尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

鹿島茂のフランス本を読む

2015年11月21日 00時16分27秒 | 〃 (外国文学)
 ちょっと前に読んだ本だけど、鹿島茂(1949~)のフランス、というかパリに関する本を紹介。鹿島茂はいろいろな分野の本をたくさん書いている人で、歴史、映画、ファッションなど関心領域が広い。古書収集家でもあるけど、関連のポスターや衣装なども集めていて、展覧会まで開かれた。僕は見に行ったことがある。「渋沢栄一」という分厚い文庫本2冊も持っているが、それは読んでない。「吉本隆明1968」(平凡社新書)という本もあるけど、こっちは持ってない。

 デビュー作は「「レ・ミゼラブル」百六景」(1987)だけど買ってない。90年代に入ると怒涛のごとく本を出し続けて、軽い本や翻訳まで入れると100冊を超えているようだ。僕は91年に出た「馬車が買いたい」(白水社)の書評を読んで無性に読みたくなって、夢中で読んだ思い出がある。だけど、単行本を買ったのはその一冊のみ。そこまでフランス文学やパリのさまざまに関心はないよという感じでずっとスルーしてきた。だけど、読み始めると途中で止められないほど面白い。本屋で持ってない本を買い集めて読んでしまった。それらのパリ本は後回しにして、まずは歴史と映画から。
 
 「怪帝ナポレオン三世」は講談社学術文庫に入っていて、文庫化された2010年に買っておいた。1650円もする厚い本だけど、当時は授業に関連するかもといった気持だったのか。この本はかの「偉大な皇帝の凡庸な甥」に関する「バカ説」を徹頭徹尾検討して否定しつくした本で、快著であり怪著でもある。裏表紙から引けば「近現代史の分水点はナポレオン三世と第二帝政にある。『博覧会的』なるものが、産業資本主義へと発展し、パリ改造が美しき都を生み出したのだ」。ナポレオン三世の陰謀家時代から検討し、ある種「成功したただ一人の空想的社会主義者」だったと位置付ける。パリ市長に抜てきしたオスマンによるパリ大改造なくして、現代のパリはなかった。著者によると、歴史系の人はマルクスの言説に影響され過ぎて、ついナポレオン三世を軽視してしまうのだと。言われてみると、僕もかの名著「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」を通して見ていたと思う。

 中公文庫に入っている「昭和怪優伝」は、若き日に見まくっていた映画に関する本で、60年代、70年代頃の脇役的人物を取り上げている。名前だけ挙げておくと、荒木一郎、ジェリー藤尾、岸田森、佐々木孝丸、伊藤雄之助、天知茂、吉沢健、三原葉子、川地民夫、芹明香、渡瀬恒彦、成田三樹夫の12人。書きだすと長くなるから細かいことは書かない。岸田森、天知茂、成田三樹夫なんかは、この手の本には欠かせない常連だと思うけど、吉沢健が出ているのがうれしい。三原葉子や芹明香も、この顔触れの中では納得できる選択だが、僕個人は三原葉子は世代的にほぼ知らない。でも芹明香はすごかった。僕は浜村純とか角梨枝子も入れたいけど、知らない人に意味ないからヤメ。

 パリ本は山のようにあって、一度読みだすと止められない。こういう文学的、歴史的な都市うんちく本が大好きなのである。日本でも江戸、東京に関するうんちくが好きで、よく読む。それ以上に映画や温泉に関するトリビア情報が好きで、ずいぶん読んでる。ここで披露する意味もないから書いてないけど。だから「文学的パリガイド」や「パリの異邦人」は特に面白い。後者はパリに来た外国人のエピソード集で、ヘミングウェイやヘンリー・ミラーなんかの他、アンデルセン、カサノヴァ、レーニン、ケルアックと多士済々で実に興味深い。「クロワッサンとベレー帽」、「パリ・世紀末パノラマ館」なんかも面白い。前者は「ふらんすモノ語り」と題されて、いくつもの小さなエッセイが楽しい。後者は「エッフェル塔からチョコレートまで」と副題されている。こういう雑学こそ楽しいのである。
   
 だけど、もっと面白いのは歴史的な考察に基づく社会史的とも言える本で、「パリ時間旅行」はエッセイではあるがパリの歴史的な移り変わりがよく判る。オスマン市長の改造以前のパリが、いかに汚染された都市だったかという話がいっぱい出て来て、実に身に沁みる。東京でも似たような問題はいっぱいあった。そんな街だからこそ香水が発達したのだというのは納得できる。「明日は舞踏会」という本も興味深い。「舞踏会」という、名前だけはよく聞く社交界の内実を描きつくした本。男はダンディを競い、女はコルセットで肉体を締め付け優美なドレスで自らを装う。そこに始まる苛烈なる恋愛ゲームの諸相。フランス古典文学に出てくる舞踏会のすべてが判る本だけど、詳しすぎるのが問題かも。
 
 以上、ナポレオン三世の本以外はずべて中公文庫にズラッと入っている。他にも読んだけど、以下の2冊だけ触れておく。それは角川ソフィア文庫に入っている「パリ、娼婦の館 シャン=ゼリゼ」と「パリ 娼婦の館 メゾン・クローズ」で、フランス娼婦2部作。いやあ、こういうセックス関連の本ってどうなんだろう。買いにくいとも言えるが、昔の外国の話だから研究以外の意味はないとも言える。これはフランス文学を読むときに必須の本である。それは歌舞伎とか落語とかをもとにして昔の日本を研究しようと思ったら、「吉原」を知る必要があるのと同じである。モーパッサンの「テリエ館」という短編は娼館を描いた作品だけど、この本を読んで初めてよく判った。

 フランス文学には「高級娼婦」という日本的な感覚からは不思議な存在がよく出てくる。これが何だかよく判らなかったけど、これらの鹿嶋氏の本で始めて判るのである。バルザックやゾラが書いてた主人公は「高級娼婦」だった。名前だけ有名な小デュマの「椿姫」もオペラの物語という感じで、うっかり純愛ものみたいに思うと大間違い。椿姫とは高級娼婦だった。今も文庫で出てるから読んでみると、これが大時代の大ロマンで、高級娼婦を養うのは並の男ではできない大事業だとよく判った。貧富の差と身分の差の中で美貌の女は自らの容貌を売るしかない。ある意味で今に通じる話。一度贅沢を知った女は、いくら心で結ばれたイケメン男であっても、貧乏男では満足できないという話。
 
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