おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

死ぬ仕事を忘れた日本人 その2

2012-12-31 | 日記


ひろさちや・中村仁二さんの
「死は大事な仕事」しっかり死ぬこと。から。


続けてもう一つ、
作家の三浦綾子さんと対談したときに、
このような話を聞かされたのです。

アメリカのある青年が、
朝鮮戦争に行った。
故郷の両親は、戦死の通知があったので
子どもはすでに死んだものだと諦めていた。

ところがある日、
その両親のもとに息子から電話がかかって来た。
「お父さん、ぼくは戦場でケガをして、
アメリカの病院で治療を受け、助かった。
もうよくなったから迎えに来てほしい」と言う。
両親は、喜んで、
「すぐ迎えに行くから、待っていてくれ」と言った。
すると息子はこう言うんです。

「ぼくと一緒に、戦場で傷を受けた友達がいるんだ。
そいつはケガで、両足を切断されてしまった。
この親友も一緒に家に連れて帰ってほしいのだけれど、いいだろうか?」

「まあ、二、三日のことだったら、家に来てもらおう」
 お父さんが、そう答えると、
「いや二、三日だけじゃないんだ」
「それじゃあ、二、三ヵ月ぐらいか?」
「そうではなくて、一生その親友の面倒をみてやってはしいんだ」 と言う。

お父さんは、びっくりして、
「おまえ、何を言っているんだ。
見ず知らずの他人をI生面倒みるなんて……」
「だったらお父さん、ぼくを迎えに来てもらう必要などないんだよ」
「何言ってる。ともかく迎えに行くから……」 と、
その両親は息子を迎えに行った。

ところが病院に着くと院長が出てきて、
あなたの息子さんはお亡くなりになった。
自殺したんだ、と言う。

そこで遺品をもらって、息子の死体に対面したら、
なんと息子の両足は切断されてなくなっていたんです。
息子の言っていた両足を切断された親友というのは、
実は自分のことだったんですね。(中略)

ぼくが生きていれば、
お父さんとお母さんは、きっと喜んで迎えに来てくれるに違いない。
死んだと思った息子が生きていたのだから。

両足がなくとも、
とにかく生きていてくれたと、
喜んでくれるだろう。

それは間違いないですよね。
しかし、その肉親の愛は、
いったいいつまで続くものなのか。

長い一生の間には必ず、こんなことだったら、
いっそぼくが死んでくれていたなら……、
と思う事態に直面することもあるだろう。

またぼくも、こんなことならいっそあのときに死んでいればよかった、
と思うことがあるのではないか。
たとえば、本来なら老いた両親は夫婦二人で海外旅行でもして、
幸せな生活を送ることができたのに、
両足のないぼくの面倒を見なければならないので、
それはできない。
きっとそんなことが起こるに違いない。(中略)

健全な親子でも喧嘩をするわけです。
私たちは、肉親の愛情があれば、
親は子を愛してるんだから、
などと簡単に言うけれど、
肉親の愛情だけでは人間は生きることはできないと、
その青年は考え続けたと思うんです。

肉親の愛情だけでは問題は片付かない。
肉親の愛を超えた
もっと大きな愛、神の愛。仏教でいえば慈悲という言葉にあたります。

愛という言葉は仏教ではむしろ欲望のことであって、
あまりいい言葉ではないのです。
大きな慈悲の心でないと救われない。

それは結局、自分の友達、
見ず知らずの他人を引き取って一生面倒みようという、

そのような大きな愛・慈悲があってはじめて救われるのではないか。
それがないと人間は生きていけないんだというようなことを、
その青年は考えたのではないでしょうか。
だから、青年は「ぼくの親友も一緒に面倒をみてくれ」と言った。
しかしお父さんにしてみれば、親子の愛だけが絶対でした。



こういう問題を全部スッポ抜かして進んでいるのが
現代の日本の医療であるし、限界だと思います。

医療の問題を論じている医者とよく対談させられるのですが、
ほとんどの医者は家族の愛を論じる程度で、
もっと大きな愛については論じられない。
私に言わせれば、つまり、宗教心がないわけです。(中略)

 
ひろもうだいぶ前になるけれど、私の女房の母親が九四歳で亡くなりました。
たいした病気もせずに、自分の家で、
ただ衰弱していって亡くなりました。
実の娘である女房の妹が母親とずっと一緒に住んでいて、
私か見舞いに行ったとき、
彼女がこう訴えてきたのです。

「お母さんの看病するのは自分は決して嫌じゃない。
喜んでみています。
でも、治る見込みのない病人、
このまま死んでいく病人の看護を続けるのは、
何か虚しい気がするんです」

私は彼女にこう言いました。
「考え違いするな。
今、お母さんはいちばん大事な仕事をやってるんだ」
すると討しげに「何?」とたずねてきました。

「あのね、死ぬという大事な仕事を一生懸命やっているんだよ。
人間のいちばん大事な仕事は老いることと、
死ぬことなんだよ。

みんな、会社に勤めて給料をもらってくることが仕事だと思っているけれど、
それは本当の意味での仕事ではない。
これまで老いる仕事をやってきたお母さんが、
死ぬという大仕事を一生懸命やっている。

それをあなたがサポートしているんだよ。
だからもっと誇りを持って、
胸を張ってみてあげてほしい」

彼女にそう諭したら、
「じゃあお兄さん、それをお母さんに言ってくれ」と乞われました。

それならばということで、
寝ている母親を揺り起こして、
「お母さんはね、今、死ぬ仕事を一生懸命やってるんだよ。
大事な仕事をやっているんだから、しっかり死ぬんだよ」

はじめは私か何を言っているのかわからなかったようで、
きょとんとしていました。私は何度も語りかけました。

「お母さんは、今、死ぬ仕事を一生懸命やってるんだから、
しっかりやってよ。ぼくらはみんなでサポートするからね」
それで何度目かに、「はい、ありがとう」と言ってくれました。
 
「おかあちゃんが今やっているのは、
老いるという仕事なんだ。
もうすぐおかあちゃんはお浄土に行くんやで。
お浄土に行って、おとうちゃんに会うんや。
おかあちゃんはそのときに持っていくお土産を準備してるか?」

母親はびっくりしたような顔になって、聞き返してきました。
「えっ、お浄土に何を持っていくんや?」
「お浄土にはお金もモノも持っていかれへん。
思い出話がお土産になるんやで。

ここで生きた思い出話がおとうちゃんに対するお土産になるんや。
思い出話っていったって、
あそこでおいしいモノを食べたとか、
どこそこへ観光旅行へ行ったとか、
そんな話はお浄土では通用せえへんで。

お浄土のほうがもっとおいしいモノがあるし、
お浄土のほうが風景はきれいだからや。

お浄土に行って通用する思い出話は何かといったら、
苦労話やで。
この世の中でやった苦労。
泣いた、悲しんだ、苦しんだ。その経験が思い出話になるんや。

でも、ぼくらがい
て苦労をかけた。
その思い出話は、きっとおとうちゃんにはいい土産になるからね。
だから、おかあちゃんはお浄土へ持っていくお土産の準備はできとるから大丈夫やで」

私かそう言ったら、母親は安心したような顔つきで、
「ありがとう」と返してきました。

死ぬことを、仕事だと思ってほしいのです。

誰かが代わって苦悩して解決してくれるものではありません。

だから、何か自分に大変なことが降りかかってきたら、
落ち込んで悩むのは当たり前のことなのです。
災害とか何かちょっとした事件が起きると、
すぐ「心のケア」が持ち出されることに、
かなりの違和感を抱くのは、私かへそ曲がりのせいでしょうか。

行政が専門家を派遣し、
マスコミも世間も一件落着というけれど、
本当に解決しているのでしょうか。

そんなときに見も知らぬ人がきて、
カウンセリングか何か知りませんが、
あんなものがなんの役に立つのかと思います。

中村 苦しみたくないのです。
悩みたくないのですよ。
簡単に、誰かに解決してほしいわけです。
でも、悩みごとというものはそんなにインスタントに処理はできません。
そんなに都合よくいくわけがないのです。

苦悩は、本人がきちんと向き合って解決すべきものです。
とはいえ、人間は弱い生きものですから、
気持ちがぐらつくときには、
支えは必要でしょう。
でも、それは、あくまでも支えです。

いちばんの解決策は、
「時間の経過」です。時間をかけること
、″時の癒し”を待つこと
です。
時間をかけて乗り越えていくしかないのではないでしょうか。



僕も、少しこの境地が分かるような年代になりました。
奥駆修行は、僕に取ってアスリ-トではなく
苦しむことだと思っています。
そんなに自分を苦しめなくてもと言われます。

死に向かってどんな苦しみでも自分で受け止めるための
修行だと最近感じています。

再度、この文章を読んでいると
自然に涙が出てきます。

死は人にとって最後の大きな仕事であることを
知らせてくれて,
ひろ さちやさん ありがとう。
いま、その中にどっぷり浸かってかっている感じの
今日この頃です。

ありがとうございました。
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「死は大事な仕事」しっかり死ぬということ の紹介です。

2012-12-31 | 日記




ひろさちやと中村仁二先生の対談集
「死は大事な仕事 しっかり死ぬこと」の本が
出ました。
最近の新しい情報です。







ひろさちやさんのフアンで何冊か呼んでいます。
中村先生の「大往生したけりゃ医療と関わるな」の本を
読んで感動しました。救急車を呼ばないことはショックです。
僕も、今後何かのときに呼ばないことに決めてしました。
でも息子は「僕らが殺人罪に問われるからだめだ」と。



目次から
1.医療は全面依存から限定利用へ
2.専門医全盛時代という不幸
3.薬をひしがる日本人
4.早期発見、早期治療はウソ
5.がんに完治はあるか
6.アンチエイジングという幻想
7.死ぬ仕事を忘れた日本人

特に、印象に残ったことは、がんに「がんもどき理論」が
あり本当のがんは、小さくて目に見えないうちにも
転移するものがある。早期治療で治ったというものの中に
がんもどきがあるとのこと。



それよりも抗がん剤は、強力な発がん性を持っているので
「がん細胞」だけでなく、体中を回って、正常な細胞をやっつけて
しまうと言う。ほんとうは、抗がん剤で新たながんになって
亡くなられたと考えられるケ-スがあるようです。
怖いですね。

死ぬ仕事を忘れた日本人は、死に対する見方を変えます。
僕の母親は、95才で自分でお風呂に入り、洗濯をし、
食事は美味しそうに食べています。
ここ2、3年医者にも罹らず、薬も飲んでいません。
この話を話して見ようとと思います。
気持ちが楽になります。

僕も10数年 健康診断を逃げ回っています。
仕事である組織に入っていますが、
すぐに健康診断を受けるように言われます。
この本を読むと、間違っていなかったと感じています。



自分の体から発信している情報を
素直に聞き取れることが大切だと感じています。
ただ、中先生や清水義久さんの気功術はやっています。

少しおかしなところがあると
寝る前にクワッシャを行っています。
今では、手放せなくなりました。



「死ぬ仕事を忘れた日本人」からです。

ひろ 続けてもう一つ、作家の三浦綾子さんと対談したときに、
このような話を聞かされたのです。
アメリカのある青年が、朝鮮戦争に行った。
故郷の両親は、戦死の通知があったので子どもは
すでに死んだものだと諦めていた。

ところがある日、
その両親のもとに息子から電話がかかって来た。
「お父さん、ぼくは戦場でケガをして、
アメリカの病院で治療を受け、助かった。
もうよくなったから迎えに来てほしい」
と言う。両親は、喜んで、
「すぐ迎えに行くから、待っていてくれ」と言った。
すると息子はこう言うんです。
「ぼくと一緒に、戦場で傷を受けた友達がいるんだ。
そいつはケガで、両足を切断されてしまった。
この親友も一緒に家に連れて帰ってほしいのだけれど、いいだろうか?」

「まあ、二、三日のことだったら、家に来てもらおう」
 お父さんが、そう答えると、
「いや二、三日だけじゃないんだ」
「それじゃあ、二、三ヵ月ぐらいか?」
「そうではなくて、一生その親友の面倒をみてやってはしいんだ」
 と言う。

お父さんは、びっくりして、
「おまえ、何を言っているんだ。
見ず知らずの他人を一生面倒みるなんて……」
「だったらお父さん、
ぼくを迎えに来てもらう必要などないんだよ」

「何言ってる。ともかく迎えに行くから……」
と、その両親は息子を迎えに行った。
ところが病院に着くと院長が出てきて、
あなたの息子さんはお亡くなりになった。
自殺したんだ、と言う。

そこで遺品をもらって、
息子の死体に対面したら、
なんと息子の両足は切断されてなくなっていたんです。
息子の言っていた両足を切断された親友というのは、
実は自分のことだったんですね。(中略)

続きます。

最初の写真は、29日の夕方に
夕日が建物を照らして綺麗でした。
でもほんの5,6分で見えなくなりました。

ありがとうございました。
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横浜駅高島屋そごうの屋上はどんなところ。

2012-12-30 | 銀杏並木


29日 久しぶりに朝5時半ごろまで寝てしまいました。
昨夜、右足の筋肉にけいれんが起こりました。
前日、友人の邪気を払うことをやっていました。
終わって、清水義久さんの収功を行ったのですが。

朝生きて、まだ痛い。
でも、このままだと更に痛みが増すので
いつもの横浜駅までの早足を始めた。

昔だとすぐに整形に飛び込み
湿布薬。
でも今は違う。
自分のことは自分で治すのだと。

今まで気づかなかった。
黄金町の橋のたもとに
オリンピックの記念旗竿があった。







藤山愛一郎さんの銘
柳の枝が、さわやかにゆれていた。



カモメが大岡川に。
海鵜が2羽。
なかなか潜る瞬間にと思うけど
難しい。
潜るのは20から30秒。





ハト君は、日だまりの中でまどろんでいる。
今朝の寒い。
でも、首を縮めて寒そう。







いつもの成田山別院のお地蔵さんはお正月用
両側の小さいお地蔵さんも着せて貰って
よかったね。



高島屋さん、そごうさん、ルミネさんの
屋上はどんなところか探検!探検!
最初は、そごうさん。







屋上はヘリポ-トになっています。



総本宮伏見稲荷大社より勧請したもので、
宇賀之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を祀ってあります。
横浜そごう開店にあたり社屋の鎮護と社業の繁栄、
県民市民ご近隣の方々の開運安穏を祈念して祀られました。









Shunsuke Parkがあります。
サッカ-の教室の事務局のようです。







次は、高島屋さん
こども遊園地が併設されています。











最上稲荷。









ルミネさん
初めて、来ました。
同じフロア-に美容室ほか、女性にお気に入り。
木や花が多くて、落ち着いた雰囲気です。
少し狭いけど、いいところです。
横浜駅の真上にこんな静寂なところがあるなんて。
不思議!不思議!











椅子に座って一休み





お花が綺麗。
良く手入れしてあります。
気持ちがいいですね。
朝からゆったりとした気持ちになりました。
ルミネさんありがとう。

















今日は、久しぶりにデパ-トの屋上巡りでした。
でもルミネはいいですね。

僕のブログの目標のひとつが、
「ギョッとする江戸の絵画」に書かれていることで
心に響くものがあります。

「日々の単調な生活のなかに、非日常的な生命観をもたらし、
それによって生命のエネルギ-をよみがえらせるところにある。」






写真を撮るときにいつも非日常的なこととはを感じながら。
でもプロの写真家 「banri」さんに少しでも近づこうと
想いながらブログを書いています。

 banriさん ブログ  http://d.hatena.ne.jp/banriman/

江戸時代の凄さを忘れてはならないと
この本を読んでいて思います。

密教の中の「性」を庶民の中に持ち込む
凄さは、日本人のもっている底力ではないでしょうか。

別冊太陽 「国芳の春画」は、エログロを
庶民のなかに溶け込み、それを受け入れた
江戸時代の庶民の心の豊かさを感じます。

今日より、よりよい明日がきますように。

あれは、あれでよかったのだ」と

清水さんは、3回唱えることが心の浄化になると。

ありがとうございました。





















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冬の三渓園 カモがいっぱいです。

2012-12-29 | 銀杏並木






冬の三渓園は、静かです。
あの紅葉の時期と比べるとうそのようです。

















銀杏の木の葉っぱはすべて落ちました。
来年も楽しみ。











入り口を少し入ったところで
鳥を撮影していました。
すばやいですね。







葉の落ちた木もいい物ですね。



池にはカモが82羽。







左側は、小川が流れています。



ここから下へと流れています。
落ち着いた感じで、風流ですね。



何とか紅葉かな?





今日のもうひとつの目的は、パワ-スポットです。
一昨年、ホロトロピックで瞑想のあとにパワ-スポットでお昼を食べました。

横浜ではここだけだそうです。
少し、高くなったところです。
三渓園の裏門から出てすぐです。





上に立ったら、心臓がどきどき。
久しぶりに来ました。

三渓園の南側は、昔海岸でした。
一の谷、二の谷、三の谷と入り江がありました。













池には、カモが沢山。











昔は、崖の下は海でした。







たまには、静かな午後に三渓園を散策すると
心が洗われます。

昨日、頼んであった本が来ました。
辻 惟雄 「ギョッとする江戸の絵画」。
この中で、「白隠」のことです。
瞑想をやっていると「夜船閑話」(やせんかんな)を一度は読みます。
細川護立(もりたつ)さんは、若い時に結核を患い、
この本を読んで実践したら治ってしまったと言われています。

でも今回は、達磨さんの絵にびっくり。
庶民的な面白い絵です。
改めて、「白隠禅師」さんを見直しました。

でも江戸時代って面白ですね。
日本人の豊かさを感じます。



この本の最初に、
「芸術の持つ重要な機能、ないしは効用のひとつは、
決まり切った日常性の繰り返しのなかに
まどろみながら日々の単調な生活のなかに、
非日常的な生命観をもたらし、それによって
生命のエネルギ-をよみがえらせるところにある。」
高階秀爾氏が言っておられると紹介しています。

すばらしい言葉だと思います。
僕も何とかこの境地になれればと思っています。

今日よりよりよい明日を。

ありがとうございます。









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暮れの馬喰町・横山町の問屋街

2012-12-28 | 銀杏並木


仕事で馬喰町にいました。
落ちついて、見たのは初めてです。
とにかく、安い。











歩道に品物を並べて商売。
でも一般小売りのお店は少ない。

登録制で、登録するには
お店の看板と内部の写真を付けて申し込みます。











特選呉服屋さんで小風呂敷を買いました。
30代の男性店員さんは、
商売熱心と良く勉強しています。

久しぶりにすばらしい人に会いました。
余計なことは言わずに、和服の話をしてくれました。

忙しい世の中に
どこかに忘れてきたことを
想い出させてくれました。

やはり、歴史なのですね。
気持ちが和やかになる会話でした。

たった450円の一枚の小風呂敷で、、
ぼくに心の安らぎを売って下さいました。
「ほんとうに、ありがとう。」





僕は、奥駆け修行の帰りに、
京都駅でバンダナ用のハンケチを買います。
京都も季節によって柄が変わります。











今日は、馬喰町のほんのちょっとのご紹介。

今日より、よりよい明日が来ますように。

ありがとうございます。







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神田川 和泉橋

2012-12-27 | 旅行




神田川にかかる和泉橋。
千代田区教育委員会の案内版から



和泉橋は、藤堂和泉守の屋敷の前にかかるので
その名の由来です。
南岸沿いには、柳を植えた土手が築かれてていたので
このあたりを「柳原」と言います。
下の絵図の右側の橋です。
上の絵図に、土手に植えられた柳が描かれています。




和泉橋のたもとに、防災船着場になっています。







歩道の銀杏の葉っぱは、風が強く吹くと落ちる?





羽を休めていました。
かわいいですね。









秋葉原からの日記でした。
絵図は、「嘉永・慶応 江戸切繪図」 からです。(人文社版)

今日より よりよい明日でありますように。

ありがとうございました。









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旧東海道 平和島の美原通り

2012-12-26 | 銀杏並木






時々、仕事のことで平和島に行きます。
でも、今まで気づかなかった。
旧東海道 美原通り。





「中兵の氷」「親不孝横町」「旧市場通り」などの
案内版があります。

商店街の様子です。



植樹の脇に椅子を兼ねた石が置いてあります。











美原とおりの北側に「美原不動尊」





夜の雰囲気を出しています。
お店も古い感じを。







海苔の問屋「川島屋」さん











ときどき一杯の鰻屋さん





今日の鰻は、小と肝焼き2本に熱燗で1500円でした。

25日の日記でした。

今日よりよりよい明日が来ますように。

ありがとうございました。













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ビジョン・クエストと修験道 

2012-12-25 | 日記
今年の僕の一番、大きな出来事は、
天外伺朗さんのヴィジョン・クエスト
桜本坊の大峯山から前鬼までの奥駆修行
千光寺の奥駆修行 でした。

ヴィジョン・クエスト中は穏やかな3日間でしたが、
その前後は凄かった。
もう2度と遭遇しないと思います。

振り返って 少し写真を入れて再掲いたします。



ヴィジョン・クエストと修験道
 僕にとってのヴィジョン・クエスト(V.Q)は、4月30日から始まった。
でもほんとうは、1月の瞑想断食会で、
Oさんから教わった徳間書店五次元文庫のトム・ブラウン・ジュニアの「ヴィジョン」を
2度も3度も読むことからである。



大げさに言えば本に書かれたことを試したことにより命が助かったのかも知れない。

そして5月本番のV.Qの1週間後の土曜日に、
櫻本坊の住職さんのご子息さんが白血病で若くして亡くなられた本葬での、
参列者の皆さんの溢れる涙の中での出来事は、
僕のV.Qの最後の神さまからメッセ-ジだった。

前行として大峯山戸開けの準備に山上の櫻本坊参籠所に押し掛けた。
近鉄下市口に降り立ち洞川までバスがあるはずが
5月1日からの季節運行で予定が狂う。

やむなくタクシ-で清浄大橋までの出費になった。
女人禁制の門から登拝し、参籠所について30分も経たないうちに雨が降り出した。



着いてすぐ薪割りの手伝い、祭壇の掃除。
翌日は、朝の茶がゆの接待から始まって部屋掃除、部屋ごとの布団の準備に1日が暮れた。

V.Qの3日間をどのようにするのかを考えた末、
不動明王の真言を唱え続けようと考えた。

念珠を一周すると108回で1周ごとに小石を1個置く。

そのために、大峯山寺のお堂の前から120個ほどの小石を拾って来た。
仲間の山伏さんに話したらその石に梵字を書くと良いよと。

3日のV.Qに間に合うようにと、
2日朝6時に雨と風の中、下山を始めた。

山頂の気温は10°これなら何とか下山できる。
仲間の山伏さんが、無事を祈って法螺貝を吹いて送ってくれた。

雨、風が次第に強くなり、慎重に山を下る。
足を滑らせれば谷に落ちる恐怖と戦いながら一歩一歩下る。





洞川茶屋まで来て、洞川か吉野かを迷ったが、
風も少し弱まったので初めの予定通り吉野に下りた。
それが間違いのもとだった。

 風はますます強くなり、「ゴ-」と山鳴りが続く。

一人で黙々と下りる。30m程ある岩場・鞍掛けを
ロ-プを伝って後ろ向きに下りる。

金剛杖を片手に片手はロ-プに。
怖くなるとどうしても体は岩場に這いつくばるようになる。



修行でさんざん教わったように
「崖から体を離せ」との教えを思い出して、
体を崖から離すと足下が見えるようになり、
足場を確保出来て、何とか無事に崖下に降り立てた。

 五番関まで来たら
いつもの谷側の道は崩壊して通れない。

大天井ケ岳に登る羽目になった。
初めての道で途中に水もない、不安がよぎる。

やはり、頂上付近で2,3度道に迷う。
躊躇無く元の道に戻りテ-プの印を探す。

ある時は、ロ-プを頼りに5mぐらい直下に降りる。
もし霧でもあったら探すことは出来ないであろう。

 峯にさしかかると下から吹き上げて来る風に
吹き飛ばされそうになる。
しばらく立ち止まって
風が少し弱くなって歩き出す。

(続きは、10月28日の日記です。)

来年は、お正月早々から修行です。
2日の夜行バスで釜石の先の大槌町まで。
お地蔵さんにお参りします。

寒さの中、山伏姿で勤行です。
雪の上を地下足袋で歩くのも修行です。

今日よりよりよい明日がきますように。

ありがとうございました。
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暮れの横浜港の日の出

2012-12-24 | 日記


昨日(22日)は、久しぶりに冷たい雨の日でした。
マヤの歴で世界が終わり?とうい話が流れましたが
何もなかった。

今朝(23日)は、5時ちょっと過ぎに。
昨日よりは寒くなかったが、地下足袋で
地面の冷たさが伝わってくる。
お正月に岩手に行こうと思っています。
地下足袋で寒さ対策です。

今日は、歩きながら足の指を動かすように歩きました。
法蔵さんから教わったことですが、
指先に血が流れるようにしないと凍傷になる修行をされたとのこと。



伊勢山さんは、初詣の準備万端。









石段もスロ-プに。







県立音楽堂で



朝焼けの前のランドマ-ク・タワ-









クリスマスのクル-ズの案内です。



臨港パ-クで浮き輪を外すと警備委員に自動的に連絡が行きます。



カモさんは相も変わらず。





丁度、朝日が上がってきました。
奥駆修行では、朝日に向かって勤行します。
ネイティブ・アメリカンでも朝日と夕日に
感謝の祈りを捧げます。







そごうの近くですが、
「おはよう!」
良く描かれていますね。





今日よりよりよい明日でありますように。

ありがとうございました。










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東日本大震災からもうじき3年目になります。

2012-12-23 | 銀杏並木
3.11東日本大震災からもうじき3年目になります。
昨年の5月の連休に
山伏姿で相馬や仙台平野、石巻をお経を上げながら勤行しました。





海に近い、公園では櫻が咲いていました。
2ヶ月も経たないけどタンポポが咲いていました。
この木製のすべり台は、被害を受けていませんでした。







でも、お魚さんは津波に打ち上げられていました。
般若心経を一巻。
「大変だったんだね。」と声を掛けました。



あるとき、がれきを片付ける車が来ました。
年配の人が運転していて僕の前でとまりました。
「ペットボトルの水をだして僕に渡そうとしました。」
「大丈夫、ありがとう」
「おじさんは、笑顔で運転を続けました。」



自衛隊の車が来ると立ち止まって
軽い会釈をすると
若い隊員は、敬礼して挨拶してくれました。
すがすがしい顔でした。



松島に向かうときくたびれてバスを待っているとき
若い奈良から来た青年が車を止めて
「お坊さん、どこまで」と

車に乗せて貰いました。
廃車の手続きを仕事にしているそうです。
でも大変なようです。

松島で降ろして貰うときに
彼の背中をなでて元気になるようにと祈りました。

でもうれしいですね。


石巻です。





がこちゃんも元気。



僕たちは負けないぞ。









野口 法蔵さんは、大槌町と吉里吉里町に
51体のお地蔵さんを祀りました。





「お地蔵さまと心の癒し」からです。



NPO法人「@リアスNPOサポ-トセンタ-」が、毎月「キックオフ」を
発刊していることを知りました。
下記がブログのアドレスです。



http://kickoff-rias.com/

仏教のなかに「同事」という言葉があります。
何も出来ないのではなく、同じ苦しみを感ずることが
心を癒すことになります。

清水義久さんのDVDの中に、
「簡単護身法」を紹介しています。
「手からエネルギ-が出る」と3回唱え、
両手をクロスして、脇に親指を除く4本指を挟む。
親指は、鎖骨のところに筋肉に置く。

護身法は、山伏の修行で最初に教わります。
「九字之大事」を唱えて邪気を払う時に
邪気が自分の取り込まないように
「護身法」を唱えます。
これは、口伝で伝えられます。

心のなかで大切な人を思えば、伝わると言います。

震災で苦しんでいる人たちの気持ちを感じて下さい。
その気持ちが伝わると信じて。

「幸せになることを選びます。」と。

清水義久さんの気功術のDVDはお買い得。

http://www.esplink.jp/disp_goods_buy.html?g_id=10354

今日よりよりよい明日でありますように。

ありがとうございました。















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日本大通りの銀杏はお終いです

2012-12-22 | 銀杏並木


日本大通りの銀杏並木や大通り公園は
ほんの少しの葉っぱを残してすべて散りました。







でも不思議に、木によって小さい葉っぱが残っています。

伊勢佐木長者町駅を上がって、
大通り公園の両側の木は、「メタセコイヤ」です。







お正月に向かって、花壇に花が植えられています。







ハト君の百面相







ちょっと雀も



日だまりで













清水義久さんの気功術のDVDをすべて見ました。
大変にユ-モラスで面白かった。
3枚一組で消費税、送料込みで7000円。
でもそれ以上に楽しめます。

幸せになるのに、時間はいらない。
幸せになるのに、理由はいらない。
ゆえに、不幸は間違いに過ぎません。

私は今この瞬間、幸せになることを選びます。


これが、幸せを一足飛びにする大切な言葉です。と

今日よりよりよい明日でありますように。(合掌)

ありがとうございます。






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弘明寺公園の寒櫻が咲いていました。

2012-12-21 | 公園シリ-ズ




弘明寺公園は、京急「弘明寺駅」や弘明寺さんの裏山です。
谷には、横浜市の図書館や市民プ-ルです。





弘明寺さんの裏の駐車場に櫻の大木があります。
横浜市の銘木のひとつです。



公園に入ってすぐに「ねこの手ハウス」。





無農薬の野菜なども扱っています。
地域のボランティア活動が盛んで、
珪藻土工作教室、押し花教室、よちよちエスペラント、吊るし雛など多彩です。











コヒ-、紅茶は、一杯100円です。



お店を出ると





弘明寺公園は丁度、ぐるっと一回り出来るようになっています。
夏には、子供たちが朝早く、かぶと虫探し。

谷には、小運動公園になっています。
6時30分からラジオ体操会です。





公園からランドマ-クタワ-やつばさ橋が見えます。



公園の一番高いところに展望台があります。
その途中に、中里温泉の案内。
竹林で鬱蒼としています。







展望台からは横浜市内が一望です。







数年前、朝は弘明寺公園を5から10周を歩いていました。
ある日、雷が展望台に落ちました。
もう2、3分早かったら雷に打たれていたかも知れません。

奥駆け修行のために1000日の目標を起てて、最後に満行しました。
今は、三嶋大社に変更。
弘明寺公園さんとはご無沙汰です。



階段を下ると京急弘明寺駅です。





弘明寺さんの山門に寒櫻が咲いていました。









今日よりよりよい明日でありますように。

ありがとうございました。






















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神奈川の反町公園

2012-12-20 | 公園シリ-ズ


この公園は、昭和24年に
日米貿易博覧会が行われた場所です。
博覧会は、野毛と反町で行われました。

僕が、小学生の頃、親父が野毛にお店を出しました。
学校が終わると野毛山に出かけました。
勿論、入場料がないので塀の隙間から入ったものです。

記憶にあるのは、

テレビの実験放送。
「ひらけゴマ」で開く岩の扉。
リレイ式計算機。

実演では、火を吹く人なのでした。

毎日見ていても楽しかった。



その後、市役所が建てられ昭和38年に反町公園になりました。
市役所にも親父と一緒に行ったことをうる覚え。
何で行ったのかなあ・・・

反町公園の所に大正震災の復興で造るられた橋があります。
境橋です。









大岡川の源流を訪ねた時でも
古くても昭和30年代ですので
よく今まで残っていたかと思うと感動します。





北側の方は、少し高くなっていて木が植えてあります。
孫は、1才8ヶ月。
彼女は、緩やかな坂を上ったり下ったりを
バランスを取りながら楽しんでいます。

公園を作った人は、子供の様子を考えていたのかなあ。

公園の中に、彫刻があります。





オブジェの噴水は、水が止まっていました。



博覧会の演芸場は、スケ-トリンクになりました。

外壁に開港150周年記念の壁画が描いてあります。
小・中・高校性84名で西森 禎子さんの指導のもとに描いたものです。

テ-マは「誕生・今・そして未来」です。







神奈川宿歴史の道を探索すると立ち寄って休むに最適な場所。

今日よりよりよい明日が来ますように。

ありがとうございます。






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横浜馬車道のひととき。

2012-12-19 | 旅行


JR関内駅は右側 2,3分のところ。







横浜馬車道は、関内駅から少し北に行ったところ始まります。
海に向かっての道で、アイスクリ-ムの発祥の地。
馬車道は、ブラントンにより設計された近代街路樹です。
ブラントンは、横浜平和公園も設計しています。





アイスクリーム発祥記念彫像 「太陽の母子像」





吉田橋を西に行くと伊勢佐木町の商店街に行きます。
吉田橋は、日本最初の鉄の橋です。
橋の下は、川ではなく高速道路です。

僕の古い記憶では、橋のたもとにビルが立っていて
橋の手すりは、御影石か何かの石であったような気がします。











明治5年に馬車道にガス燈がともされました。



日本初として
①アイスクリ-ム 明治2年 
 「町田房蔵」が馬車道で開いた「氷水屋」で販売したものが初めて。
 「アイスクリン」という名称で、一人前2分(約8000円)
 アイスクリ-ムの日は、5月9日です。

②ガス灯 明治5年
  高島嘉右衛門が、県庁付近と大江橋から馬車道、本町通りに十数基を点灯。



③近代街路樹 慶応3年
  馬車道に通りに沿って柳や松。
  今は、柳も松も見当たりません。

④日刊新聞・乗り合い馬車 明治2,3年

古い建物としては、横浜正金銀行 旧生糸検査所 旧川崎銀行 横浜指路教会などがあります。



どうも「はまっ子」は、
新しもの好きで皆と横並びを毛嫌いするところがありますね。


下岡蓮杖顕彰碑  1862 横浜に写真館を開く

昔といっても今から半世紀前に馬をよく見かけました





誰かがここに運んだのでしょうね。
昔、磯子の八幡橋のたもとで見た記憶があります。

港みらいに向かって歩いているとお店に
お地蔵さんが祀ってありました。





野口法蔵師は、3.11の震災地に
人たちの幸せを祈ってお地蔵さんを祀りました。



「地蔵和讃は、その叡知を誰にでもわかるような言葉と
スト-リ-で表現した、きわめてすぐれた癒しの賛歌であると
言えるでしょう。」と法蔵さんは、解説しています。

僕は、お地蔵さんはよく見るし拝みますが、
「賽の河原地蔵和讃」は初めてです。
でも、この本を読んで本当のお地蔵さまを改めて知りました。

あとがきに代えてに、
「心の復興は、行政や医療やボランティアができることではありません。
その人の心を立て直すことができるのは、その人以外にはありません。
心の復興は、おのおのが自分の心に取り組む以外にないのです。」
と法蔵さんが、おっしゃっています。

岩手県大迫町の人たちは、51体のお地蔵さん
にどれだけ癒されているか知れません。

本の中の紹介です。

「私たちは、お地蔵さまがあって幸せだ」
と大きな声で言う人もおります。

 それから震災後、お地蔵さまが身代わりになって助かったという人もいました。

お地蔵さまの脇で洗濯を干していた女性が、
飛び込んできた車に撥ねられそうになったそうです。

車は鉄の案内板のポールをねじ曲げ、
地蔵菩薩の屋根を壊し、
地蔵菩薩にあたって方向を変え、
女性の脇をすぐかすめて、
下の家の倉庫にぶっかって止まったそうです。

それでも、誰もけがをせず、
そしてお地蔵さまもかすりきず一つおわなかったというのです。

それ以降、その地の地蔵尊は身代わり地蔵として、
信仰を集めているということで、
助かった人は毎日、
三種類の違うお茶をあげて、
供養していると言っていました。

ぜひお読みいただければ幸いです。

今日よりよい明日がきますように

ありがとうございます。














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コサギは、真っ白で可愛いですね。

2012-12-18 | 日記
JR本郷台駅から南へ5分ほどのところに
「いたち川」が流れています。

横浜市の南西の外れです。もう少し西に行くと鎌倉になります。
名の由来は、鎌倉街道の出立点としての「いでたち」からと言われている。

親水公園や河川沿いの遊歩道など整備されて、
多自然型河川の整備の草分けとなりました。

13日に丁度通りかかりました。

城山橋から下流に10羽ほどのコサギが
羽を休めていました。









真っ白で綺麗ですね。











紅葉と対比するとその白さにびっくりします。



今日よりよりよい明日を。

ありがとうございます。



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