことです。

人は、頭のどこかで否定的なことを考えてしまいます。

そのことが、不幸を導いてしまいます。

僕の周りでいろいろなことが起こっています。

ちょっと怖いですね。 

でも全部つながって来ます。不思議ですね。

なんとかブログは、ここまで回復しました。

写真の撮りだめがないので以前のを使いました。

野毛山動物園の写真です。

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安政江戸地震の鯰絵から その2

2017-02-19 | 読書感想

昨日の続きです。

今日は、地震で商売繁盛した人たちの鯰絵です。

出展は、下記。

この絵図の解説です。

 大地震に見舞われて、大儲けをする人々は、

材木屋、大工、左官などの職人であることは、

これまでの地震鯰絵で見てきたが、

この絵は、それを更に強く表現した構図の地震鯰絵である。

 地震鯰に筆を振わせて、色々に揮毫させている設定で、

これを大儲けの人々が囲んで、鯰の書いた揮毫に有難がっている。

大儲けの筆頭は、なんといっても材木屋であったことがこの絵でも表現され、

看板と大福帳を脇に材本屋の旦那が腕組みしており、

さながら胴元のような格好である。

 これを、表現する洒落として、鯰が揮毫の筆をふるうとして、地

震の。震”を、“ふるう”と読替させ、洒落れた題名をつけている。

 職人達の言葉のやりとりを見ても、鯰が腕をふるっている揮毫を

有難がっている図で、左官屋など鯰が書いた「鹿島大神宮」の揮毫を、

一生掛け物として家に掲げると有りがたがり、

大工は観音様の五重の塔の頭が、傾いているものを書いてもらい、

他の者は万歳楽の、楽″の字を揮毫してもらって、

後世に残す有難いものとして、頂戴しますという構図である。

地震鯰に、“筆”をもたして擬人化している点が、

地震鯰絵の見所であろう。

 また、障子には地震で命を失った、沢山の亡者を影絵風に画き、

地震の守り神の鹿島太神宮の御札と、“雷”を画いたお札は、完全に

無視される場所におかれ、地震によってお蔭をこうむる大儲けを

る人々を画くことにより″世直し″という江戸庶民の、潜在的な自我

意識を強調した地震鯰絵として、鑑賞することが、この絵の見所で

あるといえよう。

 解説から、

この地震鯰絵は、よくみると地震によって懐がすっかり温かくなり、

沢山の手間賃を手にした職人達が、自分達をこんなに楽しいも

のにしてくれた地震鯰を伴って、

吉原に繰り込み、それぞれ好みの女郎と楽しい一夜を過さんとする

賑わいを画いたもので、絵の構成にせりふはないが、

鯰と職人達、それに添え物の駕寵かき、店の主人と、どれ一人とっても

好色そうな表情でうかれきっている。

 これと対照的に。”おいらん”といわれる女郎の表情は、この時代に

沢山画かれた浮世絵と、全く同一の表情でとりすましており、

客(地震で儲けた職人と連れの鯰)と。”おいらん”を対照的に画き出

しているのが、この地震鯰絵の見所である。

ありがとうございました。

でもいつの時代でも同じような風景が見られますね。

追加の話 

江戸しぐさから「うかつあやまり

人ごみのなかで誰かに足を踏まれたときに、

「ごめんなさい」とひとことぐらい言いましょう。 

でも江戸しぐさでは、踏まれた人もあやまるのです。

自分もうかつだったことを認めてあやまるしぐさを

うかつあやまり」といいます。

もうひとつ。「こぶしうかし

江戸時代は船が出るのを待っている間、あとから人が乗って

くるたびに、こぶしをついて腰をうかせ、席をつめていたことから。

席をゆずるときに「つめていただけませんか?」と言われる前に

するのが江戸しぐさ。

催促されてから行動するのは、恥とされました。

いろいろありますよ。

傘かしげ、せっぱつまり、無理押し、七三あるき、腕組み・足組みなど。

でも面白いですね。

僕は、プラットホ-ムや階段などで、

ちょっと立ち止まって相手の方が行き過ぎるのを待ちます。

そう5人に一人ぐらい「すいませんとかありがとう」と言われたり、

頭を下げてくださいます。

畑田天眞如さんやおばあちゃんは、口癖のように「すまないね。ありがとう」を

言っていたのをふと思い出します。

耳の奥から聞こえてきます。

心の底からの言葉は違います。

畑田天眞如さんから教わりました。

 

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安政江戸地震の鯰絵から

2017-02-18 | 読書感想

安政江戸地震は、1854年12月23日 M8.4の地震が、

関東から近畿におよび特に津波の被害が大きかった。

このあと、24日M8.4。26日M7.5。

翌年3月に飛騨白川、金沢にM6.7の地震があった。

11月には、江戸を中心にM7.1で江戸下町の被害が大きかった。

大正関東大地震のときは、余震が3時間以上揺れ続き

船に乗っているようだとの記録があります。

この本は、国立国会図書館にある鯰絵を復刻したものです。

その中から絵図と解説を転記します。

最初は「鯰退治」です。

絵図の解説からです。

「この絵の見所は、一般に地震を起こした鯰に対し、大儲けをした

連中(材木問屋、大工、屋根屋、左官、鳶職)は、鯰を有難がって

感謝している一方、大損をした金持、大家、芝居小屋、芸人などは、

鯰を打ちのめして怨みを晴らすという設定の鯰絵が多いが、

この「鯰退治」は、大儲け、大損の区別なく、地震を起こした大鯰を

俎の上に乗せ、江戸の庶民の総てが各自道具を手に鯰を打ちのめして

いるという珍らしい構図になっている点である。

その理由は、総ての人々が地震鯰を、打ちのめして

退治する図柄によって、この「鯰絵」を家内安全の。お札”に仕立て

ようとした作者の意図がはっきりと表現されている。

 地震を起こした大鯰を、打ちのめしている人を右下から見ると、

庖丁を手にした遺手婆さん、女形、芸人、材本屋、遊女、職人達、長

屋の隠居、仲間、物売り、坊主、おかみさん、掛矢をふりあげた職人

庖丁で鯰の胴体を切る職人達などを画いて、江戸の庶民の総て

が難渋した怨を、この大鯰にぶつけているもので、人相、風態、着物、

職業など江戸時代の風俗の時代考証にも、大いに役立つ図柄である。

 また、右上に鯰のおかみさんが子供を背にして助けをもとめているが、

裸の職人がしたり顔で。かんべんならねえ!″と払のけているものを

画きこんでこの鯰絵をしめている。

 左上に画かれた東方、西方、南方、北方、中央という文字は梵語の

まじないで、その左の文字を読んでみると‘、「東西南北天井へ こ

のふだをはりおけハ、家のつぶるるうれひ さらになし」と書いて、

この鯰絵を家内安全、地震除けに貼りなさいとした″お札″である

と作者はいっているが、信仰的な根拠があるわけでなく、江戸の庶

民のあらゆる階層の人々が大鯰を打ちのめしているという、単純な

ことでも、科学の未発達の時代に地震は鯰が起こすものと信じていた人々の、

心情に訴えて鯰絵を売らんとしたものである。

阪神淡路大震災のときにボランティアの活躍があり、

始めて行われたとボランティア元年と報道されていました。

安政江戸地震の絵図を見ていると背負って逃げている人たちや

倒壊した家屋の屋根を壊して助け出している絵があります。

 

実は、安政江戸地震で2日夜に町奉行所において、

公の対策が討議され即決されたといいます。

1.罹災民への炊き出し握り飯を配布する。

2.宿無しになった者の立ちの先として御救小屋を建てる。

3.けが人の救済・手当をする。

4.日用品の確保を諸問屋に命ずる。

5.国々より諸職人を呼び集めるように職人仲間総代に命ずる。

6.売り惜しみ、買い占めを禁ずる。

7.諸物価・職人手間の騰貴を禁ずる。

8.与力・同心をして町中見回り・救助・取り締まりをさせる。

9.町名主中に震災対策の掛りを申しつける。

 

阪神大震災後に文献を集めいろいろと読みましたが、

このおふれ読んだ時に涙が出そうなほどに感動しました。

江戸時代のことについて書籍を読むといろいろと学ぶこことが多い。

寺子屋で使う教科書(?)は、2代も3代も大事に使っています。

和城伊勢さんの「江戸しぐさ」は、読んでいて今の時代の

恥ずかしさを感じさせてくれます。今度、紹介しますね。

その人のしぐさをみれば、江戸っ子がどうか分かったそうです。

地方出身者は、講などで一生懸命に努力して教養を身に付けたそうです。

明日は、地震で儲けた人たちの絵図を紹介します。

 

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「日本の神様と楽しく生きる」(平藤喜久子著)から地震の神様

2017-02-17 | 読書感想

藤平喜久子さんの「日本の神様と楽しき生きる」から地震の神様についてです。

僕は商売柄、地震関係の書籍を集めています。

特に、安政江戸地震のときに出回った鯰絵には興味をそそられます。

僕の所有する安政江戸地震の資料から興味深いものを1,2紹介します。

鯰絵は、「安政大地震鯰絵」から

当時の3大報告集のうち2種類です。

安政風聞集と安政見聞誌です。

100年以上経過しているので虫食いがあり、裏打ちして修理してあります。

 

この絵は、地震で商売繁盛した人たちを皮肉を込めて描いています。

障子に写った、地震で亡くなった亡霊が写っています。

商売繁盛で鯰さまさまですね。

 

藤平喜久子さんの「日本の神様と楽しき生きる」から

「地震の神様に地震除けを願う」

要石

 「地震・雷・火事・親父」。古くから言い継がれてきた、恐ろ

しいものの順番です。1度起きてしまえば、人間の力ではどう

しようもない地震を日本人がいかに恐れてきたかがわかります。

「日本の土中には巨大なナマズが横たわっていて、暴れると大

地震が起きる」という言い伝えは、江戸時代初期に広まったと

考えられています。

それとともに、地震の原因となる大ナマズの頭は

鹿島神宮の神域の下にあり、タケミカヅチが要石に

よって貫き押さえている、といわれてきました。

 人々は地震が起こると「ゆるぐとも よもや抜けじの 

要石鹿島の神のあらんかぎりは(地震で少しは揺れたとしても、

鹿島の神様がいらっしやるかぎり要石が抜けることはない)」と

いう歌を唱え、被害が大きくならないよう祈ってきました。

 要石は、現在も鹿島神宮の境内に祀られ、多くの人が訪れます。

地上に出ている部分は、直径20cmほど。かつて徳川光圀か

地下部分を確かめようと周囲を掘らせたところ、翌朝にはもと

に戻ってしまうことが7日7晩つづき、ついには調査を諦めた

とも伝えられています。

 タケミカヅチの力を宿した要石をかたどった地震・災害除けの

要石守は同社で授与されています。

鯰絵(なまずえ)

 1855年(安政2年)に江戸を襲った大地震は、マグニチュード6以上と

推定され、民家の倒壊は1万4千戸に及んだとされています。

余震がつづくなか、人々がよりどころとしたのは地震の神様でした。

大ナマズを懲らしめるタケミカヅチの姿を描いた多色刷りの

木版画錦絵が、地震除けのお守りとして大流行したのです。

人々が「鯰絵」と呼んだ錦絵は、

毎日のように新しい絵柄が出回りました。

なかには地震の被害によって浮き彫りになった貧富の差などの

世相を風刺するものも。

200種類近くの鰍絵が現存し、江戸の人々がどのように

未曾有の震災、そして神様と向き合っていたのかがわかる、

貴重な資料となっています。

 

明日は、鯰絵の解説を見てみます。

良く見て見ると当時の人たちの災害に対する意気込みが伝わってきます。

 ありがとうございました。

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「日本の神さまと楽しく生きる」(平藤 喜久子著)の本は楽しい!

2017-01-27 | 読書感想

先日、有隣堂に三浦佑之さんの「古事記学者ノ-ト」を

手に取って見たかったので出かけました。

定価2400円なのでどんなことが書いてあるのか確かめました。

最近は、本を手にとってパラパラとめくるうちにこの本は

面白いかがわかるようになりました。

そのときにふと目にとまったのが、

平藤喜久子さんの「日本の神様と楽しく生きる」という本です。

早速、買い求めました。

    

平藤喜久子さんは、國學院大学日本文化研究所准教授で、

世界の神話の研究されている第一人者です。

河合隼雄さんの「神話の心理学」と「神話と日本人の心」の本を読み、

世界の神話を知りたくて、丁度探しているところでした。

平藤喜久子さんの本で沢山書かれていますが、皆、高価の本で手が出せません。

河合隼雄さんの2冊の本でも世界の神話のことが少し書かれています。

河合先生がユングの研究所に留学されたときの論文のテ-マが神話でした。

      多摩川

白川学館で古事記を学び、神話の世界に入り込みました。

三浦佑之さんの本を読み、河合隼雄さんの心理学の面からみた神話を学び、

今、神社のもつ日本人の心の底に流れているものに興味を抱いています。

 

「日本の神様と楽しく生きる」は、普通の神社に関する本とは違っています。

トイレの神様、貧乏の神様、鬼、温泉の神様、太陽の神様と沢山の神様の

お話しが書かれています。読んでいて夢が広がります。

神様のお話のなかにイラストがあり、楽しいお話しが載っています。

普通は、神社仏閣の由来などや何にご利益があるとかですが、

この本は違います。

 

白川学館で大祓いの祝詞を奏上しますが、

古事記における神様の話はほとんどありません。

僕なりに、三浦佑之さんの本から学んでいます。

平藤喜久子さんの本は、また違った視点で神様を知ることが出来ます。

最初に、コラムからです。

神様と仏様を歴史的に良く纏めてあります。

感心しました。

 

神様・仏様の関係 

 どうしても叶えたい願い事があるとき、窮地に陥ったとき、「神様、 

仏様!」と言ってしまったり、大変な悲劇が起こったとき「神も仏もな 

い」という言い方をすることがあります。

神様と仏様はもちろん違うものですが、

このように似たようなものとして扱われることも少なくありません。

それは神様と仏様との問に、深く長い関係があるからです。 

仏教が日本に伝えられたのは6世紀半ば頃。

仏様のことは、「蕃神」(あだしくのかみ)と呼んでいました。

これは「外国から来た神」という意味で、日本にもともといる神様、

「国つ神」(くにつかみ)と対比した呼び方です。

伝えられた頃は、天皇がどう仏教を受け入れていくかという点などを巡って、

朝廷内で対立もありましたが、

日本の神様を祀る神道と仏様を中心とする仏教は共 存していくようになります。

 

 そしてその関係がだんだんと密接になっていくなかで

、8世紀前半に神様を仏様の力で解脱させる、

という考えが出てきます。

神社に「神宮寺」(じんぐうじ)という寺をつくり、

神の前で読経を行うようになりました。

また、神様は仏教を守護するという考え方もあらわれ、

東大寺の大仏建立を八 幡神が手伝ったという伝承も生まれます。

仏像のように神様の姿をかたどる「神像」も奈良時代頃からあったようです。

 

 このように密接な神様と仏様の関係について、

さまざまに説明しようという試みも出てきます。

神様とは仏様が日本の人々を救うために仮の姿であらわれたのだ」という考えもそのひとつです。

たとえば、太陽の神様・アマテラスの本当の姿は、大日如来とされました。

本当の姿本地(ほんち)、仮にあらわれることを垂辿(すいじゃく)というので、

この考え方は「本地垂迫説」といいます。

 

 江戸時代になると、日本の本来の姿を究めようという学問、

国学が出てきます。

そうすると、日本の神道と外来の仏教をわけていくべきであるという考え方もあらわれます。

この考え方を受け、明治維新のときに神仏判然令が施行されました。

神様仏縁を区別しなさい、というものです。

「神仏分離」といいます。そのため各地の神宮寺は神社かお寺のどちらかを選択し、

権現」(ごんげん)など仏教風の神様の名前も禁じられることになりました。

 

それでも「神様仏様」という言い方が残っているのは、千年以上にわ 

たる長い共存の伝統があるからなのでしょう。

 

昔、山伏の修行でお寺や大きな樹木や岩座でお経を唱えます。

修行の最後に熊野本宮にお詣りします。

神道のお祓いではなく密教のお経を唱えます。

初めは、違和感を感じましたが、今は当たりまえになりました。

父母のお墓詣りでは、キリスト教、仏教、神道でお祈りします。

ちょっと変ですね。

長くなりましたので明日に続きます。

最後に、有隣堂の本屋さんに御朱印の本が並べてありました。

今、若い女性に人気だとか。

清水義久さんのお話しでは、御朱印帳は、仏さま、神さまの功が

いっぱいに詰まっているそうです。

僕の御朱印帳  最初に京都の東寺の御朱印です。

    

 

 

 

 

 

 

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