今日は大晦日。何とか一日も休まずに大晦日を迎えることができました。
常日頃、ブログを読んで下させる方のおかげだと思っています。
一年の締めくくりに清水義久さんのセミナ-のエッセンスを
「私はあなた あなたは私」から転載しました。
講義での話は、この文章の通りです。
像の鼻テラスで催し物がありました。
ビニ-ルの奮戦に子供達が色づけしていました。
いろいろな味のチョコレ-ト
ありがとうございました。
清水義久著 「私はあなた あなたは私」から
少し長い文章ですが、なかなか味のある文章です。
「過去編」あれはあれでよかったのだ
その不幸はここにない。
私を苦しめるすべての不幸は、今ここにありません。
それは私の記憶の中にあるだけ。
今、この場所にはない。
一秒前までのことは、すべて終わった出来事です。
すでに終わった出来事のすべては、過去になり、現実ではないのです。
それは、デ-タに過ぎないのです。
過去のすべては、すでに現実にはありません。
現実に存在しないものならば、良いも悪いも関係ない。
なぜなら、無いのだから。
今ここに無いものは、どう評価しようが、
どう解釈しようが、本当は私の自由だ。
なぜなら、ここに無い。
デ-タにすぎないのだから。
私はいままでこのデ-タをそのまま受け取ってきた。
苦しいこと。嫌なこと。それがあたかも現実であるかのように。
本当は、リアルじゃない。今、この場所には無いのだ。
その無いはずの何かのことで、誰かのことで、私は苦しんでいる。
すでに無いもので、ことさら苦しむ必要はない。
もう終わったものならば、どう考えようが、私の自由だ。
なぜなら、私のデ-タだから。
それは私の記憶というデ-タだから。
それは、私の記憶というデ-タだから。
戦略的に生きてみよう。
私を幸せにしないすべてのデ-タは、この先私は必要ない。
私を苦しめるもの、私を悲しめるもの、私をいらだたせるもの、
そういうすべてのことは、私に必要がない。
私に必要なデ-タは、私を豊かにするもの。
私を安心させるもの。
私を励ましてくれるもの。
私を成功させるもの。
私を守り育てるもの。
こういった、幸せなものを選びたい。
だから「あれはあれでよかったのだ」を選ぼう。
私を苦しめるデ-タは、「あれはあれでよかったのだ」と上書きして、
置いておこう。
そして、もう開かなければいい。
そんなものは、あらためて見たり感じたりする必要はないのだ。
すべての不幸は、あなたを幸せにしないのだから。
忘れられなくてもいい。消せなくてもいい。
「あれはあれでよかったのだ」というファイルにいれ、
もう見なければいいだけだ。
「あれはあれでよかったのだ」から見る必要がないだろう?
これからつらいこと嫌なことが起きたら、
あとで、そのことを思い出したときに、
「あれはあれでよかったのだ」と自分に言ってあげよう。
自分に対して。
戦略的に生きるのだ。
そういう私が、ここにいる。
私は、ここにいます。
過去の不幸のこと一切に対して
「あれはあれでよかったのだ」
「あれはあれでよかったのだ」
「あれはあれでよかったのだ」