ひろさちや・中村仁二さんの
「死は大事な仕事」しっかり死ぬこと。から。
続けてもう一つ、
作家の三浦綾子さんと対談したときに、
このような話を聞かされたのです。
アメリカのある青年が、
朝鮮戦争に行った。
故郷の両親は、戦死の通知があったので
子どもはすでに死んだものだと諦めていた。
ところがある日、
その両親のもとに息子から電話がかかって来た。
「お父さん、ぼくは戦場でケガをして、
アメリカの病院で治療を受け、助かった。
もうよくなったから迎えに来てほしい」と言う。
両親は、喜んで、
「すぐ迎えに行くから、待っていてくれ」と言った。
すると息子はこう言うんです。
「ぼくと一緒に、戦場で傷を受けた友達がいるんだ。
そいつはケガで、両足を切断されてしまった。
この親友も一緒に家に連れて帰ってほしいのだけれど、いいだろうか?」
「まあ、二、三日のことだったら、家に来てもらおう」
お父さんが、そう答えると、
「いや二、三日だけじゃないんだ」
「それじゃあ、二、三ヵ月ぐらいか?」
「そうではなくて、一生その親友の面倒をみてやってはしいんだ」 と言う。
お父さんは、びっくりして、
「おまえ、何を言っているんだ。
見ず知らずの他人をI生面倒みるなんて……」
「だったらお父さん、ぼくを迎えに来てもらう必要などないんだよ」
「何言ってる。ともかく迎えに行くから……」 と、
その両親は息子を迎えに行った。
ところが病院に着くと院長が出てきて、
あなたの息子さんはお亡くなりになった。
自殺したんだ、と言う。
そこで遺品をもらって、息子の死体に対面したら、
なんと息子の両足は切断されてなくなっていたんです。
息子の言っていた両足を切断された親友というのは、
実は自分のことだったんですね。(中略)
ぼくが生きていれば、
お父さんとお母さんは、きっと喜んで迎えに来てくれるに違いない。
死んだと思った息子が生きていたのだから。
両足がなくとも、
とにかく生きていてくれたと、
喜んでくれるだろう。
それは間違いないですよね。
しかし、その肉親の愛は、
いったいいつまで続くものなのか。
長い一生の間には必ず、こんなことだったら、
いっそぼくが死んでくれていたなら……、
と思う事態に直面することもあるだろう。
またぼくも、こんなことならいっそあのときに死んでいればよかった、
と思うことがあるのではないか。
たとえば、本来なら老いた両親は夫婦二人で海外旅行でもして、
幸せな生活を送ることができたのに、
両足のないぼくの面倒を見なければならないので、
それはできない。
きっとそんなことが起こるに違いない。(中略)
健全な親子でも喧嘩をするわけです。
私たちは、肉親の愛情があれば、
親は子を愛してるんだから、
などと簡単に言うけれど、
肉親の愛情だけでは人間は生きることはできないと、
その青年は考え続けたと思うんです。
肉親の愛情だけでは問題は片付かない。
肉親の愛を超えた
もっと大きな愛、神の愛。仏教でいえば慈悲という言葉にあたります。
愛という言葉は仏教ではむしろ欲望のことであって、
あまりいい言葉ではないのです。
大きな慈悲の心でないと救われない。
それは結局、自分の友達、
見ず知らずの他人を引き取って一生面倒みようという、
そのような大きな愛・慈悲があってはじめて救われるのではないか。
それがないと人間は生きていけないんだというようなことを、
その青年は考えたのではないでしょうか。
だから、青年は「ぼくの親友も一緒に面倒をみてくれ」と言った。
しかしお父さんにしてみれば、親子の愛だけが絶対でした。
こういう問題を全部スッポ抜かして進んでいるのが
現代の日本の医療であるし、限界だと思います。
医療の問題を論じている医者とよく対談させられるのですが、
ほとんどの医者は家族の愛を論じる程度で、
もっと大きな愛については論じられない。
私に言わせれば、つまり、宗教心がないわけです。(中略)
ひろもうだいぶ前になるけれど、私の女房の母親が九四歳で亡くなりました。
たいした病気もせずに、自分の家で、
ただ衰弱していって亡くなりました。
実の娘である女房の妹が母親とずっと一緒に住んでいて、
私か見舞いに行ったとき、
彼女がこう訴えてきたのです。
「お母さんの看病するのは自分は決して嫌じゃない。
喜んでみています。
でも、治る見込みのない病人、
このまま死んでいく病人の看護を続けるのは、
何か虚しい気がするんです」
私は彼女にこう言いました。
「考え違いするな。
今、お母さんはいちばん大事な仕事をやってるんだ」
すると討しげに「何?」とたずねてきました。
「あのね、死ぬという大事な仕事を一生懸命やっているんだよ。
人間のいちばん大事な仕事は老いることと、
死ぬことなんだよ。
みんな、会社に勤めて給料をもらってくることが仕事だと思っているけれど、
それは本当の意味での仕事ではない。
これまで老いる仕事をやってきたお母さんが、
死ぬという大仕事を一生懸命やっている。
それをあなたがサポートしているんだよ。
だからもっと誇りを持って、
胸を張ってみてあげてほしい」
彼女にそう諭したら、
「じゃあお兄さん、それをお母さんに言ってくれ」と乞われました。
それならばということで、
寝ている母親を揺り起こして、
「お母さんはね、今、死ぬ仕事を一生懸命やってるんだよ。
大事な仕事をやっているんだから、しっかり死ぬんだよ」
はじめは私か何を言っているのかわからなかったようで、
きょとんとしていました。私は何度も語りかけました。
「お母さんは、今、死ぬ仕事を一生懸命やってるんだから、
しっかりやってよ。ぼくらはみんなでサポートするからね」
それで何度目かに、「はい、ありがとう」と言ってくれました。
「おかあちゃんが今やっているのは、
老いるという仕事なんだ。
もうすぐおかあちゃんはお浄土に行くんやで。
お浄土に行って、おとうちゃんに会うんや。
おかあちゃんはそのときに持っていくお土産を準備してるか?」
母親はびっくりしたような顔になって、聞き返してきました。
「えっ、お浄土に何を持っていくんや?」
「お浄土にはお金もモノも持っていかれへん。
思い出話がお土産になるんやで。
ここで生きた思い出話がおとうちゃんに対するお土産になるんや。
思い出話っていったって、
あそこでおいしいモノを食べたとか、
どこそこへ観光旅行へ行ったとか、
そんな話はお浄土では通用せえへんで。
お浄土のほうがもっとおいしいモノがあるし、
お浄土のほうが風景はきれいだからや。
お浄土に行って通用する思い出話は何かといったら、
苦労話やで。
この世の中でやった苦労。
泣いた、悲しんだ、苦しんだ。その経験が思い出話になるんや。
でも、ぼくらがい
て苦労をかけた。
その思い出話は、きっとおとうちゃんにはいい土産になるからね。
だから、おかあちゃんはお浄土へ持っていくお土産の準備はできとるから大丈夫やで」
私かそう言ったら、母親は安心したような顔つきで、
「ありがとう」と返してきました。
死ぬことを、仕事だと思ってほしいのです。
誰かが代わって苦悩して解決してくれるものではありません。
だから、何か自分に大変なことが降りかかってきたら、
落ち込んで悩むのは当たり前のことなのです。
災害とか何かちょっとした事件が起きると、
すぐ「心のケア」が持ち出されることに、
かなりの違和感を抱くのは、私かへそ曲がりのせいでしょうか。
行政が専門家を派遣し、
マスコミも世間も一件落着というけれど、
本当に解決しているのでしょうか。
そんなときに見も知らぬ人がきて、
カウンセリングか何か知りませんが、
あんなものがなんの役に立つのかと思います。
中村 苦しみたくないのです。
悩みたくないのですよ。
簡単に、誰かに解決してほしいわけです。
でも、悩みごとというものはそんなにインスタントに処理はできません。
そんなに都合よくいくわけがないのです。
苦悩は、本人がきちんと向き合って解決すべきものです。
とはいえ、人間は弱い生きものですから、
気持ちがぐらつくときには、
支えは必要でしょう。
でも、それは、あくまでも支えです。
いちばんの解決策は、
「時間の経過」です。時間をかけること
、″時の癒し”を待つこと
です。
時間をかけて乗り越えていくしかないのではないでしょうか。
僕も、少しこの境地が分かるような年代になりました。
奥駆修行は、僕に取ってアスリ-トではなく
苦しむことだと思っています。
そんなに自分を苦しめなくてもと言われます。
死に向かってどんな苦しみでも自分で受け止めるための
修行だと最近感じています。
再度、この文章を読んでいると
自然に涙が出てきます。
死は人にとって最後の大きな仕事であることを
知らせてくれて,
ひろ さちやさん ありがとう。
いま、その中にどっぷり浸かってかっている感じの
今日この頃です。
ありがとうございました。