麻里布栄の生活と意見

小説『風景をまきとる人』の作者・麻里布栄の生活と意見、加えて短編小説。

生活と意見 (第839回)

2024-03-17 00:12:33 | Weblog
3月17日

角川ソフィア文庫、ビギナーズクラシックス中国の古典「西遊記」を読みました。とてもおもしろかったです。続けて「水滸伝」を読んでいますが、こちらもいい。とくに、水滸伝は、解説がわかりやすくてすばらしい。ぜひ読んでみてください。
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生活と意見 (第838回)

2024-02-17 18:55:34 | Weblog
2月17日

中公文庫の新刊(といっても先月)「バルザック」(シュテファン・ツヴァイク/水野亮訳)を読んでいます。バルザックの評伝です。ものすごくおもしろい。もうひとつの「幻滅」を読んでいるみたいです。以前からバルザックの、マザコン的年上の女好きには共感できなかったし、今回事実を詳細に知るとますます自分には理解できないと感じるのですが、そういう女性が若い無名作家に与えることのできる安心感こそ、若い自分にはまったく欠けていたものだと、いまになると身に染みてわかりました。もちろん、こんな世界的天才と無能な自分を比べても意味もなにもありませんが。また、これを読むと、ヘンリー・ミラーを思い出しますね。やはり二人は似ていると思います。バルザックは、若いころ、私の感じとった雰囲気からすると、日本の貸本マンガ隆盛時代になんでもいいから描いて儲けた貸本マンガ家みたいに小説を書きなぐり、ヘンリー・ミラーは食うためにポルノ小説を書いていた。なのに、二人とも本質では堕落することなく大作家になった。すごい。

ところで、いまこの評伝もkindle版で読んでいて、また、「幻滅」をはじめとする数編も(「ゴリオ爺さん」はポケットマスターピースで読みましたが)kindleで読みました。また、バルザックの作品はいまも続々と電子化されていて読みやすくなっています。なのに、ヘンリー・ミラーは「南回帰線」と「マルーシの巨像」ぐらいしか電子化されていない。そんなに人気がないのでしょうか。せめて「薔薇色の十字架」三部作だけでも電子化してもらえないでしょうか。

変な着地点になりましたが、「バルザック」、最高です。ぜひ読んでみてください。

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生活と意見 (第837回)

2024-02-04 17:59:26 | Weblog
2月4日

河出文庫で、柴田元幸訳の「ナイン・ストーリーズ」が出ています。
単行本も、そのあとマイナー文庫化されたときも買いましたが、今回も買いました。
さすがに、ほとんどの作品は、野崎訳よりすっきりしていいと思いますが、「エズメに、愛と悲惨をこめて」(野崎訳では「エズミに捧ぐ」)だけは、野崎訳のほうが好きです。それも、ほかのところはどちらでもいいのですが、最後近くのチャールズの手紙の訳は、「ハローハロー~」より、「こんにちは こんにちは こんにちは~アイとセップンをおくります」のほうがいいと感じます。初読のとき、ここで胸がいっぱいになりました。

もう今年もひと月終わりました。早いですね。とりあえず、原稿は書いていて、老いた脳が疲れを感じているのがわかります。若いときに、編集をやめて書くべきだったかもしれませんが、そのころはそのころで認識の途上だったから軸がぶれ、そのぶれを人に悟られないように強がったことを書いたりして、きっとダメだったろうと思います。いまがいいのですが、やはり体力は苦しいですね。うまくいかないものです。
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生活と意見 (第836回)

2024-01-27 15:29:02 | Weblog
1月27日

休みにはずっと原稿を書いていて、なかなか更新できませんでした。
角川文庫から、「老人と海」の新訳が出ました。期待して読み始めたのですが、途中でやめてしまいました。「少年」を「若者」に変える解釈は納得がいくし、全体の雰囲気は悪くないと思うのですが、若者が老人を「じいちゃん」と呼ぶのがどうもしっくりきませんでした。
ちくま文庫「ヘミングウェイ短編集」で、「殺し屋」「敗れざる者」を読みました。こちらは最高。


原稿を書いていると本当にわれを忘れてほかになにもできなくなります。
それが自分にはもっとも幸せな時間です。

書き終えることができるかどうかわかりませんが、途中で死んでも、もうそれでよかったと思えることでしょう。また書きます。
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生活と意見 (第835回)

2023-12-31 10:53:30 | Weblog
12月31日

なんとか引っ越しが終わりました。同時に本当の終活がはじまった、という感じです。

更新ができなかった間、読むことと書くことについて、いくつか小事件がありました。まず読むことについて。

ヘミングウェイ「日はまた昇る」(ハヤカワ文庫)を再読しました。作品としては六回目(旧新潮文庫のあと角川の単行本、それが文庫化された現新潮文庫、そのあと旺文社文庫の守屋陽一訳、続いてハヤカワ版)の読書です。以前より、なお一層感動しました。作者については、こんなものを二十代半ばで書けるなんて信じられない、とあらためて天才を感じました。また、訳書としては、たぶん、いろいろな研究が反映されてディテールの正確さが増しており、なおかつ現代の日本語としてうまく訳されていると前回以上に感じました。ぜひ、一度、この版で読んでみてほしいと思います。

書くことについて。これも、「読む」からはじまるのですが、五年ぶりにキンドル(ハード)を買いました。前のものが第四世代、今回のものが十一世代ということらしいです。画面が大きくなって軽くなっています。8.6インチなので、ほぼ文庫と同じように読めて、改ページもスムーズ。漫画も読みやすい。で、さっそく拙作「風景をまきとる人」と「地球の思い出」を読んでみました。フォントを標準にすると、本当に文庫本が中に納まっているような感じで読めて快適です。これから、できれば新作も含めて、テーマごとにキンドル版としてまとめたいと思っているのですが、仕上がりがこんなにきれいになるのなら、とやる気がわきました。その気分が冷めないうちに、自分だけの仕事を進めたい、と思ったことでした。

もうひとつ「読む」について。岩波文庫の新刊、ボルヘス「シェイクスピアの記憶」を読みました。とてもよかったです。実は、元の部屋を片付けに行く途中、電車で寝てしまって(正直、ものすごく疲れています)、該当駅ではっと目覚めて下りたのはよかったのですが、そのとき手にしていたこの本を車内に忘れました。一度は「縁がなかったな」とあきらめたのですが、翌日駅に電話してみると終電後の点検時に拾われたとのこと。数日後、忘れ物センターで再会できました。小学生のころ、授業中に消しゴムを天井に向かって投げ、取り、「この消しゴムは、いま天井に行って帰ってきた消しゴムだ」と考えることで、こことは違う現実に触れる自由さを感じて(いまこれ以上説明する気になれません)いました。それと同様に、おそらく終点まで何往復かし、ふと手にして開いた人の興味もひかないままもう一度投げ出され、夜に駅員さんにピックアップされるまで静かに横になっていたこの本は、引っ越し、転出転入手続き、不動産屋さんとのやり取り、仕事、など、生きることにがんじがらめになっている自分に、「本当はすべてどうでもいいんだ」という自由さを感じさせてくれました。

なかでも「パラケルススの薔薇」が、心にしみとおりました。

あ、そうだ。今回、ヘミングウェイとボルヘスが同い年ということを知り、なにか驚きました。まるで日なたと日陰みたいな二人。でもその両方が私には必要です。

純粋な宣伝もひとつ。キンドル版「風景をまきとる人」を読んでみてください。退屈になったら途中で投げ出して、でもいつか続きを読んでみてください。

よいお年を。
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再掲

2023-12-13 23:41:54 | Weblog
雑文を書く余裕もないので。再掲三つ。
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風景をまきとる人(短編)

2023-12-13 23:39:25 | Weblog
 夜道の散歩は気持ちがいい。
 特に、水銀灯の冷たい光の中に、作りもののような桜の花びらが浮き立って見える、春の並木道なら最高だ。
 その道の途中には、いったいどこまで伸びているのかわからないくらいに高い赤レンガ造りの病院がある。
 月は三日月がいい。
 空は群青色がいい。
 もちろん、自分以外には誰もいない。
 理想的な風景にするなら、道はずっと向こうまでまっすぐに続き、その彼方の中空にはドッジボールくらいの大きさの惑星が浮かんで見えているべきだ。
 そして、その惑星が、生物の死滅してしまった地球であるならなおすばらしい。
 核分裂よりも大きなエネルギーを持った快感が僕をバラバラにしてくれることだろう。
 ――夢の中で、僕は、そんな風景の中を歩いていた。
 歌が自然に飛び出す。
 他に音をたてるものは何もないので、僕の歌声は宇宙中に響く。
 夜の壁がびりびりとふるえる。
 (ということは、夜はくもりガラスなのか?)
 その音が、僕の傷ついた鼓膜をつらくしたので、今度は口笛を吹いた。
 すると、夜が、ぴーんと張りつめるのが感じられた。
 (ということは、夜はセロハンなのか?)
 病院の建て物を右手に見ながら、僕が新しい曲を吹き始めようとした時、後の方でカサコソ音がした。
 ふりむいてみたが誰もいない。
 僕は再び前へ進もうとした。
 すると、やはり後でカサコソ音がする。
 が、すぐにふりむくと、どうせまた逃げられると思ったので、今度は心の中で、
「僕はふりむかない」
 と呟きながら、ゆっくりふりむいた。
 そのとたん、
「ひきょうもの!」
 と、すごく大きな声が宇宙中に響いた。
 その声の主は、僕の背後の風景を、絨毯をまくように、きれいにまきとっている大きな人だった。
「見られたからには生かしておけぬ」
 大きな人はそう言うと、風景といっしょに僕をまきとり始めた。
 ペラペラになってまきとられてゆく僕の目に風景はとてもおもしろく見える。
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彼の青春

2023-12-13 23:35:36 | Weblog
 彼は美しくない青年だった。どれくらいそうかといえば、およそ下位五分の一に入るくらいだろう。少なくとも自分自身では、そう感じていた。
 だから、彼は自分には存在意義がないのだと感じていた。
 ――いったい、美しくない青年に生きる意味があるだろうか?
 この、若さという難所を越え、だらだらと生きていれば、彼にも少しの財力ができ、そうすれば使い道も出てくるかもしれない。
 女性はいい。若い女性は、たとえ美しくなくても、すでに自分のエネルギーの衰えを感じた中年や老年の男からすれば、つねに意味がある。
 もし、美しくない青年に意味があるとすれば、それは、父親の財力のおかげで「育ちがいい」「金持ちである」という場合だけだろう。
 貧しい家に生まれた美しくない青年に、いったいどんな意味があるというのか? なにもない。
 彼には、そのことがよくわかっていた。
 大学の教室に入っていくとき、クラスの女の子の目が、さっとこちらを向く。本能的に品定めをせずにはおけない若い彼女たちの目が、すぐに、「何の意味もない男」と、彼に対して答えを出し、そらされるのを彼は何度感じたことだろう。
 それは、電車やバスの中、サークルの部室などでも同じことだった。

 彼は自分の醜さを知っていたので、服装や髪型に気を使ったことが一度もなかった。
 第一、鏡を見るのが耐えられなかった。たかが髪を撫でつけようとするのさえ、「おまえはそんなどうしようもない容姿なのに、髪を撫でつけるのか」と、自分で自分を非難せずにはいられなかった。
 また、とうとう破れてしまった、何年も着古したシャツを買い換えようと、安物売りの店に入っていくだけで、「おまえは服を買うのか? そんな容姿のくせに」という思いがこみ上げてきて恥ずかしさで赤面し、結局何も見ることができずに出てくるのだった。

 彼は、当然、どんな女性とも触れ合ったことがなかった。大学時代、女性と会話をしたのは、一度きりだった。
 それは、ほとんど出向くことのなかったサークル(映画研究会)の部室でのことで、たまたまある女の子とふたりきりになったときだった。
 会話といっても、ただ彼はそのとき、自分の好きな古い映画について、聞かれるままにひとりごとを言っただけだった。
 その女の子は彼を映画に誘った。
 待ち合わせをして、ふたりは映画に行った。
 彼はまったく緊張などしなかった。というのも、彼は、彼女が自分に特別な好意を抱くなどということは、まったくありえないとわかっていたからだ。それが当然であり、そんな彼女に対して、もし自分がほんの少しでも彼女を特別に意識などしてしまったら、それはなにより彼女に悪いことをすることになる。そう思った。
 彼女はそのとき、恋人と別れたばかりで、そういうときの女の子がなりがちな、「誰でもいいから一緒にいたい」というような気持ちがあった。しかし、そこからまた、彼を好きになる可能性もゼロではなかったことだろう。
 古いラブストーリーだったので、女の子はなんとなく非日常的な気分になり、ほんの少し、隣の座席の彼のほうへ体を近づけてみた。
 とたんに彼は彼女をはねのけ、
「バカにしないでください」
 と言った。
 「誰でもいいと思っている気持ちがばれたかな」と、彼女は一瞬考えたが、そんなところまで、まだ自分のことを彼に話してはいないはずだ。
 彼は、彼女にからかわれたと思っていた。自分のような男に、異性が少しでも好意を持つわけがないというのは、彼にとって、三角形の内角の和は180度であるということと同じ定理だったから、そのうえで、彼女がこんなことをする理由は、自分の醜さをバカにし、からかっている以外ないと結論したからだ。彼はふいに席を立ち、映画館を出た。くやし涙がぽろぽろと出た。

 しばらくすると、彼女は、同じサークルの中に新しい恋人を見つけた。
 相手は美しいというほどではなかったが、上位三分の一くらいに入る容姿の男だった。
 ベッドの中で、彼女は、醜い青年とのことを恋人に話した。
「あいつは頭がおかしいよ」
 と、恋人は言った。そのひとことで、彼女の復讐心と自尊心は満たされた。

 青年は、ふたりが仲よくキャンパスを歩くのを見かけた。そうして安心し、心の中でこうつぶやいた。
 ――彼女がなぜあのとき僕をバカにしようと思ったのかはわからない。だが、それがきっと女性特有の残酷さというものなのだ。
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古典風

2023-12-13 23:26:29 | Weblog
こもよ。こもこもこもこ。私のあそこはおまえを見るともこもこだ。

さあ、おまえの欠損部分に俺の過剰部分を差し入れて生み出そう。

なにを?

世界を。

またか。股か。また書くのか。股掻くのか。いい気持ちになろうっちゅうのか。
そこ、下品。消して。

なにを?

世界のスイッチを。

もういいだろう。みんな満足してる。やる? やらない? うっそー。まじまじまじ。ひどーい。さいてー。やりてー。もう最高ッス。

日本語なんかいるかよ。こんなくそみたいな概念しかないのに。

そこ、じゃま。消えて。

なにが?

人間ども。

今日は、暖かかった。ということは冬か。季語を見つけなければ。たらちねの。しだりおの。はらわた凍る夜や下痢便。

なんだ。恥ずかしがっているのか。馬鹿者。もう何処にもいなくなった馬鹿者よ。
あああれだ。伝統にのっとれば、いとものぐるおしけれ。見つかった。

なにが?

書き出しが。それは精液と溶け合った押し入れの中の闇だ。
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生活と意見 (第834回)

2023-12-02 17:37:51 | Weblog
12月2日

夏に読んでいた、フォークナー「野生の棕櫚」が、加島祥造さんの訳で中公文庫から出ました。約60年ぶりの文庫化です。詳細を書いたか忘れましたが、私は新潮リバイバルの大久保訳で読んで途中でどうしても意味がとれないところが出てきたので、全集の古本を手に入れて読み切りました。今回の訳は、1978年の学研世界文学全集のもの。全集版よりいいのは、会話で、女性がどんな男性にも敬語を使うという昔の日本の悪しき習慣が訳文から完全に消えていることです。より自然に読めます。これも書いたかどうか忘れましたが、「八月の光」を三分の二まで読んだけど、あまりにつまらなくて読むのをやめました。クリスマスという人物に興味も共感も持てなかったです。まだ、「響きと怒り」のほうがいいと思いました。たぶん、やっぱりフォークナーは私にはあまり縁のない作家なんだと思います。でも、「野生の棕櫚」は別で、なにかすごく惹かれます。いまももう、加島訳で再読を始めているくらいなので本当に好きなんだと思います。ぜひ、読んでみてください。
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