ホロトロピックワ-ルドin名古屋が、11月3日にありました。
午前10時半から天外伺朗さんのタントラ瞑想でした。
地下鉄の上が大通り公園になっています。
会場は、野沢屋の後の国際デザンセンタ-でした。
タントラ瞑想では、椅子に座って丸くなります。
男女交互に座ります。
お互いに手を載せて円陣になります。
天外さんが隣の人の手を握ったらその人はさらにその隣の人の手を握ります。
そうしてエネルギ-を伝えて行きます。
最初は、自由発声の声で次に沈黙の瞑想を行いました。
タントラ瞑想についての天外さんの解説がありました。
1時間ほどで終わり昼食。
13時半から講演会でした。
最初は、口羽秀典和尚さんの「日本の運命と廃仏毀釈」のお話。
和尚さんは、いろいろな資料を皆さんに配布されました。
名古屋の古くからの会員の加藤さんの司会で始まりました。
その1 その中からひとつ二つを紹介します。
・宝歴治水(木曽川・長良川・揖斐川)の治水工事をされた薩摩義士 平田 靱負(ゆきえ)の話。
・2012.7.23日の太陽フレア-で1週間前にずれていれば地球が大変なことになっていたとの新聞記事。
・村上和雄先生のサムシング・グレ-ドの新聞のコラム記事。
・曼荼羅の絵
・勿論、施餓鬼供養で「宇宙銀行-仏様の銀行-に貯金の仕方」などなど。
一番大切な光明真言のこと。
・「津波と観音」の本の紹介の記事・・・・早速注文しました。
愛知県豊橋市・大岩寺の千手観音が、岡山藩主池田綱政の夢枕で津波を告げた話。
・江の川の鮭を守る「NPO法人江の川鮭の会」の理事長をされています。
その2
セドナのポピ族に招かれて大供養をしてきた話。
日本に原爆を落としたとき、ポピの予言で日本に最初に原爆が落とされることが書かれてあり、
その原爆を造るためにアパッチ族にウランを掘らせたが、放射能で沢山のインディアンが
亡くなった。その供養に行かれたそうです。
一般にネイテイブ・アメリカンと書きますが口羽和尚さんの考えで書きます。
はちまきに日の丸を書き、法螺貝を奉納したそうです。
始めて聞きましたが、法螺貝を奉納することは般若心経を千巻唱えると同じだそうです。
白人の虐殺で沢山のインデイアンが亡くなったそうですが、アイヌも大和民族に
騙され、毒殺され虐殺されたそうです。
最後に、口羽和尚さんの「イヨマンテの夜」を歌って下さいました。
この歌には、人間と動物の心のつながりがある悲しい歌です。
wikipedia から
冬の終わりに、まだ穴で冬眠しているヒグマを狩る猟を行う。冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが(その際前述のカムイ・ホプニレを行う)、小熊は集落に連れ帰って育てる。最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移すが、やはり上等の食事を与える。1年か2年ほど育てた後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、丸太の間で首を挟んでヒグマをし、解体してその肉を人々にふるまう。
宗教的には、ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイを1、2年間大切にもてなした後、見送りの宴を行って神々の世界にお帰り頂くものと解釈している[2]。ヒグマをして得られた肉や毛皮は、もてなしの礼としてカムイが置いて行った置き土産であり、皆でありがたく頂くというわけである。地上で大切にされた熊のカムイは、天界に帰った後も再度肉と毛皮を土産に携え、人間界を訪れる。さらに人間界の素晴らしさを伝え聞いたほかの神々も、肉や毛皮とともに人間界を訪れる。こうして村は豊猟に恵まれるのである。熊の再訪を願うために、人間からの土産としてイナウやトノト(濁酒)、シト(団子)を大量に捧げる。イオマンテの宴で語るユーカラは、佳境に入ったところでわざと中断する。神が続きを聞きたがり、再訪することを狙うのである。
その3
実際に施餓鬼供養について説明してくださいまいした。
おむすびと甘茶が喜ばれるそうです。
甘茶を注いでいるところです。
女川では、地蔵流しの供養もされたそうです。
水に溶ける紙にお地蔵さんが描かれており、
それを海に流します。
漁師さんは、今まで経験したことの凪だったそうです。
その上、大漁でした。
口羽秀典和尚さんの先生で鏑射寺の山主中村公大阿闍梨さんが、
昔、北海道で不漁で町が成り立たなくなりそうになり、中村公さんに
相談したそうです。
「海流を替えれば良いではないか」と。
中村公さんは、地蔵流しをしたらまた魚が捕れるようになったとの話。
その4
明治の廃仏毀釈の話では、
雲照律師さんの話です。テ-ブルの上の写真は、雲照律師さんです。
明治時代には、沢山の修験者が殺害されたと言います。
コトバンクから
真言宗の僧。仁和寺三十三世。大僧正。出雲生。姓は渡辺、字は大雄。高野山に学ぶ。明治維新に伴う廃仏毀釈に際して仏教復興に奔走、また慈雲尊者が提唱した十善戒の戒律運動の普及につとめた。明治時代を通じて仏教界第一の傑僧と称せられる。明治42年(1909)寂、83才。
最後にイヨマンテの歌を聞かせて下さいました。
口羽秀典和尚さんのエネルギ-がひしひしと伝わってきます。
剱山で施餓鬼供養に祈らせていただき、箱根勤行で箱根湯元の早川や
朝の運動で、大岡川のお地蔵さんでささやかな供養をさせていただいています。
今日のお話を伺っていて僕の行っていることはあまりにもささやか過ぎますね。
来年は、ホロトロピックで口羽秀典さんに出雲に連れて行っていただけるそうです。
楽しみですね。
ありがとうございました。