麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第245回)

2010-10-16 14:56:02 | Weblog
10月16日



「恋のはじめ・続あるいは前半」


その女をはじめて見た時、口の中に甘酸っぱい唾液が込み上げてきた。上司である編集長のAと打ち合わせをしている時で、女は突然、Aのデスクの横に立っている僕とデスクについている彼のあいだに割って入った。その時、女の体臭がした。「いきなりくるんじゃないよ。馬鹿。打ち合わせ中だぞ」。Aは言った。非難してはいるが、本当に気分を害しているのではないことがはっきりわかる口調で。「すみませーん」。若い女だから許されている、ということを知り抜いています、ということを表明する儀式的な甘い口調。僕の顔は自然曇った。というのは、女が常に自分の価値を計算し、たくましく世の中を渡っていく、その姿勢、そしてそれが、結局その女のためでも誰のためでもなく、女がやがて子どもを産み、本能の満足を得るために組み込まれた姿勢であり、初めからできあがった回路に電気を流すのと同じことであり、そのことで誰が得するわけでもない、自然の摂理が成就されるだけなのだとわかる時には、いつも憂鬱になったから。しかし、その気分とは別に、僕自身の本能も動き出していた。なぜなら、その女の体臭が、たぶん、本人も気づかず、誰に向けるでもなく、自分という個体を、やがて滅び行く個体を生殖という再生行為で保とうとさせるために準備された動物のシステムが発したにおいが、人間の空しさを客観的に透視し、生物としては、マイナスの認識を得ているいまの僕の体の中に、理性による認識とはまったくべつの反応を呼び起こしていたから。



とてもまずいことになった、と陽一は思った。
俺はあの女とやりたいらしい。だが。
だが、という音のない言葉が、コーヒーを飲むためにわずかに開いた口からカップの中へ滑り込んだ。一口だけすすると、砂糖も入れていないのに甘い味がした。
ほらみろ。もう、周りの世界が変化し始めている。これから、もっとひどくなっていくぞ。この馬鹿。
心の中で自分を罵りながらも、陽一は、自分の唇がかすかに微笑んでいることを、それに、ひょっとすると、目も輝いているかもしれないことを知っていた。店にはほかに客がいなかった。それでも陽一は手放しで喜びの表情をしているのが恥ずかしくなって、どこにもいない誰かに向けて背中を曲げ、テーブルにひじを突いて右手で頭を抱え、悩んでいるような演技をして見せた。
もうわかっているはずじゃないか。いい年をして。しかも相手は自分よりかなり年下だし、ひょっとすると上司の愛人かもしれないというのに。


コメント
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